≪1-28≫ ジャムレ燃ゆ⑦
未だに魔物の群れが包囲し、睨み合いの小康状態が続いている冒険者ギルド支部。
その周囲の瓦礫の山が微かに傾ぎ、突然地面にうっすらと足跡が付く。
魔物たちはそれに気付かない。
迷彩ポーションは飲むのではなく吹き付けて使うことで、身につけている装備品ごと透明になることができる。
ギルド支部の備蓄の中にまだ残っていたポーションを分捕った二人は、それで姿を隠して再び包囲網を突破した。
「おい、ジェシカが居ねえぞ! あいつこっそり支部に残りやがったな!」
「しょうがねえ! この状況で付いて来いとも言えねえだろ!」
見えない二人ははぐれないよう手を繋いで走る。
置いてあったのはレベルの低い安物の(とは言え消耗品としては充分高いが……)ポーションだ。長時間姿を消していることはできない。
マリアンヌも同じものを使ったとしたら長時間の隠密行動は難しいはず。何より、ニオイの問題もある。
――考えろ、ヴォルフラム……!
マリアンヌは知識がある! だとしたらこういう状況でどんな行動を取る!?
俺がマリアンヌだとしたらどう動く!? そこにマリアンヌは居る!
支部から奪ってきた街の地図(透明化中なので見られないが)を思い出して、アニスは作戦行動を考える。
支部を出る時には絶対にポーションを使ったはずだ。だが迷彩ポーションは身体と装備に吹き付けて使う……つまり洗ったら効果が消える。
しかしニオイがそのままでは危険があるわけで、効果時間中に安全を確保しようと思ったら最も適切なのは……
「……水路か!」
アニスは閃いた。
水資源があって、運ぶべき重い物がある。
となれば人はまず運河を作るもの。
このジャムレの街は、川を引き込んで築かれた運河が存在し、材木などの物資を運搬するために使われている。
水に入ればニオイも消せるし水中に姿も隠せる。
幸い、ちょっと長い時間泳いでも凍死するような季節ではない。
支部を出て真っ直ぐ運河に向かったらどの辺りになるか。
おおよその目星を付けてアニスは向かう。
護岸を石に固められた水路に辿り着き、水中を透かして覗き込むと、水底に何か布の塊が沈んでいるのをアニスは発見した。
「ビンゴ」
「なんだ、ありゃ?」
「泳ぐために服を脱いだんだ。地上に放置すると魔物に気付かれると思って沈めてあるんだろ」
よく見ればそれは確かにギルド職員制服のブレザーらしかった。
丸めた服で、剥がれ落ちた煉瓦か何かを包み、運河に放り込んだらしい。
おそらくマリアンヌはここから水に入った。
――自然の川を引き込んだ水路だ、緩くても流れがある。逆らわず下流へ行く方が体力を使わない。
アニスは、マリアンヌが運河を下る方にヤマを張った。
どこが安全でどこが危険かも分かりにくい状況だ。特定の安全地帯を目指すよりも街を出る方向で動くと考えたのだ。
アニスは神経を張り詰め、辺りの気配を……徘徊する魔物と隠れているかも知れないマリアンナ、両方の居場所を探りつつ運河沿いを忍び歩いた。
視界の隅に何かがちらつく。ふと見ればそれは自分の腕だ。綺麗な水に絵の具を流し込んだように、じわりと真白い腕が輪郭を滲ませる。ポーションの効果が切れ始めたのだ。
「時間切れか」
「気をつけろ、壁際を歩け。数は少ないが『鳥』も居たからな」
街を襲った魔物の中には鳥型のものも居た。指揮官が有能なら飛べる魔物は斥候として空に放ち、人の動きを探させるものだが、そこまで頭の良い戦術は使っていないようなので偶然の発見にだけ気をつけていればいい。
二人は慎重に先を急いだ。マリアンヌらしき姿は見当たらない。既に街を囲う街壁が見え始めていた。
――水中に適応した魔物は居ねえ。一人きりで水中に隠れながら進めばかなり安全だろう。
だが、絶対に水から上がらなきゃならん場所がある。水路伝いに魔物が侵入することを防ぐ水門だ。
街を貫く運河は街壁を横断し、やがては川に合流する。
ジャムレで採れた木材は川を通じて他の街へと運ばれていくのだ。
逃げ道としては上等だろう。もっとも、街から離れすぎても結局危険なので、どこか適当な場所で身を潜めて救援を待つことになるだろうけれど。
街壁の一部であり、水路を塞ぐ水門は、普通は荷物が通る時だけ門卒が開閉する。
仕掛けを動かすか、それは目立ちすぎるから単に脇からこっそり乗り越えるのか、いずれにしてもその時は水から出なければならないわけで、もしマリアンヌがこちらへ向かっていたなら何らかの痕跡を……
ヤスリで首筋を撫でられたような意識のざらつき。
魂が感じ取る異質なるものの気配。
アニスはその存在を感知した。
気配で捉えてから目視まではコンマ数秒。
街壁内側の壁際にたむろする魔物の群れ。最も目立つのは大斧を担いだ緑の肌の巨人。
その合間から垣間見える、ずぶ濡れで下着姿の女。場違いに思えるほど艶やかな肌に、水を孕んだ髪が纏わり付いている。
「……くそったれ! 行くぞ、バセル!」
「応!」
手遅れか、間に合ったか。
事態は丁度その分水嶺上だ。
二人は走り出す。
魔物たちがその足音に気付くより早く、仕掛ける。
「誤射に気をつけろ!」
「右から行くぜ!」
バセルは魔物たちに駆け寄りながら銃を乱射。
銃弾はオークの尻の穴を増やして膝裏をブチ抜き、振り返ろうとした血染猟犬の土手っ腹に風穴を開ける。
「≪雷矢≫!」
同時、アニスが剣から放った魔力の矢は稲妻の如く輝きつつ飛翔。
直撃を受けたブラッディハウンドが飛び跳ねるように痙攣し、空中でその形を崩して魔石だけが地面に落ちた。
「アニスさん!?」
追い詰められていたマリアンヌが目を見張り叫ぶ。
「目ぇつぶっててください!
……バセル!」
「うっしゃ! こっち見ろ魔物ども!!」
背面に先制攻撃を仕掛け、ちょうど魔物たちが振り向いてきた頃合いを見計らい、バセルは魔力灯照明を点ける。
洞窟探検などの時に使われる強力な携帯用照明器。これを使うのはバセルの思いつきだ。アイテムショップで火事場泥棒をしていた時に見つけ、彼はアニスの≪閃光≫と同じ事がこれでできないかと思いついたらしい。
実際、先程の戦闘では戦果を上げた。
だが強烈な照明を向けられた魔物たちは、目をつぶるなり顔を背けるなりという反応をして、どの程度効いたやら怪しい。
――くそっ、やっぱりさっきの連中だ! 同じ手は二度も効かねえか!
オーガロードを中心とした群れ。
先程アニスたちが出会ってしまった集団だ。
こいつらから逃げるためにアニスは≪閃光≫の魔法を使った。となれば、ゴブリンの脳みそでも警戒心くらいは抱こうというものだ。
直撃を避けた魔物たちは、こちらから目を背けたり、手で庇を作ったりしながらも攻撃に対して身構える。
「なら、こいつでどうだ!」
そこに向かってアニスは筒状のものを向けて、根元の紐を引く。
すると間抜けな発射音と共に、煙の尾を引きながら光の球が飛んで行った。
信号花火。
筒状の発射機から吹き出し、空高く打ち上がって色付きの煙を放つアイテムだ。冒険者が連絡に使う≪信号弾≫とほぼ同じもの。
アニスはそのうち一発を直上に、残りを水平にぶっ放した。
「ギッ!?」
色とりどりの爆発が発生し、カラフルな煙と光が乱舞する。
もちろんダメージは大したことがないのだが、驚き怯ませるには充分だ。
「ちょっとでいい、時間稼げバセル! 『蒼天に隘路あり∥我は……』」
「ウグアアアアアアア!!」
だが。
そんな中でオーガロードは、目眩ましに対して動じることなく、戦いにいきり立っていた。
閃光と信号弾で視界を封じようとされる中、なんと手近に居たブラッディハウンドを鷲づかみにしてぶん投げてきたのだ。
「「はあ!?」」
血に染まったような毛並みの大犬が吹っ飛んでくる。
狙ったのか当てずっぽうなのかは分からないが、とにかくそれはバセルに思いっきりぶち当たり、照明器ごと吹き飛ばす。
さらに矢継ぎ早のもう一匹がアニスに投げつけられた。
「きゃあっ!」
アニスの小さな身体は簡単に吹っ飛んだ。
咄嗟に剣を落とさないよう抱え込んで身体を丸めたアニスは、歯を食いしばって受身を取る。
――肉弾かよ、無茶を……!
転がって衝撃を受け流したアニスだったが、体勢を立て直すのは四本脚の獣の方が早い。
肉弾にされたブラッディハウンドは主に文句を垂れることもなく、跳ね起きるなりアニスに飛びつきのしかかり、組み伏せた態勢から喉笛を噛み裂こうとする。
向かってくる顎門にアニスは、猿ぐつわのように剣を突っ込んで押しとどめた。
「≪電撃≫!」
「ギャン!」
「……のやろ、テメ……」
雷光が爆ぜて犬は吹っ飛び、アニスは起き上がる。
「あ……」
そしてアニスは息を呑んだ。
「グ、グヒ、グヒヒヒヒヒヒ……」
オーガロードのたるんだ顔が、醜悪で嗜虐的な笑みを浮かべていた。
彼はその大きな手でマリアンヌの身体を掴み上げ、さらに薪でも割ろうとしているかのように、マリアンヌの頭に大斧の刃を当てていた。