≪1-14≫ はじめて(?)のダンジョン③
必然的にダンジョン探索は続いた。
「ねえ、付いてくるわよ?」
「フン。外にだって魔物がうろついてるんだ。独りじゃ帰ることさえできやしないのさ」
先を行くジェシカとザックが聞こえよがしな嫌味を言う。
アニスは結局三人の後に続き、ダンジョン最深部へと向かっていた。
三人とアニスの間で狼狽えていたバセルは、徐々に歩みを遅らせてアニスに並ぶ。
そして、心持ち抑え気味な声でひょうきんな身振りを交えつつ話し掛けてきた。
「よう。なんて言やいいのか……
惚れ惚れする度胸だったぜ。相手が大人でも身の程……ああいや、怖い物知らずに言いたい事言うのは、すげえクールだ。
ガキの頃の俺だったら、あんな風にガン付けられたらションベンちびりながら泣いてたね」
慰めているつもりらしい。
実際、アニスは多少ショックを受けてもいたが、それよりもまずは眼前の危機があるのだからヘコんでいるどころではないのだけれど。
「……なあ、あの罠の威力からすると、このダンジョンはどの程度なんだ?」
「信じるのか?」
「ひとまずお前の考えを聞きたい」
半信半疑というか、未だ信じるにも疑うにも至らない様子でバセルは聞いてくる。
アニスは魔物やダンジョンに関してはこの世界の誰より詳しいつもりだが、ギルドの冒険者等級とか脅威度認定に関しては聞きかじり程度だ。
いつ聞いたかも分からない話を思い出して、自分の基準から冒険者の基準へと変換していく。
「ギルドの基準には詳しくないが……罠の感じからすると最低で推定脅威度、3ってとこか。
ギルドの『ダンジョン調査員』の巡回周期は、ここらじゃ未発見のまま5以上に育たねえよう組んでるって話だったから、それを信じるなら最大でも4だな」
ギルドの制度や現行の体制に関して、アニスはあらかじめ分かる限りのことを調べていた。
ダンジョンは放置されるほど危険度が増し、撤去も困難になる。
そこで冒険者ギルドは、ダンジョン発見を専門とする部署を持ち、新たに生まれるダンジョンをすぐに見つけられるよう監視し続けている。『ダンジョン調査員』は、ダンジョンを探知するマジックアイテムを持って野山を駆けまわるのだ。
人口密集地域では入念に、人里の近くではそれなりに、僻地でも可能な限り。
彼らが見つけ出したダンジョンの情報を最寄りの支部にもたらすことで、冒険者はそこへ向かう。
「脅威度4って、つまり第四等級のパーティーが当たるべきダンジョンってこったよな?」
「ああ。何もかも上手く行けばやれるかも知れんが、俺らの実力じゃ簡単に死人が出るだろう。下手すりゃ全滅だ」
少し、間があった。
多分、バセルが、理解したくない状況を呑み込むまで。
「……逃げないのか?」
「残念ながら今の俺は弱い。独りじゃ街まで帰るのも無理、ってのは図星だ」
「じゃ、二人ならどうよ」
隣を歩く男を見上げ、アニスはちょっと苦笑した。
「ありがたいが無理だ。ダンジョンから逃げるってのがどういうことか……
ボスはダンジョン内に居る限りこっちの動向を把握してる。そんでダンジョンは魔物が生まれる場所だろ。今は俺らとの戦いに備えて力を蓄えてるんだろうが、逃げ気と見れば全力で魔物を生みだしてくるぜ。
……パーティーの足並みが揃うのは最低条件だ。五人居りゃ格上の魔物も袋叩きで仕留められんだろうが、二人や三人じゃそうもいかねえ」
アニスは淡々と現状分析を口にして説明する。
魔王討伐パーティーに居た頃は戦い漬けの毎日だった。この程度の戦力計算はもはや脊椎でこなせる。
バセルの顔に、徐々に深刻な焦りの色が滲む。
アニスがなんだかんだ言いつつ付いてきたことで、状況はそこまで深刻ではないのだと思い込んでいたようだ。
実際には、この状況ではついていくしかないからそうしていただけなのだが。
バセルはさらに声を潜め、前を行く三人を親指で指す。
「今からでも、あいつらをもう一回説得して全員で引き返すってのはどうよ。名案じゃね?」
「説得のネタがあるんならな」
「うーん……ちょっと待て、閃きが…………泣いて縋って引き留めるくらいしか思いつかん」
冗談か本気か分からない事を真面目な顔で言うバセル。
しかし、それ以上の策をアニスも思いつかないのが現状だ。
「別にこのまま進むのも全面的に間違いじゃない。あいつらが先へ進むなら足並みを合わせるのも手だ。危ねえのは危ねえがな」
「と言うと?」
「強い魔物が出たらそいつから、最悪でもボスの体組織サンプルを採取して持ち帰る。
そうすりゃギルドの対応が一手早くなる。ダンジョンから逃げ帰った第一等級冒険者パーティーの証言なんぞに真面目に取り合うかは分からんが、動かぬ証拠があれば即座に脅威度再認定だ。
再調査の手間も省けて、俺らには調査ボーナスという名の慰謝料もいくらか入る。お財布の心配も解消って寸法だ。『稼ぐか死ぬか』だってんなら稼がせてやりゃ、あいつらも引き下がれるだろ」
「な、なるほど……」
納得した様子で頷きかけたバセルだったが、その首の動きが途中で止まる。
「素朴な疑問なんだが、ンなやべえボス相手に逃げ切れるのか?」
「危険だが手札はある。
それに、このダンジョンは人工的構造物じゃなく洞窟がモチーフで、構造も単純だし、罠の配置も甘い。おそらくボスは力押しで知能が低いアホだろう。付け入る隙はあるはずだ」
「へえ、なるほど」
「あいつらがそこまで考えてるかは分からんがな」
呑気な三つの背中を見て、アニスは気を引き締める。
バセルは気まずげに笑って誤魔化していた。
「……あー、てっきり俺、あいつらが食われてる間に逃げる気かと」
「しねーよ」
昔の自分ならそうしていたかも知れないと思いつつ、アニスは否定した。
「俺はあいつらを見捨てるわけにはいかない。
そうしたら俺は……また繰り返すだけだ」
「はい?」
世界を救うと約束した。
そのためには、アニスは世界を動かさなければならない。
信を得られず捨てられた、英雄ヴォルフラムの末路を繰り返してはならない。
失敗は貴重なサンプルと考え、やりなおすのみ。
行くべき道は見えずとも、解決するべき課題を前にして逃げるわけにはいかなかった。
「痛ってえ!」
「イワン!?」
「おいジェシカ、ちゃんと罠を見ろ!」
前方では、ジェシカが見落とした古典的トラバサミの罠にイワンが引っかかっていた。
* * *
幸か不幸か、一行はその後、強い魔物に出遭う事はなく最深部まで辿り着いた。
ダンジョン最深部。俗に『ボス部屋』とも言う。
ダンジョンと共に生まれたボスモンスターが陣取り、ダンジョンの全てを制御し、侵入者を待ち受ける場所だ。
このダンジョンのボス部屋は、地面は平たく、壁は天井の中心部に向かってアーチを描くドーム状の広々とした空間だった。
あまりにも人工的な造形なのに、あくまで表面的には土と岩の洞窟なので、見慣れない者には違和感があるだろう。
ダンジョンのボスは、実際にどの程度強いかに関係無く、だいたいやたらと大きい。
そのためダンジョンの最深部はボスが暴れられるだけのスペースが確保された闘技場になっていることが多かった。
ザックたち三人は不用心に踏み込んでいくが、アニスは部屋に入る前に、ボス部屋の広さからしたら大した大きさではない入り口をよく確認していた。
――よし、『ボス部屋閉じ込め』は無し……
質の悪いボスや戦闘的なボスは、ボス部屋に侵入者を閉じ込めるための仕掛けを作っていたりする。
まあ、ダンジョンは基本的に魔物の生産拠点としての役割が本分なので、侵入者が逃げ帰ってくれるなら儲けもの。閉じ込めが発生するボス部屋は無数にダンジョンを攻略していれば無視できない頻度で遭遇するものの、例外的存在ではあった。
五人の持ち込んだランプが、広い空間をぼんやりと照らす。
小山のような黒い影が部屋の奥には蹲っていた。
低く喉を鳴らすようなうなり声が響いていた。
明かりを照り返して、二つの目が気味の悪い緑色に輝く。
全身に血を被ったような緋色の毛並みを持つ、体高4メートルほどの巨大な猪がそこに居た。
「でけえ……」
「ダンジョンのボスはそういうもんだ。強いかどうかは別でな」
怖じ気付くバセルと対照的に、ザックは落ち着いたものだ。
既に彼ら三人はダンジョンアタックを経験しているという話だった。
巨猪は興奮のあまり涎の泡を吹きながら、ぐっと身を低くして突進の体勢を取る。
アニスの予想通り、知能が低い力押しの魔物という印象だ。
しかし、向かい合っただけで熱風を受けているかのような圧があった。
迫る死の気配に、手足が体温をなくしていくような感覚。己の命を脅かしうる強大な力に向き合っているのだとアニスは感じていた。
アニスの予測は当たっていた。
この重圧。明らかに『推定脅威度:1』の域を超えている。
だが。
「来るぞ。こないだと同じ感じで頼んだ、イワン」
眼前の冒険者たちは何ひとつ察していない。
そして、一度はダンジョンを攻略しているのだという驕りが彼らの危機感を更に鈍らせていた。
イワンが大盾を構えて先頭に出る。ザックとジェシカも武器を構えた。
ダンジョンに初挑戦である筈のバセルは、腰のポーチから光を放つビー玉みたいなものを取り出しかけたところで、既に戦闘態勢の三人を見て戸惑っていた。これが正しい対応だ。
彼が出したのは『ダンジョン探知機』と呼ばれるアイテムの廉価版。未発見ダンジョンを少しでも見つけるため、街の外へ出る冒険者たち全員にギルドから支給されるものなのだが、ダンジョン探し以外にも用途がある。
要するにこれは魔石が発する波動を検知するアイテムなので、相対する魔物がどの程度の魔石を内に秘めているか……つまり、どの程度の強さの魔物なのか調べられるのだ。
ダンジョンボスは外見(つまり種族)から強さを類推しにくいので、気配が読めないならまずアイテムで実力を探るのが定石だ。
これは冒険者資格試験の問題にも取り上げられていたはずの事項で、試験前講習を希望すれば教えられたはず。
それを、ザックたち三人は省略した。
道中で弱い魔物ばかりが出たので高をくくっていたのかも知れないし、単に忘れていたのかも知れない。
少なくとも彼らに恐怖や慎重さは無かった。
「やべえ、ダメだ! 迂闊に近寄るな……」
アニスが叫んだときには、巨猪は地を蹴って走り出していた。
盾手が使う盾は特殊な魔法的加工がされていて、相対する者の気を引いて攻撃を惹き付ける力がある。
その力で敵の動きを乱し、さらに攻撃を受け止めて味方を守るのが盾手という職種の役割だ。
イワンは身体の軸からずらして大盾を構えていた。
小回りが利かない相手を翻弄するための『牛避け』という技だ。
相手の攻撃を誘って、正面から受けずにギリギリで回避するというもの。味方に向かう攻撃を減らして守りつつ、敵の隙を作りだして味方の攻撃を補助するのが目的である。
盾手は得てして重装備で味方を守る方向にいきがちだが、これは比較的軽装な『動ける盾手』の特長となる技だ。……まあ、イワンの場合は重武装するだけの金が無いという事情も確実にあるだろうが。
悪くない戦術だ。
相手が対処可能な範囲の敵であれば。
地を揺るがす巨猪の突進は、ただひたすら力強く、速かった。
身を躱そうとするイワン。ギリギリで回避できるかと思われた。しかしイワンの動きが不自然に一瞬歪む。
先程トラバサミの罠で傷付けられた足は、既にザックの≪治癒促進≫で治療されている。
だが、イワンはおそらく怪我をした記憶に気を取られ、無意識に足を庇った。
巨猪は擦れ違う瞬間、薙ぎ払うように頭を振る。
鼻の両脇から突き出た、象牙のように立派な牙が振るわれる。
それは突き刺さりこそしなかったものの、突進の威力を乗せた強力な鈍器として、効果的にイワンを打ち据えた。
悲鳴すら上がらなかった。
決して小さくはなく、鎧で武装しているはずのイワンの身体が、蹴鞠のように軽く飛んだ。
壁に叩き付けられたイワンは手足が滅茶苦茶に折れ曲がっており、血の痕を壁に作りながら崩れ落ちて二度と動かなかった。