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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
77/139

077


「おお…」


有明海を眺めながら、ゆっくりと進み行く小ぶりの和船。真っ白な帆が堂々と朝日に輝き、その美しさは言葉では言い表せないほどであった。


「まるで私の心の様や…」


怜は図々しくもきっぱり表明した。


「真に」

「……」


同意したのは中村のみである。


長崎を出発した三人は薩摩を目指して南下中であった。小曾根の好意で船まで用意してもらったのである。


上海視察の件はあの話し合いの後、トントン拍子に事が進んで、後は五代と小曾根、グラバーの三人で綿密な計画が進められた。よって怜は完全に蚊帳の外状態だったが、自分の役割を果たし、尚且つ五代及び薩摩藩に恩を売った形に満足しきりであり、あとは”見返り”が守られれば結果満足なわけで、逆に気分爽快だったりする。


「しかし……本当に上海に行く気はないのかい?」


五代はまだ諦められずにいた。

渡航出来ることになったのは喜ばしいが、怜も来てくれたら心強いことこの上ないからである。


「身体が二つあったら良かったんやけどね。ま、代わりに色々見てきてな?ほんで何かええもんあったら持って帰ってきて」


五代は溜め息をついた。


「本当に西瓜のことしか頭にないんだね」

「うん」


当たり前である。

この子供の頭の中は、西瓜と金にまみれて眠る自分の姿しかないのだ。しかし考えなければならない事案も多数あるのも事実である。今、江戸の政治がどう動いているのか怜は知らない。遠く離れた地では情報伝達が遅く、今朝の瓦版でさえ数日前、数週間前の出来事の時もあるのだ。


けれど、怜の心の内は従来通りだった。


「……ま、なんとかなるやろ」

「ん?何か言ったかい?」

「ううん。何も」


しかし、この時怜はまだ気付いていなかった。一人の男が密かに裏で動いていることをーーー



◇◇◇◇◇◇◇



長州・白石邸


夕刻を過ぎた頃、藩庁から戻った久坂は大股で廊下を横切り、襖を開けるや否や大声を張り上げた。


「高杉!上海に行くというのは真か!」

「おお、久坂。久しぶり」

「桂さん!?帰っていたのですか!」

「今朝方にね」


江戸から帰郷したばかりの桂は、少々疲れた顔をしていたものの、声の張りは以前と変わらぬ明るさだった。二人は向かい合うように座り、久坂は桂に促されて高杉の隣に鎮座した。


「ちょうど今その話をしていたところだ」

「では、上海行きは真と…」

「実は幕府の方から声がかかったんだ」

「幕府から?」


長州藩はいわゆる”開国・公武合体”を謳う航海遠略策の方針である。(前述)


欧米と対等するための通商国家にするのが目的であり、すなわち幕府健在を前置きとしている。またそれには”長州が政局を動かす”という野望をも含んでいた。


「佐賀や他の藩からも数人行くという話だ。悪い話じゃないだろう」


桂の思想そのものは尊王攘夷だが、二人に比べると”穏健派”であり、いずれ藩政を掌握したいと考えている彼にとって、長井雅楽暗殺計画を企む両者過激派に、今勝手に動かれては元も子もないという考えがあった。


そこで航海遠略策の見返りとして、正式に幕府より上海行き参加の話を持ち込まれたのを機に、高杉を推薦したのである。


「それに高杉。お前外国に行きたかったんだろう?良い機会じゃないか」

「待って下さい桂さん。それは幕府の役人として行くということですか?」


久坂は高杉が口を開く前に割り込んだ。


「いや、あくまで幕府は正史。此方はただの随行員だ」

「随行員!?では幕府の付添いと!!」

「ま、まあ……」


桂は黙り込む高杉をちらりと見た。

プライドの高さでは久坂と並んで名高い高杉。更には幕府嫌いのこの男。


「なんたる侮辱…」


自分のことではないのに、何故か久坂が憎々しげに歯噛みした。


「桂さん」

「ですよねー!行くわけないですよねー!ごめんごめん!」


桂は高杉の拳が硬く握られている見て、冷や汗を掻きつつ立ち上がる。


「この話は無かったことに…」


ドンッと長卓が音を立てた。


「ヒッ!」


高杉は不気味な笑みで桂を見た。

そして一言…………



「行く!!」



ここに、高杉晋作の上海視察が決定した。



◇◇◇◇◇◇◇



馬関港


揚々と長州をあとにする高杉。

目指すは長崎である。


長崎には幕府船”千歳丸”が碇泊しており、随分前から出航の為の整備、点検等を行なっている。実際出航日というのは予定でしかなく、日々の天候や海況を見てそれを予知しその結果出航の判断が下されるのだ。


とは言ってもまだ予定出航日よりだいぶ早い段階で、実際乗船は確約されているものの、出航には様々な手続きが必要なので指示があるまで長崎に逗留しなければならないのである。


「気を…つけていく…んだぞ」

「おう!土産待ってろよ(泣くなよ)」


久坂の心配をよそに、高杉は上機嫌であった。何故なら彼は上海で確認したいことがあったのだ。それは10年前から始まり約13年間も続いた、清朝対太平天国との戦い、所謂”太平天国の乱”をこの目で見たかったのである。


「高杉。くれぐれも気をつけるようにな」

「桂さん。軍艦買ってくるから楽しみにしててよ」

「えっ」(そーゆーのいいから).


藩から用意された船”森友号”に乗り込んだ高杉は、陸で一列に立ち並ぶ仲間に手を振る。桂以外はほとんど号泣の一種独特な雰囲気だった。


「高杉ーーーっ」


高杉はフッと笑みを漏らした。


「ったく…」


”仲間って最高だぜ”と思わず感動した彼だったがーー


「高杉ィがんばれー!!高杉ィがんばれー!!”上海渡航”良かったです!!!」



「みんな……(何言ってんの…)」



船は無言のまま、少しずつ港を離れていった。



◇◇◇◇◇◇◇



東シナ海を突き進む和船は、羽島浜中港を通り過ぎ、更に南西へと進行すると、深夜”串木野港”へ到着した。


怜達一行はそこで一泊した後、明朝薩摩城下・小松邸を目指して街道を歩く。


もう目と鼻の先である。


春の訪れを感じさせる空は、怜の再来を喜ぶかのように陽気的で、風は少々強かったものの、怜にとってはそれすら心地良かった。


「あ、きた」


怜は前方の遠く彼方を指差した。

釣られるように二人もそれを見たが、何の変哲もない、いつもの空である。


「二人とも目ェ悪いん?」

「むしろ良い方でござる」

「私も…」


単に怜が良過ぎるだけなのだ。

前世(未来)では両目共に2.0だった彼女だが、実は自称4.0である。いわゆる視力測定が2.0までしかなかったゆえにそれ以上は計測出来なかったのだ。そこで怜は自ら視力測定表を作成した。(手書きで)


その結果4.0だと判明したのである。何のためにそんな面倒臭いことをしたのかというと、特に意味はなかった。


「鈴木くーーーん!!」


怜は何も見えぬ空に向かって、ぴょんぴょんと飛びながら手を振る。


「鈴木?……それはこの前言っていた怜の片腕の?」

「そうそう。私の仲間やよ。小松君とこで待たせとったんよ」

「ほう。そうだったのか」


五代は街道の遥か先にその姿を探しながら目を細める。しかし現れたのは黒い点が一つのみで、人のそれではなかった。


「なんだアレは」


真っ直ぐこちらへ飛行する物体。

徐々に鮮明な姿を現わす。茶や赤、黒などが混じった均等性のない風体。頭部は平べったく、裂けたような嘴を保有している。しかしそこから発せられる声は、思いのほか可愛らしいものであった。


「キョォオォオオォ!」


怜は走り出した。まるで愛しい恋人に再会した乙女のように、なりふり構わず、全速力で…………


「鈴木君!」

「キョォン」


抱き締め合う二人。

五代と中村は目が点である。


「紹介するわ。この子は”鈴木君”

薩摩男前ランキング、堂々1位のイケメン夜鷹や」

「キョキョ!」



おめでとう。鈴木君。



◇◇◇◇◇◇◇



遅れること10分。

小松の使いの者(3名)が怜達の前に現れた頃には、屋敷からほんの500メートル地点であり、勝手に先へ飛んでいってしまった夜鷹を探し回った所為で、皆一様にぐったり疲れ切っていたのは言うまでもない。



「あ!!」


両手を広げて門前に立つ男。

その名は小松帯刀。彼は期待していた。久方ぶりに会う少女が「小松くぅ~ん」などと満面の笑みで己に抱き付いてくれることを。


「怜ーーーー」


しかし


「小松君。”通せんぼ”とか大人気なさ過ぎやろ」


全く伝わらなかった。

小松の腕をすり抜けて、振り返った怜の表情は何とも不敵な笑みである。


「早速やけど」


再会の喜びなど無きに等しく、少しばかり背が伸びた怜に「大きくなったね」と発する暇もないまま、彼女の一言に空気ががらりと変化した。


「板硝子を作ってほしいねん」


小松にしてみれば冗談にしか聞こえなかった。怜が懐から差し出した図面は、およそ見たこともない代物で、小屋のような簡素な骨組みに、馬鹿でかい硝子を示す斜線が大雑把に引かれただけである。


「硝子?…えー…と、鈴木君」

「キョ?」


小松は混乱している。

混乱しているがゆえに、一先ず確認することを選択した。


「キミから聞いた話とは違うのだが…」


実は鈴木君。怜が薩摩に来る理由を小松に問われた時、適当に返事をしていたのだ。おそらくよく理解していなかったか、或いは話を半分にしか聞いていなかったのかもしれない。ともかく、鈴木君にとってそれほど重要ではなかったのである。


「鈴木君から何て聞いたん?」

「怜が”からすを所望している”と私は聞いていたんだが…」

「からすゥゥ!?」


怜は素っ頓狂な声を上げ、途端その場で笑い転げた。


「間違いないわ。鈴木君にとっては”からす”も”硝子”も似たようなもんや。ねー!」

「キョー!」

「れ、怜。しかし硝子というものはそう簡単に作れるものではないんだよ。ましてやこんな大きな平面硝子を製造する技術は、我が藩…いや日本中探しても無いだろう」

「けど実際エゲレスでも既に製造されとるわけやし、ちょっとした工夫一つで日本も作れるやろ?」

「く、工夫?」

「”円筒法”やん。知らんの?」

「欧州でそういった技法があると聞いたことはあるが、ここ日本では現状輸入に頼る有様だからね」

「そういうのはさっさと取り入れて国産化させなあかん。だから足元見られてぼったくられるんよ」


怜が溜め息をつくと、五代が食いつく様に前のめりになった。


「その”円筒法”とは一体どんな技法なんだい!?」

「五代…?」

「あー、つまりー、円筒形に吹いた硝子を切り開いて平面にするやり方やよ」

「切り開く……」

「そう。切り開く。パッカーンと」


怜は左手に空気を持ち、右手で手刀を振り上げた。


「……パッカーン」

「そう。パッカーン」

「パッカーン……」

「五代…?」


キラキラした目で怜を見つめる五代とは反対に、その隣の小松は否定するように首を横に振った。


「怜。それは相当な技術無しでは難しいだろうね」

「確かに簡単やない。重労働やし、大きさにも限界がある。何せ”人”の吹く力が鍵やから」


そう言った後、怜は大袈裟に顔を引き締めた。


「けど大丈夫!薩摩人やったら出来る!……いや!薩摩隼人に出来んことなんてこの世に何一つないんや!」


高らかと宣言する6歳の子供を前に、小松は顔を引きつらせる。しかし五代は釣られて「おー!」とばかりに拳を突き上げ、中村に至っては感動の余り畳に突っ伏して号泣し出した。


「な、中村……?」


小松は焦った。

中村がいつの間にか怜という少女に傾倒している現実。加えて怜には人をその気にさせる力があり、たった今、五代が飲み込まれていくのを目の当たりにしたからだ。



「お茶をお持ち致しました」

「キョキョ」(入りなさい)

「失礼致します」

「ほぇえ~~」


堂々とした夜鷹の振舞いに、怜は感嘆の声を上げる。”もうこの屋敷は小松家ではない。鈴木家なのだと言わんばかりの雰囲気がそこにあった。


「鈴木君すごーい!!」

「キョ?」(やろ?)

「さすが私の相棒や!」

「キョキョン」

「再会の印に今から伊勢海老買いに行く?」

「キョオォオオォ」


きゃあきゃあとお祭り騒ぎの二人。

出された白湯を一気に飲み干した怜は、即座に立ち上がり襖に手をかけた。


「行ってきまーす!」

「ま、待ちなさい」


何度でも言おう。

振り返ったその表情は、あどけない6歳の子供。どこにでもいる普通の少女である。


「怜、私は」

「薩摩藩に拒否権は無い。これはれっきとした契約なんやから」


裏の顔は全くの別物であった。



「な?五代君」




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