≪1-15≫ はじめて(?)のダンジョン④
唐突に前触れ無く全てが終わってしまったので、三人が事態を理解するには多少の時間が必要だった。
「イワン……?」
「い、いやあああああっ!!」
「馬鹿野郎! 叫んでる暇があったら逃げろ!」
アニスに怒鳴られてようやく、こけつまろびつ三人は逃げてくる。
「うひゃあああ!」
狭い出入り口を抜け、滑り込むように生存者たちはボス部屋を脱出した。
「お、おかしいだろう!? こんなに強いはずはっ! 詐欺だ!」
「詐欺ってお前……」
気が動転しているらしいザックの妄言にツッコミかけた時だ。
迫る重圧と足音をアニスが感じたのは。
「やばい、こっちに飛べ!」
「え、なん……」
皆、何を言われたか理解できない様子でいるうちに。
ボス部屋の入り口が爆発した。
「どわっ!?」
割れた岩の破片が吹き飛び、巨猪の鼻面が突き出す。
周囲の壁は牙によって貫かれ、出入り口はおし拡げられつつあった。
――おい。待て。待て待て待て。
ダンジョンが壊れている。
それはボスが生きている間は普通、あり得ない事だった。
「な、ななななななあ……」
「おい立て! 走れ! 何か変だ、全速力で逃げろ!」
へたり込んでいた冒険者たちは立ち上がる。
巨猪は牙を振り回して暴れ、周囲の壁を掘削しながら狭い通路へ無理やり踏み出し始めていた。
――なんだ、こいつ? 強いとか弱いの前に、何かがおかしい……!?
本来ボスモンスターが本能的に避けるはずのダンジョン破壊を平然としでかす。
それに、どう表現すればいいか分からないが、この巨猪は存在が不確かだと感じた。
向き合っているだけで、熱風が吹き付けてくるかのような殺気を感じるのに、霞のように実体の気配を掴みがたい。
こんな感覚は初めてだった。
地が揺れる。
巨猪が身動きしたために地響きが起こっている……というのもあるが、それだけではなくダンジョン全体が揺れていた。
壁や天井などの構成物もヒビが入って剥がれ落ち、地面に散らばり始めている。
これはダンジョンの崩壊に際してよくある現象だ。
ダンジョンは一種の異空間であり、ボスモンスターを楔としてこの世界に繋ぎ止められている。
ボスモンスターが死ねばダンジョンは徐々に崩壊して空間を縮小させ、ゴム風船がしぼむように入り口へと収束し、やがては消え去る。
本来その時に起きることが、今このダンジョンでは起こっていた。
――どうなってるんだ……! このダンジョン、ただレベルが高いだけじゃねえ。何が起こってやがる!?
足下の感覚が少しふにゃふにゃに感じられた。
ダンジョン構成物の具現が弱まっている。
剥がれ落ちた天井が何度か直撃したが、それは乾いたスポンジみたいに軽く、アニスの頭の硬さに負けてバラバラになった。
荒々しく地を踏みならす足音と、岩を掻き分ける破砕音が騒々しく背中にぶつかってくる。
狭い通路を拡大しながら巨猪は追って来ていた。
四人は全速力で駆け抜ける。ほぼ防具を身につけていない身軽なジェシカが飛ぶように先頭を行き、続いて男ども。歩幅の差でアニスは後れを取っていた。待っていてくれたところで助けになるとも思えないが。
角を三回くらい曲がったところで、一行は妙に広い空間に出た。
三人は立ち尽くし見上げていて、遅れていたアニスはようやく追いつく。
「なんだよこれ……」
バセルは見上げながら呆然と呟いた。
天井が高い。
蜂の巣をぶち抜いたかのような多層の吹き抜け構造だった。
天井が崩れて上階の部屋が見えるようになっていて、遥か高くから光が差している。
やがて全ては崩れてばらけ、辺りに積み上がる壊れ物となる。
ボス部屋よりも更に大きな、高く広い部屋が完成していた。
ダンジョンの入り口が、天窓めいて遥か高くに存在している。
ここはもともとは地下三階。ダンジョンの入り口に対してかなり低い場所だ。
入り口へよじ登るための足がかり……床とか階段とかそういったものは、既に存在しない。
「どうなってんだよこれ!?」
「ダンジョン崩壊の最終段階だ。他二名はダンジョン攻略したことあるなら見た事あるな?
本来はボスが倒された後にこの状態になる。
構造物が全部壊れて大部屋一つきりになって、後はこの部屋がだんだんしぼんで入り口だけになるんだ」
よく見ると奥の壁際には、ボス部屋に残してきたはずのイワンの死体が転がっていた。
空間が全て繋がってしまったのだ。
そして当然、奴も居た。
崩落物に埋もれかけながら、それを弾き飛ばしてのしのしと迫る巨体が。
巨猪の肉体からは何かが放散され、空気に溶けてオーラのように立ち上っていた。
「……そういうことか。仮説だが、このボスは生きながら崩壊し続けている」
「な、なんでそんなことに?」
「知るか。
ただ、どうも肉体の維持に使うエネルギーも、それどころか肉体の構成物さえ攻撃能力に回してるくせぇ。異常な攻撃力はそのせいだな」
普通なら起こりえないことだ。
しかし、似たような発想の魔法は以前見かけた覚えがある。そこから類推して、アニスはひとまずの仮説を立てた。
「よく分からんが、こいつほっといたら自滅するってことで合ってるか!?」
「そのうちな!」
「いつになる?」
「このペースなら……奴が自壊するまで多分、あと30分くらい。
崩壊中のダンジョンが完全収束して、あの出入り口に届くまでは一時間ってとこか」
バセルが抽象画的な絶望の表情を浮かべた。
「つまり? 俺たちはあと30分、この出口が無い部屋の中で奴にケツを狙われ続けなきゃならねえってのか?」
「理解が早くて助かる。一応出口なら高いところにあるから、空が飛べたら先に逃げていいぞ」
「そりゃいいや。箒を貸してくれ。空を飛ぶ練習がしたい」
巨猪がダンジョンの残骸を踏み潰しながら突進してきた。
「うわあああっ!」
蜘蛛の子を散らすように四人がバラバラに逃げ、巨猪は壁面に激突した。
上の方にまだ残っていた壁と床の残骸が衝突の衝撃で降ってきた。
「ど、どうすればいいのよこんなの!」
「離れた方が危険だ!
どうせ突進ぐらいしかできねーんだから、後脚に張り付け!」
「簡単に言いやがって……!」
不平を漏らしながらもザックは回り込み、巨猪の後脚目がけて斬り付ける。
魔力によって編まれたエーテル実体の肉が裂け、血が吹いた。
巨猪は無理やり身をよじり、弧を描くように駆け、牙を振り回しつつ方向転換する。
巨体であるため小回りは利かないがなかなか素早い。どうにか擦れ違って死角に入ったことで全員無事だった。
ヘッドスライディングで巨猪の死角に飛び込んだザックが跳ねるように身を起こす。
「このまま30分とか無理だぞ!」
「なんとか倒せないの!?」
「その方が安全か……!」
ザックは羽虫の如く巨猪に纏わり付き、果敢にも踏み込んで脇腹辺りに斬り付ける。
その剣は、陽炎のように巨猪の肉体から遊離するオーラを掻き分け、意外なほど深く傷付けた。
――そうか、こいつ肉体が不安定になってるから適当な攻撃でもダメージが大きく……
行けるか、と思ったが、ザックに斬られた巨猪は暴れ馬のように身体を跳ね上げた。
「うわ!」
ザックは慌てて距離を取る。
踏まれれば確実に即死、揺れ動く身体にぶつかっただけでも重傷を負いかねない。
「食らえ、コンチクショー!」
それを見ていたバセルは、自分の剣を巨猪目がけて投げつける。
的が大きいので狙いは適当でも簡単に当たる。バセルの剣は巨猪の背中を引っ掻いて地面に落ちた。
「おい馬鹿、ついにおかしくなったか!?」
奇行とも言えるバセルの攻撃に、ザックはパニックを疑ったようだ。
しかしバセルとしては考えての行動だった。
「近づいたらまずいだろ! こうやって剣を投げつけてちょっとずつ体力を奪うんだ!」
「剣を手放して……」
「拾えばいい! ……おわっち!」
振り回される牙を危うく回避し、落ちた剣を拾うべくバセルは懐に潜り込もうとする。
――無闇に攻撃するよりは賢いが、これで何発当てればいいのか……
付け入る隙が無いかアニスは様子をうかがう。
とにかく異常なパワーが問題だ。一瞬気を抜けば一撃で殺される。
「さあ次だ、食らえ!」
どうにか剣を拾ったバセルは、再びそれを投げつける。
剣は回転しながら飛んだ。
そして、巨猪の脇腹にざっくり食い込み、突き刺さって、そのまま落ちなかった。
「ワーオ……よし、分かった。落ち着いて話し合おう。
痛いよね、その剣。オジサンが抜いてあげようか?」
「アホー!!」
バセルとの話し合いには応じず、巨猪が暴れ始めた。
苦痛を与えられた報復をしなければ気が済まないのか、でたらめに牙を振り回しながらバセルを追いかける。
武器を失ったバセルは……武器が残っていても何もできなかったかも知れないが……逃げるしかない。巨猪の尻を追いかけるように逃げたので、巨猪もその場でターンしようとして、自分の尻尾を追いかける仔犬のようにグルグルと回った。
「アニス、魔法を使え!
お前の魔法なら近づかなくても攻撃できる!」
余裕の無い声音でザックが命ずる。
「いいけど多分あんまり効かないぞ!?」
「何でだ!?」
「実体化が解けて遊離してるエーテルがクッションになっちまう」
バセルを追って走り回る巨猪の身体からは、湯気ともオーラとも言い難いものが立ち上っている。
肉体を構成するエーテル実体が解けて遊離しているのだ。
肉体が崩壊していく副産物でしかないのだが、これが魔法を受け止めて弱めてしまうのだということをアニスは過去の経験から知っていた。
これだけの巨体が自己崩壊し続けるのであれば、放出されるエーテルの量はそれだけ多く、対するアニスの魔力は弱い。
魔法が効きにくい相手と戦う場合、本来なら味方に強化の魔法を飛ばすなり、状況を操作する搦め手の魔法で敵を妨害するのが定石だ。
しかし、弱体化したアニスはまだ複雑な魔法を使える段階にない。
――クソ、今の俺じゃ魔法のレパートリーが少なすぎる! できることが少ねえ……!
手札は限られるが、結局は数の利を活かすのが今は一番勝利に近い。
どうすれば三人を活躍させられるのか、アニスは必死で考えているところだった。
今のアニスは魔力量も限られるから、魔法を無駄撃ちできる回数は少ない。
「言い訳はいい、責任を取れ! お前がここへ連れて来たんだぞ!」
「あのな……」
退却するようにという忠告を聞かなかったのは誰だと喉まで出かかったが、今そんなことを言い争っている場合ではない。
「隙を作れ! その間に目を潰す!
俺らが前戦ったボスは、それで倒したんだ!」
「……分かった。まず試しに一発撃つ。効果が確認できたら次で総攻撃だ!」
とにかく試してみないことには始まらない。
一度経験がある作戦ならザックとジェシカは動きやすいだろうと判断し、アニスはザックの提案を採用した。
「≪電撃≫!」
電撃が弾けてアニスの杖から迸り、巨猪に襲いかかった。
――ショボい……! 杖有りでも詠唱省略じゃこんなもんかよ!
そもそも大した出力になっていない。さらにダメージを軽減されてしまう。
しかしそれは、とりあえず巨猪の眉間辺りに突き刺さり、巨猪は悲鳴を上げて鞭打たれたように震えた。
――効果ありか!? これなら……
「お、おおおおおおおおっ!!」
「はあ!?」
思わずアニスは疑問の声を上げていた。
魔法を受けて巨猪が怯んだと見るや、一拍遅れて、ザックが雄叫びを上げながら突っ込んでいた。
『まずは試し打ちして、効果があれば次でタイミングを合わせて攻撃する』。
それがアニスの作戦で、確かにそう言ったはずだ。
だが、ザックは欲張った。
隙ができたのを見て、思わず狙ってしまった。
正真正銘の駆け出し冒険者である彼らは場馴れしていない。
生きるか死ぬかの状況が続けば、どこかで判断に誤りが出るのは当然だった。
そこまで含めて実力だ。
残念ながら、隙ができるのを見てからの攻撃では……ワンテンポ遅い。
「こいつめぇっ!」
「あっ。浅……」
巨猪の目を狙ったザックの剣が空を切る。踏み込みが浅い。
「ごっ…………!!」
次の瞬間、フルスイングのかち上げがザックを捉え、巨大な牙がザックの腹を串刺しにした。
早贄状態にされたザックはそのまま高く振り上げられ、手にしていた剣が滑り落ちて地面に転がる。
「もうやだあ! 帰る! おうち帰るぅーっ!」
ジェシカが壁にへばり付くような体勢で泣き叫んでいた。
また一人減った。
ジェシカは戦意を喪失し、バセルは武器を失っている。
アニスの魔法では碌なダメージを与えられない。
絶体絶命だった。
だが、まだ手立ては残されていた。
あまり合理的とは言えないギリギリの綱渡りのような勝ち筋が。
――ザックの剣……!
地に落ちた剣を拾い上げ、それを抱くようにアニスは横っ飛びで巨猪の突進を躱す。
長い杖を片手に持ち、もう片方の手で剣を構える。
――流石に持ち上がらないわけじゃねえが……何でもねえようなショートソードが、重い!
おいおい、これまともに動けんのか俺!?
こうなってるだろうと思ったからやりたくなかったんだ!
無理があるとしても、どうにかやりきるしかない。
アニスはその体勢で走りながら、剣の腹に杖を当てた。稲光が一瞬、散った。
「『虚より始まりて廻る∥我は馳せ駆け見上げる者∥二条連ねて/円環成さず/雲より高きに罪咎別なし』……」
方向転換した巨猪が再びアニスを狙う。
アニスは迫る巨猪目がけて杖を放り投げた。
取り回しと携行性を重視した短杖は子どもの腕力でも放り投げられるくらい軽い。
顔面目がけて飛んでくる物体に、巨猪は反射的に目を閉じた。
狙いが逸れる。
振り回される牙の下に滑り込んで、アニスは巨猪と擦れ違った。
杖を失った代わりに片手で印を組み、アニスはその指で剣の腹を撫でた。
「……『我が叫びを聞け、無貌の王』! ≪天雷付与≫!!」
アニスの指が撫でた先から雷光が迸る。
やがてそれが切っ先に達したとき、剣は雷霆を宿していた。
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