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 昔々、気が遠くなるほど昔のお話です――。

 かつて、世界を支配しようとした魔王がいました。

 魔王は強大な力を持ち、大勢の魔物を率いて世界中の人々を襲いました。突然の魔王の襲来に人々は逃げ惑い、空は翳り、地は荒れ果て、海はうねり……世界中に絶望が満ちてしまいました。

 このまま世界は闇に覆われ、世界の支配者は魔王となってしまうのだろう……生きとし生けるすべての人々がそう嘆き、悲しみました……。

 ――そのとき、勇者が現れました。

 魔王の出現に呼応するように現れた勇者は、あらゆる魔法を使いこなし、魔王の軍勢に毅然として立ち向かっていったのです。

 その姿はまさに奇跡そのものでした。勇者がひとつ魔法を唱えるだけで、空は晴れ、地に命が溢れ、海は穏やかに澄み渡り……魔物の軍勢は消え去ってしまったといいます。

 そうして勇者は魔王へと挑み、勇者に触発された人々も絶望に負けず結託し……ついに勇者と人々は、魔王の軍勢を倒すことに成功しました。

 その後、人々は魔王を倒した勇者を王として崇め、平和な王国を築きました。

 人々は長い長い、幸せな平和の時を手に入れたというお話――。




 この世界に存在する唯一の国……ロクスベルゼ王国。

 建国以来ロクスベルゼ王国は、豊かで雄大な自然と、魔法によって生み出された技術で著しい発展を遂げてきた。

 現在その領土は人間が住む地域すべてと、とてつもなく広大。世界を巡る旅人であっても、領土すべての地に訪れることはできないと言われているほどだ。

 人間と、少数の亜人種も含まれているロクスベルゼ王国民は、はるか昔に起こったと言われている大きな争いを知ることもなく、のんびりと平和を謳歌している。

 争う理由すら見つからないほど穏やかな空気につつまれているロクスベルゼ王国は、その穏やかな空気のまま長い歴史を重ねていた。



 平和な国を統べているのは、昔話に語られる勇者の血をひく王と王族、そして貴族たち。

 歴史上一度も反乱や革命が起こっていないほどに、王は人々に愛されてきた。

 現王であるロクスベルゼ王その人も、穏やかで聡明な王として広く国民たちに愛されている。

 王が住む街――王都は、当然のようにロクスベルゼ王国内でもっとも広大で、もっとも豪華で、もっとも文化が発展している街だ。

 普通の国民たちの家や商店などが立ち並ぶ住民街、貴族たちが住むきらびやかな貴族街、そして王族が住む巨大な王城……さらにそれを見守るようにそびえている山々によって、王都は構成されていた。山の麓にそびえる王城から、貴族街、住民街と扇状に広がっている王都は、街の端から端まで歩くだけで日が暮れてしまうほどの広さを誇っている。

 とはいえ、実際に王都を端から端まで歩くことができるのは、王族と貴族だけである。通常の国民は、貴族街から先へは、勝手に入ることが許されない。

 そんな貴族街の外れ……どちらかといえば住民街に近い位置。

 そこに、勇者学校はあった。

 正式名称は、ロクスベルゼ王国立勇者魔法学校。

 かつて、世界を絶望に貶めた魔王を、奇跡のような魔法で倒した勇者。現在国を統べている王族たちの祖先である勇者が、また新たな魔王が現れた際に再び立ち向かうことができるようにと、その生涯すべてをかけて建立したと言われている。

 そのような歴史があるからか、はたまた長ったらしい名称であるからか……たいていの人は正式名称ではなく、勇者学校と呼んでいた。

 勇者学校では六年間の期間を経て、王国を守る勇者を育てている。

 六年という限られた期間で、国を守るための強力な魔法と、人を守るための健全な精神を身につける。それこそが勇者学校に通う生徒たちの目標であり、義務だった。



「おい、そこのブロンズ女!」

 勇者学校の中庭に、荒々しい声が響き渡った。

 時刻はもう少しで夕方といったころ。授業を終えた学生たちは各々帰途に着き、学校内に残る生徒がだいぶ少なくなってくる時間帯。

 声をかけられたのは、中庭に立つ巨木の木陰に座り、静かに本を読んでいた少女。

 明るいブロンドヘアーを、ふわりとしたボブカットにしている。着ている服も同じようにふわっとした、白い修道服のような格好。顔立ちは幼く、気は弱そうだが優しげな印象があった。

 声をかけたのは三人の男子たち。身につけているものがどれもこれも豪奢なところを見るに、貴族の子息たちだろう。

 三人ともそこそこ顔立ちは整っているはずなのだが、みな一様ににやにやとした笑いを浮かべており、折角の顔立ちが台無しになっていた。

 いきなり荒々しい声を浴びせられて、少女はびくりと体を震わせて、本から顔を上げる。

「え、えっと……なんですか?」

「なんですか、じゃねーよ。お前、何のんきに本なんて読んでるんだ? ブロンズだったらこんなところで油売ってないで、魔法のひとつでも練習しろよ」

 本を読んでいた少女は明らかに困惑した表情を浮かべる。その反応がおもしろかったのか、男子たちのにやにや顔がさらに酷くなる。

「落ちこぼれが目に入ると、こっちの気分が悪くなってくんだよ」

「そうそう、せめて学校にいる間はこそこそとしてるとか、気を使えねーのか?」

 健全な精神が身についているとはとても思えない発言を繰り返す男子たちだが、少女は印象どおり気が弱いのか、何も言い返すことができない。だんだんと男子たちの発言はエスカレートしていく。

「なんだったら、シルバーの俺たちが魔法を教えてやろうか?」

「おお、いいなそれ! 俺たちの魔法を見て勉強しろよ、ブロンズ女。……よく見えるように、お前を的にしてやるからさぁ」

 お前を攻撃する、と暗に言われ、途端に少女の顔がさっと青くなった。

「あ、あの……やめてください……!」

「はぁ? ブロンズに拒否権なんてねーんだよ!」

「俺たちはお前に協力してやってんだぞ? むしろありがたく思えっての!」

 少女の言葉には聞く耳を持たず、理不尽な言葉を投げつけながら、男子たちの一人が少女に向かって両手を構えた。

「おらおら、特別授業開始だ! まずは火属性から行くか? 三年生なら『フレイムランス』くらい使えないとなぁ! そら行くぞ、いち、にぃ……!」

 無情にも始まった秒読みに、少女は思わずぎゅっと目を瞑る。

「さ……うお!?」

 だが、少女に向かって魔法が放たれることはなかった。

 両手を構えていた男子の両膝を、誰かが後ろから蹴り飛ばしたのだ。完全に不意を突かれた男子は、両手を上に向けて両膝を折り曲げるという間抜けな格好で地面に倒れこんだ。

「だ、誰だ……うっ!?」

 振り返った男子たちの後ろにいたのは、目つきの悪い男子だった。

 大の大人でも怯んでしまいそうなほど凶悪な目つきをしている男子は、王都では珍しい黒髪だった。少し長めの前髪から覗く瞳もまた黒く、まるで何かを恨んでいるように濁っていた。

 背は高くもないが、低くもない。細身な体を包んでいる服はごく普通の長袖シャツとズボンだが、これがまたどれもこれも暗色のものばかりで、陰気なイメージを与えている。

 突然後ろに現れた黒ずくめな男子にじろりと睨まれ、怯んでいた三人だったが、

「……あっ? お前まさか、『落ちこぼれの天才』のマクス・ローウェルか?」

 三人のうち一人が言ったその一言によって、再び勢いを取り戻した。

「なんだよ、ブロンズかよ!」

「しかもあの落ちこぼれ野郎か! 学校の恥晒しめ!」

 三人の男子たちは、少女のことをすっかり忘れてしまったかのように、マクスと呼ばれた男子に食ってかかった。

 今にも殴りかかりそうな勢いで凄む三人だったが……当のマクスは涼しい顔を崩さない。相変わらず仏頂面のまま、三人を睨んでいた。

「なんだその顔は……なんか文句あんのか?」

「てめぇ、いきなり人のことを蹴っといて、ただで済むと思うなよ。お前にも俺の魔法を食らわせてやろうか、ああ!」

 何を言っても反応がないマクスに痺れを切らしたのか、蹴られた男子が魔法を使おうと、先ほどのように両手を構えたそのとき、

「ミカ!」

 遠く離れた向こうから、よく通る声が聞こえてきた。少女の声だ。

 声を聞いた途端に、三人の男子がバツの悪そうな顔をする。

「チッ、怪力女の登場かよ」

「行こうぜ」

 彼らはそうぼやきながら、声の主がこちらへ来る前に、そそくさとその場を後にした。

 男子たちが立ち去った数秒後に、声の主が少女の下へと駆け寄ってきた。

「ミカ! ミカヤ! だいじょうぶ? 変なことされてない?」

 一目散にこちらへ駆けてきたようで、額にうっすらと汗を浮かべていた。すぐ傍に突っ立っているマクスには目もくれず、心配げな表情を少女に向ける。

 そんな様子を見て、ミカと呼ばれた少女――おそらくは愛称で、本名はミカヤなのだろう――は、やわらかい笑顔を浮かべ、立ち上がった。

「ううん、大丈夫だよ。ありがとうタリア」

 駆け寄ってきた女子……タリアは、ずいぶんと格好いい女子だった。

 目鼻立ちははっきりとしていて、かわいいというより美人といったほうがぴったりな表現だろう。赤みがかった長い茶髪を後ろでひとつにまとめており、活動的な印象を与えている。着ている服も、動きやすそうなパンツルックだった。

 身長は女子としては高めで、マクスと同じくらい、つまり男子の平均身長くらいある。すらりとしたシルエットをしているため、実際の身長よりも高く見える。

 タリアはミカヤが大丈夫と言った後でも相変わらず心配顔のままで、怪我はないの一体何をされたのどんな奴らだったわたしが絶対に目にものを見せてやるからなどとあれこれ質問攻めにしたが、ミカヤはタリアを安心させるように笑い、最後のタリアの提案を丁寧に断った。

「……助けてもらったんだ」

 ミカヤはそう言って、マクスのほうへ顔を向ける。その言葉でようやく気がついたとばかりに、タリアもマクスの顔を見た。

 瞬間、ミカヤに向けていた心配げな表情は消え、訝しげな顔を浮かべる。

「あんたが……? 本当に?」

「…………」

 マクスは相変わらず仏頂面のままで、タリアの問いかけには答えなかった。無視されたせいか、タリアの表情がますます厳しいものになっていく。

 殆ど睨むような顔になっているタリアのことはやはり無視して、マクスはミカヤのほうへと近づいていく。二、三歩近づいたところで、タリアがミカヤを庇うように二人の間に立ったため、そこで止まった。

 マクスがようやく、初めて口を開いた。

「……さっき」

「は、はい」

 ミカヤがおっかなびっくり返事をする。そのまま続けて、マクスが言った。

「魔法を向けられたのに、目を瞑ったら危ないだろう」

「ご、ごめんなさい……」

 恩人からの突然のお説教に、ミカヤは思わず謝ってしまう。

「……何よ、偉そうに。あんただってブロンズでしょうに」

 いまや完全にマクスのことを睨んでいるタリアが、非難するように言った。

「昔ゴールドだったかどうか知らないけどね、今ブロンズならわかるでしょ? ……目を瞑るくらいしかできないのよ、わたしたちブロンズは」

 タリアの言葉は、最後のほうに若干の悔しさが滲んでいた。

 マクスはそんなタリアの言葉を、聞いているのか聞いていないのかよくわからない仏頂面のままで聞き、

「…………」

 結局何も言わず、二人から離れていき、中庭を後にした。

 徹頭徹尾無視された形になったタリアは、思わず額に青筋を浮かべ、

「……なんなのよ、もう!」

 去り行くマクスの背中に向かって大声で言い放った。

 ミカヤは感情を爆発させた友人の様子に、困ったような笑顔を浮かべた。




 マクス・ローウェルは、自分の住む寮に向かって歩いていた。

 勇者学校には、通っている学生のための学生寮が存在する。

 王都の外からわざわざ通っている生徒や、王都内に住んではいるものの通学するには遠い位置に実家がある生徒のために用意されたもので、貴族街にある勇者学校に併設される形で建っている。

 中庭から寮までの距離は、十分もかからない。寮へと続く敷地内の道を、マクスは黙々と歩き続ける。

 やがて、マクスが住む寮がその姿を現した。

 貴族の子息なども入寮するため、学生寮は下手な高級宿屋よりも豪華な作りをしていた。

 四階建てになっている学生寮の建材には大理石がふんだんに使われ、玄関にいたってはまるで美術館か博物館のような造りになっている。貴族街にあって景観を損ねるようなことはあってはならないと、貴族の親たちから次々と寄付金が送られてくるため、外装や屋根にいたるまで年々豪華さが増しているのだ。

 内装も当然、外装に負けず劣らず豪華絢爛で、廊下には真紅の絨毯が敷かれ、照明や手すり、はては寮生たちのネームプレートにいたるまで、あちこちに金細工が施されている。

 そのうえ、学生たちのプライバシーに配慮して、寮生には一人一部屋の個室があてがわれていた。王族が住んでいそうなほどの豪華な部屋を独占できる……ということで、本来寮に通う必要のない生徒でも入寮を希望することが多いが、実家の距離など厳格なルールで入寮を制限しているため、泣く泣く諦める生徒も多い。

 勇者学校に入学以来三年間、ずっと寮生であるマクスは、慣れた足取りで玄関へと進む。その表情は、きらびやかな寮にはあまりそぐわない、常に何かを恨んでいるかのような表情のまま。

 玄関を睨みつけながら、そこへと続く短い階段を上がろうとすると、

「やあ、マクス。遅いお帰りで」

 空から声が降ってきた。マクスは足を止め、上を見上げる。

 学生寮三階の窓から、マクスと同い年くらいの男子が上半身を覗かせていた。窓の桟に腕を預け、穏やかな笑みを湛えてマクスのことを見下ろしている。

 上から声をかけてきた男子に、マクスは表情は変えず、けれど気安い様子で言葉を返す。

「補習授業があったんだ。知ってるだろ」

「当然。僕も昨日受けたからね。……ん?」

 男子は突然、何かに気づいたかのように眉を動かした。

「……マクス、何かいいことでもあったのかい? いや、それとも逆かな?」

「…………」

 マクスは男子の問いかけには答えず、しばらくの間黙り込み、やがてポツリと言った。

「……そっち行っていいか」

「もちろん。お茶くらいは出すよ」



 マクスは学生寮の玄関を開ける。土足のまま真っ赤な絨毯の上を歩き、やたら豪華な手すりを握りながら階段を上り三階へ。

 そのまま迷うことなく、ひとつの部屋の前にたどり着いた。

 金細工の施されたネームプレートには『バーン・ブラウリー』と書かれている。

 マクスは遠慮せずにドアをノック。来客がわかっていたからか、閉じられていたドアはすぐに開いた。

「や、いらっしゃい」

 部屋の主……バーン・ブラウリーは、どこかなよなよしい雰囲気を持つ男子生徒だった。

 身長はマクスよりもほんの少しだけ高いのだが、腕も足も細いため体格がいいとはとても言えない。よく言えばスレンダー、悪く言えば貧弱な体格だった。

 男子としてはぎりぎりの長髪はきれいな金色で、顔を振るごとにさらりと流れ、きらりと光る。しかし、それが似合ってしまう整った顔のパーツを持っていた。

「実を言うと、先に一人でお茶を飲んでいたんだ。少し冷めてるし、温め直そうか?」

「いや、いい。熱い飲み物はあまり好きじゃない」

 バーンの提案を猫舌のマクスは丁重に断る。

 バーンに促されるまま、マクスは部屋の中へと入る。そのまま自宅のような気安さで、部屋の中央に配置されている、ティーカップがひとつだけ載ったテーブルに近づき、空いた椅子に腰を下ろした。

 部屋の中は、学生の寮としては十分すぎるほどに広い。

 シングルのベッドがひとつに、勉強机、来客用のテーブル、人一人が余裕で隠れられるほど大きなクローゼット、参考書をぎっしり詰めることができる本棚、さらに流しやトイレも設置されている。それでもなお、室内の空間は余っていた。

 流しからポットと空のカップを持ってきて、バーンも席に着く。優雅な手つきでカップにお茶を注ぎ、マクスの前に置いた。

「悪い」

「いいとも。……それで? 補修をしてたはずのマクスに、一体何が起こったんだい?」

 マクスは淹れてもらったお茶をゆっくりと味わいながら飲み、カップを下ろすと神妙な顔つきになり、言った。

「……件の子と、話をした」

「いや、そんな暗号めいた言い方しなくても。ミカヤさんのことだろう? ミカヤ・ラクシェ」

 ミカヤのフルネームを口にしたバーンを、マクスはじろりと睨む。

「恐れ多くて、俺には名前を口に出すことすら難しい……」

「何言ってんの。……好きな子の名前も言えないで、どうやって仲良くなるのさ」

 けろりとした顔でなんでもないことのように言うバーンに、マクスはがっくりとうな垂れた。



 マクス・ローウェルがミカヤ・ラクシェと出会ったのは、およそ一年ほど前。

 そしておよそ一年前から――つまり出会ってから少しも経たないうちから、マクスはミカヤのことが好きだった。

「……けれども、一年経っても二人の仲は進展せず……どころか、そもそも殆ど関わることもなく、無為に時間は過ぎ去っていきました、と」

「……まぁ、そうだ」

 マクスは苦虫を噛み潰したような顔をする。といっても傍から見れば目つきの悪い無表情からほんの少し眉が歪んだ程度であり、表情の変化がわかるのはごく一部の人間……例えば目の前にいるバーンくらいだった。

 バーンが呆れたように言う。

「なんでそうなるかなぁ。ちょっと声をかけるだけだろう? きっかけはなんでもいいさ、授業のことでも、魔法のことでも、最悪今日の天気のことでも……。ずっと好きなまま、一年間何もしないなんてどういうことさ」

「俺はお前とは違って社交的じゃないんだ。そんな気軽に、彼女に話しかけることなんてできない……」

 心底落ち込んだ顔――と言ってもやはり、人からすれば普段の無表情とあまり変わらないのだが――を浮かべてうなだれるマクスを見て、バーンをひとつため息をつく。

「僕だってそれほど社交的ではないけど……いや、それはいいか。そんなことより今日のことだよ。ミカヤさんと話をしたんだろう?」

「……ああ」

「是非聞かせて欲しいね。一年間好きな子に近づくことも話しかけることもできなかったマクスが、一体どうやって、何があって、そしてどんな話をしたんだい?」

 バーンは実に楽しそうに言う。まるで突拍子のない愉快な動きをする自分のペットを眺めているかのような顔だった。

 そんな愉悦の表情を浮かべるバーンをマクスは恨めしげに睨み……やがて語りだした。

「そうだな……彼女に出会ったのは中庭だ。補習授業を適当に終わらせて、寮に帰ろうと中庭近くの校舎を歩いていた。中庭にも通り抜けられるようになっているところだ。すると、中庭に立つ巨木の陰で本を読んでいる彼女を見つけた」

「彼女って誰だい?」

「……は?」

「彼女って誰だい?」

「……いや、そりゃ、件の子のこと……」

「彼女って、誰のことかな? 名前を言ってくれないとわからないなぁ」

 バーンをにやにやと笑いながら、マクスを煽る。

「…………。み……、ミカヤさんのことだ」

「ああ、なるほどね。それで?」

「こ、この……。……まぁいい、それで……俺は、今日こそは声をかけようと思ったんだ」

「へぇ? ずいぶんと思い切ったじゃないか」

「周りに人もいなかったし、話しかけるなら絶好の機会だと思ったんだ」

 バーンが嬉しそうに拍手をする。

「すばらしい、すばらしい進歩だよマクス。それでミカヤさんに話しかけることができたわけだ」

「いや、木陰で本を読むミカヤさんの姿があまりにも絵になっていたので、しばらくの間見とれてしまっていた……」

「…………」

 バーンを拍手をしていた腕をおろし、微妙な顔でマクスを見る。

 バーンが何を言いたいのかマクスもわかったのか、少し焦ったかのような無表情で言い訳をする。

「少しの間だけだ。ほんの十分くらい」

「じゅうぶん長いよ。……はぁ、マクスはやっぱりマクスだったわけかぁ。でも、ミカヤさんと話をしたっていうのは、本当のことなんだよね?」

「本当だ。十分経ってからようやく我に返って、今度こそ声をかけようとしたんだが……。俺の前に、ミカヤさんに声をかけたやつらがいた。シルバーの、ガラの悪そうな男子三人だ」

「ああ……」

 バーンがつまらなさそうな顔をする。

「ミカヤさんもブロンズだもんね。シルバーには自分が上なことを鼻にかけて、高慢な態度をするやつも多いからなぁ。僕も経験あるし」

「実際、そういうやつらだった。俺がいた位置からは何を言っているかは聞こえなかったが、ミカヤさんがだいぶ困っている様子なのはすぐにわかった。これはまずいと思って急いで近づくと、男子のひとりがあろうことかミカヤさんに魔法を撃とうとしていたから、そいつのひざ裏に蹴りを入れてやった」

 バーンがぱちんと指を鳴らす。

「なるほど! 窮地に陥っていたミカヤさんを助けてあげたわけだ。男子三人をマクスが追い払って、ミカヤさんが感謝したことをきっかけに、あれこれお話したってことだね?」

「いや、魔法を撃たせることは止めることができたが、俺の顔を見た瞬間に男子たちはまたがなりだした」

「…………。まぁそうか、マクスは有名だからね……落ちこぼれの天才、か」

「そういうことだ。追い払うどころか余計に怒り狂ってしまったので、どうしたもんかと思っていたんだが……そのとき、ミカヤさんの友達が乱入してきた」

 バーンが机に片肘をついて、呆れた顔をする。

「好きな子の友達の名前くらい、おさえておけば? ……ミカヤさんの友達で、男子三人に挑んでいける人物といえば、おそらくタリア・シュタインズさんだろう」

「それだ。ミカヤさんもそんな名前を言っていた気がする。結局、男子たちはその子が来る前に逃げるようにどこかへ行ってしまった。実際にミカヤさんを助けたのは俺じゃなくて、殆どタリア・シュタインズの功績だったな」

「……僕はマクスとミカヤさんが会話したっていうお話を聞いているはずなんだけれど、一体いつになったら二人は会話するんだい?」

「このあとすぐだ。そういうわけで俺は一発蹴りを入れただけだったんだが、やはりミカヤさんは優しいな……俺のことを恩人だと言ってくれたんだ」

 幸せそうな無表情で熱く語るマクスを、バーンは呆れ顔で見つめる。

 だが、マクスはそんなバーンの視線には気づかない。

「そこで俺は……俺は……。ミカヤさんと話をしたんだが……」

「うん、どうだった? 楽しかった? 盛り上がった?」

 先ほどまで幸せに満ちていたマクスの無表情が、急激に曇る。

「謝られた……」

「は? ……一体どんな話をしたら、今の展開から謝られることになるのさ」

 マクスは慌てて言う。

「別に変なことは言ってない。危なかったですね、大丈夫でしたか……のような、感じのことを……」

 だんだんと尻すぼみになっていくマクスを、バーンがじろりと睨む。

「……で? 実際にはどんな風な会話を交わしたのさ」

「…………」

 マクスは、つい先ほどのことで記憶も鮮明な会話内容を、バーンの前で正確に再現した。

 つまり、ぶっきらぼうに、笑顔のひとつもなく、受け取り方によってはミカヤのことを迂闊だと非難しているような言い方を。

「……なーんでそんな言い方になるかなぁ……」

 バーンは全身を脱力させたように、椅子の背もたれに体を預け天を仰ぐ。

 対してマクスは、再び落ち込んだようにうな垂れた。

「なぁ……やっぱり俺には無理なんじゃないか……。まともな会話すらできない俺が、ミカヤさんと仲良くなるなんて……。ましてや、つ、つき……付き合ったりするだなんて、想像もできない」

「まだ大して何もやってないのに、諦めるなんて早すぎるってば。だいたいまとな会話ができないって、僕とはこうして普通に会話できてるじゃないか」

「お前は変なやつだからだろう」

「失礼な、まぁ否定はしないけどね。……しかし好きな子を目の前にして緊張していたからって、そんな愛想のかけらもない言い方をするとはねぇ……。マクスはただでさえ目つきが悪いんだから、話し方くらいは気をつけないと」

 マクスはその凶悪な目つきでバーンを睨み……実際は助けを求めるような目で見ながら、ぽつりと言った。

「なぁ、バーン」

「なんだい、マクス」

「俺は正直な話……俺がミカヤさんと付き合うだなんて、そんな大それた望みまでは持っていないんだ。ただ彼女が平穏に、幸せに暮らしてくれればそれでいい。それこそ、例えばお前がミカヤさんと付き合って、ミカヤさんが幸せならそれでいいとさえ思っている」

 バーンは神妙な顔つきで、マクスの言葉を聞く。

「だから……俺がミカヤさんと仲良くなる必要なんてないんじゃないか? 俺はミカヤさんに気づかれないよう近くで見守り続け、彼女が危険な目に遭ったり、不幸な出来事に見舞われそうになったり、困った状況に陥ったときにこっそりと助けてあげることで、彼女が幸せになれるようサポートできればそれでいいんだ……」

 神妙な顔で聞いていたバーンの表情が、一気に脱力感溢れるものへと変わっていった。

「……ねえ、マクス。ストーカーって言葉知ってるかい?」

「……? いや、初耳だ。新手の魔物か何かか?」

 最近王都の住民街で発生しているという、好きな異性に異常な執着を持ってつきまとう犯罪のことを知らない友人に、自分が何をしようとしているのかしっかり教えてやらなければとバーンは心に誓いつつ、ひとつため息をつく。

「……悪いけど、僕はミカヤさんと付き合うつもりはないよ。ミカヤさんを幸せにしたいのなら、マクス自身の手で幸せにしてやりなよ。本当に彼女のことが好きなんだろう?」

「……ああ」

 しっかりとうなずくマクスを見て、バーンは満足そうに笑った。

「……そりゃそうだろうね。なにせ……」

 バーンはマクスの左胸に光るものを、ちらりと見た。

 マクスの着ている長袖シャツの胸に着けられているものは、ロクスベルゼ王国立勇者魔法学校の生徒であることを証明するバッジ。羽のような形をしている小さな細工だが、よくよく見ると恐ろしいほど精巧な造りをしている。

 バッジの中央には、校章が彫られたプレート。マクスのもの……そして、勉強机に放り投げられているバーンのバッジのものも、ブロンズのプレートだった。

「なにせゴールドから、わざわざ彼女と同じブロンズにまでランクを落としたくらいだものね」




 ロクスベルゼ王国立勇者魔法学校の生徒は、ゴールド・シルバー・ブロンズの三つのランクで格付けが成されている。

 入学したその日に受け取る生徒バッジには、まだ中央にプレートが埋め込まれていない。入学してから一年後、試験の結果で判明する成績によって初めて、生徒たちは三つのランクに格付けされ、自らのランクにちなんだプレートをバッジに埋め込むことになる。

 勇者学校設立当初、この三つのランクは単なる三段階の評価基準以外の意味を持っていなかった。

 だが長い勇者学校の歴史の中で、ランクの持つ意味は少しずつ変化していくこととなる。

 まず魔法技術の進歩、そして勇者学校の規模拡大により、設立当初には存在していなかった生徒バッジが誕生した。

 単なる生徒証明だけに留まるはずだったのだが、企画をした者が伊達か酔狂か生徒個人のランクをプレートにしてバッジに埋め込もうと発案し、それがそのまま実現してしまった。

 その影響は冗談では済まず、それまで生徒個人の秘密であったランクが公にされてしまったことにより、勇者学校生徒の間で少なからず格差意識が芽生えてしまう結果となる。ゴールドの生徒は尊敬の対象となり、逆にブロンズの生徒は他人より劣っていると哀れみの目で見られるようになった。

 しかし、国を守る勇者を育てるという勇者学校の目的もあり、目立った問題は起こらなかった。

 勇者たるもの健全な精神を持たなくてはならない。勇者となるため健全な精神をやしなっている生徒たちの間で、成績の差を理由とした差別など起こるはずがない……教員も、生徒も、親や卒業生その他大勢の大人たちは皆そう考えていたし、実際に起こらなかった。――当時までは。

 時が進むと、ロクスベルゼ王国内でエリート主義が台頭するようになる。それが原因だったのだろうか、勇者学校内でも改革を行うべきだという議論が巻き起こるようになった。

 具体的には、ゴールドランクは本当に優れている一部の生徒だけに絞るべきではないか……そしてその生徒には、他の生徒よりも上級な特別な授業を行うべきではないか、という議論。

 エリート主義の蔓延していた当時、この議論はとんとん拍子に話が進み、ゴールドランクの枠縮小が決定された。そしてゴールドランクの生徒は他のランクの生徒と一緒に授業を受けず、さらに高度な特別授業を受けるという形式が生まれ、このシステムは現在まで続くこととなる。

 さらに時を同じくして、貴族たちから勇者学校へ改革の提案が届くようになる。

 自分たちの息子や娘たちが、学校内で一番下のブロンズランクに甘んじている……という状況が我慢ならない一部の貴族たちが、シルバーランクの枠拡大を所望しはじめたのだ。

 一部の貴族たちの中には、勇者学校へ莫大な金額を寄付している家もあり、当初は受け入れない姿勢を見せていた勇者学校側も、度重なる要望を断りきることができず、結局この提案も呑まれることとなった。

 このような改革の結果……勇者学校の生徒の約八割が、シルバーランクに属すこととなる。

 そこそこの成績ではゴールドにあがることはできず、そこそこに成績があればブロンズに落ちることはない。当初綺麗に三分割されていた三つのランクは、現在完全にバランスが崩れてしまっている。

 おかげで、ゴールドランクの生徒はより他の生徒たちから尊敬を集めるようになり、逆にブロンズの生徒たちは嘲笑の対象となった。

 魔王の脅威が去ってから長い長い時が流れ、勇者学校の『国を守る勇者を育てる』という教育目標がだんだんと薄れ始め、過去には起こらなかった格差意識からくるトラブルも、起こり出していた――。

「…………」

 バーンの部屋を後にしたマクスは、まっすぐに自分の部屋へと向かった。

 マクスが学生寮で向かう場所といえば、自分の部屋以外は食堂とお手洗いと大浴室とバーンの部屋くらいだった。他の生徒との関わりは、殆ど無い。

 なんだかんだでバーンとの会話が長引いてしまい、マクスが部屋へと帰ってきた頃にはもう日が暮れかけていた。

 自分の名前『マクス・ローウェル』のネームプレートがかかった部屋の扉を、ポケットから取り出した鍵で開け、部屋の中へとするりと入り扉を閉める。

 カーテンが閉められているせいか、部屋の中は真っ暗だった。薄ぼんやりと家具の形は見えるが、このまま歩けばどこかに足をぶつけてしまいそうだ。

 マクスは右手を横に伸ばす。その先には、電灯のスイッチがあった。

 魔法技術の応用により、魔法を使う才能のないものでも使うことのできる魔法道具は、その登場以降瞬く間に王国内に広がり、いずれ昼と夜の境はなくなってしまうのではないかと噂されている。

 学生寮にももちろん、多くの魔法道具が設置されている。各部屋にある電灯、水道、冷蔵庫、暖房器具などがそれだ。スイッチ一つ押すだけで、もしくは常に自動で動き、人々の生活を豊かなものにしている。

 マクスはそのスイッチを――押さなかった。

 ただ手を右へと伸ばし、人差し指をクイと上へ弾くように動かす。

 途端に、部屋中の明かりがすべて点き、真っ暗だった部屋を明るく照らした。意外なほど整理整頓されている……というより、私物の少ないマクスの部屋が露になる。

 疲れたように首をぐるぐると回しながら、マクスは胸元につけていたバッジを外す。そして適当にポイと放り投げた。

 放り投げられたバッジはそのまま床に転がる……かと思いきや、途中でありえない軌道で曲がりながら宙を進み、部屋の隅に設置された勉強机の上に音もなく、柔らかくストンと落ちた。

「まだサンドイッチが余ってたよな……」

 マクスはどすんとベッドに座り込み、何かを手招きするかのように左手を軽く振る。

 すると、枕元に先ほどまでは間違いなく存在しなかったはずのサンドイッチが、皿と共に現れた。冷えた冷蔵庫の中に保管されていたかのように冷たいサンドイッチは、あまりおいしくなさそうだった。

 皿の上に載った二切れのサンドイッチを、マクスは行儀悪く、ベッドに寝そべりながら無言で食べる。食べ終わると、マクスは再び左手を、今度は追い払うように振る。目の前から皿が消え、流しのほうで水の音と洗剤の泡立つ音が聞こえてきた。

「ゴールドからブロンズへ、か……。確かに俺にしては思い切ったことをしたけど……。結局、仲良くなるどころか話すことすら叶わないんだから意味なかったかもな……」

 水の音が止まり、今度は食器をタオルで拭くキュッキュという音がする。当然、部屋の中にはベッドに寝そべるマクスしかいない。

「まぁ、一緒の授業を受けられるだけでも、充分か……。ゴールドランクにいたら、授業は絶対に別々になってしまうし……」

 いい具合にお腹が膨れたマクスの目蓋が急激に重くなる。一度目を瞑ったら、朝まで起きれなくなりそうだった。

 目蓋が完全に落ちる前に、マクスは上半身を起こす。そして指をぱちりと鳴らす。

 マクスの着ていたシャツとズボンが、いつの間にか寝巻きへと変わっていた。マクスがベッドに入り直して布団をかぶり、夢の中でだけでも彼女と楽しくおしゃべりできないかと願いながらもう一度ぱちりと指を鳴らすと、部屋中を照らしていた電灯が一斉に消えた。

 部屋が暗くなると、マクスはすぐに眠りに落ちた。



 部屋の中でマクスの使った魔法を人々が見たら、おそらくこう言うだろう。

 ――まるで、勇者の奇跡そのもののようだと。

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