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 王家の丘での課外活動から十日ほど経ったある日の勇者学校の廊下で、

「マクス君!」

「…………」

 背後から聞こえてきた声に立ち止まり、マクスは後ろを振り向いた。

 聞こえてきた声は聞き間違えようがない、とある女子の声。声の主――ミカヤは笑顔を綻ばせながら、てててと足早に近づいてきて、マクスの隣に並んだ。

「同じ授業ですよね。一緒に行きましょう!」

「……ああ」

 二人は勇者学校の広い廊下を、並んで歩き出した。

 廊下を歩く生徒はまばらで、見える範囲には数人しかいない。それもそのはず、今はまだ一時限目が始まるよりも大幅に早めの時間帯であり、寮生以外の生徒たちはまだ自宅でのんびりしているような時間だった。

「……今日は、ずいぶんと早かったんだな」

「え? ええ、なんだかすっきり目が覚めてしまったので、たまには早朝から登校してみるのもいいかなと思ったんです」

「へえ……」

「ふふ、早起きをするといいことがある……って言いますけど、本当ですね」

「いいこと?」

 首をかしげるマクスに、ミカヤは華やかに笑いかけた。

「だって、こうやってマクス君とお喋りができたじゃないですか」

 柔らかく笑うミカヤと対照的に、マクスは石のように固まった。



「……なんだか、ようやく落ち着いてきた感じがしますね」

「ああ」

 廊下をのんびりと歩きながら、ミカヤとマクスは廊下の窓から外を眺める。窓からは中庭が見え、中庭に立つ巨木の葉が、風に吹かれてゆらゆらと揺れている。空からは穏やかな太陽の光が差しており、喧噪とは無縁の空間が広がっていた。

 王家の丘での一件以降、勇者学校は大騒ぎとなっていた。

 行方不明者の発見に伴い、勇者学校側は管理の甘さが指摘され、教員たちは改善策の協議にてんやわんやとなり、授業どころではなくなっていた。生徒たちも、課外活動に参加した生徒が魔物に襲われ昏倒させられたという噂が広まるにつれ、課外活動への参加はもとより、学校への登校を拒否する生徒がちらほら現れ始めた。そういった生徒が本当にただ登校を拒否しているだけなのか、それともまた同じように行方不明になっているのかを教員たちは生徒一人一人に対して確認することを余儀なくされ、ただでさえ忙殺されていた教員たちはさらなる労働に追われる羽目になった。

 だがそれよりもさらに、勇者学校内で大きな騒ぎになっていたのは、

「……あ」

 廊下の向かう先からこちらへ近づいてくる生徒を見て、ミカヤは小さく声を上げる。ミカヤの視線につられるようにして、マクスも正面を見据えた。

「…………」

 クリスティア・ヴァイオレットも、また同じようにマクス達の存在に気付いた。既に険しい表情を浮かべていたクリスティアの顔は、マクスを見るなり目に見えて不機嫌なものとなり、意図的に視線を外すようにしてずんずんと歩を進め、何の会話も交わすことなくすれ違った。

「……大変そうですね、クリスティアさん」

「……だろうな」

 二人は、遠ざかっていく背中を神妙な面持ちで見送る。力強い足取りとは裏腹に、その背中は酷く小さく見えた。

 マクスは心の中で、深く頭を下げた。



「……あ、マクス君。ちょっといいですか?」

 教室へと向かう途中、ふいにミカヤが立ち止まった。呼び止められたマクスも同様に足を止め、ミカヤのほうを振り返ると、ミカヤは廊下の壁を指さしている。

 ミカヤの指さした先の壁には、勇者学校内での情報を紙面で張り出している掲示板があった。学校内にいくつかあるうちのひとつであるそこには、教員から生徒に向けての注意事項、クラブ活動への勧誘、課外活動への参加を命じられた生徒たちの名前など……様々な紙が貼られている。

 その中に、ひと際大きな紙がある。決して狭くはない掲示板の、約半分近くを占めているその紙をミカヤは指さしていた。

「あれ以来、掲示板は見かけるたびに山のように人が集まっていて……実はちゃんとあれを見たことがなかったんです。今はちょうど誰もいないし、授業まではまだ時間があるので……見に行ってもいいですか?」

 好きな女の子に上目遣いでお願いされて、断る道理のないマクスは、一も二もなく頷いた。どことなく楽し気な足取りで掲示板へ近づくミカヤを護衛するかのように、斜め後ろからマクスが続く。

 掲示板にでかでかと貼られた紙には、ここ最近の勇者学校を騒がせている要因が全て書かれている。……その内容は、読むまでもなく二人の知っているものだ。

「……もう、十日も経つんですね。まるで昨日のことのように、はっきりと覚えているんですけれど」

「…………」

 紙面に並ぶ文字をつらつらと読みながら、マクスはあの日のことを思い出す。

 王家の丘で課外活動が行われたあの日、マクスの放った魔法によって天が蠢き、巨大な雷が落ちた。

 その強大な魔法は……大勢の人間が目撃していた。マクスたちと共にいた騎士をはじめ、気を失っていた人々のうち何人かは、その時意識を取り戻していた。彼らは目を覚ますとともに、目の前に広がるあり得ない光景を見た。明らかに自然のものとは思えない雲の動きと……そしてその後に落ちた、強烈な稲光を。

 あっけに取られていた人々の前に現れたのは、女子を背中に背負ったマクス。何があったのか問うと、マクスは淡々と答えた……「敵を倒すために、ゴールドランクのクリスティアが魔法で空から雷を落とした」と。

 人々はマクスの言葉を信じた。特に、マクスたちと共に戦い、彼に信を置いていた騎士が強く主張したこともあり、周囲の人々も同調するようにマクスの言葉を鵜呑みにした。そして何より、彼らが自らの二つの目で見た、天を操るなどという信じられない光景を説明するのに、マクスの言葉以上のものはなかったのだ。

 王都騎士らはそのことを、自らの上司へ正確に報告した。騎士団の失態を少しでも軽減したい王都騎士団は、丘での一件に関する王家への報告内容に、クリスティアの活躍をわざと目立つよう修正を加えた。そして自らの管理する地で魔物が現れてしまったという事実を国民の目から反らしたい王家は、歴史上勇者にしか成しえなかったとされる天候操作の魔法を、ある少女が成しえたのだという朗報を、国民の目に多く触れるようにした。

 結果、クリスティア・ヴァイオレットは時の人となった。

 彼女は一日にして名誉と栄光と――孤独を得た。

「今度、王様と直接会うんだそうですよ。お妃様や王女様も加えて、食事会が開かれるんだともっぱらの噂です。……凄いですよね、例え貴族であったとしても、そんな機会が得られる人はそういませんし」

 マクスはちらりと、隣に佇む少女を見た。掲示板の内容を、憧れを込めながら眺める瞳はきらきらと輝いていて、曇りひとつ無いように見える。

 しかし、マクスは知っている。あの日、人々の危機を救ったのは、巨大な雷だけではないことを。

「……ミカヤさんも、負けてないだろう」

「えっ?」

「あの時、魔力を失って倒れていた人々を救ったのは、ミカヤさんだ」

 ――マクスがクリスティアを追いかけていき、その背中が見えなくなった後。

 ミカヤは、いま自分ができることは何か、必死に考えた。脅威が去った今、やるべきことは倒れている人々を助けること。そのために自分ができることはなんだろう?

 ふと、マクスの言葉を思い出す。彼は確か、倒れている人々は魔力が枯渇していると言っていた。そのせいで、まるで死んでしまったかのように倒れて動かないのだと。

「…………あ!」

 突然の大声に驚いたバーンとタリアに、ミカヤは協力を求めた。

 マクスと二人で行動していた時に見つけた、ラーキュアという魔法植物。それをできるだけ多く集めてくるよう、ミカヤは二人に頼み込んだ。突然の提案に困惑した二人だったが、真剣なミカヤの表情に理由も聞かず協力した。

 魔法植物は魔力を加えると、見た目と性質が変化する。ラーキュアの場合、葉の色が赤く変色する。さらに食すことによって、人の魔力回復を活性化させる効能があることを、ミカヤは父親の研究を見せてもらったときに覚えていた。

 本来であれば、殆ど役に立たないような知識だった。魔力が枯渇するほどに魔法を使う機会など、今のロクスベルゼ王国の人間にはない。人に披露したところで「それがどうした」と鼻で笑われるような知識……だがそれが、大勢の人々を救った。

 きょとんとした顔をしているミカヤを、マクスはじっと見据える。

「あのとき、ミカヤさんが彼らを助けなければ、彼らがあの魔法を見ることはなかった。それに、行方不明となっていた生徒の中には、あと少し処置が遅れていれば命に関わっていた奴もいた。……彼らの命を救ったのは間違いなくミカヤさんで……それはとても凄いことだ」

 ミカヤは恥ずかしそうに少し俯き、指で小さく頬をかく。

「……魔法植物の性質はわたしが見つけたわけじゃないですから、わたしがしたことなんてクリスティアさんの足元にも及ばないです。でも……」

 ミカヤはぱっと華やぐような笑顔を、マクスに向けた。

「わたしがあんな風に行動できたのは、きっとマクス君のおかげなんです。そのマクス君に褒めて貰えるだけで、わたしは充分です。……ありがとう」



「凄い凄いと誉めそやされていますけど……いいことばかりではないみたいですね、クリスティアさん」

 ひとしきり掲示板の内容を眺めたあと、二人は再び教室に向けて歩き出した。もうしばらく時間が経てば、廊下にも徐々に生徒も増えてくる。二人きりの時間を惜しみながらも、マクスはミカヤの言葉に耳を傾ける。

「中には、天候を操る魔法を使っただなんて嘘じゃないか……と言う人もいるみたいです。クリスティアさんがその魔法を再現できないから、とてもじゃないが信じられないということみたいですけど」

「……あの場には、目撃者が大勢いた。少なくとも、魔法が発動したということに関しては間違いがないはずだが」

「そうですよね……。でも、納得できない人にはできないみたいですね。考えてみれば、わたしもある日突然『魔法で天気を自由に変えられるようになった』だなんて聞いたら、信じられたかどうか……。でも、だからと言って、クリスティアさんを嘘つき呼ばわりするのは酷いと思います!」

 眉根を吊り上げてもあまり怒っているように見えないミカヤの顔を横目で覗きながら、マクスはしばし考える。そのうち視線はミカヤから外れ、俯くように廊下の床を眺めていた。

 無意識のうちに、マクスはつぶやいていた。

「嘘つき……か。もし嘘だったとしたら、ミカヤさんは……」

「えっ? クリスティアさんが魔法を使ったんですよね? マクス君が隣で見てたんじゃないですか」

「……っ。すまん、なんでもないんだ。忘れてくれ」

 珍しく慌てた様子を見せるマクスにミカヤは首をかしげるが、深く追及することもなく会話を再開する。

「嘘はよくないですよね。嘘つきは泥棒の始まりとも言いますし……。嘘ばかりつく人の言うことは、何も信じられなくなっちゃいます」

「……そうだな」

 マクスの相槌は消え入りそうなほど弱い。嘘をついてブロンズランクに落ちてきた自分を……嘘をついて他者からの注目を退けた自分のことを知られたら、ミカヤはどう思うだろうか……。

 嫌な考えばかりが、マクスの頭をぐるぐると回る。

「……でも」

「えっ?」

 不意をついた言葉に、マクスは隣を歩く少女を見る。ミカヤの顔はマクスの頭の中に浮かんだどの表情とも違う、にこやかな笑顔だった。

「嘘をつかない人なんていません。小さい嘘大きい嘘、自分のための嘘相手のための嘘……嘘の種類だっていろいろです。人それぞれ様々な理由があって、嘘をついたりつかなかったりして、わたしたちは日々を生きている……」

「…………」

「嘘つきはよくありません、でも……クリスティアさんはあのとき、わたしたちを助けてくれた。その事実だけは、絶対に変わることのない真実です。だからわたしは例えクリスティアさんが嘘をついていたとしても、すぐに嫌いになることはないと思います……だって」

 語るミカヤの瞳は透き通りそうなほど綺麗で……マクスはそのきらめきに吸い込まれそうになった。

「たったひとつの嘘だけで、その人を嫌いになってしまうだなんて……そんなの、すごく寂しいと思いませんか?」

 鬱々とした感情も、黒々とした思考も……彼女のたった一言だけで、すべてが消え去っていた。

 マクスは改めて認識する。

 自分はこの笑顔が、この声が、この瞳が……この少女の事が、大好きなのだと。

「……それに、わたしだってさっき嘘ついちゃいましたから」

「えっ? ……一体どんな」

「掲示板に載ってた記事ですけど……実は」

 ミカヤはほんの少し頬を赤らめ、はにかみながら言う。

「少しくらいはわたしたちの活躍が書かれててもいいのに……って、本当は思ってました」



「ふふ、こんな話をするってことは、マクス君も何か嘘をついているんですか?」

「……ああ、ついている」

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら問いかけたミカヤに、マクスは馬鹿正直に答える。ミカヤはきょとんとした顔をして、一瞬の後に吹き出した。

「あはは、マクス君……。嘘をついているって正直に言ってしまったら、もう嘘じゃなくなっちゃいますよ。それじゃあ隠し事です」

「ん……そ、そうか」

「隠し事かぁ……それこそ、誰もが持っているものですよね。自分のすべてをさらけ出すのは、勇気が必要ですから。それに……すべてをさらけ出してもいいと思える相手に出会うことだって、きっと稀なことでしょうし」

 その相手になら、マクスは既に会っている。

 だが確かに、彼には勇気が足りていなかった。

 廊下の途中で、ミカヤが立ち止まった。何事かとマクスが顔を上げると、そこにあるのは目的地である教室のプレート。……二人きりの時間は、終わりを告げる。

「あ、やっぱり一番乗りですね! 誰もいない教室って、なんだか新鮮……」

 空席のみが並ぶ教室を眺めながら、ミカヤが感動の声を上げる。その小さな背中に向かって、マクスは思わず声をかけていた。

「いつか必ず……」

「え?」

「いつか必ず、絶対に話す。俺が隠していることを」

 二人だけの教室内に、静寂がこだました。

「…………」

「…………」

 ミカヤの顔が、みるみるうちに赤くなる。

 自分が目の前の男子に何を言われたのか考え、深読みし、一度その考えを却下し、それでも捨てきれない彼の言葉の「意味」を吟味したうえで出したミカヤの返答は、

「……えっと。ひ、秘密が多い人っていうのも、それはそれで魅力的だと思いますよ!」

 なんとか笑顔を作り出して、答えをはぐらかした。

「……? そ、そうか」

 自分の言った言葉が『あなたは特別な人だ』と取られているとは露ほどにも思っていないマクスは、急に態度がよそよそしくなったミカヤに首をかしげながらも、彼女に続いて教室へと入る。

 なんとか平静を取り戻そうとするミカヤが、あわあわと先に席に座る。選んだ席は教室の最後列中央。

 その隣に、マクスは腰を下ろす。数週間前には想像もできなかったほど、自然な動作で。

 しばらくの間沈黙が下りていたが、耐えきれなくなったようにミカヤが話し出す。淡々とマクスが言葉を返していくうちに、少しずつ硬さは解れていき、同じ授業を受ける生徒が来るまでお喋りを楽しんだ。



 誰の邪魔も入らない――二人きりの空間で。

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