≪1-26≫ ジャムレ燃ゆ⑤
ジャムレの冒険者ギルド支部は、この街には珍しい白い石の建築で、神殿か何かのように立派だった。
大きな街の銀行などにも似ている。
その周囲に死の領域が生まれていた。
薙ぎ倒された家。めくれた石畳。突き立った矢。散乱する武具。転がる魔石。
平らな空間がギルドを囲むように生まれていて、その外側から魔物たちは様子を見ている。
包囲状態とも言えたし、攻めあぐねいているとも言えた。
魔物の群れのうち二つが支部の建物を囲みながらも、接近することができていない。
その原因は彼らが『突撃』と『退却』くらいしか作戦を知らなず、支部に立てこもった者たちからの攻撃をまともに受けていたからだろうという疑いも多分にあったが。
その包囲陣の最後列にて、一匹のオークがそれに気が付いた。
「フゴッ?」
突然、何も無いところから地面に落ちて転がった物騒な黒い球体を。
それは直後、爆発した。
「ギッ!」
突然の爆発音に、数十匹の魔物たちが一斉に振り返る。
さらに二つ、三つ。どこからか突然転がってきた爆弾が炸裂する。
勝ち戦と膠着状態に緩みかけていた魔物たちの隊列は、たちまち大混乱になった。
「やーいやーいばーかばーか、ここまで来てみろベロベロバー!」
先程まで何も居なかったはずの場所にバセルが姿を現し、間抜けなポーズで纏っていたマントをヒラヒラさせて魔物たちを挑発した。
彼が姿を隠したまま爆弾を転がし、魔物たちにぶつけたのだ。
詰め込んだ魔力と術式によって炸裂し、爆圧と鉄片を撒き散らす魔力爆弾は、冒険者が使うアイテムだ。
威力はそれなり。あくまで攻撃魔法の代替品という程度の品だが、なにせこれは音が大きく、非常に目立つ。敵に対して恐怖と衝撃を与えるにはなかなか便利なアイテムだった。
これもアイテム屋を漁って火事場泥棒してきたもの。残念ながら先客がいたようで余り残っていなかったので、魔物の群れをまとめて吹っ飛ばすことは流石に期待できず、アニスはこれを陽動に使った。
包囲陣が乱れ、近くに居た魔物たちはバセルに襲いかかろうとする。
「うおっとお!」
飛んできた矢と、適当に投げつけられた剣(投げた奴はこの後手ぶらでどうするつもりなのだろうか)を躱し、バセルは踵を返して逃げ出した。
バラバラと彼を追いかける者もあり、指揮官もそれを咎めない。
「今だ、走れ! 走れ!!」
「ああもう! 私のマントちゃんと傷付けないで返しなさいよアイツ!?」
その間隙を突いてアニスとジェシカは飛び出した。
バセルが魔物たちの目を引いた隙を突いて、別方向から包囲の隙を抜けて冒険者ギルド支部へ向かったのだ。
当然ながら魔物たちは、一拍遅れてその姿を確認する。
目の前に人が居るとなれば襲いかかるのが魔物の本能だが……
「ギュイ、ギギギイ!」
指揮種らしき魔物の声が聞こえると、アニスの背中を追おうとした魔物たちが踏みとどまる。
迂闊に支部へ近づくわけにはいかないという判断らしい。
「ギュヒ!?」
飛び出しすぎたゴブリンが一匹、支部の二階から飛んできた矢に射貫かれて倒れた。
走りながらアニスは振り返る。
追う者は無し。しかし包囲陣の中に、アニスらに狙いを定める影がある。
――飛び道具は……右に2、左に3!
バラバラに放たれた弓と射撃魔法は、黒炎の舞う空を泳いでアニスに向かってくる。
即座にアニスは弾道を見極めた。
ほとんどはこの速度で走り続ければ外れるが……
――あれだけ当たるか!
一発だけ。ゴブリンメイジの放った≪魔力矢≫がこちらを直撃する軌道で飛んでくる。
「≪風の盾≫!」
風がアニスの背後に渦巻き、妖精の羽のような襟巻きを嬲る。
魔力の矢は魔力の風に阻まれて散り消えた。
「そこの窓を開けてくれ! 開けなきゃ勝手に吹っ飛ばす!」
「わ、分かった! 待ってろ!」
支部二階のベランダで警戒していた冒険者らしき男に向かってアニスは叫ぶ。
堅牢な支部の建物は、いろんなものを積み上げたバリケードだの、塞がれた扉だのによって殻にこもった亀のように守りを固めていた。
そんな中、ちょっと高い場所にある窓が一つ、閉じただけで塞がれていなかった。遠眼鏡で様子をうかがっていてジェシカがめざとく見つけたのだ。
矢が飛んでこないか警戒している間に窓が内側から開き、ご親切にロープまで垂れてきた。
まずジェシカが、ここまで被ってきたヴィオレットの鍋を投げ捨ててロープに飛びつき、猫か蛇のような身軽さで窓に飛び込む。次いでアニスがロープをよじ登り、さらに見えない何かがロープにぶら下がった。
「ただいま。すげえなこのマント」
いつの間にか近くまで逃げてきていたらしいバセルが姿を現す。
そして、ジェシカに借りたマントを脱いで彼女に返した。
「……よし、汗臭くはなってない」
「オイコラ」
三人が窓から侵入したそこは、冒険者ギルド支部のロビーだった。
とは言え、様相は全く変わっている。
ギルド職員や近場から逃げ込んだ市民でごった返していた。外に通じる扉などはとにかく何でも積み上げて塞がれていて、部屋の隅では怪我人が治療を受けていた。吹き抜けの二階部分は窓を完全に塞がず、矢狭間を設けて射撃可能にしている。
「救援だ!」
「助かった!」
市民の何人かは、侵入してきたアニスたちを見て歓声を上げた。
まあ確かに助けに来たのではあるが、外部の救援部隊が入ってきて魔物を蹴散らしたわけではない。その辺のことは、外の状況を見ていないので勘違いしたようだ。
「よくぞ助けに…………き、貴様は!!」
「あぁ?」
その中からヘコヘコと出て来た、ブレザー姿で恰幅の良い初老の男が、アニスらを労いかけたところで顔を引き攣らせ凍り付く。
この支部の支部長、エーリヒだった。
彼は顔を真っ赤にしてアニスを指差すと、吹き抜けのロビーによく響く大声を上げる。
「よ、よ、よくも私を嵌めてくれたな! お陰で私は酷い目に遭ったぞ!
お、おい、お前たち、こいつを叩き出せ! こいつは救援でもなんでもない!
こんな奴が居ては助かるものも助からん!」
「何を勘違いしてるのか知らんが、んな事言ってる場合か?」
なんだかよく知らないが、アニスが知らないところで彼は既に正統な処遇を受けていたらしい。
とは言え、胸のエンブレムを見るに彼は未だに支部長らしい。この場で最上位の地位を持っているであろう男が無能者だというのは憂慮すべき事態だ。
だが、その割に……ダンジョンの知識すらまともに浸透していない教育不全の辺境支部だというのに、現下の防衛体制は意外なほどしっかりしている。戦力と物資を鑑みれば80点くらいだ。
――確実とは言えないが、ここは大丈夫か。
建物の硬さ、魔物の強さ、戦力。全てを計算してアニスは安全判定を下す。
『ヴィオレットのキッチン』に取り残されていた者らは街の外に逃がした。
領主城館は防衛体制を無力化するため真っ先に襲われたようで既に陥落していた。
残る大きな仕事は冒険者ギルド支部の防衛くらいだ。後は街を巡回して取り残された生存者を探す手もあるが、おそらくアニス自身も危険で、なれば後はこの場で守りを固めることに貢献すればいい。若干一名、あまり守りたくない奴が居るのが問題と言えば問題だが、まあ世界を救うというのはそういうことだ。
「外から見た感じだと、落ちてる矢は少なかったですね。
なるべく腕の立つ射手に射撃を任せて『近寄れば撃たれる』って思わせて、後は牽制射撃だけで遠ざけている状態ですか。
これなら限られた物資で効果的に守れます」
「マリアンヌの発案です」
支部長以外の誰かが知恵を出していると見たアニスが独り言めかして言うと、若い職員がそれに答えた。
「何だと!? 私は何も聞いていない……」
「ちょっと黙っとけ」
色めき立つエーリヒの方を振り返りもせずアニスは制す。
おそらく彼は適当な命令だけ出して、自分の力でこの場を守れていると思っていたのだろう。実際にはマリアンヌが知恵を出して、丸投げされた作戦の細部を詰めたわけだ。
「マリアンヌさんもこちらに? よかった……無事で何よりです」
ヴィオレットとあと一人、アニスが私情で守りたいと思っていたのがマリアンヌだ。彼女には恩がある。
上手いことこの場に逃げ込んで、しかも防衛作戦の指揮を執っていたなら二重に喜ばしい事だ。
しかし、ふと、アニスと話していた職員が表情を曇らせた。
「……どうかしました?」
「それが……」