≪1-3≫ 罠①
ヴォルフラムの庵から、僅かに人の歩いた跡があるだけの獣道未満の森の中をどうにか進むと、森の中の旧街道に出る。
そこには白馬に牽かれる真っ白な箱形馬車という、雑に豪華なものが迎えとして待っていた。
「すっごぉい! 馬車だよ馬車! 王様とかお姫様って、みんなこんなのに乗ってるんだ!」
馬車が走り出すとレティシアは窓から身を乗り出さんばかりに目を輝かせて、流れゆく景色を見ていた。
「な・ん・で、こいつまで一緒なんだよ」
「この話は今のところ内密、極秘ですので……守秘のために一時的にではありますがご同行願います」
同乗する役人は強引な成り行きに申し訳なさそうにしながらも、有無を言わさぬ雰囲気だった。
おそらく上からの命令なのだろう。
「世話はてめーらでやれよ。これも俺を雇う報酬だ」
「も、もちろんです」
「そうかよ。
良かったなガキ。キラッキラのおべべを着て、蕩けるような美味いもんをたらふく食えるぞ」
「本当!?」
これから面倒事の塊みたいな場所へ突っ込んで行くのに、余計な面倒事がくっついてくるのは御免なのだが、世話をするのが自分でないならまあいいだろうとヴォルフラムは無理やり納得した。
馬車は、歩いても行ける距離にある最寄りの街ジャムレではなく、街道の結節点たる隣街のルシャマトへと向かって行く。
魔法で土を岩のように固めただけの、もはや行き交う人々も無く木々に埋もれかけた旧街道。馬車は、道を割って突き出した木の根などを踏み越えながら心持ち足早に進んでいた。
だが、その馬車は森のド真ん中で急に止まった。
「ん? どした? なんで止ま……」
全身が粟立つような感覚。
迫る魔法の気配。
敵意。
殺気。
「どわあああっ!?」
直後、全てが吹き飛んだ。
己の身だけを守るなら簡単だが、二人守れたのは奇跡。
辛うじて反応が間に合ったヴォルフラムは、レティシアを抱きかかえて≪元素障壁≫の魔法を周囲に張り巡らせ、突然の魔法攻撃を防御した。
「くそっ! 無事か、ガキ!」
「な、何? 何なの……?」
燻る残骸と化した馬車。
爆圧で引き千切れた馬。
地面に出来たクレーター。
同乗していた役人は既にウェルダンになっていたが、その炭化しかけた腹を食い破って何か細長いものが飛び出す。
「きゃっ!」
レティシアが悲鳴を上げた。
焼け焦げた死体の腹を食い破って出て来たのは、鋼鉄のムカデにもミミズにも見える奇妙な魔物。
操人鎧虫という魔物だ。人に寄生することで意思を乗っ取り操る力がある。
――嵌められた……! 罠か!
最初に奴らが庵を訪れたときは、確かに全員正常だったはず。何か妙な武器でも仕込んではいないかと、庵に向かってくる一団をヴォルフラムは遠隔魔法で念入りに調べた。
だが、その後ですり替わったか、なにかされていたようだ。
――クソッタレ、俺としたことが! いやでも、あの間に何か仕込まれるなんて思うか普通!?
馬車の周囲に居た護衛たちも、各々の得物を手にして油断なく身構えている。
そして、そこへ。
邪悪な気配を滾らせて、ふわりと宙より舞い降りる者があった。
人間で言うなら20代後半くらい。
長身痩躯で黒髪黒目。喪服のような漆黒のスーツを着こなし、アンダーリムの眼鏡を光らせる。
邪悪な知性を感じさせる、鋭く冷たい顔立ちをした男だ。
「……久しぶりじゃねーか、鬼畜眼鏡」
「懐かしいですねェ、ヴォルフラム……
六度にわたる死闘の果て。私と貴方の決着がまさか、決戦場の鉱山丸ごと爆破されて木っ端微塵にされるなんていう味気ないものになるとは」
「味気ないとはご挨拶だな、テメーを騙し討ちにするのは苦労したんだぜ。
こちとら世界を救うのが仕事だったんだ。手段は選んでられなくてな」
友好的とは言い難い再会の挨拶だった。
この男の名はトゥダ。悪性の半神的存在『悪魔』だ。
彼は三代目魔王に手下として生み出され、仕えていて……20年前にヴォルフラムが倒したはずだった敵だ。
馬車を魔法で爆撃したのは彼だろう。即ち、マリオネットワームで操った者たちに、ここまでヴォルフラムをおびき出したのも。……ゲルティークの役人たちに一度は正常な状態でヴォルフラムと会わせておき、ヴォルフラムが誘いを承諾して迎えに行くタイミングで罠を仕込んだのも。
「で? 木っ端微塵になったはずのテメーがなんで今こんな所に居やがる」
「新たな魔王が生まれたこと、既に聞き及んでおりましょう? 私もお仕えする運びとなりましてねェ。
一度はしてやられた、かつての英雄たちがどうしているか……
当代様の障害になりはしないかと考えていたのですよ」
縋り付くレティシアを背後に庇い、腰に提げていた短杖を手に、ヴォルフラムはトゥダと対峙する。
トゥダはその顔を邪悪な愉悦に歪めていた。
「クライドは先代様と相打って死んだ……
ゲンリュウとパブロは最早、凡百の権力者に堕ちた……
残るは貴方です。我が永遠の宿敵、ヴォルフラム」
次の動きはヴォルフラムの方が早かった。
「≪灰神楽≫!」
「むっ!」
トゥダの口上を遮るように放たれた魔法。
地面から、辺りを覆い尽くすほどの黒い灰が巻き上がり、竜巻のようにトゥダを包み込む。
「しっかり手ぇ握ってろ、レティシア!」
「う、うん……!」
踵を返して駆け出しながら、ヴォルフラムは、行く手を遮ろうとする護衛めがけ魔法を打ち込む。
「≪爆破≫!」
鼓膜に痛みを覚えるほどの爆発が起きた。
トゥダによる先程の一撃に勝るとも劣らないほどの大きさのクレーターができて、余波によって揺さぶられた木々がさざめき合う。
割って入った者らは木っ端のように吹き飛んだ。
生きているとも死んでいるとも言いがたい状態で、魔物に寄生されて操られているだけの人だ。寄生する魔物を綺麗に取り除けば魔法で蘇生する望みもあろうが、この状況でそこまで手を掛けている余裕は無い。
「駆け抜けろお!」
ヴォルフラムはレティシアの手を引いて、隙間が出来た包囲陣を突破した。
走って逃げられる距離ではない。まして敵は強大な悪魔なのだから。
距離を離して一時的にでも目を眩まし、その隙に魔法で仕掛けをして身を隠すのがヴォルフラムの狙いだった。
「あれって何!?」
「悪魔だよ悪魔! 魔王の手下! 20年前に倒したはずだったんだが……」
背後から、怖気を誘うような音と気配が迫った。
放散された何らかのエネルギーが地をめくり上げながら距離を詰めてくる。
「≪元素障壁≫!」
咄嗟、ヴォルフラムは背後に光の壁を作り出す。
だが。
迫り来る魔法弾は光の壁を叩き割り貫き、その直後、炸裂した。
「がっ!?」
脳髄を揺さぶる衝撃。
闇色の炎が大爆発を起こし、吹き飛ばされたヴォルフラムはレティシアともつれ合うように転がった。
「足止めにしても手緩い」
意外なほど近くにトゥダが居た。
ヴォルフラムの魔法を受けたはずだったが、毛一筋傷ついた様子は無い。
それどころか反撃の鋭さときたらどうだ。
おそらくは、魔法弾による射撃の術式で炎を炸裂させる術式を包んで撃ちだし、防御を貫いた向こうで起爆して攻撃するというコンセプトの魔法だろう。
ヴォルフラムはそれを防げなかった。よろめき咳き込みつつ立ち上がる。
――クソッタレ、長く実戦から離れていたツケか!
……いや、俺が衰えただけじゃねえ。こいつ、20年前より確実に強くなってやがる……
計算が狂っている。
足止めできたはずが足止めできない。
防御できたはずが防御できない。
自身の衰えを考慮に入れたとしても計算が狂っている。
「じゃあ、これならどうだ?」
ベルトに仕込んであったナイフをヴォルフラムは抜き放つ。
トゥダの片眉が動いた。
「だりゃあ!」
回転しながらナイフが飛んだ。
トゥダは黒塗りの仕込みステッキを抜いて、白刃でナイフを撃ち落とす。
「何をするかと思えばこんな……」
「……≪超重縛鎖≫!」
「ぬっ!?」
ナイフの刃が怪しく輝いたかと思うと、鎌首もたげて襲いかかる蛇のように巨大な光の鎖が迸り、トゥダを絡め取った。
トゥダは崩れ落ちて突っ伏す。光の鎖は可視化された『重さ』という概念だ。
外見を超える超重圧がトゥダの肉体には掛かっている。
このナイフは魔法の術式を仕込んだもの。
詠唱を省略してもフル詠唱時の威力を保証し、さらに魔法の発動点となることで着弾を半手早める。
この20年の隠棲の間に、ヴォルフラムが手慰みに開発した技の一つだった。
身動きできないトゥダに一瞥をくれる間も惜しみ、ヴォルフラムはレティシアを抱えて走り出す。
「おい、ガキ! 大丈夫か!? 生きてるか!?」
「おじさん……」
答えが返り、ヴォルフラムはホッとする。無事とは限らないが。
咄嗟に自分の身体を盾に守ったつもりだったけれど、もちろんレティシアも無傷ではない。額から流れた血が顔の半分ほどを赤く染めていた。
戦いの経験を積み、生体魔力による身体能力強化ができているヴォルフラムと異なり、レティシアは一般人だ。ヴォルフラムでも傷を負うような攻撃となれば、レティシアには致命傷となり得る。
「ニセモノだったんだね……あの人たち……」
「ってわけでもねえが、結果的にはそうだな。
すまん、美味い飯とドレスはしばらくお預けだ」
「それでも、魔王と戦ってくれる……?」
苦しげに呼吸をしながらも、レティシアは、仮に数秒後に死ぬとしてもこの答えを聞かねばならないのだとでもいうように問う。
――マセガキが。この状況で自分じゃなくて、世界を『助けて』ってかよ……!
「ちょっと待ってろ、今≪治癒≫を……」
言いかけたその時、何かが背後からヴォルフラムを飛び越えた。
宙返りをするように跳躍して頭上を舞うトゥダと目が合う。
その手には黒紫色の雷が宿り、それは鋭く擲たれ、ヴォルフラムとレティシアを貫いた。