≪1-6≫ 誰でもない者①
三代目魔王の存在が公式に確認されたのは28年前だったが、その影響で魔物が増え始めたのは40年前くらいからだ。
魔物の増加は人類の活動圏を狭め、直接的な被害以外にも多くの変化をもたらした。
ジャムレの街。
ここは森を抜ける手前の休憩地、街道の中継地点として栄えた街だ。しかし三代目魔王の出現によって森には魔物が増え、遠回りだが比較的安全な平原地帯に街道が引き直された。
魔王が倒されても、整備が進んだ新街道にシフトした人の流れは結局戻らず、今は林業を始めとした森の恵みによって支えられる田舎都市だ。
そんなジャムレの街にも冒険者ギルドの支部は当然存在する。
『冒険者』という職業を一義的に定義することは難しいが、大雑把に言うなら『魔物と戦うことを仕事とする民間人』だ。
金で雇われて魔物退治をする。あるいは魔物だらけの野山に分け入り、調査し、資源を採取する。
以前より存在していた業態ではあるものの、三代目魔王の影響で魔物が増えた折、その必要性が認知され爆発的に増加。
概ね冒険者たちの互助組織でしかなかった冒険者ギルドは肥大化しつつ組織化を深め、さらに各国のギルドが魔王の軍勢と戦う上での必要性から提携、あるいは事実上の合併。
いつしかそれは国家の枠すら超えた巨大軍事組織となり、魔王亡き後の世を動かす政治勢力の一つとして大いなる警戒を抱かれてもいた。
とは言え、森から利益を得るジャムレの街にとって冒険者は不可欠の存在だ。
非戦闘員が活動する領域を掃除する彼らの活動がなければ森の恵みは得られない。
また、危険な森の奥に踏み入って貴重な薬草などを採取できるのは冒険者くらいのものだ。
冒険者ギルド・ジャムレ支部の建物のロビーは、『冒険者』という言葉の粗野な印象を裏切り、銀行もかくやという立派さだった。
白い石を敷き詰めた床を鳴らして、小綺麗な制服を着た職員が行き交う。
訪れるのは冒険者だけでなく、依頼者やギルド相手に商売をする者。
そして、新たに冒険者にならんとする者……
「冒険者になりたいんです。試験を受けさせてもらえますか」
その少女は異質だった。
種族は人間。年齢は10歳前後。
着古した粗末な枯れ草色のワンピースは雨に濡れ、焼け焦げらしき傷や血痕らしきものまで付いていた。
背中ぐらいまでの長さがある金茶の髪はそぼ濡れて額に張り付き、血の気の無い顔の中で炎のように赤い目が爛々と輝いている。
全体に薄汚れていて、外見は浮浪児そのもの。警備の者の気分次第で摘まみ出されていただろう。
窓口で応対した管理官(いわゆる『受付嬢』だ……女性に限られる仕事ではないが)マリアンヌは、最初に何を言うべきか数瞬迷った。
「冒険者試験を受ける場合、所定の試験料をギルドに納めていただくことになりますが……」
「料金? ……そんなシステムだったのか」
虚を突かれた様子の少女は本気で困った顔をする。
冒険者になるための資格試験を受けるにも多少の試験料が必要なのだが、どうも彼女はマリアンヌの見立て通り、無一文であるらしかった。
「免除とか、後払いとか……そういう制度無いんですか?」
「ございますが、基本的には活動実績のある方に限られています。
例えば、日常的に魔物の駆除を行っていた猟師の方などが対象となりますね」
「……出直してきます。ありがとうございました」
憮然とした様子ながら少女は諦める。
一礼して、これ以上留まる理由は無いとばかり、彼女はつかつかとロビーを出て行った。
突風に見舞われたような時間だった。ロビーに残された濡れた足跡が無ければ、雨の日の幻か何かと勘違いしそうだ。
居合わせた人々はヒソヒソと迷惑げに囁き合っていた。
「本当に居るんですね、ああいうの。
冒険者を何だと思ってるんでしょうか。冒険者にさえなれれば一攫千金で成り上がれるとでも……」
マリアンヌの隣に座っていた若い受付嬢が、客に聞こえないよう小声で毒づく。
冒険者に憧れるただの子どもだの、冒険者という仕事をよく知らぬまま『儲かるらしい』という噂だけを頼りにやってくる物知らずだの、そういった招かれざる客に困らされた逸話は茶飲み話の席でいくつも流通している。
だが、先程の少女がそういった類いのものではないとマリアンヌは見抜いていた。
「何を見てたの、あなた。あれは夢見るお子様なんかじゃない。
今すぐにでも殺し合いができる、覚悟が決まりきってる危険な目よ」
「えっ……?」
「何のつもりで冒険者ギルドの戸を叩いたか知らないけど、試験料すら持ってないみたいでほっとしたわ」
マリアンヌは溜息をついて、こわばった肩の力を抜いた。
「あの手合いはね。上り詰めるかすぐに死ぬかのどっちかよ。
それで大半は後者なの。ましてあの歳で冒険者になったりしたら尚更ね。
……ヘコむわよ。自分の担当した冒険者が資格を取って一週間も経たずに死ぬのって」
* * *
「いきなり冒険者ギルドは飛ばしすぎだったか……」
林業の街らしく、木造そのものの外見をした建物が並ぶ通りにて。
雨の中を歩きながらヴォルフラムは反省する。
自らが置かれた苦境に打ちのめされたのもほんの数分。
『何の力も無いが知識と経験だけはある少女』が世界を救うためにどうすればいいか、ヴォルフラムは早くも進むべき道を考えていた。
――急いては事をし損じる、か。魔王が生まれちまった以上、時間は限られてるが……
やれることからやってくしかねえ。
傘は持っていないし買う金も無いので、ヴォルフラムは軒先を伝うように濡れ歩く。
向かう先は、ヴォルフラムの行きつけだった酒場だ。
同じような建物が並ぶ中で、屋根の上でクルクル回る、間抜けな風見鶏が目印だ。
表の看板は『ヴィオレットのキッチン』。子煩悩な先代店主が娘の名前を店に付けた。その店主は最近死んで、今は娘が店を受け継いでいる。
まだ早い時間帯なので店は開店準備中だ。
――俺みたいな怪しい奴がぶらりと現れて飲んでても気にされねえ、詮索もされねえ。
それでいて喧嘩や流血沙汰が四六時中起こるような、客層の悪い店でもねえ。
そういう場所は色々と好都合だ。そんでもって……
店の裏手で待つこと……運良く数分。
「あの」
勝手口を開けてゴミ捨てに出て来たのは、長い紫紺の髪を結った人間の女性。
年齢は20代前半といったところ。目を引く美人というわけではないけれど、どこか香り立つような色気を醸す女性だ。
この店の主、ヴィオレットである。
――ヴィオレットが『人を雇おうか』と言っていたのを、俺は知っている!
ヴォルフラムが声を掛けると、ヴィオレットは群青色の目を驚きに見張る。
店の裏から出るなり目の前にずぶ濡れの少女がいたら、まあこんな顔にもなるだろう。
「わたしを雇ってくれませんか」
ヴィオレット、固まる。
突然の出来事に情報の処理が追いついていない様子だ。
何度か瞬きをしてから、彼女は優しい笑顔で拒絶する。
「ごめんなさい、うちの店はそういうの間に合ってるの」
「皿洗いでも床掃除でもなんでもします。読み書き計算できますから事務のお手伝いもできます!
給料もそんなに沢山要りません。残り物を食べて軒先で眠る生活でもいいんです!
だからわたしをここに置いてください!」
即座の抗弁を受け、只事ならざる雰囲気を感じ取ったらしいヴィオレットのヴォルフラムを見る目が変わる。
物乞いの類いではなく、ヴォルフラムが本気で言っているのだと感じ取ったようだ。
「あなた……どういう身の上なの?
もし頼れる人が居ないなら、神殿のお世話になることだってできるのよ?」
「それはできないんです。……事情があります」
どんな街にも神殿はあり、そこでは貧者のための施しや、身寄りの無い子どもたちへの種々の支援なども行っている。実際、レティシアもそうした取り組みに助けられて生きていた身の上だった。
だが、その生活では自由に使える金が貯まらない。
「その事情っていうの、聞いてもいいのかしら」
「ごめんなさい、全部は話せません。事情を話せば巻き込むことになりますし、理解を超えた話になると思いますから」
思い悩む様子のヴィオレット。
少なくとも彼女がヴォルフラムに興味を持ち始めているのは明白だった。
「とにかく、入りなさい。こんなところで立ち話じゃ、風邪引いちゃうわ」
中身を捨てるはずだったゴミ箱をひとまず脇に置き、彼女はヴォルフラムを招き入れた。
補足
ヴォルフラムは庵の敷地の分だけ街に税金を払って居住を認めてもらっていました。
森から薬草を採取したり狩りをする権利はありません。