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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
72/139

072



文久二年


怜が長崎に出発し、また鈴木君が薩摩へ飛び立った頃、江戸では”坂下門外の変”が発生した。老中安藤信正が過激水戸藩士らに襲撃される、暗殺未遂事件である。(前述)


安藤は背に傷を受け、大事には至らなかったものの、結果的には幕府の威光を失墜させたとして、数ヶ月後に罷免を余儀なくされる。また実質的に襲撃が失敗したとはいえ、安藤を失脚させたのは尊皇派にとってある意味勝利であり、反対に公武合体派は大きな痛手となった。


そのような状況下であったから、小松及び薩摩藩は、まさしく戦々恐々とした事態にあり、特に小松は怜の足取りを聞くに及んで、長州との接触に少なからず疑問が生じると共に、土佐と長州の水面下の動きを知った。


それこそまさに鈴木君による情報提供の賜物である。


「キョキョ」


先行して薩摩に到着した鈴木君は、懐かしい小松の顔を見て、ニヤリと笑った。(ように小松には見えた)


「鈴木君…?」

「キョー」


目を疑った。

つい半年前に会った時は、20センチほどの小さな鳥だったのに、優に30センチ、いや40はあるだろうか。翼を広げれば倍以上になるだろう。ただ眼つきにはまだあどけなさが残り、声も可愛らしかった。(小松主観)


「何を食べたらそんなになるんだろうね」

「キョキョキョキョ」(伊勢海老や)


当然のように部屋に飛び込んだ鈴木君。逃げるように退出した使用人の閉め忘れた襖を、器用に翼で閉じた。


「怜の方から連絡が来るなんて(悪い予感しかないな……)」

「キョキョ」(ダダ漏れ乙)


鈴木君は文を括り付けている片足を上げ、嘴で結び目を解くと小松に手渡す。


「進化したんだね…」


少々呆気にとられながらも、小松はそれを開け広げた。


「……ほう」


淡々とした内容は、長崎に向かった後、薩摩に行くことが書かれている。最後の追伸文は本文より長く、以前約束した仙台から薩摩までの船代及び食費等が記されていた。


「八両か。…………いやいや」


一見騙されかけた小松は、ハッと我に返った。江戸で待ち合わせる約束だったのだから、普通は仙台→江戸までが妥当ではないか。百歩譲って肥後までだとしても、今回は自分の勝手で薩摩に来るというのに、それすら請求してくるなんて、なんと我欲剥き出しの子供なのかと。


「恐るべし……」


小松は短く息をつき、鈴木君に向き直った。

見つめ合う両者。互いの思惑が交錯する。


”怜は何の為に薩摩へ?”

”この家は客が来とるっちゅうのに茶も出さんのか”

”それは申し訳ない”


「お美代、お茶を持って来ておくれ」

「は、はい!只今!」


小松にとって、あの子供が何の為に薩摩に来るのか疑問だった。一人で仙台に行った件は勿論、その後京の実家へ行ったことも、怜が東郷に送った文でわかっていた。直ぐに京の薩摩藩邸から人を派遣したが、時既に遅く”誘拐”されたと返事があったが、小松は当然信じていない。無論その後の足取りは途絶えたものの、”坂本龍馬”という土佐藩士が深く関わっているのをみて、土佐へ行ったのかと推測していたのだ。


しかし文には”長崎に行った後、薩摩に行く”と書かれている。ということは瀬戸内海から九州に入ったと簡単に想像出来る。


「誰か迎えをやるか」

「キョキョ」


とはいえ思いもよらぬ怜との再会は、小松にとって喜ばしい以外になかった。無論未だ敵か味方か定かではないが、それでも尚惹かれて止まない自分がいる。


「鈴木君に色々聞きたいのだが」


鈴木君は翼を差し出した。

タダで情報を得ようなど虫が良すぎるのではないか?という目だ。動物は飼い主に似るとは言うが、鈴木君は怜よりも計算高く狡猾である。


「10匹」(※伊勢海老)

「ギョオォ」

「……11匹」

「キョン!」


鈴木君は即座に了承した。


「お茶をお持ちしました」

「キョキョ」(入りなさい)

「失礼します」

「!?」


怜が薩摩に来るまでの至れり尽くせりの約十日、鈴木君は王様のように過ごした。小松自身もたかが伊勢海老如きで何でも情報を提供してくれるのだから安いものだっただろう。


ただ唯一困ったことはーーーー


「きゃあ!!」

「どうしたんだ!?」

「と、鳥が…私の胸を……」

「!!」


たまに使用人にセクハラまがいの行いをしていたことである。



◇◇◇◇◇◇◇



坂下門外の変が怜の耳に届いたのは、長崎に到着したその日であった。一心不乱に読み耽るシーボルトの手から瓦版を奪い、その事件の概要を見た怜は小さく呟いた。


「いよいよか…」


この事件で焦っているのは薩摩藩だ。

この時薩摩藩は、幕政改革を一番の目的としており、その為の勅許を得ようと一先ず入京を目指している。つまり朝廷の後ろ盾を得て、幕府に圧力を与える、あの『文久の改革』を実行しようとしているのだ。事の成り行きを知る怜にとって、これを機として起こる様々な事案に対し、ただ時が過ぎるのを待つだけだが、唯一気がかりなことがあった。


それはまさに夏に起こるであろう生麦事件であり、またそれに関連する薩英戦争である。燻り続ける火種は、激動とも言える時期に突入し燃え広がっていくのだ。


しかし怜の方向性はまだ決まっていない。ただ成り行きに身を任せ、個人的に関与した物事のみに首を突っ込んでいるだけでそれが凶と出るか吉と出るか現状全くわからないのだ。


「ソンナ事件二興味ガ有ルノカイ?」

「有るのはアンタやろ。それより早よ行くで。時間が勿体無い」

「オゥ……マダ団子ガ」


怜はシーボルトの腕を掴んで歩き出す。

目指しているのはあの”出島”だ。

サッカーコート二つ分ほどの海に囲まれた扇状の人工島である。つい数年前までは長崎奉行の許可がないと本土との出入りは難しかったが、1856年の日蘭和親条約締結によって阿蘭陀人の長崎への出入りが許された。


また”阿蘭陀商館”も閉鎖されたので、現在の出島は単なる島というだけで特別な意味はないが、その後に成立した日蘭通商条約を機に、阿蘭陀商館は”オランダ総領事館”、商館長は”総領事”と変更されたのである。


怜は出島を前にし、思わず感嘆の声を漏らした。急激に変化する世の中ではあるものの、未だ交易や先端技術の中心地であることは、まさに目の当たりにすればわかる。


「ほほぅ…」


積載された様々な荷物が出入りする出島橋を越えれば、想像以上の一帯が広がっていた。立ち並ぶ建築物は、和洋が混ざった独特の緑色の手摺りが特徴のヘトル部屋と呼ばれるものや、(元)阿蘭陀商館、土蔵、石造の建物まであり、船頭部屋、料理部屋または薬草学・植物学の研究用花壇や菜園なども設けられていた。


しばらく歩いていると、シーボルトが誰かに気付いて立ち止まった。


「先生ー!」

「オゥ!我ガ弟子ヨ」

「おかえりお待ちしておりました!」


バッと両手を広げ、男を抱き締めるシーボルト。二十台後半くらいの青年は西洋式の挨拶に慣れていないのだろう、顔を少々赤らめて戸惑いながらもぎこちなくそれに応える。更にチークキスの段になって、両頬を寄せ合うまでは良かったが、何故か男の口元が()()()()()のようにすぼめられているのを怜は見逃さなかった。(以下ひょっとこ)


「なあひょっとこさん、タネ持って来てくれたん?」

「え、(ひょっとこ?)………貴方様は?」

「オゥ。紹介シヨウ」

「後藤怜言います。宜しゅう」

「僕は小川と申します。先生の下で勉強させてもらっている者です」

「ふうん。…それより種は?」


シーボルトの自宅兼私塾は家族は元より門下生も住込みで勉学に勤しんでいる。その1人であるこのひょっとこに西瓜の種を出島に持ってくるよう、(怜の指示で)自宅に文を送っていたのだ。


「はい!持って参りました!」


ひょっとこは懐から四つ折りの手巾を取り出し、中の薬包紙を怜に見せた。シーボルトはそれを受け取り中を開け広げる。


「オゥ……」

「種です!」


確かにそれは米粒大の真っ黒な種だった。しかし形が違う。どう見てもこれはーーー


「そうそうこれこれ。ーーーーーって朝顔やん」

「えっ違うのですか!?」

「アンタは小学1年か!ーーーハイ皆さん。夏休みの朝顔の観察日記持ってきましたかー?先生ー忘れましたー!ーーーやあらへん!何考えとんねん!」

「すすすみません」


ノリ突っ込みを披露する怜に対し、男は真っ青にその場に土下座をする。


「も、申し訳ございません!」

「オゥ気二病ムコトハ無イ。誰シモ間違イハ有ルノダカラ」

「先生…うっ…っ…」


シーボルトの優しさに、男は咽び泣いた。


「実は...少々取り込んでおりましたものですから....うぅ...」

「何カアッタノカイ?」

「じ、実は、奉行所のお役人様が先生を訪ねられ...」

「役人ガ?何ノ用ダロウ」


シーボルトははて?と首を傾げた。


「目つけられとるんやから当たり前やろ」

「エッ」


怜は揶揄うようにニヤニヤと締まらない顔をした。


「わかってないなぁ。職を解任されたのもあんたが日本の情報を他所の国にペラペラ喋るからや」

「ソンナ!無実ダヨ!私ハ日本ノコトヲ思ッテ...」

「余計なお世話や」


にべもなく言い放つ怜。

シーボルトの瞳が潤み、許しを請うように跪いた。


「せ、先生?」

「ハッ」

「ひとまず駕籠を用意しておりますので屋敷へ帰りましょう」

「ウ、ウム。ソウダナ。待タセルのは得策デハナイ」

「怜様も良ければご一緒に」

「嫌や。今から鳴滝とか無理」


怜はきっぱり拒否した。実際は役人と顔を合わせたくないのが本音である。


「オゥ……鳴滝ダト良ク分カッタネ」


彼は再来日した際、鳴滝の住居を買い戻しそこを拠点としていた。場所は中心地から随分離れ今で言うところの郊外にあたる。


「朝飯前や」

「cool kids.....」

「あー?」

「何デモ無イデース!」


スムーズに事が進まなくて苛々が止まらない怜だが、いつまでもこうしていても仕方がない。予定では種を受け取った後、この辺りの商人からも西瓜だけでなく、様々な果物や野菜の種を大量に買い付けようと考えていたのだが、見上げた空は赤くなろうとしていた。


「私はどっかの宿に泊まるから、また明日持って来て」

「それでしたら鳴滝に泊まられては?」

「嫌や」


怜にとって予想外の展開は全て”拒絶”が基本である。


「そうですか。残念です。では先生、一度屋敷に」

「ウム……仕方ナイ。シカシ、一人デ大丈夫カイ?」

「大丈夫大丈夫」



怜はひらひらと手を振ってひょっとこに向き直った。


「明日一番で持ってくるようにな」

「かしこまりました!」


そうして彼ら二人は鳴滝へ戻り、一方で怜はシーボルトの口利きで近くの民宿に泊まることになったのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



民宿「長崎屋」



「極楽や~~」


一人でのんびり夕食を摂るのは久しぶりだった。いつもよりゆっくり風呂に浸かり、広く美しい民宿の庭を散歩したり最高の気分だった。ここまで上機嫌なのはシーボルトが宿代を払ってくれたのが一番の理由だ。


そろそろ就寝しようかと布団に潜り込もうとした怜だったが、襖の向こうで仲居の声がした。


「お客様、お連れ様が来られておりますが」

「お連れ様?」


ん?と一瞬考えた怜だが、明朝に来るはずのひょっとこが、やはり今夜中に渡そうととんぼ返りして戻って来たのだと思った。


「あー、通して下さい」

「はい」


スッと開け放たれた廊下に座るのは一人の男。



「ご無沙汰しております」

「あ!!」



怜は意外な人物と再会を果たすのである。




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