071
結果、自分の素性を白状したシーボルトだが、五月に帰国を控えているらしく、年齢的に再々来日する可能性も低い為、見納めに旅をしているということだった。
「残念ダヨ…」
シーボルトはもう直ぐ66歳である。
つい最近まで幕府の外交顧問に従事していた彼だったが、近頃解任され現在は無職だ。
「なるほど。ところで”それ”は?」
怜は部屋の隅に積み上げられた箱や紙の束に目をやった。
「旅ノ思イ出ヲ日記ニ記シテイルンダ」
「ほんでその日記を本にして売るんやな?更に標本とかまで高値で売り捌くつもりか。なんちゅう守銭奴や。全く」
「オー!チガウチガウ!ソンナ事ハシナイヨ!」
「あー、それだけちゃうな。日本情勢を偵察しとるんやったっけな」
「ナニ……!?」
「ははは。アンタが日本の情報を阿蘭陀や仏蘭西、露西亜に提供しとるんは知っとる。隠しても無駄や」
シーボルトは驚愕する。
(コノ子供ナニ者ナノダ!マサカ子供忍者カ!?)
と同時に、自分に突き刺さる怜の冷めた視線は、彼の生まれ持った奇妙な特性を刺激した。
「ドキガ胸胸スル……」
苦しげに悶えるシーボルト。
「熱かしら!?佐吉さんお布団の用意を!」
「あ、ああ」
怜は相変わらず冷めた表情だったが、ふと重要な”何か”を思い立った。
「そうや!忘れとった!種や!」
「怜ちゃん!今はそんな場合じゃなかと!”やっくす”さん……やなくて”しーぼると”さんが…」
「なあオッサン!種ちょうだい!種」
「タ、タネ?」
怜はシーボルトの胸倉を掴んだ。
「西瓜の種や!ス・イ・カ!わかるやろ?ウォーターメロンや!」
「ウォーター...メロン?」
シーボルトは目をパチクリさせた後「Oh!」と手を叩いた。
「ワーテゥルメルーン?」
「わざと難しく言うなアホウ」
何故かシーボルトの顔が桃色に染まる。
「あんたやったらそれくらい簡単に入手出来るやろ?」
「長崎ニ行ケバ、確カニ手ニ入ルガ……」
シーボルトはスッと手を差し出した。
「鈴木君」
「キョキョ」
しかしその手のひらに鈴木君が乗ろうとしたので慌てて引っ込めた。
「金取るっちゅうんやったら、宿泊代貰う。一日1000文な」
「1000文!??」
通常の宿泊代は大体一日二食付きで250文が相場である。つまり四倍だ。
「ボッタクリダヨ!」
「まさか自分だけ金取って、こっちは泣き寝入りさせようっちゅう魂胆か?ふざけんなジジィ!どんだけ偉いんか知らんけど、私にとったらアンタなんか”オリ◯ーカーン”以下や!」
「!?」
こんなにハッキリと物申す日本の子供に会ったのは初めてである。いや日本人の場合、大人であってもここまで自分に対して侮辱的な発言をした者はいなかった。
しかし何故だろう。
シーボルトは怒りより”喜び”の方が優っていた。
ゾクリと背筋が粟立つと同時に早鐘のように鳴り止まぬ鼓動。全く物怖じしない冷めた目の少年は(実は少女だが)、シーボルトの心を鷲掴みにした。
「良イダロウ……ソノ代ワリ、一緒ニ長崎マデ着イテ来テホシイ」
「アホか。宿泊代の代わりに種を貰ってあげるって言うとるんや。それ以上譲歩するわけないし。どうしても着いて来てほしいんやったら三両やね」
怜は手をパァに広げ、シーボルトの眼前に突きつけた。
「結果的に一つでもプラスにして有利に交渉進めようとしとるんやろうけど、私には通用せーへんよ」
「イヤ、ソノ手ハ五両トイウ意思表示デハ?」
「わかった。ほんなら五両な?」
「ソウイウ意味ジャナイ!」
「あと十秒で返事せーへんかったら十両になる」
「オゥ!!待ッテ待ッテ!!」
「五…四……」
カウントダウンが始まった。
「5秒カラ始マットル!!」
「三………二…」
「ワカッタワカッタ!!払ウ!払ウカラ!」
怜はフンッとしたり顔で言った。
「商談成立や」
「オゥフ………(ズッキュン)…」
呆然とやりとりを見ていた二人は小さく呟いた。
「相変わらずじゃね……」
「敵に回したらいかん」
「……うん」
◇◇◇◇◇◇◇
ほんの半年前まで荒れに荒れていた畑は、すっかりその姿を失くしていた。濃い茶色の土が剥き出しになり、真っ直ぐの小高い畝を形成している。
「黒ボク土ってやつやな」
「この辺りの地質の特徴じゃ」
「うん。火山のあるトコは殆どこういう土壌やわ。割合が多いってことやろね」
日本の全農地土壌を占める割合は、平野や扇状地の土壌で、主に水田に利用される灰色低地土である。そして次に黒ボク土であり、火山地帯に及ぶ台地や丘陵などの緩傾斜地に広く分布しているのだ。更に山地になれば黄色土・赤色土となるが、ここ一帯は赤黄色土を含む黒ボク土壌といったものであった。
「それにしてもよう頑張ったね」
「慣れたらこっちのもんじゃ」
佐吉によれば毎日休まず土を耕しているらしく、当初は一部の予定だったが最終的には所有する全ての土地をある程度蘇らせていた。
もちろんあの腐葉土も大量に作って物置小屋に保存しており、怜が状態をチェックしにいくと布袋に入った腐葉土が所狭しと積み上げられていた。
「もう種植えるんか?」
「まだちょっと早いわ。暖かくなってからやないとね。取り敢えずまだそれまでにやらなあかんこともあるから、佐吉君も手伝ってね」
「おう!」
腐葉土や畑を一通り見て回った怜は、再び部屋に戻り”改造計画及び観察調査表”なる文書を作成し始めた。
今は何も無い畑だが作物が育つにつれ、それを食い荒らす侵入者が現れる。以前怜は猪や猿避けに柵を建てようと考えていたが、鈴木君を見ているうちにそれを改めた。
つまり侵入者は何も陸からしか来ないわけではない。空からの敵にも注意しなければならないのである。
「シーボルト君。ビニールって知ってる?」
怜は畑をビニールハウスで囲う計画を立てているのだ。
「ビニール?」
「さすがにないよねぇ」
「聞イタコト無イネ……」
いわゆる合成樹脂の一つ『ポリ塩化ビニル』の登場は1835年のことである。フランス人のルノーが発明したのが最初だったが、製品化までは至らなかった。その後セルロイドやフェノール樹脂といったものが次々と世に出たが、再びポリ塩化ビニルが登場するのは石油化学工業が発展する第二次世界大戦以降である。
生活面において、平成の世で当たり前に利用されているビニール袋ですら1960年~70年以降であり、この時代には存在していないのだ。
「ビニールに代わるもんって何やろ」
怜は独り言ちしつつ、腕を組んで考え始めた。雨風や空からの敵を阻止するには屋根が必要不可欠である。しかし特に西瓜は高温を好み、太陽光が必要とされる為、屋根を付けるとすれば、光が遮られてしまうのだ。
「透明で光を遮断せえへんもの……」
怜はウロウロと腕を組んで、ハタと立ち止まった。
「そうや!ガラスや窓ガラス!」
怜はあのウィリアムマーシャルの屋敷が窓ガラスだったことを思い出した。
ガラス製品は既に普及している。
古くは弥生時代から『鉛ガラス』と呼ばれるものだが、宝玉や勾玉など祭祀に用いられる装身具に利用されるのが主であった。その後フランシスコ・ザビエルの来日と共に『びいどろ』などのガラス工芸品が知れ渡り、今になって江戸切子などの生活用品が普及されるに至っている。
だが窓ガラスに関しては未だ一般庶民には浸透しておらず、金持ちの豪商人や長崎や横浜の洋館に限定される。それはやはりカットガラス(切子)とは比較にならないほどの大きさが原因の一つなのだ。
「かなり高いやろな」
畑の全てを囲うとなれば、相当な数が必要になってくる。さすがに十両二十両のはした金では追いつかないだろうし、下手すれば何百、何千両の金子を準備しなければならない。
「ガラスガ欲シイノカネ?」
「ガラスはガラスでも窓ガラスな。阿蘭陀商館とかにあるやろ?」
「有ル二ハ有ルガ、アレハ全テ輸入ダヨ」
「え!?輸入?」
日本ではガラスの原料とされるケイ酸がほとんどとれない。ゆえに江戸切子でさえその原料を輸入に頼っている始末だ。
「技術大国ニッポンのくせに……」
怜の言葉にシーボルトがプッと吹き出した。
「何笑っとるん」
「ダッテ医学モ発展シテイナイ小国ノクセニ、”技術大国”ナンテ言ウカラ」
「ハハハハ!アホめ!GDPで日本に勝ってから言えアホウ」
シーボルトは怜の発言の意味が理解できなかったが、自分の嫌味すら笑い飛ばす少年にある意味敬服していた。(先の未来を今に当てはめるのはいささか疑問だが)
「輸入スルナラ”ツテ”ガナイ事モナイケド」
「あんたなんかに頼んだら高つきそうやから結構や。なあ佐吉君」
二人の会話に割り込む隙もなく、空気と化していた佐吉に怜は突然話しかけた。
「な、なんじゃ?」
「肥後にガラス工房とかないん?」
「聞いたことなかと。江戸ならあるじゃろうが、この辺りのもんは殆ど外からじゃ」
「やっぱ江戸か……また行くの面倒やな」
「あら、江戸やなくても有るやない」
そのやりとりを聞いていた千香が割り込んだ。
「え!??ホンマ??」
「ほら。薩摩に」
「あーそうじゃそうじゃ!薩摩びいどろっちゅうのがあるばい!」
「!」
薩摩ビードロと呼ばれる『薩摩切子』は、かの島津斉彬が集成館事業(洋式産業)の一環として、異国のガラス製造法を元に作り出された高級工芸品である。
この頃の薩摩藩は西南雄藩の筆頭と言えるほど強大であった。元々は負債だらけの状況だったが、特産品の専売制を強め、琉球との密貿易などで徐々に財政を立て直していく。そして斉彬の頃には近代的洋式技術を導入し、反射炉・溶鉱炉の建設から製鉄・造船・紡績と共にガラス鋳造も開始されたのである。
「これは何が何でも小松君に会いにいかなあかんな……クックックッ」
怜は口角を上げ、悪代官のように不気味な笑い声を上げた。
「so…cool……」
「あ?」
「何ニモ無イデース!」
◇◇◇◇◇◇◇
薩摩・小松邸
「寒気がする」
「大丈夫でございますか?旦那様」
新年を迎え、三月に江戸出発を控えた小松は、私邸で書類に目を通していた。
悪寒と共に感じた視線は、”禍々しいもの”
「何だろう…この感じ。誰かが私の噂でもしているのかな」
「きっと旦那様を慕う何処かのお若い女人でございましょう」
「ハハ……まさか。そんな人はいな……」
”お若い女人”
小松の手から書類が滑り落ちた。
「いかがなさいました?」
バサバサと聞こえる翼の音。
いつかの聞き覚えのある音だ。
小松はスッと立ち上がり、庭に面した障子を開く。室内にある置行燈の光がパッと庭先を映し、薄暗く照らした枯れた大木が、消音と同時に僅かに揺れた。
「キョキョ」




