≪1-23≫ ジャムレ燃ゆ②
年月を経た木材で建てられた雰囲気ある宿は、泥足で踏み荒らされ、武器を振るった痕が無惨に刻まれていた。
宿を襲った魔物たちは既に去った後のようで、辺りには濡れた獣のような臭いが微かに残るのみだ。
「……どうだ?」
内部を見て回ってきたバセルは、問われて首を振った。
「だーめだ、もう逃げたのか殺られっちまったのか……誰も居ねえ。
宿泊客ぽいのが二人ほど死んでただけだ」
街外れに近いこの宿は、バセルの希望で確認のため立ち寄った場所だ。
もし要救助者がいれば助け出すはずだったのだが、二人の犠牲者を除いては逃げる事ができたのかどうかも今ひとつ分からない空振りだった。
「あんたの『私情』って、恋人ですらない弁当売りの女の子?」
透明化マントをすっぽり被っていたジェシカが顔だけ出して、宙に浮かぶ生首状態で胡乱な視線を投げかける。
「そうだよ悪いか! 俺、仕事で外へ出る時は絶対ここで弁当買ってんだぞ!
俺の顔覚えてくれたしよぉ、『行ってらっしゃい!』って言ってくれるんだぜ。
あとこれは俺の慧眼による分析だが、明らかに俺の弁当だけ盛りが多いね。あの子の愛情たっぷりの……」
「この宿でお弁当作ってるのは女将さん。あの子のママよ」
幸せいっぱいの甘い惚気話モードだったバセルは、情け容赦無い指摘により一瞬で撃沈して崩れ落ちる。
アニスは彼を照らすスポットライトを幻視した。
「本当にしょうもないわね、男って」
「いやでも、私情で動けって言ったのはそういうことよ。
戻ってこない思い出が脳裏をよぎる度に後悔するんだ。重要なのは親しい相手かどうかってよりも、日常にどれだけ食い込んでたか次第だったりするしな」
「……本当に何者よ、あなた」
「機会があれば話すさ」
ジェシカはアニスにも呆れつつ訝しむような目を向けていた。
なるべく正体を隠すべき身の上ではあるが、直接関わった人々に違和感を持たれるのは仕方が無い部分もあるとアニスは割り切っていた。伝聞として知る分には、口の達者なガキでしかない。それよりも悪目立ちするような活躍をしないことの方が大切だろう。
その点、先日のダンジョンの後始末とはまだ終わっていないし、このジャムレ襲撃に関してもどのように動くかは依然として細心の注意を要する。先々まで考えて動かなければならない。
「つーかジェシカ、お前こそ火事場泥棒かよ!」
打ちひしがれていたバセルが復活し、八つ当たりのように叫ぶ。
指差されたジェシカは、大きめの巾着状の麻袋をマントから出してぶら下げ持った。明らかに中に何か入っている。
なんだかんだ言いつつ付いてきた彼女は、バセルが宿内を調べている間、金庫を開けて中身を拝借していたのだ。
「使う人が居なくなったお金を私が保護してあげてるだけよ! どうせ街が滅んだら持ち主の手には返らないでしょ!?」
「せめて静かにやってくれ」
アニスは是とも否とも言うことを避けた。
人族全体の利益を考えたらジェシカが言う事にも一理あったりする。後から持ち主に会うようなことがあれば、その時には返させようとも思っていたが。
「長居は無用、次に行くぞ。
敵の数は多いが、作戦のレベルは低い。分隊ごとに行き当たりばったりに街を荒らしてるだけだ。
今ならこの辺りは敵の密度が薄い……」
アニスは玄関の影から通りの左右を伺い、魔物の影が無いことを確認して二人を手招きした。
見張り場から見下ろして頭に焼き付けた、街の地図と敵の配置。そして破壊の状況から、敵勢力がどちらへ向かっていくか……完璧とは言えないまでもある程度の予想はできる。こんな風に襲われた街で幾度も戦ってきた経験則の成せる技だ。
見通しが良い通りを素早く横断し、建物の間を抜けて隣の通りへ。
そこには三匹ほど、鎧兜で武装した歪な人影がうろついていた。
人と同程度の身長に、人ではあり得ないほどの胴回りを持つ豚面の戦士、オーク。
それに付き従うようにうろついている小さいのはゴブリンだ。
オークやゴブリンは多様な変種のバリエーションを持つ魔物であるが、他に姿を見せている魔物の脅威度から察するに、危険な特殊能力などは持たない原種であろう。
他の魔物の姿は周囲に無い。
集団行動からはぐれ、そのまま指揮種の命令権能から外れてあてもなくぶらついているところだろう。
見張り場から見た限りでも、こういう状態の魔物が街中に散在している様子だった。
「群れからはぐれた奴らは薙ぎ払って進むぞ。
銃はまだ使うな、あれは音で敵を呼ぶ!」
「応さ!」
アニスが指で手前のゴブリンを示すと同時、二人は路地から飛び出してゴブリンに襲いかかった。
「グギャ!」
子鬼は手にしていた短剣でどうにかアニスの攻撃を受け止めるが、直後、ガラ空きの胴体にバセルの一閃を受けて真っ二つになった。
返す刃でバセルはもう一体のゴブリンを狙う。
奇襲を受けて慌てふためくゴブリンはどうにか剣を構えたものの、それをバセルに思いっきり弾き飛ばされた。回転しながら吹っ飛んだ剣は窓ガラスを割って通り沿いの民家に飛び込む。
丸腰になったゴブリンに、踏み潰すようなバセルの蹴りが炸裂。
仰向けに倒れたゴブリンに剣が突き下ろされ、そして動かなくなった。ゴブリンたちの肉体が塵となって散り、装備と魔石だけを残して消える。
「おい、なんか変だぞ! 俺こんなに強かったか!?」
「気にするな、正常だ。ダンジョンであれと戦ったせいだろ」
興奮のあまり涎と鼻息を漏らすオークと二人は対峙する。不摂生の末路とすら思える巨体は力も兼ね備えているようで、オークは短い腕で軽々と、棍棒のように鈍い刃の長剣を持っていた。
バセルは剣を振るった手応えが気になるようで、しきりに素振りをしていた。
「命の危機の中で戦うほど、生体魔力による身体強化の回路が構築る。
だから人は戦いの経験を積むほどバケもんみてえに強くなるんだ。
英雄ってのは強えから生き残ったわけじゃねえ、生き残ったから強えんだ。
……気をつけろよ、力加減覚えるまでは食器を握り潰したりドアノブぶっ壊したりするぜ」
「マジかよ」
目をぎらつかせたオークが、ハンマーで杭でも打つように剣を振り上げ襲いかかってきた。
技術など無い、ただひたすらに力押しの一撃。オークの膂力から繰り出されれば充分な脅威だ。
しかし振り下ろされた剣は、火花を散らして押しとどめられる。
「ドアノブ屋が大繁盛だ!」
オークの剣を受け止めたバセルは、そのまま剣を押し返し、打ち払った。
「私そんな変わった気がしないんだけど!?」
「そりゃお前は逃げてただけだからな」
「ずるーい!」
姿を見せないままジェシカは地団駄を踏んでいる様子で、声が聞こえた辺りに足跡が増えていた。
バセルは鋭く剣を打ち込むが、これはオークの身につけていた胴鎧に阻まれて引っ掻き傷を残しただけだ。
怒り狂ったオークがバセル目がけて滅茶苦茶に剣を振り回す。それをバセルが防いでいる間に、アニスは攻撃を掻い潜ってオークの脇腹を裂いた。
「プギィィィ!」
良いとは言いがたい手応え。
苦痛より怒りの色が濃い叫び。
ダメージは今ひとつだ。
――マシにはなったが、ガキの身体じゃたかが知れてるか……
命懸けの死闘を繰り広げたのはアニスも同じ筈なのだが、バセルほど力が付いてはいない。
年端もいかぬ少女の肉体ではやはり物理的に非力であり、それが響いてくるものだ。
だが、それならそれで戦いようがある。
戦いの中で高まった膂力に対して、アニスの身体は軽すぎる。
「……っと!」
振るわれた剣を前方宙返りで飛び越えたアニスは、滑り込んでオークの股下を抜けると、反転して背中に切りつけた。
硬い手応え。
バセルの剣でも鎧は破れていない。ましてアニスの攻撃では浅く傷ついただけだ。
だがこれでいい。
「≪電撃≫!」
剣先から迸る雷が鎧を貫通してオークを打ちのめした。
鞭打たれたように竦み上がったオークは、やがて膝から崩れてズンと倒れ込む。
「お見事」
なかなか魔石にならないので、気絶しているだけだと見たバセルが喉をかっさばいてトドメを刺した。
霧散するオークの肉体から、バセルはちゃっかり魔石を回収する。
何度か飛び跳ねて、アニスは自分の身軽さを確かめた。
人はまず自分の体重を支えるためにその力の大部分を費やすこととなるのだ。アニスの小さな身体は他へ働きかける力を発揮しにくいのと引き換えに身軽さを手に入れていた。
なお、例の恥ずかしい服を隠す外套を被ったままなので少々動きにくいが、アニスはこれを脱ぐ気は無い。
「付与魔法はやらないのか?」
「ありゃ切り札だ。魔力の消費を考えると、なるべく温存したい。この布陣だと回復も俺が賄うことになるしな」
「よっしゃ、なら俺が前に出るぜ。
今の俺は無敵だ! 襲ってくる魔物は全部ぶっ飛ばして……」
勇んで歩き出したバセルの前に、彼の倍くらいの身長と、五倍くらいの胴回りを持つ巨体が立ちはだかった。
建物の影からぬっと姿を現したのは、緑色がかった肌の巨人だ。
何かの骨でできた大斧を引きずり、適当な鎧兜を身につけ、カラフルな羽根飾りを頭におっ立てている。
邪悪にぎらつく目がバセルを見下ろしていた。
「……やあ! 俺と勝負しよう。料理対決とにらめっこ、どっちがいいかな?」
「グルアアアアアアア!!」
巨人は雄叫びを上げ、大斧を振り下ろした。