075
「それは、……その件は、小松さんも知っているのか?」
「まさか。だってさっき思いついたんやもん」
「えっ」
五代をハァアと深い溜息をついた。
「怜は異国に行きたいと思わないの?」
「異国?」
「例えばアメリカとかロシアとか上海とか」
「エゲレスかフランスは行ってみたいけど、他は興味ないな。まあでも私が”外”に行くことは一生ないね」
「どうして?」
「だって面倒やろ?何週間、何ヵ月もかけて行かなあかんし、時には海賊に襲われる可能性も無きにしもあらずやし」
「しかし君はいずれ、異国との取引をしようとしているんだろう?」
「それは私やなくても出来るやろ。勿論そのためには人を育てなあかんけど。まあ幸い私は顔だけは広いからその辺はどうとでもなる。それに、鈴木君と佐藤君もおるし」
鳥と猪が”交渉人”として相手側と意思疎通出来るか全くもって疑問だ。しかし五代はあの二人を知らないので、「ほう…怜には片腕がいるのか」くらいにしか思わなかった。
「で、でも一度くらい行ってみたらいいんじゃないかな。勉強になると思うよ?」
「勉強なんて(前世で)いっぱいしたし。私には必要無いわ」
ピシャリと言い切った怜に、五代は静かに口を開く。
「実は私が長崎にいる本当の理由は、藩から舟奉行副役の辞令が下ってね、だからここに常勤しているんだ」
「ふーん」
怜は全く興味無さげに巾着から包みを取り出した。昼間シーボルトから貰った西瓜の種である。量はほんの20粒ほどだが、怜にとっては貴重な宝物だ。
「九州って、大坂や江戸と違って春になるのも早いよね」
「……」
五代は怜の興味が他に移ったことを察した。とまあ、子供というのは大体そういう生き物だ。たった今話していた話題ですら、一瞬で過去の産物になってしまう。
「と、なると種を植える時期はやっぱ3月くらいかな」
「どうだろうね。私にはさっぱり……」
「いや待てよ、半分ずつ分けて植えてもええな。……あー、でも少な過ぎるなぁ。ま、最初やからしゃーないか……」
怜は小さな種を10粒ずつ分け始めた。
「というか、現地に行けば沢山あるんじゃないか? わざわざグラバーさんに頼まなくても」
「現地?」
「そう。異国に行って直接手に入れるのも”あり”だろう?」
「あー、そっか……確かに…」
怜はコクコクと頷いて一瞬目を閉じた後、ハッと我に返った。
「おかしい……」
「え?」
「五代君。いつもと違う」
「ど、どこが…」
怜はまじまじと五代を見て、すっくと立ち上がった。
「やたら異国を語る男。その名は”五代才助”……ドン率5%のイケメン男子……」
「ななにそれ…」
「……もしかして五代君、渡航する気?」
五代はギクリと肩を揺らした。
「嘘を付けない男。その名は”五代才助”……薩摩藩番付では堂々の3位に君臨する男前。大坂新町(花街)でのモテっぷりは後世にまで語り継がれるほど…」
「やめて!」
怜はまたもその場に座すると、ニッと笑みを浮かべた。
「藩令で長崎におる言うたよね。もしかして渡航する為?」
「ま、まあ……そういうことだ」
「何の為に?」
「それは、ほら、海外をこの目で見て…」
「……それだけやないやろ?そういや、さっき舟奉行が何たら言うたな。……てことは、まさか」
五代は更に深い溜息をつき、”お手上げ”といった調子で胡座をかいた。
「外国船を購入する予定なんだ」
五代は海外事情に詳しい人物と接触し、その話の中で洋式蒸気船購入の必要性を感じ、藩に訴えたという。近頃それが認められて、その役目を任されたのだ。
「ふーん。そうなん」
「幕府の船が上海へ渡ることが決まったんだ。それに便乗しようと思ってるんだが……怜?」
怜はさっさと種を巾着にしまい込むと、”聞きたくない”とばかりに一番端の布団へ潜り込んだ。
「寝る」
「怜!ちょっとまだ話が」
「どうせ”お金貸して”やろ。無理!」
「おぉ…なんと薩摩隼人とあろう者が、子供に金を借りようなどと不届き千万」
今なら言える。
それは絶対に無い。
「ち、違う違う!!そうじゃ無い!」
五代は四つん這いで怜の元までにじり寄り、畳に額を擦り付けるほど頭を下げた。
「一緒に上海に行かないか!?」
怜はがばりと起き上がった。
「……小松君に命令されたん?」
「いや、私の一存だ」
「ふーん」
怜は勢い良く布団に潜り込んだ。
「行けへん!!」
「お願い!」
「いやや!」
「頼む!」
「無理!!」
「しつこい男は嫌われますぞ。五代殿」
「……くっ」
しばらく押し問答が繰り広げられたが、そう簡単に諦め切れない五代は、その後も何かと好条件を提示したのだが、結局色良い返事は得られなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
次の日、怜達は長崎新地に来ていた。そこは今で言う横浜・神戸にならぶ日本三大中華街の1つである。
元々は唐人屋敷と呼ばれる中国人居住区があったが、鎖国が無くなりつつある日本において、特に幕領地である長崎では、港が国際解放されたのをきっかけに過疎化し、隣接する海岸近くのここ新地に、新しく形成されようとしていた。
「壺か」
怜は陶磁器を扱う小さな焼き物店の前で立ち止まった。
「こレはこレはお目が高いアルネ」
店主と思わしき男は、小太りの中国人である。にやけた顔が癪に触ったが、怜は一先ず我慢した。
「こレは元時代の陶器アルネ。目の粗さが何とも風情を醸し出しているアルヨ」
「ふーん」
「手に取ってよく見るヨロシ」
怜は言われるままにそれを手に取った。
小さな壺は薄い朱の艶を出しているが、店主の言う通り、よく近付いて観察すれば、表面は赤黒い土のブツブツ感が見て取れる。
「成る程。”思春期の少年壺”ってやつやな」
「…意味がわからないアル」
「若かりし頃のアンタや」
「こ、この壺が……我アルか…」
「つまり”出来損ない”っちゅうこと。さあ次行こ」
五代はたらりと汗が伝うのを感じた。
しかし店主は怜の発言がよくわからなかったようで、手のひらに空気辞書を引きながらぶつぶつと考え込んでいる。
「お嬢、あちらにも骨董屋が……」
中村が指した方を見ると、ほんの数メートル向かいにも同じような焼き物の店がある。怜は半ば走り込むようにその店の前に立った。
「いらさいアル~」
こちらの店主は、辮髪にひょろりとした痩身で、顔立ちは面長、糸目、そして中国人特有のどじょう髭を生やした50代の男であった。辮髪とは、頭髪の一部を残して剃り、残りは三編みにした髪型である。また”どじょう髭”は、口の両脇に長く垂れ流した口髭を指し、いわゆるあの”ラーメ◯マン”そのものであった。唯一違うところを挙げるとすれば、額に”中”の文字が無いだけだ。
「どんなモノを探してるアルカ~」
「小壺や。こんくらいのな」
怜は両手で大きさを表した。
大体縦15センチ横10センチほどだろうか。それを見たラーメ◯マンはウンウンと頷くと店の奥に消えて、直ぐまた戻ってきた。
「これは龍泉窯の青磁茶壺アルヨ。明の時代に造られた珍しい壺アル」
「ふーん」
ラー◯ンマンから茶壺を受け取った怜は、それを丹念にチェックし始めた。滑らかな曲線を描いた、どちらかと言えば可愛らしい壺である。小さな取っ手の付いた蓋も有り、これに西瓜糖を入れたら、さぞかし青磁の緑に映えて綺麗な色合いになるだろうと思った。
「おおまけにまけて、20両アル」
「20両か。20文やったら買うたったのに」
「にに、20文はあり得ないアル!」
「そうやな。よくよく考えたら、せいぜい2文がええとこや」
怜はポイッと茶壺を放り投げた。
「な、な、な、!?何するアルカ!割れたら弁償してもらうアルヨ!!」
慌ててキャッチするラーメン◯ン。
しかし怜は冷めた目つきで彼を睨み付けた。
「偽物でも、もちょっとマシな物売った方がええよ」
「に、偽物…?」
怜は同情の目をラーメ◯マン向ける。
「よく見たら造形も甘いし、明時代どころか最近造られたもんやろ」
「子供に何がわかるアルカ!知ったかぶりはよくないアル!」
「知ったかぶり?」
怜は口元に手をやって「くく…」と笑った。
「ほんなら逆に聞かせてもらおか。どこをどうして”本物”と言い切れるんか」
先ずこちら側から疑問を呈するのは不利である。この手の類いには、先に吐かせ、主導権を握り続けることが大事であり、更に意表を突いて相手の詭弁を崩すのが有利なのだ。
「裏を見ればわかるアル!」
ラーメ◯マンは鼻息荒く眉根を寄せると、茶壺をひっくり返して、「ドヤ」とばかりに怜の目の前に突き出した。
「この窯印を見るアルヨロシ!大清乾隆年製の銘款があるアル!まさに官窯品の証拠アルヨ!」
確かにそれっぽい感じで窯印が施されているが、怜は驚きもせず口を開いた。
「さっき明の時代に造られた言うたよね?大清乾隆って清やろ。つまり最近やん」
「話にならないアル。大清乾隆は明の時代にも造られているアルヨ」
フフンと口角を上げ、長ったらしい口髭を指で巻き付けるラー◯ンマン。手を解いた瞬間、クルルルルと巻き髭になった。
「若い女を敵に回したな。コテ無しで巻き髪(髭)作るなんて天パ以外無いやん」
「何の話アルカ……」
「ああ、ごめんごめん」
怜はラーメ◯マンの手から茶壺を分捕った。
「我々一般の日本人が何も知らん無知なガキやと思てたら大間違いや。大清乾隆って、第六代皇帝・乾隆帝のことやろ。60年ほど前に死んだ人やん」
ラ◯メンマンの糸目が僅かばかり見開いた。
「何が明や。嘘付きめ」
「み、明の時代は勘違いアル!でもこれは龍泉窯で造られた本物の」
「字が違う」
「え…(アル)」
「良く見てみ。この辺り。この三本の漢字の部分や。横に線が一本足らん」
「何を言うアルカ!言い掛かりにも程があるアル!」
「言い掛かり?」
「安く売ってもらおうという魂胆アルネ!そんな脅しには乗らないアルヨ!」
怜は中村に目配せすると、一歩下がった。
「貴様、我が主を愚弄するとはその命要らぬと見た」
「!?」
カチリと刃の擦れる音。
怜はスーッと息を吸って、周囲一帯に野太い声を響かせた。
「外国奉行・小栗忠順が嫡男”小栗怜”とは私のことや。今日は目付け役としてここ新地に来たんやけど、まさか初っ端から不届きな店に遭遇するとは思わんかった。このことは全て幕閣に報告し、アンタは今週限りを持って国外退去処分にする!!」
利用出来るものは何でも利用する。
それが怜の信条である。




