≪1-27≫ ジャムレ燃ゆ⑥
「おい、余計なことをそいつに喋るな!!」
頭にガンガン響く声でエーリヒが怒鳴りつけた。
怪しい。
視線でアニスが問いかけると、若い職員は少し躊躇った後で控えめに口を開いた。
「外に、出ている……」
「何だと?」
「城館への偵察と、可能なら連絡をと……支部長に命じられて……」
ジャムレを治める領主の館は、戦闘用の城でこそないが、この支部と同じくらいには頑丈で、何より数人の騎士と衛兵が詰めている。都市防衛に当たって司令塔になるべき場所でもあり、本来ならギルドが連絡を取りあって然るべきだろう。
しかし、ここへ来る途中で軽く様子を見てきた限り、既に城は攻め落とされていた。
領主城館にも通信設備はある筈で、ギルド支部から呼びかけて応答がなければ状況は類推できるはずだ。
もちろんそれを承知で様子を見に行かなければならない場合もあろうが、現状は違う。
非戦闘員であるギルド職員が九割方死ぬと分かっていて出て行くほどのメリットは、見えない。
「彼女は渋ったが、支部長が……刺したんだ。肩を。ナイフで」
「はあ!?」
「待て、君ぃ。その言い方はないだろう」
職員の言葉にざわつく避難者もあり、この話は全員が知っていたわけではないようだ。
エーリヒは肉のだぶつく首を振りながら話に割って入る。
「いいか、この状態では秩序を保ち、下の者は上に従って動く必要がある。
反抗的な者に対しては、いくらか手荒な手段を取ってでも混乱を長引かせてはならんのだ。
それに私を残忍な殺人鬼のように言うのはやめてくれたまえ。
備蓄の治癒ポーションによって体罰の怪我は完治させたし、彼女を送り出すに当たっては虎の子の迷彩ポーションを手渡した」
この場に居る全員に聞かせるためか、エーリヒはただでさえ大きい声をさらに響かせる。
慇懃無礼な役人めいた口調で彼は申し開きをする。
「誰かがしなければならなかった仕事だ。民間人を行かせるわけにはいかぬし、冒険者どもはこの場で非戦闘員を守らねばならんだろう」
「大馬鹿野郎……! わざとならテメエはド畜生、知らずにやってたなら大マヌケだ!
犬が居るんだぞ!? 奴らは人が流した血のニオイに何より強く反応する! 姿を消そうが、水浴びでもしねえ限り鮮血のニオイで気付かれる!」
怒鳴りつけられたエーリヒは顔を真っ赤にしてアニスを見下ろす。
分かっていてやったのかどうか顔色からは定かでないが、反省する気が無いことだけは確かだ。
先程の職員が何かハッとした様子だった。
「あっ、そうかそれで彼女は着替えた上に、執拗に肌を拭って……」
「それだけか? 他に何かニオイの誤魔化しは?」
「『貴重な水を無駄遣いした』ともう一度刺された」
「くそっ!!」
たむろするギルド職員たちは、『当然だ』と言わんばかりの鉄面皮か、気まずげに目を伏せるばかり。
エーリヒがおかしいことをしているのだと思っていても、迂闊にそれを止めれば悪目立ちして自分が吊し上げられるのではないかと恐怖し、竦み上がっているのだ。
極限状態で孤立した人々の中に、悪性の支配構造が生まれるのはよくあることだ。英雄ヴォルフラムはそれを知っている。
最悪なことに、この場で頂点に立ったのはエーリヒだった。
――魔術師が残ってりゃ≪消臭≫の魔法くらい頼めたろうが、俺だけか。そりゃあこの街のレベルじゃなあ……
ともかく、今最も優先するべきはマリアンヌの命だ。
彼女が危険に晒されている可能性は高く、生存率は刻一刻と落ちていくはず。
「救援がいつ来るかなど、状況を教えてもらえますか」
「何を勝手なことを!」
「分かるはずだ。普通、この大きさのギルド支部なら通信設備も、そのための魔石備蓄もある。
ルシャマトに救援要請を出していないはずがない」
そもそもアニスが支部へ足を運んだのは、必要なら防衛に協力するためでもあるが、状況を知るためでもある。
魔物との戦いに備えて存在する機関である冒険者ギルドは、個々の支部にも非常時の備えが義務づけられており、その中でも通信設備は必須に近いものだ。
少なくとも日常業務にも使われるものなのだから、これ無しでは話にならない。
「何の義理があって貴様に教えねばならん。
指揮を執る者が知っておれば充分だ。下手に情報を流せばパニックが起こるかも知れんだろう?
それに、人に化けた魔物が紛れ込んでいるかも分からぬ以上、秘さねばならん」
「外に居るのは脅威度4の魔物までだ! そのレベル帯で人に化けられる奴が何種類居る!? 全部言ってみろ、俺は言えるぞ! そんで調査済みのダンジョンデータと突き合わせてみろ! タイプ22も23も41も無かったのに、ダンジョンの成長まで考えてもほぼ出ねえよ!
よしんば他所から助っ人が差し向けられてるとしたら、それだけ敵に重視された時点でこの街はとっくに終わってる!」
怒鳴り合い、二人は睨み合う。
避難民も職員も防衛に当たる冒険者も、皆が固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
年齢でも、声や身体の大きさでも、社会的地位でも、アニスに比べてエーリヒの方が遥かに上だ。この両者が並び立つとは普通は感じられまい。だが、アニスの気迫が場の空気を呑んでいた。
それでもエーリヒは折れない。
自分の思い通りにすることしか考えておらず、その道筋から器用に外れることができない……
社会的に成功し続けてきたエリートには割と珍しくもない気質だ。
これはこれで非常時の指揮官としては悪くない。有能でさえあれば。
「強情な奴だ。……バセル」
「あいよ」
埒があかないと見て、アニスは合図を出す。
バセルは使い残しの魔力爆弾を荷物から取り出し、それを掲げて大げさに騒ぎ立てた。
「うわあ、なんてこった!
さっき魔物と戦った時にやられた腕の傷が急に痛み出しやがった!
こんな重い物を持ってたら、いつ手が滑って火を付けて落っことしちまうか分かんねえぜー!!」
ざわりとホールがざわめいた。
この閉鎖空間で爆弾が炸裂したら逃げ場無く無差別に死傷者が出かねない。
「もう一度聞こうか。状況はどうなってる? 知る限りの情報を寄越せ」
あんまりなやり口にギルド職員たちは、エーリヒも含めて顔面蒼白かつ呆然となる。
時が凍ったような静寂の後、口を開いたのはエーリヒではなく、幹部職員らしきエンブレムを付けた中年の職員だった。
「1時間以内に第六等級冒険者のパーティーが先遣隊として到着する!
ただ、その後の援軍本隊は数も到着時刻も未定だ!」
その言葉で解凍されたエーリヒが弾かれたように振り返り、幹部職員を指差し唾を飛ばして怒鳴る。
「きっ、貴様! 私に断りも無く! クビだ、クビにするぞ!」
「クビで結構!! そんなことは後で考えればいい!!」
「ひっ……」
それこそ爆弾が爆発したみたいな幹部職員は怒鳴り、その鬼気迫る様子にエーリヒは怯む。
「了解した。
幸か不幸か、この支部の建物に収まるほど生き残りが少ない。なら先遣隊のパーティー1つでも本隊が来るまで持ちこたえてここを守るくらいはできるだろう」
アニスは自分に応えてくれた職員に軽く会釈をした。
「こっちは頼む。俺が手伝わんでも時間くらい稼げるだろ」
「頼む、って……」
「俺らはマリアンヌを助けに行く」
未だ、大嵐を目の当たりにしたかのように呆然としている人々を前にアニスは言い放った。
ふと、『目立ちすぎたかな』という考えが頭をよぎる。
本来それは慎むべき事。英雄ヴォルフラムが少女に身をやつして生き延びているなどと知られるわけにはいかないのだから。
だが目的のために背負うリスクとしては辛うじて許容範囲だろうと、アニスは自分に言い訳をする。
この支部に集まった人々を生き延びさせるため、不確定要素があるとしたら指揮の不作為。
エーリヒをヘコませておく必要があるとアニスは判断していた。
「おい、テメエ」
アニスは剣を抜き、それをピタリとエーリヒの鼻先に突きつける。
刃に一条の稲妻が迸った。
「今は見逃してやろう。だがマリアンヌに何かあったら承知しねえ。
その時はどんな手を使ってでもテメエを最悪の生き地獄に叩き落としてやる。覚えとけよ」
「はひぇっ……」
エーリヒは腰を抜かして後ずさる。
その姿に一瞥をくれたきり、アニスはくるりと背を向けた。