≪1-22≫ ジャムレ燃ゆ①
木々を透かしてジャムレの街を囲む高い壁が見える頃には、木造建築物の焼けるきな臭いニオイだの、悲鳴らしき声だのが届くようになっていた。
石や岩の建造物は大きなものが作りやすい。
というのも、地の元素魔法を使う専門の建造術師に頼れば、ある程度までの建物は簡単に作れるからだ。細かな造形は難しく、もちろん内装や設備はまた別口で準備しなければならないので、作れるのは悪い言い方をすれば『ハリボテ』でしかないのだが。
ハリボテだろうが何だろうが高くて分厚い壁があれば、魔物や獣や野生の盗賊が散発的にやって来た時には防げるもので、ジャムレの街も堅固な……少なくとも外見上は……街壁によって囲われている。
だが、落とし戸形式である格子状の街門は巻き上げられており、外敵を防ぐという役目を既に放棄している状態だった。
門前には戦闘の形跡があり、突き立った矢が枯れ野の草の如し。
倒された魔物の魔石が転がっていて、ついでに人間の死体も転がっていた。
「……うへえ。死体だらけじゃねえか」
「装備とか金目の物とか剥いでいって大丈夫かしら」
「この状況で考える事がそれかよ」
「あなたもやってたじゃないの!」
腰が退けている二人を尻目に、アニスは死体の状況を確認する。
簡素な胸当てと兜のみを防具として身につけた男だ。ナイフのような小さめの刃物で全身を切られていて、喉をざっくりやられたのが致命傷であるらしい。
――下で戦ったわけじゃないな。落ちてきたか、投げ落とされた死体だ。
壁には木材を蔓草で縛り上げた簡単で適当な梯子がいくつも掛かっている。
蹴倒された梯子や、壊れた梯子も周囲に点在していた。
――ちゃんと梯子を作ってやがるか。この辺、材木だらけだからなあ。ちっと頭の回る指揮官が付けば、そりゃこうなるか。
状況から察するに、魔物の襲来を察知して門を閉じるのだけは一応間に合ったのだろう。
だが、壁によじ登ってくる魔物たちを押しとどめることはかなわず、街壁は無力化された。
「街壁は既に制圧されたな。しかも、見張ってる魔物は……居ねえ」
今も耳にはどこからか悲鳴や、魔物のうなり声らしきものが届いている。
だがその割に、街壁には既に魔物の姿が無い。気配も無い。
その理由は何パターンか検討が付くが……
「ジェシカ。先行して門塔の様子を見てくれないか。
敵が居なきゃ門塔に登って街を見渡したい」
「何か居たらすぐ逃げてくるからね?」
「そうしてくれ」
ジェシカは滑るように虹色に輝く外套を纏う。
途端、彼女の姿は掻き消えた。
土と石畳の上にうっすらと付く足跡が彼女の存在を主張する。
開かれた門の内側から壁上に登る道を調べに行ってしばし。
外套から出した彼女の片手と生首が宙に浮かんで、二人を手招きした。
門の脇から続く狭い石階段を上っていくと、その途中にも人間の死体が転がっている。
流れ出た血が階段を伝い落ちていた。
「うげ、ここにも死体が」
「この格好は衛兵だな。
この規模の街だと、対魔物防衛は本来は犯罪者の相手をするべき衛兵と……非専従の自警団頼りになる。質も量も期待できねえ。
普段ならそれでも充分だ。街壁を盾にして、弓やら防衛兵器でぶちのめすだけだからな。だが……」
それが人によるものであれ魔物によるものであれ、軍事的侵攻には対処し得ない。
冒険者や騎士団を事前に集めて守りを固めておかない限り、防衛は難しい。
だからこそ冒険者ギルドは事前の察知と未然の阻止を中心に動いていたわけだが。
階段の行き着く先は、門を嵌め込んだ砦のような建造物の最上階。
見張り場として街の内外を見渡せる場所だ。
ここに追い詰められたらしい自警団員の死体が一つ転がっていたが魔物の姿は既に無く、アニスは窓に飛びついて街の様子を見る。
今のところ、街はそれなりに形を保ってはいた。
建物が薙ぎ倒されて廃墟になっていたりはしない。
数カ所で狼煙のような煙と共に火の手が上がっているくらいだろうか。
それは油のランプが割れたとか、炎の魔法がちょっと燃え移ったとか、最初は些細なボヤだったのかも知れないが、消し止める者が居ないために木製の街を徐々に侵蝕していた。
そんな街のそこかしこに異形の影が蠢く。
死すら厭わず牙を剥く獣たち。
狡猾で残忍な武装した人型魔物たち。
通りを逃げ惑う人々が追い立てられて襲われ、建物は一つ一つ検められていく。
アニスは個々の悲劇を目で追わぬようにして全体を俯瞰した。
魔物の数と推定される戦闘能力を頭の中で計算し、すぐに絶望的な答えを弾き出す。
「……くそっ!」
「どうした?」
「敵の数が多すぎる。いや、正確に言うなら味方が少ねえ」
仮に、この魔物の軍勢がルシャマトのような都会を襲撃していれば、常駐する防衛戦力と冒険者の連携によって街に一歩も踏み入らせることなく撃退していただろう。その程度の戦力での襲撃だ。
問題は、それに対応するだけの能力がこのジャムレには存在しないということ。
「……もうまともに抵抗できてない。何度か見た。街が滅ぶパターンだ」
それを認めたくはなかったが、事実は事実。
背後から息を呑む気配が伝わった。
「俺たちに……できることは?」
「適当に戦ってる場合じゃねえ。目的を限定する。
守るべきはまず、替えが効かない物と人。だが幸い、この街に何を置いても守らなきゃならんようなもんは無い。
なら、この経験を人族世界が次に繋げるための布石を打つ。後は……」
アニスの脳裏に、過去経験したいくつかの戦いの光景がよぎった。
「せめて後悔がねえように私情で動け」
「合点」
バセルはただ頷く。
対してジェシカは愕然としていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。そんな酷い状況で戦うっていうの!?
私らただの駆け出し冒険者じゃない! ここに居て何ができるのよ! 何の義務があるっていうの!? 逃げればいいじゃない!」
「逃げたきゃ逃げな。無理に付き合えとは言わねえ。
だが、俺たちゃ世界を救うと誓ったんでな」
アニスは嫌味に聞こえないよう配慮しつつ言った。
これは掛け値無しに、死の危険がある戦場だ。
そこで誰かに戦いを強要する気は無かった。
「いや、俺はここまでやべえ感じの状況に首突っ込むのはどうかとも思うけど」
バセルは苦い顔で肩をすくめる。
「じゃあ逃げるか?」
「バカ言え、地獄の底まででも付き合うぜ」
「そりゃいいや。お前みたいなうるさいのが一緒なら天国も地獄も入場拒否だろう」
言いつつアニスは見張り場の窓から見える光景を……敵の大まかな位置と戦力、今後向かうであろう方向を頭に叩き込む。
「ルシャマトからどれだけ早く救援が入るか次第だ。
できれば状況が分かる奴と合流してえ。
……ひとまずの目標は冒険者ギルドの支部。現状、一番まともに戦力が詰めてそうなのはここだし、俺の目的にも合致する。通信設備もある」
「立てこもってるかもってわけだな。了解だ」
「信じられない……」
ジェシカは頭を抱えていた。
アニスは剣を抜く。今の身体でも扱いやすいよう、短くて細身の軽い剣を探し、ルシャマトで買い付けていたものだ。
情けないほどにか弱い剣は、今のアニスそのものか。
――俺だったら……『英雄ヴォルフラム』だったら! この程度の敵は蹴散らせた! 独りでもこの街を守れたんだ!
だが今の俺は……何を守って何を見捨てるか考えなきゃならねえ!
やる方のない想いが渦を巻き、剣の柄をアニスはきつく握りしめる。
――自分の無力が憎い!!
食いしばった歯の間から細く息を吐き、アニスは心を静めた。
まずは冷静でなければ何事も成せない。今から極めて困難な闘いに赴こうというのだから。
「……行くぞ」