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始まり

私、エルフェ・ウルデリッヒは、弟のガルムと両親と下町で暮らしている、ごくごく普通の女の子だった。

少し変わった所があるとすれば、弟は艶やかな黒髪と透き通る白い肌を持ち、薄い唇と宝石と見紛うサファイア色した瞳に、それを縁どる長い睫毛、誰からも天使だと称される程の美少年なのに、私はニキビ肌に太い眉、そして低い鼻…と誰からも注目される事の無い平凡、いやそれ以下の容姿という事だろうか。

勿論血が繋がっている――何度も両親に尋ねたから間違いない―――から、瞳も同じ青色だが、弟に比べたら緑に近くもっと暗い色をしているし、髪も艶も無く癖のある黒髪である。

だからだろう。会う人から、「姉弟なのに全く似てないね」という有り難い感想を頂く事にも、5歳の頃にはもう慣れてしまった。

悩みと言えばそれぐらい。

とてもとてもありふれた普通の家族だった。


事の起こりは私が10歳の時だった。

近隣諸国で起こった戦争に巻き込まれ、両親は死亡、私と弟は命からがら、焼け野原になった故郷から逃げ延びた。

そこからはあちらこちらを転々と移動する毎日だった。

難民という事で疎ましがられ、金もコネも無かった私は、訪れた村でこっそり盗みをし、時には男達に奉仕して―――それでも純潔だけは守り通した―――食べる物を得ていた。

勿論、盗みが見つかった時には、起き上がれなくなるまで殴られたり蹴られたりしていた。

それでも、私は食べ物を得なくてはいけなかった。

全ては、たった一人の弟の為に。

地下に張り巡らされた下水道の一画に居住を構え、日も昇りきらぬうちから私は『稼ぎ』に出て、月が沈んだ頃に戻ってくる。

その生活を繰り返して、4年が経った頃だろうか。

当時の私は15歳になり、ようやく仕事らしい仕事に就く事が出来た。といっても、死体処理や汚物清掃など、誰もがやりたがらない汚れ仕事にしかありつけなかったが。

臭いはきつくて何度体を洗っても死臭は染み付くし、髪からも肥溜めのような臭いが付き纏った。おまけに重い死体やバケツを運ばされる重労働だ。

土木工事や騎士のほうがよっぽど楽なんじゃないか、と思うほど、毎日毎日くたくたに疲れた。

それでも仕事は仕事だ。きちんとお金が出る。

弟には新しい服も、本も、ご馳走も買ってやれた。

喜ぶ弟の笑顔が見られれば、毎日の疲れもどこかへ消えてしまった。

「僕も働く」と弟は口癖のように言っていたが、私は頑として拒絶した。

成長して美しさを増した弟は、通った鼻筋も長い睫毛も、無駄の無く引き締まった体も、どれを取っても一級品のように完璧だった。

そんな彼がこの世界で汚れてしまうのが嫌で、私はどうしても彼を働かせたくなかったのだ。

汚くなるのなら私一人でいい。弟だけは、そのままでいて欲しい。そう思っていたからだ。

…もっとどろどろとした本音を言うなら、彼を見るのは私だけでいい。彼と話すのは私だけでいい。そんな執着にも似た独占欲もあった。

何も弟が見目麗しかったから手元に置きたがったわけではない。

彼は見た目に違わず、素直で愛情深く、また非常に優しかったからだ。

弟と並び立つ度に『醜い娘だ』と噂される私に、「お姉ちゃん綺麗だよ。僕、お姉ちゃんが一番好き」と褒めちぎり、その都度、手を握ってくれた。


その言葉に嘘が無いのが良く分かるエピソードがある。

まだ両親が生きていた頃、村で一番美人と言われていた少女が弟に告白してきたのだ。

その場に居た誰もが、美男美女のカップルが成立するのだと疑わなかった。何せ、彼女には村中の男が恋していると言っても過言ではなかった。老若問わず、引っ切り無しに求婚されるのだから。

当然弟も彼女に夢中だろうと思われていた。

だから、あっさりと告白を断った弟に、皆が大層驚いた。

一番驚いたのは告白した美少女だ。

「何故?何で?」「私が村一番…いいえ、この国一番綺麗なのに」等と行って詰め寄った、

弟は「何を言ってるの?」と天使の笑顔で首をかしげ、続いて「世界で一番綺麗なのは僕のお姉ちゃんだよ」と言い放ち、辺りの空気を一瞬にして凍らせた。

…その後の事はあまり思い出したくは無い。

村一番―――いや国一番か―――の美少女が散々私に嫌がらせをしてきたからだ。彼女のファンを使って苛めてきたり、悪い噂を流したり……

それでも私は嬉しかった。

弟が本心から私を『綺麗』だと思ってくれていたから。


だから、私に唯一優しい弟を誰にも見せたくない、等と言う浅ましくも身勝手な欲望をぶつけてしまったが、優しい弟は私の想いを汲んでくれて、いつも下水道の片隅で家事をし、私を待っていてくれた。


だが、そんな穏やかな日常はある日を境に終わってしまう。

いつものようにパンや林檎を抱えて下水道に下りると、すぐに聞こえる筈の足音がしなかった。それどころか、何の物音も聞こえなかった。

血相を変えて住居内を探したが、弟はどこにも見当たらなかった。

椅子に掛けられたエプロンに、夕ご飯の支度途中であったであろう、鍋と包丁がそのまま俎板に置かれていた。

お金も服も手付かずだったので、強盗が押し入ったわけでも、警察が来たわけでもない事だけは分かる。


―――だが、そうだとしたら弟は一体何処に消えたのか?


いつか弟は帰ってくる。きっといつか帰ってくると自分に言い聞かせていたが、何日、何週間、何ヶ月か経って、ようやく『もう弟は戻ってこない』のだと気がついた。

恐らく、下水道から出ようとして迷ったか、或いは何処かのわき道に落ちて流されたのだろう。

そうして亡くなった者は年に何人か必ず出る。

弟が死んだとは受け入れられず、暫くは泣き暮らして居たが、それでも日々は繰り返し訪れる。

当時の私は生きる希望が全く見出せず、ただ虚ろな日々を繰り返していた。

死のうかと何度も思ったが、結局は勇気が出せずに未遂で終わった。

そんな時、ふと私の頭にぼんやりとした希望が舞い降りてきた。

ガルムは本を読むのが好きだった。

彼は頭が良く、一度読んだ本は殆ど中身を記憶している。だから、少しでもお金に余裕があれば必ず本を買ってきていた。

しかし、例え中古であっても本は高い。

何時だったかガルムが「学術書が読んでみたい」と漏らした事があったが、とても手が出る代物ではなかった。

その本を―――ガルムに贈りたい。

今は亡き弟に、彼が欲しかった本を捧げよう。

それが供養になるとは思わないが、優しい弟の事だ。きっと喜んでくれるだろう。

自己満足な目標ではあったが、それからの私はがむしゃらに働いて働いて、お金を溜める事に日々を費やした。

それが今から5年前の話だ。


「なぁ、知ってるか?」


そうして人々の口から囁かれる噂を耳にしたのは一ヶ月前。

何でも遠い南の地に、500年ぶりに『魔王』が現れたらしい。


―――そもそも魔王とは何か?


この世界では、私達『人間』の他に、『魔人』と呼ばれる種族がいる。

彼等は私達よりも遥かに長い寿命、強い肉体と魔力を持っているが、お互いに生息域を分け、極力関わらないようにしてきた。

その不可侵条約が破られたのは500年前。

突如『魔王』と名乗る魔人が現れ、彼は大勢の魔人を引き連れて次々と人間の住む土地を侵略していった。当初は魔人の持つ圧倒的な力に押されたが、人間達は協力し、中には『勇者』と呼ばれる魔人にも引けを取らない人間が現れたお陰で、辛うじて魔王を打ち倒せたという。

しかしそれも今は昔。

現在では勇者も伝説の中でしか息づいていないし、人間も互いが互いを殺しあうのに忙しい有様だ。

魔王が侵略を仕掛けるのなら今が絶好のタイミングだと思われたが、意外にも魔人達は静かで、以前と変わらない様子である。

しかし放っておけばいずれ脅威になると踏んだ人間側のとある国が、偵察隊を派遣すると宣言した。

勇ましい事は結構だが、つい数年前まで続いていた戦後の片付けやら各国間での緊張による準備やらでどこの国でも全く人手が足りなかった。

結局方々の村や町に「偵察隊募集」のチラシが貼り付けられる事となり、私が住む町にも、至る所に募集のチラシが張り出されていた。

その破格の給与と厚遇に、一目見れば誰しもが色めき立つ。


そして、私もその一人だった。


この偵察隊で働く事が出来れば、今の仕事よりも沢山稼げる。

そうすれば、もっと沢山本が買えるだろう。

だったら善は急げとばかりに、少ない荷物を纏めて町を飛び出した。


首都に構えられた城には、心の準備などする間もないくらい、あっけなく辿り着いた。定期便の馬車に揺られて1時間。赤い屋根の並ぶ街中を通り抜けると、重厚な城が聳え立っていた。度重なる戦争は就職難と貧困を生み出しており、偵察隊志願者は城下町から王城へ続く道に列を成すほど多かった。

これに並ぶのか…とうんざりしたが、本当に辟易するのは門を潜った先からだった。何せ、先頭が見えないのだ。

ぐねぐねと曲がった廊下のお陰で、後どれほど待てば良いのかさっぱり分からない。前後の男達に尋ねても「さあ」という返答しか来なかった。

冷えた廊下にずらりと並ぶ男達。時折話し声はするものの、高い天井に音が吸い込まれていく為か、辺りは静けさに包み込まれていた。

最後尾で待っていた私が呼ばれたのは、城についてかられこれ5時間は過ぎた頃だ。


「名前を聞こう」


いい加減廊下の床板を数えるのにも飽きた辺りで、私は髭面の男にそう聞かれた。

列の突き当たりには明らかに急ごしらえの簡易受付所があった。

木目の浮き出たテーブルには書類が山を作っており、傍らの兵士が几帳面に纏めている。

私が提出した自己紹介書を眺めながら、髭面の男…偵察隊応募受付係は此方をじろりと見やった。

私は顔を上げ、出来るだけ胸を張って答える。


「俺はエル…エルシュ・ウルデリッヒといいます。年は20で、シャーロット出身です」


その回答に疑問を挟む事無く、「よし、向こうへ並べ」と押し出された。

肩まで伸ばしていた艶の無い髪をばっさりと切り、胸にはきつく包帯を巻きつけ、名前もエルフェからエルシュへと変えた私は、今や『男』になっていた。

募集されたのが男だけだったので仕方なくの変装だったが、身体検査されるどころか不信がられずに見逃されたのは有り難いのか悲しいのか。

元より女らしい所など一つも無いので、周りからは『優男』としてあっけなく受け入れられてしまったのだ。

…誰か少しは疑問に思えよ、と内心でいじけたのは此処だけの話だ。


「ほらよ。これがお前の分だ」


豪華な報奨金は報告を持ち帰った後ということで、兵士から渡されたのは当座の資金である幾ばくかの金子と、兵士が身に付ける革の甲冑と剣だった。

この甲冑は二枚の分厚い革を前後に並べ、その隙間に体を入れて保護する形だ。

二枚の革を繋ぐのは同じく革で出来たベルトなのだが、これを調整して体に合わせるらしい。

受け取った志願者達が四苦八苦しながら取り付けているのを眺めつつ、さて私も…と羽織ってみたのだが、これがまた難解な代物だった。何せ片方のベルトを締めるともう片方が緩む。

反対側を締めると、締めた筈の最初のベルトが緩む…といった有様だ。

ちらりと他の人を見れば、一人がベルトを締めている間、別のもう一人が反対側のベルトを押さえている。


(なるほど…誰かに手伝ってもらえばいいのか)


とは思ったものの、この見知らぬ男達の中で私は一人ぼっちだ。

誰かに気安く声を掛ける勇気もないし、声を掛けられる容姿でもない。仕方無くベルトを口にくわえて押さえてみようか…と、ベルトを銜えた時だった。


「おいおい、んなもん食っても美味くねぇぞ」


と、誰かが声を掛けてきた。

ベルトを銜えたままで視線を上げると、そこに居たのはやけに背の高い男だった。

手入れのされていない銀色の髪を無造作に後ろでくくり、所々擦り切れた革の上着を羽織っている。

金色の瞳が目立つ日に焼けた肌で、粗暴な顔つきは歴戦の勇者というより、盗賊か海賊のようだ。

だがナイフで荒削りしたような顔立ちは整っていて、格好をどうにかすれば、そこいらの美丈夫よりも余程美形に見えるだろう。

自分よりも頭二つ分くらいは高い男を見上げながら、私は「ええっと」とベルトから口を離した。

すると、男は目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。

信じられない、といった目付きで私を見つめると、「なんで……」と小さく漏らした。


「あの…何か?」


眺め回されるのに不快感を感じ始めた頃、男は漸く瞬きをした。

薄ら寒い城内にもかかわらず汗をかいており、片腕で乱暴に拭っている。


「あ…あぁ、いや、その、知り合いに似てたもんでな。……で、お、お前さんは何をしてたんだ?」

「えっと、この鎧を着ようと思いまして…」

「なら俺が押えててやるから、お前はそっち引っ張れ」

「あ、はい」


言われて、慌ててベルトを引っ張った。

何度か調整して、ぴったり体に合う事を確認する。


「有難う御座います。貴方のも着けるの手伝いますね」


そう言って男の手元を見るが、何も持って無い。男は手をぶらぶらと揺らしながら、笑い声をあげた。


「俺にはあんなモンいらねぇよ。返って邪魔になる」

「はぁ…」

「お前、名前はなんていうんだ?」

「エ…エルシュ・ウルデリッヒです。シャーロットから来ました」


名乗ると、男はなるほどと言った具合に頷いた。

その目は私を値踏みしているようでもあり、またどこか懐かしいものを見つめるように細めている。


「俺はウル・フォハートだ。フェトルから出てきた」


フェトルとは、私の住んでいたシャーロットより二つ山を越えた所にある町だ。農耕が盛んで、特に小麦を最も多く産出している。

農作業をするウルを脳内で想像してみると、違和感無く収まった。農家の次男か三男という、跡継ぎでもない男が富と名声―――あるいは刺激―――を求めて偵察隊に志願してくる、というのは有得ない話ではない。

盗賊などに例えて悪かったと心中で詫びつつ、ウルと共に別途案内された場所へ向かう。

少しばかり広いホールに集められた私達は、そこでいくつかのチームに分けられる事となった。

一、二、三…と合計三十にも分けられたチームだったが、見れば偵察者の身長や体格、経験を考慮して、それぞれのチームの戦力差が均一になるように割り振られているらしかった。

奇遇にも私とウルは同じチームになった。


「改めて宜しくお願いしますね」

「おう。此方こそ宜しく」


ウルに握手を求めると、がっしりとした暖かい手が力強く握り返してきた。

うーん。これぐらいの筋力が私にも欲しい。

仕事で鍛えたとはいえ、所詮は女性だ。付けられる筋力にも限界がある。

思わずまじまじとウルの手を見つめていると、「どうした?」と尋ねられた。

慌てて手を離すと、ウルが離れた私の手を再び掴んだ。


「ひっ!?」

「まぁいいじゃねぇか。どうせ同じチームなんだからよ」


そう言いながら、彼の頬は緩んでいる。

…これ絶対からかわれてるんだよね? というか遊ばれてるよね?

偵察隊の中でも少々目立つくらい小柄な私は、ウルからしてみれば子供に見えるに違いない。これでも20歳の立派な成人なのだが。

結局、何度も頼み込んで手を放してもらうまで、私の手はずっと彼に握られたままだった。

取りあえず書き溜めてあるところまでまったり更新します。

初心者の為、時々編集したり削除したりするかもしれませんが、ご容赦下さい。

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