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 勇者学校の授業には、大きく分けて三つの種類がある。

 ひとつは、各学年の生徒が必ず履修しなければならない必修授業。

 もうひとつは、生徒各々が自由に履修する授業を選ぶことができる選択授業。

 最後のひとつが、ゴールドランクの生徒のみ履修することが許される特別授業だ。

 各生徒は自身の学年の必修授業と、自らの望む選択授業を学期の初めと中間に選び、ひとりひとりが決めた時間割に従って勉学に勤しむ。

 そのため事前に示し合わせでもしないかぎり、生徒同士で時間割が被ることは意外と少ない。

 シルバーとブロンズであれば必修授業で教室を同じくすることはあるが……ゴールドの生徒と他のランクの授業が被ることは、まず間違いなく無い。

 なぜならば、ゴールドの生徒は特別授業以外を履修しないからだ。ゴールドランクの生徒になるには、自らの学年の必修授業をひとつ前の学年で既に修められる程度の実力が必要となるため、ゴールドランクの生徒は必修授業の受講を免除される。選択授業を受けることもできるが、どの選択授業も特別授業と比べれば内容の質は雲泥の差だ。

 したがって、基本的にゴールドランクの生徒は、特別授業のみを受けることが殆どだった。

「そうなればゴールドのマクスは、ブロンズのミカヤさんと机を並べて同じ授業を受ける……なんて些細な夢すらかなわない。だからこそ、マクスはわざわざブロンズまで落ちてきたわけだけど……」

 誰もいない廊下を、マクスとバーンが並んで歩いている。

 時刻は早朝。一時間目が始まる時間帯よりも、だいぶ早い。

 貴族街や住民街から登校している生徒は当然いないし、徒歩十分以内で来ることができる寮生ですら見かけることはない時間だった。

「ブロンズになった今でも近くに座って授業を受けたことなんて一度もないわけだし、あんまり意味がなかったかもね」

「……言うな」

 マクスがいつもどおりの仏頂面で、情けなさそうな声をあげた。

「悪かったよ。……でも今日からは、昨日までとはちょっと違うだろう?」

「……? というと?」

 本気でわからないという顔をするマクスに、バーンの肩にかかったかばんの紐がずれ落ちそうになった。

「……昨日までと違って、もう二人の間には接点ができただろ? 困っているところを助けてあげたという接点がさぁ」

「助けたといっても、昨日言ったとおり殆どはあのミカヤさんの友達が……」

「タリアさんね。それはわかってるよ、でもそこは大して重要じゃない」

 講義をする先生のように、バーンは人差し指を振りながら言う。

「要するに、今までマクスはミカヤさんにとって『知らない人』だったわけだろ? それが『知っている人』にランクアップしたわけさ。正直言うと喜べるようなものではない、大した進展ではないけれど……」

「…………」

「そんな顔するなってば。それでも、今までに比べれば十分すぎるほどの進展さ。何せ、いつ声をかけても不自然じゃなくなったんだからね」

「い、いやしかし、急に天気の話なんかしたら、変に思われないか?」

「なんでまず天気の話をしようとするんだよ。いいかい? 今日彼女を見つけたらこう声をかけるんだ。『こんにちは、昨日は大変だったね』……心優しいミカヤさんのことだ、無視するってことはないだろう。そこからはもう会話のキャッチボールさ。会話を続けることで、自分のことを知ってもらい、相手のことを知る。そうして少しずつ仲良くなっていって、頃合を見て想いを伝えればいい」

 楽しそうに言うバーンを、マクスは恨めしげな目で見る。

「……簡単に言うがな、ひとつ忘れてないか? 俺はミカヤさんとまともに会話することができない」

「そこで僕の出番ってわけだよ。二人きりの会話で緊張するっていうなら、僕が会話に参加して、マクスも話しやすいように会話を持っていってあげるよ。それなら大丈夫だろ?」

「……バーン」

「なんだい?」

「……お前、いいやつだったんだな」

 だいぶ失礼なマクスの発言に、バーンは肩をすくめた。

「今頃気づいた? ……まぁ、好きな子と話すことすらできずに落ち込むマクスはなかなかに愉快だったけど、流石にもう見飽きたからね。そろそろ変化が欲しいところだったんだ」

「……前言を撤回する」



 授業が行われる教室に、二人は誰よりも早く到着する。当然、教師の姿も無い。

 これから二人が受ける授業は三年生の必修授業である『炎魔法・三』。三年生であれば、ゴールド以外の生徒は全員受講するため、大教室で行われる。

 大教室は生徒が百人以上座っても充分収まる広さだった。教室の前方には教師が教鞭を振るう教壇と黒板があり、黒板の大きさも通常の教室のものの二倍近くある。

 席は個人にひとつずつ用意されたものではなく、横に長く伸びた机が階段状にずらりと並んでいる。したがって教室は平面なものではなく、教壇から上に向かって斜めに広がっていた。

 広大な教室に誰もいないというのは、ある意味壮観なようにも見える。どの席に座るか選び放題な中、マクスは迷うことなく最上段の席に……つまり一番後ろの列、それもど真ん中に座った。マクスの左隣にバーンも座る。

「わざわざこんな遠い席に座らなくてもいいじゃないか。まぁ眺めはいいけどね」

 広い教室を無駄に歩かされたバーンが、ふうと一息つきながら言った。その言葉に、マクスはうんうんとうなずく。

「だろう。ここならミカヤさんがどこに座っても、絶対に見つけることができるからな」

 さっきまで彼女に声をかけるという話をしていたのに、どうして後ろから眺めること前提で席を選ぶんだ……とバーンは思ったが、言わないでおいた。

 しばし二人は雑談をしながら過ごす。ミカヤの話、マクスの話、これから受ける授業の話、それを担当する教師の話と会話を続けているうちに、少しずつ大教室に生徒たちが集まってきた。

 百人以上収容できる大教室が、見る間に生徒たちで埋め尽くされていく。『炎魔法・三』は必修授業のためにこの時間帯の他にも講義をおこなっている。したがって、シルバー・ブロンズの生徒たちが全員集まっているわけではないのだが……それでもあふれかえりそうなほどの数だった。

 二人が来たときには静まり返っていた教室内も、いまや喧騒の中にある。教室のそこかしこで生徒同士があれやこれやと会話を繰り広げ、周りの声に負けじと皆が声を張り上げるため、だんだんと騒がしさは酷くなっていく。

 二人は騒ぐ生徒たちを最上段の席から眺めてみるが、今のところミカヤの姿は見当たらない。

「そろそろ授業が始まりそうだけど……彼女、お休みかな?」

「……わからない。真面目なようだから、よほどのことが無い限り休むことはないと思うが……」

 そのよほどの事があったのか? とにわかにそわそわし出した無表情のマクスに、

「隣、いいですか?」

 ふいに、声がかけられた。

 いったいなんだ、俺はミカヤさんが心配でたまらないというのに、声をかけてくるのはいったい誰だとマクスが仏頂面を右へと向ける。

「…………」

 マクスの全身が、びきりと音を立てて固まった。

 そこにいたのは、自分が世界で一番好きな女の子。

 つい先ほどまで、酷く体調を崩したりしたのかと心配していた矢先の人。

 ミカヤ・ラクシェが、座るマクスの隣に立ち、荷物を胸元に抱きしめながら話しかけてきていた。

「…………」

 マクスは固まった。

 探していた女の子が急に目の前に現れ、それどころか声をかけてくるだなんて想像だにしていなかったマクスの脳みそは途端にその機能を停止し、仏頂面で彼女を睨みつけている――実際には驚きで目を見開いている――状態で、固まった。

 そしてそのまま、たっぷり三十秒ほどが過ぎ、

「あ、あの?」

 おどおどした様子でミカヤに再度話しかけられ、ようやく硬直が解除された。

「……え、あ」

「ああ、いいよいいよ。どうぞ座って」

 硬直は解除されたが、まだ思考回路は停止したままのマクスに、バーンが助け舟を出す。

「ああ、ありがとうございます」

 バーンの返事を聞いてほっと胸をなでおろす仕草をしたミカヤは、安心したような穏やかな笑顔を浮かべながらマクスの隣の席に座った。

 マクスは一見興味なさそうに……実際は跳ねる心臓の音がミカヤに聞こえていないかハラハラしながら、睨みつけていた視線をミカヤから外した。

「……おい。おい!」

 突如として無言で黒板を睨み続ける男に変貌したマクスを、バーンが肘で小突く。

「なにやってるのさ? 話しかけろ!」

「ななななななにを」

「教室に来る前に話しただろう? 昨日は大変だったねって、話しかけるんだ!」

「いいいやでも授業が」

「授業なんてどうでもいい! どうせ一番後ろの席なんだ、少しくらい話しててもバレやしないさ! こんなチャンス滅多にないんだ、神様が与えてくれたものだと思って確実に……」

 小声で話し続けるマクスとバーンを見て、ミカヤは不思議そうな顔で首をかしげる。

「ちょっと、なにコソコソと話してるの?」

 そのミカヤの向こう側、マクスの二つ右隣の席に、格好いい女子生徒が座っていた。

「やぁ、シュタインズさん。ごめんね、気に障ったかな」

「……別に」

 バーンがけろりとした様子で謝ると、タリア・シュタインズはふいと顔を背ける。

「……というかなんで私の名前を知ってるのよ」

「どうしてだって? 有名人じゃないか、マクスほどではないけどね」

「ふん」

 タリアがつまらなそうに鼻を鳴らしたところで、教室の扉から炎魔法・三の担当教師が入ってきた。先ほどまで騒がしかった教室内のざわつきが、途端に小さくなっていく。

「彼女、有名人なのか? 俺は知らなかった」

「……まぁ、自分が有名人なことすら知らなかったマクスが知ってるわけないだろうね」

 マクスとバーンの会話を聞いて、ミカヤがくすくすと笑った。



 炎魔法・三の担当であるブラム教諭は非常に声が大きく、かつ細かいことを気にしない性格の男性だった。

 そのため、彼の繰り広げる情熱的な講義を真面目に聞いていない生徒がいても特に注意をすることもなく、教室の後ろのほうでこそこそと生徒同士が話をしていたとしても、ブラム教諭はまったく気にしていなかった。

 実際、彼の講義を真剣に聞いているのは教室前方に座っている生徒と真正面の席に座っている生徒たちだけで、ブラム教諭から距離が離れるにつれて、そっぽを向いていたりお喋りに興じている生徒の数は多くなっている。

 教室最後尾ど真ん中に座っているブロンズのバッジをつけた女子生徒……ミカヤとタリアは、周囲にいるシルバーランクの生徒たちがコソコソとお喋りを繰り返している中、真面目にノートを取っている。

 対して、隣に座る男二人は、お世辞にも真面目に授業を受けているとは言えなかった。

 マクスはといえば、好きな子と隣同士の席に座って授業を受けるという夢にまで見た状況を実現させ、放心状態のままで授業を聞き流していた。

 そしてその隣に座るバーンは、なにをしてるぼけっとするなさっさとミカヤさんに話しかけろと、何度もマクスを肘で小突いていた。

 授業は中盤に差し掛かり、ようやく放心状態から帰ってきたマクスは、ちらりとミカヤのほうを見る。

 ミカヤは顔をうつむかせ、ちょこちょことノートに書き込みをしていた。声をかけていいのだろうかいやしかし集中して授業を受けているのにそれを邪魔するのは失礼に当たるのではとマクスが散々葛藤していると、

「……? どうかしましたか?」

 視線に気づいたミカヤがマクスのほうを向き、小声で問いかけてきた。

 マクスは緊張でからからになった口に残ったほんの少しの唾を飲み込み、教室に来る前にバーンと話していた内容をしっかりと思い出し、彼女にかける台詞を脳内で何度も繰り返し練習し、ようやく口を開いた。

「昨日は……災難だったな」

『よおし、ようやく言ったねマクス! えらい!』とバーンはにやりと笑う。

 ミカヤは目をぱちくりと瞬かせた後、ふっと柔らかく笑う。

「いえ、大丈夫ですよ。タリアも……それに、ローウェル君も助けてくれたじゃないですか」

 マクスの胸中に花畑が咲き誇り、今まで生きてきた中で感じたことの無いかつてないほどの感動が押し寄せていたが、表情にはまったく出すことなく、

「いや、別に……」

 とだけ返した。

『なんでそんなぶっきらぼうなのさ、もうちょっと愛想よくしようよ』とバーンは苦々しげな顔をしたが、マクスには伝わらない。

「ふふ、タリアもだけど、ローウェル君もすごいですね。いつも堂々としていて……とてもじゃないけど、わたしにはマネできません」

 好きな子と授業中にこっそりおしゃべりをしている……これは夢か現実かとマクスは幸せにふらつきそうになるが、ひとつ気になった点をなんとか言葉にし、ミカヤに問いかけた。

「……あの」

「はい?」

「……別に、敬語なんて使わなくてもいい。同級生なんだし」

 マクスが必死に言葉を紡ぐと、ミカヤは今気が付いたとばかりにきょとんとして、恥ずかしそうに笑った。

「えへへ……そういえば、そうですね。ローウェル君が落ち着いているのもあって、なんだか年上の人と話している感じがしちゃって……。でもごめんなさい。わたし、男の人と話すとどうしてもこうなっちゃうんです。気になるのなら頑張って直しますけど……」

「ああ、いい。あと、個人的なことで悪いが……ローウェル君っていうのはやめて欲しい。マクスでいい」

「えっ?」

 無表情のまま心臓をバクバク鳴らす、まったく落ち着きがないマクスを、ミカヤは驚いたように見る。だがそれも一瞬で、またすぐに笑顔を浮かべた。

「わかりました、じゃあマクス君って呼びますね。わたしのことも、ミカヤでいいですよ!」

「ああ……わかった。ミカヤ……さん」

『ああ、マクス……まさかこんなにも早く進展するなんて……。どうして今まで何もやってこなかったんだい』と、バーンは感動に打ち震えながら、ノートに落書きをしていた。

 タリアは、こそこそとお喋りをする二人を見て、つまらなさそうに再びふんと鼻を鳴らした。



「二人とも、もしよかったら昼食を一緒にどうかな?」

 炎魔法・三の授業が終わりブラム教諭が教室から出て行き、生徒たちが教材を片付ける中、いち早く片付け終わったバーンが席から立ち上がると同時にそんなことを言った。

 バーンは授業後すぐにミカヤとタリアに話しかけ、数度の会話でミカヤとは打ち解けていた。

 その際、あまりにもあっさりと仲がよくなったのでマクスが不機嫌にならないかとバーンは心配していたが、ミカヤと名前で呼び合う仲になったことで幸せいっぱいになっていたマクスの機嫌は崩れることなどなく、バーンはこっそりと胸を撫で下ろしていた。

「数少ない仲間同士、親交を深めるのも悪くないんじゃない?」

 バーンが自分のシャツの胸につけられたバッジをいじる。中央で鈍く光るブロンズのプレートを見て、タリアが眉根を寄せた。タリアの胸につけられたバッジにも、同じプレートが埋め込まれている。

「……何たくらんでるのよ?」

「いきなり酷いなぁ、仲良くなろう以外の意図は無いよ」

 主にマクスとミカヤさんの仲だけど……とバーンは思ったが、言わなかった。

「いいじゃない、タリア。みんなで食べたほうがきっと楽しいし」

「まぁ、ミカがそう言うならいいけどね。でも、本当に楽しくなるかしら? どちらかというと、一緒にいて気分が落ち込んできそうな顔をしてる人がいるみたいだけど」

 相変わらず仏頂面な……実際は幸せそうな顔をしているマクスを見て、タリアが言った。

「いやいや、これでも面白いやつなんだ。話すようになればわかるさ」

「あっそ。お昼はいつもどうしてるの? わたしたちは学食か購買だけど」

「もしよかったら、寮の食堂に来ない?」

 バーンの提案に、ミカヤが首をかしげる。

「あれっ? 寮食って、寮生じゃないと使えないんじゃ……?」

 勇者学校には、食堂が二つある。

 ひとつは生徒全員が利用可能で、それゆえ校内の施設の中でもかなりの規模を誇っている学食。しかし相当な広さと座席があるとはいえ、生徒全員が座ることはできない。そのため、混雑を嫌う生徒は利用せず、購買で食事を買って空いている教室で食べることも多い。

 もうひとつの食堂は、学生寮の中にある。

 通称寮食と呼ばれるその食堂は、学生寮一階の一番奥にあるために、寮生以外は利用できないと思われているのだが、

「実は違うんだよ、ミカヤさん」

 バーンがちちちと指を振り、得意げに言う。

「確かに、寮の奥にあるから寮生以外は入れないと思われがちだけど、実は寮生でなくても利用できるんだ」

「でも、寮生の人たちにはあまり好まれないんじゃないですか? 自分たちの住んでいる場所に、関係ない生徒が入ってくるんだし……」

「実を言うと……これは実際に寮に入ってみないとわからないことなんだけれどね、寮食に続く廊下には生徒の部屋は無いんだ。主に共有スペース、浴室とか洗濯室とかがあるだけ。だから、通り抜けるだけなら寮生じゃなくても何も問題ないのさ」

「お代はどうするの? 寮生はタダだって聞いてるけど」

 持ち物を片付けながら、タリアが問いかける。

「寮生は確かに無料だね。寮生以外の生徒が利用する場合は、学食と一緒でその場で請求される。学食と違ってメニューは少ないけど、味は問題ないどころか個人的には学食より美味しいし、値段も学食とそんなに変わらないよ。なんだったら奢ろうか?」

「けっこう。学食と変わらない値段なら、ちゃんと払うわよ」

 持ち物を片付け終わり、タリアが席から立ち上がる。ミカヤも一緒に立ち上がり、胸元に教科書やノートを抱きしめた。

「じゃあ、お昼は寮食でいいかな?」

「ええ、いいわよ」

「いつもと違う食事、楽しみだね」

 ニコニコと笑うミカヤの顔を、マクスはボーっと見つめていた。

 何か声をかけろとバーンは一瞬待ったが何も言う気配がなかったので、

「……じゃあ、寮の前で集合でいいかな。場所はわかるよね?」

「大丈夫です。それじゃあ、あとでねバーン君。……マクス君も」

「あ? ああ……」

 見とれていた女の子から唐突に声をかけられ、マクスは咄嗟にそんな言葉しか出てこなかった。

 ばいばい、と手を振りながら去っていくミカヤに、マクスも力なく手を振りながら見送る。タリアとミカヤが教室から出て行ったころには、もう教室内からは殆どの生徒がいなくなっていた。

「……どうだい? 好きな子と昼食を約束した気分は」

 バーンはマクスに問いかけるが、なかなか返答がない。

 やがて、教室内の生徒がマクスとバーンの二人だけになったころ、ようやくポツリとマクスが答えた。

「俺はもう死んでもいい」

「……せっかく約束したんだ、せめて昼食の時間までは生きよう」




 時は進み、太陽が真上に昇ると同時に、勇者学校がにわかに活気付く。授業から開放された生徒たちが空腹を解消するため、学食へと足を向ける。

 大勢の生徒に混じらず、別の方向へと歩く生徒が二人いた。寮食での食事に誘われたミカヤとタリアの二人は、約束をした学生寮までの道を仲良く並んで歩く。

「学生寮ってどんな感じなんだろうね?」

「恐ろしく豪華だって話は聞いたことあるし、外装も確かに立派だったけど……実際に中がどうなってるのかは想像もつかないわね」

「親元を離れての寮生活かぁ……大変そうだけど、ちょっと楽しそう」

 他愛のない会話をしながら、学校内から寮への数分の移動を終えた二人は、

「…………」

「…………」

 マクスとバーンに招かれ、寮の玄関を潜り抜けたとたん、絶句した。

「えっ、なにこれ……。話には聞いていたけど、本当にどこかの宮殿みたいじゃない……」

「えっと、あちこちに金細工があるように見えるんだけど……。あれって本物なんですか?」

 目を皿のようにして寮の内装を眺める二人に、なんでもないようにバーンが答える。

「全部本物の金細工だね。なんでも金細工の有名な都市……なんて言ったっけな……そこの職人を連れてきて、全部作らせたそうだよ」

「呆れた……。こんな豪華な寮に住んで、あなたたち寮費はいったいいくら払ってるのよ?」

 マクスとバーンは顔を見合わせる。

「……殆ど払ってないんじゃない?」

「ああ」

「はぁ? こんなところに住まわせて貰ってるのに寮費が安いわけないじゃない! 具体的にいくらくらいなのよ」

 バーンが具体的な数字を伝える。

「……なにそれ? 住民街のちゃちな宿屋なんかよりも、よっぽど安いじゃない!」

「まぁ、ここに入るのはお金持ちだけじゃないからねぇ。魔法の才能さえあれば勇者学校への入学は認められるんだし、普通の家庭でも払えるくらいの金額じゃないと」

「だからって……財源はどうなってるのよ?」

「貴族が太っ腹に寄付してくれてるから、それで殆ど賄えるそうだよ」

 自分の予想を上回る現実に、タリアは頭をかかえる。

「そのあたりの話も食べながらしようよ。二人ともお腹空いてるでしょ」

「豪華さに当てられて、食欲も失せそうだわ……」



 四人は玄関を通り抜けてすぐ右に続いている廊下を進む。廊下の横幅は、四人が横に並んで歩いても邪魔にならないほど広い。

「ここは共有スペースってのもあるからね。二階より上の、部屋の並ぶ廊下はさすがにここより狭いよ」

 廊下を進み、一度左へと曲がって再びまっすぐ。すると、開放された大きな扉が四人を出迎えた。

 寮食は学食ほど広くはないとはいえ、それでも充分なスペースを誇っていた。無数のテーブルとイスが並んでいるが、互いの間隔はまったく狭くない。さらにガラス張りの壁の向こうにはテラスがあり、天気のいい日は外でも食べられるようになっていた。

「今日はちょうどいい日和だし、せっかくだから外で食べようか」

 四人は寮食を受け取るカウンターに、バーン、マクス、ミカヤ、タリアの順で並ぶ。途中で、テーブルの上に積み上げられていたトレイを一人一枚ずつ手に持った。

 学食では毎日のように長蛇の列ができ、腹を空かせた生徒たちがイライラしながら次の番を待っているのが日常風景だったが、それに比べれば寮食の列は短いものだった。五分も経たないうちにバーンの順番が回ってくる。

 今日のメニューはローストビーフとジャガイモのスープ……もしくは野菜たっぷりのクラブサンド。パンやサラダなどはビュッフェ形式になっていて、好きなだけ取ることができる。

 バーンはローストビーフを選択し、ポケットから何かを取り出してカウンターのおばさんに見せた。

「寮生は自分の部屋の鍵を見せることで、寮生の証明をすればタダで食べることができる。忘れたらもちろんお金を払わなきゃいけないけど……その前に部屋の鍵をどこかに忘れたりしたら反省文の提出が先だろうね」

 トレイにローストビーフとスープが載せられたバーンが脇へと移動し、後に続いたマクスはクラブサンドを選択して、同じように部屋の鍵を見せた。

「相変わらずサンドイッチやハンバーガーが好きだねぇ」

「食べるのが楽だからな」

 トレイにクラブサンドが載せられマクスが脇に移動すると、ミカヤの番になる。

「うーん、どうしよう……」

 ミカヤはしばらくの間悩んでいたが、隣にいたマクスのトレイに載ったクラブサンドを見て、

「お野菜、おいしそうですね。わたしもクラブサンドにしようかな」

 カウンターのおばさんにクラブサンドと告げた。寮生ではないため、その場で料金を支払う。続けてタリアの番となり、ローストビーフとさらにビュッフェ代も含めて支払った。

 バーンとタリアが必要な分のビュッフェを取りトレイに載せると、四人はテラスへと移動する。

 移動の途中、マクスがおかしな表情をしていることにバーンが気づく。この無表情はいったいどんな感情から来るものなのかと訝しみ、

「……好きな子と同じものを食べるくらいで喜んでどうするのさ」

「!」

 マクスにこっそりと耳打ちをして、表情を引き締めさせた。

 天気がいいだけあり、テラスにはそこそこの生徒がいた。

 とはいえ殆どが寮生であり、空きのテーブルにも余裕がある。学食と比べれば混雑と呼ぶことさえ憚られるくらいだった。

「いつもこんなに空いてるの? 今日まで知らなかったわたしが言うのもなんだけど、どうしてこんなに知られてないのかしら」

「せっかく快適な環境で食事ができるのに、わざわざ寮生たちが言いふらすと思う?」

「……なるほどね」

 四人は適当なテーブルを見つけて席に着いた。バーンはレディーファーストということでミカヤとタリアを先に座らせ、その後ミカヤの正面の席にマクスを座らせた。

 四人は各々のタイミングで食べ始める。

「えっ! おいしい!」

 クラブサンドを、小さい口を精一杯広げてかじったミカヤが、感激の声を上げる。

「このお野菜、もしかしてラプトムの?」

「おお、すごいねミカヤさん。そうだよ、寮食で出る野菜は全部農業都市ラプトムの最高級野菜だ」

「やっぱり……どうりでおいしいと思った……」

 ひたすら感激しているミカヤを見て、タリアも恐る恐るローストビーフに手をつける。

「……! ……本当ね、学食より完全に上だわ」

「ね! びっくり、こんなにおいしいなんて……。いつもこんなのを食べられるなんて羨ましいです」

 やたらと丁寧にナイフを使ってローストビーフを切り分けながら、バーンが答える。

「その昔、グルメな貴族の息子が寮食がまずいって言い出したらしくて、それを聞きつけた親が寮食の改善をしろって激しく主張した結果、今みたいな寮食になったらしいよ。その分、学食よりメニューは少ないけどね」

「日替わりで毎食二種類あれば充分だけどな」

 ミカヤとは違い、マクスは大きく口を開けてクラブサンドをかじる。

「本当に、何もかもが豪華ね……。家が近くても寮に通いたがる生徒がいる理由がわかったわ」

「そうだね……。うちはお姉ちゃんも実家から通っていたから、寮に入りたいなんて考えたこともなかったけど、もしこんなに素敵なところだって知ってたら入りたくなってたかも」

 言いながら、ミカヤは少しずつクラブサンドを減らしていく。口に含むたびに幸せそうな表情を浮かべ、マクスはそれを見ながら幸せそうな無表情を浮かべる。

「へぇ、ミカヤさんはお姉さんがいるんだ。しかも卒業生」

「はい。お姉ちゃんは凄いんですよ、ゴールドランクだったんですから」

「もしよかったら、二人の家のこと聞かせてよ。……マクスも聞きたいだろ?」

「あ、ああ」

 無言のままクラブサンドをぱくつくだけのマクスを無理やり会話に混ぜる。

 マクスの曖昧な返事に、タリアは眉根を寄せた。

「本当にそう思ってる?」

「本当、本当。僕ら、まだほとんど何も知らないようなものじゃないか。二人が貴族だってことくらいしか知らないよ」

「あんたには聞いてない……って、どうして貴族だって知ってるのよ? わたしは学校でその……悪目立ちしたから知られててもしょうがないけど、家のことまで噂されてるの?」

「んー……態度、かなぁ」

 切り分けたローストビーフをサラダと一緒に口に運びながら、バーンが答える。

「よーく観察してみると、貴族の生徒とそうでない生徒って結構わかりやすいよ。貴族じゃない生徒って、いつもどこか緊張していることが多いんだよね。まぁ、勇者学校は貴族ばかりで、貴族じゃない生徒は少数派だから仕方ないのかもしれないけどさ。それを踏まえて考えれば、ほかの生徒に容赦なく食って掛かるようなタリアさんは、ほぼ間違いなく貴族のお嬢様だね」

「うぐ……。なるほどね……」

 ばつの悪そうな顔で納得したタリアに、マクスは疑問を呈する。

「……前から思ってたんだが、いったい何をしたんだ?」

「ああ、そういえばマクスは知らなかったんだっけ。あのね、タリアさんは……」

「自分のことは自分で説明するわよ。……二年生になってブロンズランクが決定すると、すぐに馬鹿にしてくる人間が出てきたの。授業の内容でなんとなく察されてたから、一年生のころからすでに陰口は叩かれてたけど、正式に決まったあとは本当に酷かったわ。今まで見たことも話したこともない生徒たちからもおおっぴらに悪口を言われるようになって……」

 ミカヤが悲しそうな顔をする。ブロンズランクの生徒が、誰しも通る道だった。

「それであるとき、悪口だけで収まらないやつらが現れたのよ。貴族の男子たちだったけれど、昼食を食べているときに突然悪口を言いながら近づいてきて、あろうことかわたしの髪の毛を掴んで引っ張ろうとしたから、その……」

 自分で説明するとは言ったものの、やはり恥ずかしいのかタリアは口ごもる。言葉を引き継ぐようにミカヤが続けた。

「やっつけちゃったんです。……力ずくで」

「……力ずく?」

 聞き返すマクスに、今度はバーンが答える。

「タリアさんは魔法を一切使わずに、貴族の男子たちをのしちゃったのさ。噂によると、貴族の男子三人の急所を的確に打ち抜いて昏倒させたあと、二度と逆らう気が起こらないよう関節技をしっかりと決めて激痛を与えて、見かねて止めに入った上級生の男子五人さえも投げ飛ばしたあげく一人一人の腕を折りにかかって……」

「そこまではしてないわよ!」

 すらすらと喋りだしたバーンの口を、タリアが止めにかかる。

「あれ、そうなの? 学食での騒動だったから目撃者がかなりいて、わりと信憑性があるって話だったんだけど」

「……腕を折ろうとなんてしてないわ。投げ飛ばしたら気絶しちゃったんだもの」

「……男子五人を投げ飛ばした、までは真実なのか」

 マクスが興味なさげに言うと、タリアは開き直ったのかふんと鼻を鳴らしてローストビーフを豪快にほお張った。

「うちじゃ、あれくらいできて普通なの。学校の男子たちが貧弱すぎるのよ」

「ずいぶん武闘派なご家庭だね、騎士団にでも所属してるのかな」

「……あんた、本当はわたしの家知ってるんじゃないの? そのとおり、シュタインズ家は代々、王直属騎士団に所属する人間を輩出している、いわば名門ね。わたしの祖父も、父も、兄たちもみんな王都騎士団に所属しているわ」

 ロクスベルゼ王国には、二つの騎士団がある。

 ひとつは、王国内に点在している主要都市と周辺の地域を守る、地方騎士団。

 もうひとつは、国の中心である王都を守護する王都騎士団。

 そして王都騎士団の中でも、王城を守る精鋭中の精鋭たちのことを王直属騎士団という。王直属騎士団は現王と王族たちを守ることに自らの全てを捧げるものたちであり、並大抵の実力では所属することはできない。

「そもそも王都騎士団自体、勇者学校出身でかつ成績優秀者じゃないと入ることすら許されないんだっけ? 地方騎士団はそこまで厳しくないはずだけど」

 バーンの問いかけにタリアが答える。

「よくご存知で。ちなみに今だと、父が王直属騎士団所属。兄たちはまだ王都騎士団所属だけれど、いずれも将来を有望視されているから王直属騎士団に任命されるのはほぼ確実。優秀な兄たちで、わたしも鼻が高いわ」

 最後の台詞は、若干の皮肉が含まれていた。家族全員が優秀な中、自分だけがブロンズであるという事実がタリアにどれだけのコンプレックスを与えているのかは、想像に難くない。

「なるほどね、昔からお兄さんたちと修行とかしてたんだ」

「そ。この学校じゃ魔法の成績ばかり重視しているけれど、騎士団に所属するならば魔法だけでなく自らの肉体も鍛えるべし……っていうのがうちの家訓なの。だから、そんじょそこらの男どもと喧嘩して負けるつもりはさらさらないけど……」

 タリアは一度言葉を切る。皿に置かれたナイフとフォークが、かちゃりと音を立てた。

「それじゃ、騎士団には入れないのよ……」

「騎士団に入るのが夢なんだ」

 タリアが悔しそうにパンをかじった。

「そうよ! いずれはわたしも王直属騎士団に所属して、王様と時期女王である姫様を守ってみせるんだって、ここに入るまではずっと夢見てたわ。でも入学してしばらくもしないうちに、自分には魔法の才能がないって気づかされた。入学試験をパスする程度の実力が、わたしの限界なんだって。どれだけ身体を鍛えても、魔法が使えないんじゃなんの意味もないのよ!」

 吐き出すように言い切ったタリアは、残りの昼食を一気にかきこんだ。サラダの最後の破片を口に入れ終えると、

「……喉渇いた。飲み物ってある?」

「ビュッフェの隣にお茶のポットがあるよ。飲み放題だから好きなだけどうぞ」

「ありがとう……」

 飲み物を取りに、一旦席をはずした。

 女子としては高い身長を持つタリアだったが、肩を落として歩く背中はずいぶんと小さく感じられた。



「……タリアは真面目で一直線だから。たぶん今でも、諦め切れてないんだと思います。ご両親からは特に厳しく言われてないみたいだけど、自分の中で納得できないと……」

「いつまでも苦しいまま、かぁ。いや、名門も大変だね。……ところで、ミカヤさんの家は? さっきお姉さんがゴールドランクだったって言ってたけど、実はミカヤさんの家も名門だったり?」

 暗い雰囲気を入れ替えようと、バーンが努めて明るい口調で話題を変える。

「うちですか? まあ、貴族ではありますけど、タリアの家みたいにすごいわけじゃないですよ。お姉ちゃんは本当に凄かったけれど、我が家じゃみんな奇跡だって言ってますから」

「ご両親はどんなお仕事を?」

「うちは主に、動物や植物に関する生態調査ですね。それに関連して食料事情に関することも、ちょっとだけ。……あんまり魔法と関係ないことだから、評価もされなくて」

 王都に住む貴族たちはそれぞれ、自らの家が専門とする事柄に従事し、王国に繁栄をもたらすことを義務として課せられている。

 それはタリアの家のように騎士として王に仕えることであったり、一般家庭への魔法道具の普及を目指すことであったり、魔物を調査することで王国内により一層の平穏をもたらしたり……様々なものがあるのだが、やはり国に確かな発展をもたらす魔法に関している事柄であるほうが、国と王に与える利益としては優良であると見られる向きがあった。

「だからわたしの家は、タリアの家ほどじゃありません。わたし自身も、お姉ちゃんが優秀だったのもあって両親にあまり期待されてませんし……」

 聞きようによってはかなり寂しく聞こえるミカヤの言葉だったが、マクスは無表情で、バーンは笑顔を浮かべて内心浮かんだ暗い感情をごまかす。

「なるほどねぇ。食料事情に精通している家だから、一口食べただけでラプトムの野菜だってわかったんだ」

「ええ、まぁ……。でも、ラプトムの野菜は本当においしいから、わかりやすいと思いますよ」

「……俺にはどれも同じ味に思えるけど、そんなに違うのか」

 ポツリと言ったマクスの言葉に、ミカヤの目が輝く。

「はい! 食べ比べてみれば一目瞭然ですよ! そうだ、今度は二人とも学食に食べに来ませんか? 学食で使われているお野菜はラプトム産ではなくて、王都周辺の地域から購入しているものなんです。こちらはこちらでおいしいですけど、食べてみれば普段どれだけおいしいものを食べているのかわかりますよ。どうですか?」

「え、あ……」

 好きな女の子が身を乗り出し、目を輝かせて嬉しそうに語っている姿に目がくらんだマクスは、とっさに言葉を紡ぐことができず、

「ああ、それもいいかもね! どうしても寮食で済ませがちだから、実は学食のメニューは食べたことがないんだ」

 バーンがすかさず助け舟を出した。

「なに? 今度はあなたたちが学食に来るの?」

 タリアが飲み物を持って帰ってきた。右手には四人分のカップをお盆に載せて、左手にはお茶の入ったポットを持っている。

「ああ、わざわざありがとう」

「ついでだから持ってきただけだけど、どういたしまして。それで?」

「ミカヤさんの家の話を聞いてて、そしたら学食の野菜と寮食の野菜はだいぶ味が違うって話らしいんだ。だから確かめてみようと思ってさ」

「まあ、そうね。というか、野菜だけじゃないわよ? お肉もパンも、このお茶だってどれもこれも寮食のほうが圧倒的においしいもの。これで大してお金を払ってないんだから……あなたたち、もっと感謝しなさいよね」

「はは、そうするよ……。それじゃ、今度また四人で学食に行こうか」

 バーンはそう言って、マクスに意味ありげな視線を送る。『うまいこと食事の約束を取り付けたじゃないか、えらい!』という視線だったが……マクスは目の前で嬉しそうに笑うミカヤを見るのに夢中でそれどころではなかった。

 無表情に幸せそうなマクスにバーンは満足げな表情を浮かべるが、

「それじゃ、次はそっちの話を聞こうじゃないの」

 タリアが何気なく言った一言で表情が凍りついた。

「え? えっと……そっちの話って?」

「? あなたたちの家の話に決まってるじゃない。……何、わたしたちだけに家のことを話させておいて、あなたたちは何も教えないっていうの? 交友を深めようって話はなんだったのかしら?」

 先ほどまでにこやかに笑っていたバーンの顔が、みるみるうちに余裕のないものへ変わっていく。額にはうっすらと脂汗をかき、視線はどこか落ち着かずに空中を泳ぎ続けている。

「えっとぉ……うちはそんなに面白い話ないよ?」

「別にいいわよ。……わたしなんて湿っぽい話になっちゃったしね」

「いや、でもなぁ……」

 バーンは隣のマクスに助けを求めるようにちらりと視線を向けたが、

「わたしも聞きたいです」

 自分ではなくミカヤの味方に回ったマクスからは、冷たい視線が返ってくるだけだった。

 やがて諦めたように、バーンは深くため息をついて肩を落とす。

「わかったよ……話すよ。寮に住んでることからもわかると思うけど、僕は王都出身じゃないよ」

「それはわかってるわよ。それで、どこの都市の貴族様なのかしら?」

「あれ、貴族って言ってたっけ?」

「わたしやミカが貴族だと分かった上で、慣れなれしく食事に誘うことができる男子なんて、貴族以外いないんじゃないかしら?」

 タリアにやり返されたバーンは思わず口ごもる。しばらく言いにくそうにモゴモゴと口を動かしていたが、やがて観念したように自身の出身地を告げた。

「……サヴァスタ」

「サヴァスタ? ……サヴァスタって、あのサヴァスタ!?」

「王国最南端の都市じゃないですか!」

 タリアもミカヤも、一様に驚嘆の声を上げる。バーンの出身地を知っていたマクスは、ミカヤさんは驚いた顔も可愛らしいなぁと幸せそうにしていた。

 驚かれ慣れているのか、バーンは肩をすくめる。

「ま、そうなんだ」

「驚いたわ……。サヴァスタ出身の貴族様がどうしてこんなところにいるのよ?」

 バーンの出身地であるサヴァスタという都市は、ロクスベルゼ王国の最も南にある海洋都市だった。

 ロクスベルゼ王国の中心は国王の住む王都であるが、地理的には国土中央よりもやや北寄りにある。そのため、王都から遠く離れた南の地にあるサヴァスタは、王都に住む人々にとってほとんど未知の都市と言えるほどに交流が無い。

「確か、サヴァスタにも魔法学校があったと思いますけど……。勇者学校の分校のようなもので、他の魔法学校とは違ってかなりの規模があるって聞いたことがあります。南方の人たちで魔法の才能がある子は、ほとんどがあちらに通うって……」

「それなのに、どうしてあんたは遠く離れた王都の学校に来たのよ? どちらの学校に通っても大して距離が変わらないから、王都の勇者学校を選ぶっていうのならわかるけど、サヴァスタ出身だったら地元に通えばいいじゃないの」

 ミカヤとタリアの怒涛のような追求にバーンは頬をかくと、

「んー……まあ、僕にもいろいろあってね。とはいえ、あっちの魔法学校と勇者学校じゃ明らかにこちらのほうが上だし、こちらを選べるのなら選ばない人はいないと思うよ」

「……それは、そうかもしれないけど。なーんか、はぐらかしてない?」

「してない、してない。ついでに家のことを言うと、他の地方都市に住む貴族と同じように、都市運営にかかわってるってだけだよ。ただ、サヴァスタは南の都市でも結構大きめの都市だから、うち以外にも貴族の家があって、その全員で運営してるんだけどね。だから有力貴族ってわけでもないんだ」

 ロクスベルゼ王国内に点在している地方都市には、その都市を治めるため王都から遣わされた貴族が住んでいる。

 王都に住む貴族たちが専門的な知識や技能によって王国に利益をもたらすのとは違い、地方貴族たちはその都市を円滑に運営することを目的としている。国王から任命された都市に住み、都市の発展と住民の幸福を目指して活動し、年に一度その成果を国王に報告することを義務付けられている。

「そんなわけで、こんな風に驚かれるわりに話すこともなくてね。本当に、ただ遠くから来てるってだけだからさ。サヴァスタがどういう都市なのかを紹介しようにも、本に載っている内容以上のことは特に無いし……だからあんまり出身地のことは話さないんだ」

「ふうん……。ま、そりゃ驚くわよね。普通いないもの」

「うん。久しぶりにびっくりした……」

 呆れた顔のタリアと目を丸くして驚いたままのミカヤに、バーンは曖昧な笑顔を返した。



「さて、残るは一人ね」

 タリアがじろりと、まだろくな会話すらしていない男子のほうを見る。その男子生徒マクスは、のんびりとタリアが持ってきたお茶をすすっていた。

「あんたにはいろいろ聞きたいことがあるわよ。なにせ有名人だものね」

「そうだね、わたしも聞きたいです」

 ミカヤがニコニコと笑いながら言う。

「マクス君は一年生のときから皆の注目の的だったけど、噂しか流れてこなかったから……。ちゃんと本人から話が聞ける日が来るなんて、思いもしなかったです」

「噂かぁ、たとえばどんな?」

 バーンが面白がって、身を乗り出しながら質問する。

「そうですね、例えば……。……実は国王様の隠し子で、身分を隠して学校に通っている、とか」

「マクスが王族だって? っく、あはははは! よくそんなとんでもない話を思いつくなぁ!」

 嬉しそうに笑うバーンの隣で、マクスは涼しい顔のままお茶の味を楽しんでいた。ミカヤが自分のことを話してくれているという幸せを噛みしめながら。

「でも実際、物凄い天才だったじゃない。勇者学校始まって以来の天才だって話でもちきりだったわ。一学年目最後の成績なんて、二位の子に大差をつけての一位だったでしょ? 王族という噂ももちろんあったけど、逆に実は魔物なんだなんて酷い噂もあったくらいよ」

「ああ……わたしも聞いたことあるよ。そんなわけないのにね」

「それじゃ、そろそろ話して貰おうかしら? 天才の真実ってやつをね。そのふてぶてしい態度から考えて、どこかの貴族の息子なんでしょ?」

 マクスはタリアを見て、バーンを見て、正面に座っているミカヤの期待のこもった眼差しを見て……むっつりと話し始めた。

「まず訂正しておくと……俺は貴族の息子じゃない」

「えっ?」

 目を見開いて驚いたタリアは、きっとバーンをにらむ。

「……貴族に対して強気な態度をとれる生徒は貴族、なんじゃなかった?」

「まあ、例外はどこにでもいるってことで。まして、『落ちぶれた天才』のマクスだよ?」

「友達のくせに、落ちぶれたとか言うんじゃないの」

「別にいい。事実だからな」

 マクスはイスを少し引いて、足を組みなおした。

「俺は小さい村の出身だ。王都に住んでいる人間で、村の名前を知っているやつはまぁいないだろう、それくらい小さい村だ」

「へえ……地方都市の出身でもないなんて、驚きだわ」

「俺自身、こんなところに来るだなんて子供のころは考えたこともなかったけどな。魔法を使えるようになったきっかけは覚えていない、いつの間にか使えるようになっていた。勇者学校に通うという話になったのも、たまたま貴族が俺の魔法を見て、ここに通うべきだと言われたからだ。そのまま流されるように入学試験を受けて、合格して、勇者学校に入学することになった」

「ちなみに、入学試験の成績はどうでしたか?」

 ミカヤの質問に、マクスは何も考えず正直に答える。

「『こちらが学費を全て持つから、何が何でも入学してほしい』と言われた」

「わ! すごい!」

 目を丸くして驚くミカヤと、呆れたような、もしくはうらやましそうな顔をしているタリアを見て、マクスは内心焦る。

「……別に、自慢しているわけじゃない。ただ、本当にそう言われただけで……」

「はいはい、今更気にする必要ないわよ。それで? 入学した後は?」

「……どんな噂が流れていたのかは知らないが、特に変わったことはない。受けるべき授業を受けて、試験を受けて、一年が過ぎたらゴールドランク所属が決定していた」

「そのときは、さすがに嬉しかったでしょ?」

 タリアが頬杖をついて、からかうように言う。だが、マクスは飄々と答えた。

「もともと流されてここに入学したようなものだし、そもそも田舎者で勇者学校のシステムもよく知らなかったから、ゴールドランクがどれほど凄いものかも知らなかった。授業の選択が楽になった……くらいにしか思っていなかったと思う」

「あ、そ……」

 期待したような反応が返ってこなかったので、タリアの頬が手のひらからがくりと滑り落ちた。

「ゴールドランクの特別授業って、どんなものなんですか? お姉ちゃんは、あんまりはっきりと教えてくれなくて……」

 ねだるようなミカヤの視線にマクスは背筋を震わせたが、そんな感情はおくびにも出さず、しばらく考えこんでから答える。

「これといって特別なことはしていない、と思う……。強いて言うなら今のように教科書を開いて、教師がああだこうだ言うのを聞く、ということはなかった。どちらかといえば実戦形式、といえばいいのか」

「む……。お姉ちゃんとおんなじこと言うんですね……」

 ミカヤはほんの少し頬を膨らませてむくれる。むくれている顔もかわいい、とマクスは思ったが、損ねてしまった機嫌をどうにかして取り戻そうと必死に言葉を紡ぐ。

「すまない、本当にそうとしか言えないんだ……。逆に言えば、授業らしい授業をしていなかったというか……」

「まあ、エリートの人間にしか理解できないものなのかもね。子供の僕たちじゃ、政治の仕組みをはっきり理解できないようにさ」

 バーンが助け舟を出す。マクスはちらりと視線をやって、感謝の意を示した。

「うーん、確かにそうかもしれないですね……」

「それでそのエリートさんは、どうしてブロンズにまで落ち込んだのかしら?」

 タリアが手に持ったカップでマクスのことを差す。そのことが一番聞きたいのだと言いたげに、マクスのほうをじっと睨んでいる。

「わからん」

「わからんって、あんたねぇ……」

「わからないものはわからない。俺は魔法学の専門家じゃないし、専門家である教師だってどうしてだかわからないんだ。そんなものの説明のしようがない」

 マクスは誰かに聞かれたときのための台詞を……嘘をすらすらと言う。

「……何かきっかけのようなものはなかったの?」

「特にない。……もともと魔法を使えるようになったのも突然だったのだから、また突然使えなくなったとしても別に驚かないけどな。きっと使えていた時期のほうがおかしかったんだろう」

「ふーん……そんなものなのかしら」

 納得がいったようなそうでないような、タリアは微妙な表情を作る。

「こんなことを言うと失礼だけど、なんだか拍子抜けね。何かとんでもない秘密でも隠されているのかと思っていたわ」

 なかなか鋭いなぁ、とバーンはにやりと笑う。とはいえ、期待していた秘密がまさか『好きな子と同じ授業を受けるため』だなんて事実を知ったらがっかりするだろうなぁ……と、タリアに同情した。

「そうですね……でも、やっぱり残念だったんじゃないですか? 魔法といえば奇跡の力です。わたしが初めて魔法を使ったとき……ほんの小さな、手のひらの中で渦巻く程度の風を作っただけでしたけど、凄く嬉しかったです。マクス君も魔法が使えるようになったときは嬉しかったし、使えなくなったときは悔しかったと思うんですけど……」

 ミカヤが神妙な……心なしか悲しそうな面持ちでマクスに問う。

 マクスは今でも、魔法を自在に扱える。現在ブロンズランクに所属しているのは、ひとえにミカヤと一緒にいたいためだ。

 だがその事実は今や、好きな人を騙しているという形になってしまっている。そのうえ彼女は自分のことを心配し、深い同情を寄せてまでくれている……。マクスの心が、ちくりと痛んだ。

 しかし今更、嘘を覆すつもりはさらさらない。マクスは、一度決めたことはそこそこ貫き通す男だった。

「悔しいという気持ちは、あまりない」

「……なぜ?」

「もともと魔法に興味がなかったとか、自分の力じゃないような気がしてたとか、いろいろあるが……一番の理由としては、まぁ」

 マクスは一度お茶を飲んで、喉を潤してから言った。

「……ゴールドランクの時よりも、それなりに毎日楽しいからな」

 テーブルに静寂が訪れた。

 ミカヤはきょとんとした顔で、タリアは奇妙な動物でも見ているかのような顔で、バーンはにやけ面で……おのおのマクスのほうを見たまま、何も言わず固まっていた。

「……な、なんだ?」

 静寂に耐え切れず、思わずマクスが聞き返す。

「……えっと、あんたも楽しいとか思うのね。なんだか意外だったから、つい」

「ひどいなぁタリアさん、マクスはちゃんと人間だよ」

「そこまでは言ってないわよ!」

 冗談を言ったバーンに、タリアが噛み付く。その様子を見てくすくすと笑いながら、ミカヤはマクスと目線を合わせ、

「うふふ。毎日が楽しいのは、とっても素敵ですね」

 花が咲き誇るかのように、可憐に笑った。

 マクスの背筋に、電撃のような衝撃が走る。

 初めて出会ったとき……彼女のことが好きだと、はっきり自覚したときと同じ衝撃。

 何もかもがつまらなく、どんよりとしていた世界が、急に彩を取り戻したかのような……人生初めての感覚。

「マクス君が、どんなことに楽しいって思うのか……それもまた今度聞かせてくださいね」

 君だ。

 君を見ているだけで、君と一緒にいるだけで、俺は毎日が楽しいんだ……。

 マクスはミカヤに、そう言ってのけたい衝動に駆られたが、

「…………」

 結局、言うことはできなかった。



「ずいぶんと長くお話してしまいましたね。とっても楽しかったです」

「こちらこそ。また寮食を利用したかったら、気軽に声かけてよ。寮生と一緒だったら、入りやすいだろうしさ」

 四人は、学生寮の玄関で話しこんでいた。昼休みが終わろうとしていたが、それを惜しむかのように四人は話し続けている。

「次は学食で、って話だったわね。……普段わたしたちがどれほど苦労をして昼食をとっているのか、体験させてあげるわよ」

「できれば学食の味だけを体験したいところだね……」

 タリアがにやりと笑いながら言い、バーンは頬をかきながら困ったように答える。タリアの隣でミカヤが笑い……それをマクスが幸せそうに無表情で眺めていた。

 こんな幸せな時間がいつまでも続きやしないかと、マクスは珍しく祈ったが、

「……っと、さすがにそろそろ行かないと。次の授業に間に合わないわ」

 無常にも、時間は決められたとおりに流れていく。

「じゃあ、またね」

「ええ」

「さようなら」

「……ああ」

 授業のある二人の女子は手を振りながら学校のほうへ、午後に授業を入れていなかった男二人は寮の玄関から二人を見送った。

 男二人は女子二人が手を振るのをやめて背中を向けた後も見送り続け……、

「……さすがにそろそろ中に入らない?」

 二人の姿が見えなくなったあとも、まだ見送っていた。




「はー、本当に楽しかったね。タリア以外の人と、学校でこんなにおしゃべりしたの、なんだか久しぶり」

 学生寮から校舎へと続く道を、ミカヤとタリアの二人はのんびりと歩く。多少話し込んでいたとはいえ、授業に間に合うようにきっちりと寮を出たため、焦ることはない。

「そうね。……それにしても、あんなにも豪華な寮だとは思わなかったわ。しかも食堂はいつも空いている上に学食より味が上等……なんだか理不尽に思えてきた」

「あはは……。でも今度からは、二人にお願いすればいつでも食べに来られるじゃない」

「そうね……」

「……本当に、学校でこんなに楽しい気分になれたのはいつ以来だろうね。二人に感謝しないと。バーン君はずっと明るくて、マクス君はすごく落ち着いていて……わたしも二人を見習わないとね」

 ブロンズランクと認定された二年生以降、シルバーランクに馬鹿にされ、ちょっかいを出され……お世辞にも平穏とはいえない学校生活を送っていた二人。

 騎士の家系に育ったことで徒手空拳での格闘術を獲得していたタリアはともかく、大人しくて気優しい性格をしているミカヤは、イジメの対象としてシルバーの生徒に目をつけられることが多かった。

 それをもっとも近くで見ていたタリアは、ミカヤが嬉しそうにつぶやいた言葉に目を細める。

「ミカは……二人のこと気に入ったんだ?」

「え? それはそうだよー! バーン君はもちろんだし、マクス君も話してみたら意外と親しみやすい人だったんだね。わたし、勝手にすごく怖い人だと思ってたよ。ゴールドからブロンズから落ちるなんて前代未聞の状況、普通だったらもっとやさぐれてもおかしくないでしょ? それなのに、今が楽しいからいいだなんて……びっくりだよね」

「それは……そうね」

 マクスの評を聞いて、なぜかタリアの返答は歯切れが悪くなった。いつもはきはきと話す友人の珍しい様子に、ミカヤは不思議そうに首をかしげる。

「タリアは……二人のこと、どう思ったの?」

「そうね……」

 タリアは気づいていた。

 昨日中庭で出会ったとき、教室で出くわしたとき、寮の玄関で待ち合わせて一緒に食事をして、あれやこれやと会話を続けているときも……。

 マクスがずっとミカヤのことを見続けていることに、気がついていた。

 だからこそ、初めのうちはマクスのことを強く警戒していた。結局、一切変わらない無表情のマクスの内心に、いったいどんな感情が渦巻いているのかまでは把握することはできなかったが……、

「……まぁ、悪いやつらではないかもね」

「えー、なにそれ?」

 タリアは渦巻く感情を、一旦胸の奥にしまい込んだ。

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