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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
70/139

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「な、何のこと?」


怜は切り抜ける術を模索しながら、長卓に広がった白湯を手拭いで拭き始める。しかし高杉はそれを阻止するかのように怜の手を掴んだ。


「三年後に何かあるんだろ?」


打って変わった雰囲気は今までとは別人で、いつもと違う低声は、質問というより恫喝に近い。


「言え」


気の弱い大人や普通の子供なら、ビビってお漏らししてしまうだろうと怜は思った。現に佐藤氏は庭先で世界地図をお披露目中だ。


ともあれ、窮地に立たされれば逆に冷静になる怜にとって、それは脅迫にも恫喝にもならない極めて小さな脅しであり、頭の上でウツウツと居眠りをする鈴木氏も同様だった。


「何を勘違いしとるんか知らんけど、三年後のことなんて私にわかるわけないし」


実際「三年後」とは言ったが、別に五年後でも、或いは二年後で変わりはなかった。要は一つの歴史を越えるのが怜の目的であり、ある意味高杉の推測は間違いでもなかったが、真の意味は全く別にあったのだ。


「嘘をつけ!何か隠してるだろ!」

「私、嘘なんてついたことないから!」

「キョ」


今まで散々嘘ばかりついておきながら何という言い草だと鈴木氏は毒突いた。


「お前の勘が鋭いと言うなら俺だって同じだ。お前は何か隠している。俺にはわかる!」


グッと腕を引き寄せられ、抗う隙もなく長卓の表面に顔をぶつけた怜。鈴木氏は瞬時に飛び立ち、「キョオォオォォオ!」と反発の声で鳴いた。


と、その時。ドドドドドドドと廊下を走る音がしたかと思った次の瞬間、バンッと襖が開いた。


「何をしている!!」


そこには生まれたままの姿で、久坂玄瑞が仁王立ちしていた。



◇◇◇◇◇◇◇


五分後


「気にすんなって」

「…………」

「泣かんでもええやん」


久坂は落ち込んでいた。

何故なら怜の放った一言に傷付いたのだ。


”お父ちゃんの勝ちや”


その言葉が頭の中を反響する。

悪意は無かった。いやむしろ悪意の無い子供の発言だからこそ傷付いたのだ。


「そ、それはそうと高杉」

「ん?」

「怜に何をしたのだっ」


久坂は八つ当たり気味に詰め寄った。


「はっ!そうや!先生ェエ!」


怜はオヨヨと久坂に縋り付く。因みに久坂はまだ裸だが、怜はさして気にも止めなかった。


「高杉君が私を虐めるんですゥゥゥ!」

「えっ…オイ…」

「何ィ!?」


久坂は怜を抱き締め、高杉から見えないように庇う。(裸だが)


「貴様!いくら仲間とて某の許嫁に無法な態度は許さんぞ!」

「ち、違う違う!俺は別に」

「言い訳無用!」


久坂は熱い漢である。

一度決めたことは徹底し、仲間と言えどけして容赦しない。その性分を重々承知している高杉は、不覚にも怜にしてやられたわけだが、反面自分の考えにさらなる”確信”を持った。


「あー。ハイハイ。俺が悪かったです」

「ハイは一回だ!」


久坂はおもむろに立ち上がると、長卓の上に片足を置いて威嚇する。(裸だが)もしその手に刀があったなら、高杉の命もここまでだったかもしれない。


「はい…」

「うむっ!!許す!」


しかし簡単に許された。


「怜、大丈夫か?」

「ありがとうございます!」


そのやり取りに、上手く逃げ切れたと思うほど怜も愚かではない。”目は口ほどに物を言う”とは良く言ったもので、高杉の視線に、さらなる『疑惑』を植えつけてしまったことを気付かないわけにはいかなかった。


「当然のことをしたまでだ!」

「ところで先生!みんなが見ています!」


家人・使用人のみならず、逗留する仲間が久坂の格好(裸体)に釘付けだった。



◇◇◇◇◇◇◇



出発の日。怜は久坂に買ってもらった赤い椿柄の巾着に、淀屋から徴収した金子(五両)と坂本からの餞別(一両)を入れて、落とさないよう腰紐にくくり付けた。


関門海峡を渡る船は、白石の好意で既に小型商船の確保は出来ている。とりあえず向こうにさえ着けば、あとはどうにでもなるのだ。何せ一度通った道でもあるし、今回は佐藤君という力強い味方がいるのだから、難無く植木に辿り着けるだろう。


怜は昂ぶる感情を抑えた。やっと本来の目標の第一歩に着手出来るのだから当然だ。


「どうしても行くのだな」


止められないことを知っていても、つい口に出してしまう。久坂は「なんと未練たらしい男だ」と我ながら思った。


「玄瑞先生。約束、忘れんといて下さい」

「武士に二言はない」


怜は晴れやかに微笑んだ。

あの約束を守れるかどうかは、久坂の心一つである。少なくとも怜の中ではそうだった。


この数ヶ月後には長井雅楽が失脚し、久坂らが長州藩の中心となって幕府を脅かしていく。しかしそれも束の間に過ぎず、結果的には薩摩・会津ら公武合体派が尊王攘夷を掲げる長州藩及び急進派公卿らを追放するクーデター事件を起こすのである。


つまり『八月十八日の政変』が発生し、更には『禁門の変』へと続いていく歴史的事実は、怜一人の力では変えようもない史実なのだ。


あの日、怜は命の儚さを思い知った。

目の前の三人の死にゆく様を想像し、特に久坂に対し、彼の最期が「武士の名誉」とばかりに失われていくのを、阻止したかったのである。


だからこそ、怜は賭けたのだ。

もし約束が反故にされれば久坂玄瑞はこの世にいない。だがもし、そこに破れぬ約束があったなら、或いは命を絶つ選択を捨ててくれるのではないか。


その希望が、この”口約束”だったのである。



◇◇◇◇◇◇◇



将軍家というのは、皇室を除けば最高権力者である。よって将軍の直系は男であれ女であれ必然的に高い位置にあり、例え養子がいたとしても身分は上になる。


つまり、小栗の推測通り怜が徳川家定の息女であれば、家定の養子である現将軍・徳川家茂よりも身分が上ということだ。無論女の身である為、降嫁する将来が待っているが、嫁いだからといって身分が剥奪されるわけではなく、嫁ぎ先である相手側は夫であっても臣下の礼をとらなければならない。


つまり、徳川家茂と和宮内親王の関係性と同様である。


おそらくこの事実が世に出たら、各方面に多大なる影響を及ぼすだろう。御三家・御三卿は勿論、他藩の有力大名が、徳川家定の御息女を狙うのは容易く想像出来る。


例えば此度の婚姻により、徳川家茂と和宮内親王の間に子宝が恵まれたら、それは”生まれながらの将軍”として、後継問題は発生しない。


しかしもし誕生しなかったら?


考えられる一つは、家定の娘を後継候補の誰かと婚姻関係を結ばせ、次期将軍への確固たる道筋を作り出そうとする勢力の発生である。


いや、それだけではない。

和宮内親王の輿入れを機に、将軍家と朝廷のさらなる結び付きを示す為に、皇族との婚姻を主張する勢力が現れるかもしれない。


そうなれば現在幕府に反発する第三勢力は、それを阻止しようと過激な活動に出る可能性がある。


「”久坂玄瑞”……」


賀茂神社から届いた文には、”宇木”の件だけではなく、二人の訪問者のことも書かれてあった。


”双葉葵”の産着について”久坂玄瑞”という男がやって来たというのだ。宮司はそれを、宇木の連れてきた子供だと直ぐに気付いたが、確証ないことを口にするのは憚られ、シラを切り通したという。


「よりにもよってあの男が」


さすがに小栗も頭を抱えた。

もし怜が前将軍の娘だと知られたら、殺しはしないまでも、その利用価値は計り知れない。いや久坂だけではない。よくよく考えれば、怜は東五郎こと東郷仲五郎の主・小松帯刀や土佐藩の坂本龍馬らとも交流している。


そして最悪なのは、その者達は怜の素性こそ知る由もないのに、揃いも揃って六歳の少女に関心を持っていることだった。


しかし小栗の最も懸念するのは、また別にあった。


未だ江戸城で亡き夫を弔いながら、尚且つ大奥女中1000人の筆頭として君臨する、怜の実母・天璋院篤姫の存在である。



彼女は何も知らされていない。

とうに命を落とした我が子が、実は生きているなど、ほんの少し前まで江戸城で皆を楽しませていたことも、亜米利加国との交渉人として幕府の為に働いたことも、彼女は何も知らないのだ。


「あなた。お茶が入りました」


小栗は風呂敷に包んだ産着を、木箱の中に入れると、押入れの奥にしまい込んだ。


「頂こう」


平静を装って文机の前に座ると、ちょうど襖が開く。道子はやや神妙な面持ちであったが、小栗は心の内を気付かれぬよう、いつものように笑みを浮かべた。


「そうだ。頂き物の美味しいお菓子があるんだ。一緒に食べよう」

「まあ。一体どちら様に?」

「”五郎”という少年なんだが、それはそれは賢い子供でね」

「どういったご関係ですの?」

「以前、私が彼の命を助けたことがあるんだ」

「まあ!」

「始めは泳いでいるかと思ったんだ。ところが様子がおかしい。これはまさかと思って」


小栗はこの重大懸案を、自分の胸に留める選択をするしかなかった。この事実を公表するのは、主君・家定を裏切ることと共に、天璋院、そして怜の運命をも大きく変えてしまう。この時世において、さらなる混乱を引き起こすのは、現段階では得策ならずと判断したのである。



◇◇◇◇◇◇◇



肥後・植木


「千香ちゃーん!佐吉くーん!」

「ブォオォオォ!」

「キョキョォォオ!」


お三方が到着したのは薄っすら霧の残る朝一だった。以前と変わらぬ田舎の風景は、ただ冬らしく木々が寒空に耐え、聞こえるのは風の流れる音だけである。


何となく故郷に帰ってきたような錯覚を覚え、怜は嬉しくなった。


「れ、怜!!?」

「怜ちゃん!」


何ごとかと間口から出てきた佐吉と、隣りの台所から顔を出した千香。時が止まったように怜を見つめて、次の瞬間喜びを爆発させた。


「怜ちゃん!!おかえり!」

「ただいま!!」

「怜じゃ!怜が帰ってきた!!」


ワッと抱き締め合い、互いに再会を喜びながら、促されるままに佐吉の家の中へと入って行く。


驚くほど整理整頓された部屋は、以前と全く変わって、千香の性格が出ているように、壁には押し花の額や絵などが飾られていた。


「あんなに汚かったのに変わるもんやね」

「大変やったんよ」

「ゴミ屋敷やったもんね」

「お、俺も手伝ったんや」

「逆や。手伝ってもらったんやろ」


にべもない怜の懐かしい口調に、千香はクスクスと笑う。佐吉はバツが悪そうに頭をかいたが、「あっ」と思い出したように立ち止まった。


「そうじゃ。怜に紹介せんといかん」

「紹介?」

「そうそう。うちに居候がおるんよ」

「居候?」


そう首を傾げた時、直ぐ右の襖が開いた。

出てきたのは見上げるほどの大男。

どこかで見たことがあるような白人男である。


「オー!可愛ラシイ子供ネー」


にこやかに握手を求められ、怜もそれに応じた。


「オ客サンデスカー?シクヨロネー」

「お客さんでーす。シクヨロー。……………いやいや待て待て。あんたが客やろ」

「オゥ……」


佐吉は慌てて二人の間に割り込んだ。


「この方は長崎の出島から来た阿蘭陀人の”やっくす”さんばい。植物の勉強しに肥後に立ち寄ったらしい」

「”ヤックス・スペックス”デース!」

「この辺りに自生する茸や植物の研究をしたい言うて、しばらくここに置いてほしいって頼まれたんよ」

「ヤックススペックス?それって…」

「困っちょる人を見捨てることは出来んばい」

「日本人ハ優シイネー」

「ふうん。別に困っとる風に見えんけど」


怜は男をじろりと睨み付けた。


「……どっかで見たような気がする」


白髪ではあるが、イケメンを彷彿させる顔立ちで、体型は太っているほどではないが、肉付きのよい中肉中背といった風貌の男である。


怜は「うーむ」と腕を組んで考えた。

この時代に日本に存在するあらゆる有名外国人を、頭の中に掘り起こしているのである。


「学者なん?」

「自然ヲ愛スル男デース」

「てことは……」


怜は一人の男を思い浮かべた。


「ああ……、なるほどな。まさに写真の通りやね」


怜は千香が作った粥をサラサラと流し込み、チラリとも男を見ずに言い切った。


「あんた、シーボルトやろ」

「!!?」


怜はズバリと言い当てた。


”フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト”と言えば、”エンゲルベルト・ケンペル”や”カール・ツンベルク”に並ぶ『出島の三学者』の一人である。


三人とも医師であり、また博物学の研究者でもあるのだ。特にシーボルトが有名なのは、やはりあの『鳴滝塾』や『シーボルト事件』が原因であったが、それも35年ほど前の話であり、数年前の日蘭修好通商条約が結ばれた際、彼の追放令も解除されたのである。


「私を騙そうなんて一億年早い。何が阿蘭陀人や。あんた阿蘭陀の顔ちゃうし」

「ノーノー!私ハ”シーボルト”トイウ名デハ無イ!」

「嘘つきは泥棒の始まりや」

「チガーウ!私ノ名ハ”ヤックス”ダ。レッキトシタ阿蘭陀人ナノダ」

「あんた私を馬鹿にしとるん?”ヤックス・スペックス”って、初代阿蘭陀商館長やん」

「ナ…!」

「日本人が何も知らん思たら大間違いやよ?あんたはシーボルトや。しかも阿蘭陀人じゃない。独逸人や」


怜はコホンと咳払いをし、握手を求めて右手を差し出した。


「Ich freue mich, Sie kennen zu lernen.Mein Name ist rei.Wie heißen Sie?」

(初めまして。私は名前は怜。あなたの名は何というのですか?)


実は怜、大学生の頃、国際学生寮に住んでいた。リビングや洗面所のみ共有の完全個室制四人一組の大学寮で、様々な国から来た留学生と共に四年間を過ごした経験があるのだ。その中の一人が”メルケル”というドイツから来た留学生で、日本語を教える代わりに、ドイツ語の挨拶を教えてもらったことがあった。もちろん挨拶だけで、他の会話は全く出来ない。とはいえ、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった怜は、時を超えて”メルケル”に感謝した。


「oh!」


堪能とは言えない怜のドイツ語だが、シーボルトは驚きと興奮の声を上げた。久しぶりに母国語を聞いた所為かもしれない。


「Sehr erfreut.Mein Name ist Siebold!shikuyoroneー」

(こちらこそ初めまして。私は名はシーボルトだ!シクヨロねー)


が、言った後で我に返って手で口を塞いだ。


「ほらぁ!シーボルトやーん」

「ノーノー!」

「別に隠さんでもええやん。あんたが何者やろうと興味ないし」

「……興味ナイ?」

「ない」

「ゼンゼン?」

「全然」

「オー!アリガ」

「調子乗ったら許さんけど」

「エッ」


ここだけの話だが、怜はシーボルトが好きではなかった。

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