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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
8/139

008


しかしこれはチャンスだ。


「おっちゃん」

「”お兄さん”」

「お、お兄さん…名前は?」

「五代才助だ」

「私は”後藤怜”や」(まだ”友厚”ちゃうんや)


五代友厚はこの時二十五歳。”友厚”と名乗るようになるのは明治を過ぎてからだ。


「大坂の人ちゃうやろ?もしかしたら旅人さん?」

怜はわざととぼけてみせた。

「まあ、そんなとこかな」

「ほんなら船のことよう知っとるやろ?教えて!私、肥後に行きたいねん!」

「肥後?なんでまたそんな遠い場所に?」

「生き別れのお母ちゃんがおるんや、、」


怜は女優のごとく目を細め、遠くの空を見つめた。


「、、、そういうことだったのか」

「え?」

「だからあの親子が放っておけなかったのか。なるほど」


五代は伝い落ちる涙を拭きもせず、にこりと笑みを浮かべた。


(ええ人過ぎる)


しかし怜に嘘をついた罪悪感などなかった。頭の中は航海のことでいっばいなのだ。


「よし。力になるよ。とりあえず俺の部屋においで。さっきの数の種明かしも聞きたいし」

「おおきに五代君!」

「(五代君!?)」


怜に希望の光が差し込んだのは言うまでもない。五代友厚は勝海舟や坂本龍馬、高杉晋作らとも交流があり、また今は亡き、薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)からもその才を認められ、将来を嘱望(しょくぼう)されていたからだ。だがもっとも注目しているのは、長崎海軍伝習所で航海術を学んだとされる点だ。もしかしら乗れそうな船を紹介してもらえるかもと期待に胸を膨らませたのだった。


(いや、待てよ。もしかして、、)


五「君の為に船を一隻用意した。その名も”タイタニック号”」

怜「ジャック」

五「ローズ」



なーんてな!うへへ!)



「(ニヤニヤと気持ち悪い子どもだな)」


◇◇◇◇◇◇◇◇



『天満屋』と屋号の掲げられた旅籠屋に着くと、仲居がすり足で五代の元へやって来た。


「おかえりなさい」

「ただいま。お茶を頼みます」

「直ぐに用意します」


仲居はちらりと怜を見て、またすり足で廊下を戻っていった。


「さあ、入って入って。貰い物の菓子があるんだ」

「了解!」

(あの仲居、五代友厚に惚れとるな…)


いわゆる女の勘である。確かにモテそうな色男だと怜は思った。女が放っておかないタイプだ。


「お兄さん、結婚しとるん?」

「いや。まだ独身だ」

「ふーん」

「でも許嫁はいるよ」

「へえ」


大方、藩命とかその類いなんだろう。顔も知らない人と結婚するなど当たり前の世界だ。もちろんいくら女を囲っても、平成とは違いそんなに非難されることはないし、妾と本妻が同居する家庭も存在する。とはいえ一般庶民には無縁ではあるが。


「で、さっきの話の続きだけど、一人で行くつもりなのか?」

「もちろん。これも修行や」

「修行って、まだ小さいのに」

「五代君」

「は、はい?」

「歳は関係ない。成し遂げたいという”意思”が固まった時が勝負なんや。つまりな?行動するかせんかで人間決まるねん。わかる?」


一瞬呆気に取られた五代であったが、直ぐに声をあげて笑い出した。


「なるほどね。確かにそうだ。それにしてもあのからくりは面白い。誰に教えてもらったんだ?」

「誰って、、、」(テレビでとは言えんし)


悩みあぐねていると、五代の顔がパッと明るくなった。


「まさか自分で!?」

「あのなあ、別に難しいことちゃうやろ?考えたらわかるやん。三つの数を入れ替えた時、十の位は変わらんやろ?ということは一の位を引き算する時、絶対に十の位から借りなあかんねん。ほんで一の位の答えと百の位の数足したら必ず”九”になるんや。何でか言うたら、最初の真ん中の数は一の位に貸してるから1だけ減ってるやろ?だからや」

「へえ、、、」

「ーーそんで最後の足し算したら、あの”1089”という数が出てくるのは、至極当然の結果やねん」


怜はひと息ついて茶を啜った。まるで自分が考案したかのように言うが、あくまでもテレビの影響である。


「全く近頃の若いもんは”考える”っちゅうことを知らん。いや”探究心”がないんや。その点五代君は見込みがあるな。それでええんや。わからんことは何でも誰でも聞いた方がええ。そやけど行動する時は自分の頭で、自分の足で、自分の身体で行動することが大事や」

「本当の、本当に子ども?」

「見てと通りれっきとした子どもや。いや、そんなことはもうええねん。それより船の話なんやけど」


五代はウンウンと頷いて怜の肩を叩いた。


「わかっているよ。人の助けも借りず、自分の力で海を渡りたいと言いたいんだろう?」

「え!?」

「明日、天保山まで送るよ。それからは自分の力でやり遂げてみるといい。大丈夫。君なら出来る!」

「ちょ!?」

「いやあ!今日は良い一日だったよハハハ」


(やってもたーーっ!!)



あとの祭りであった。



◇◇◇◇◇◇◇



天保山は人工の山である。

大坂湾から市中へは淀川が流れているが、大型船を入港しやすくする為に、三十年ほど前に淀川の土砂などを取り去る浚渫(しゅんせつ)工事が行われた。その大量に出た土砂が河口付近に積み上げられて出来たのがこの天保山。その高さは約20メートル言われているが、未来での標高は僅か4.53メートルしかなく、日本で二番目に低い山として知られている。


怜の前に現れた天保山は10メートルほどの高さで、周囲は何やら作業をしている男達で溢れている。


「あれ、何しとるん?」

「砲台を建設しているんだよ」

「何の為に?」

「オロシヤからの防衛策だろ。数年前に軍艦が大坂湾に来たことがあったんだ」


オロシヤとはロシアのことである。この当時、人々はイギリスを「エゲレス」アメリカを「メリケン」ロシアを「オロシヤ」と呼んでいた。


怜は「ああ」と納得し「プチャーチンか」と呟いた。


「良く知ってるね。やはり君は他の子どもとは違う」

「一緒や。瓦版で見ただけやから」


プチャーチンはロシアの海軍軍人である。

この頃の欧米諸国は、アジア進出の真っ只中であり、アメリカがそれらを出し抜いて日本と真っ先に条約を結んだことに、他国は遅れを取ってはならないと、次々に来航していた。ロシアもその一つであり、その交渉人がプチャーチンだったのだ。


「日本も大変やね」

「怜は開国派か攘夷派か、どっちだ?」

「そりゃ開国派やわ。今んところ」

「ほう……」

「日本は弱い。今のままやったら他所の国には勝たれへん。その為には開国止む無しやろ」

「私も同じだな」


五代は怜の頭をクシャクシャとして、停泊する船を指差した。


「あの船は蝦夷行きだ。馬関から日本海を西廻りで運航する船だから間違えて乗るなよ?向こうの船も江戸行きだから駄目だ」

「肥後行きは?」

「多分あの帆船だと思うんだが、あの男に聞いてみよう」


五代はそう言うと、怜の手を引いて歩き出した。

物珍しげに周囲を観察していた怜だったが、後方に良く知る顔を見つけて、足を止めた。


「兄ちゃん、、」


人ゴミの向こうに三男の姿があった。

平均身長よりやや高い三男は、良くも悪くも目立つ存在である。しかし怜にはまだ気づいていないようだ。


(こんなに私のこと心配して、、、そやけどなかなかしつこいな)


三男は数人の若衆に指示を出し、自分はその場に留まっていた。周囲を見る厳しい目は鬼のようである。怜は三男が待ち伏せしていることに気づいてニヤリとした。


(なるほど。あの船が肥後行きか、、)


「五代君、私もう行くわ」

「えっ」

「あの船がそうみたいや」

「そうなんだ。じゃあそこまで送るよ」


五代の陰に隠れて三男の横を素通りした怜であったが、ここへきて一番の問題に直面した。


「満員!?」

「長州行きの船を探そうか、それとも」


ここまで来てまさか定員オーバーとは思わなかった。シュンとする怜を五代が覗き込むように見た。


「次の便は昼過ぎらしい。それまでここで待つか?」

「次の便か、、、」


しかし三男のことだ。きっとそれも見通してここで探し続けるかもしれない。そうなれば捕らえられるのは時間の問題だ。


「船賃を大目に用意出来れば無理やりでも行けないことはないかも」

「いくらくらい?」

「うーむ。二両くらい払えば乗せてくれるんじゃない?」

「二両!??」


いくらなんでも高すぎる。

五代は金銭感覚がないのではないだろうか、と失礼なこと考えつつ怜はもう一度三男の方を見た。


「あ、、」


ところがその瞬間、ばっちり目が合ってしまった。


「ーーーー怜っ!!」


(やばい、、金を惜しんでる場合やないわ)


人波を掻き分けて三男が近付いてくる。それを目の端で捉えながら、五代に視線を移した。


「五代君!色々おおきに!後は自分で何とかするわ!」

「え、でも」

「大丈夫や!」


その時、五代の後ろを大きな荷物を積んだ大八車が数台通り過ぎた。怜は「しめた!」と言わんばかりにそれを追いかける。


「怜、待っ」

「また今度!」

「ちょっ」


大八車に横付けするようにピタリと身体を寄せ、そのまま速度を速めて一番先頭まで行く。しかし辿り着いた先の船は肥後行きでは無く、薩摩行きの船であった。


(薩摩か、、、まあええわ)


大八車から積荷を運び出す労働者は、エイサホイサとバケツリレーのように次々と船へと積み込んでいく。後方に積み上げられた積荷の影に隠れていた怜は、そっと顔を出すと前方に三男の姿を見て、また頭をひっ込めた。




「五歳の子ども?」

「はい。この船に乗っていませんか?」

「子どもねえ」


一人の船員が腕組みをすると、もう一人の船員が「あ!」と思い出したように手を叩く。


「さっきのあの子どもじゃないですか?」

「ああ、あれはまだ三歳くらいじゃないか?父親が抱っこしていたし」

「、、、じゃあ、私の兄妹とは違いますね」


三男は肩を落とし「お手数おかけしてすみません」と一礼し、踵を返してこちらへと近付いてきた。



(やばい!一刻の猶予もないやん)


「急げ!もう直ぐ出航時刻だ!」



船員の怒鳴り声が響く。

怜は荷物袋を地面に置き、積載された丈夫そうな木箱の一つを開けた。見れば縄や(むしろ)が入っている。周囲が目を離した隙にそれらを全て放り出し、荷物袋をエイッと放り込むと、自分もその中へと飛び込んだのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



怜が隠れた木箱は船体の後方に積まれていた。

その後直ぐに出航の汽笛が響くと、ゆっくりとその船体が動き出す。


怜は密航者という立場も忘れ、藁籠の中で興奮気味であった。実のところ「いちこ」の時も航海は経験したことがないのである。


しかしその興奮も直ぐ消沈してしまう。三十石船に乗った時はさほど感じなかったが、海は全くそれとは違い、波の揺れが直接身体に伝わるような感覚だったのだ。


しばらくすると、遠くで水夫らしき男の嘆きが聞こえてきた。怜は耳を澄ませてそれに聞き入った。


「おい新入り!もう船酔いか!」

「だ、だ、大丈夫っす…」


若い男のようである。

確かに揺れは酷いが酔うほどでもない。それは怜の生まれ持つ体質のせいかもしれないが、それよりもこの暑さの方がつらかった。


通気性の良い藁籠ではあるが、やはりカンカンと照りつける夏の太陽は、子どもの身体には堪える。加えて水もないのだ。怜は早く外に出たくて仕方がなかった。


「土佐までもたんのちゃうか?」

「い、いえ大丈夫っす」


この船は、天保山から土佐を経由して薩摩に入る商船だった。水夫らの話から土佐まで二日、薩摩まで三日。合計五日かかるようだった。


(、、、水、持ってくればよかった)


怜は汗だくになりながら小さな身体を横に丸めて目を閉じる。揺れは気になるものの、横になれば半減した。そしていつの間にか眠りにつき、次に起きた時、外は真っ暗になっていた。


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