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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
7/139

007


大坂の港といえば特に天保山が有名である。もっと西へ行けば兵庫津(神戸港)があるが、さすがにそこまでの距離を五歳の子どもが行けるわけがない。それに怜は大坂の街を知らない。右も左もわからないのだから、行きようがないのだ。


そこで怜は旅籠屋(はたごや)に行く事にした。沢山の旅行客や武士が宿泊するそこならば、怜の望む情報が得られると睨んだのだ。


大坂の街はまだ賑やかで、店に掲げた掛行燈のおかげもあり、夜だというのに明るかった。加えてこの辺りは、京(大坂)街道が通っているのも賑やかな理由の一つなのだろう。


怜は京から舟で大坂へ入ったが、陸路の場合はこの街道が活躍する。京伏見から淀、枚方、守口を経て高麗橋までの道のりである。高麗橋は東横堀川にかかる橋で、ここから近い場所にあった。


「ガキがなんしよる。こん夜更けに」


酒臭い男が赤い顔で怜に近付いた。


「おっさん蛸の末裔なん?」

「なんやと!?」

「先生、もうええ加減にせんと。子どもなんかほっときぃ」


隣りの女は、男の腕に絡みつき、ちらりと怜を見た後、気位の高いお姫様のようにツンと背を向けた。


(アレが大坂の遊女か?なんやケバケバしいな。さすが豹柄の発祥地や)※諸説有り


怜は流行っていそうな旅籠屋を目指して、また歩みを進める。しばらくすると、突然遠くから女の悲鳴のような声が聞こえた。


「なんや今の悲鳴。事件か?」

「行ってみるか」


怜は、通りかがりの数人に紛れ、声のする方へ走った。近付くにつれ、誰かの怒鳴り声と女の啜り泣きが人集りの中心から聞こえた。


「離さんかい!」

「お母ちゃん!!」

「すんまへん!この子は堪忍して下さい!必ず返しますから!」


見たところ、チンピラのような髭男が十歳ほどの少女の腕を掴み、その少女の母親らしき女性が、男の足元に縋りついていた。


「返すんやったら十両、今直ぐ耳揃えて返せ!」

「じゅ、十両やなんて、そんな」


どうやら髭男は金貸しらしい。


怜はこのみずぼらしい親子を不憫に思った。つぎはぎだらけの着物はさることながら、二人とも顔色も悪く痩せこけている。周りに集まった人々も「可哀相に、、、」と言葉を漏らすが、自分に降りかかるのが怖いのだろう。誰も助けようとはしなかった。


「借金の肩や。悪く思わんといてや」

「嫌や!!」

「どうか娘だけは」

「邪魔じゃ!退かんかい!」

「お母ちゃん!」


ゴツッと鈍い音がして、女性の額から血が流れた。足で力一杯蹴られたのだ。それを見て、怜の怒りが頂点に達した。



「ちょい待ちやオッサン」

「あーん?」


怜はスタスタと髭男の前まで行き、キッと睨み上げる。


「なんや糞ガキ。文句でもあるんか」

「あるもないも大有りや」

「ほう、威勢はええみたいやの」

「その薄汚い手離してもらおか」


怜は娘の腕を取り、無理やり引き剥がすと、髭男の顔がみるみる変わった。


「誰にモノ抜かしとるんじゃ!その娘返せ!それとも何か?お前が借金返してくれるんか!」


怜はニタリと笑い、上目遣いに髭男を見た。



「な、なんやその目は」

「そうやな。借りたもんは返さなあかん。それが世の中の常識や」

「そ、そうや!その通りや!わかっとるやないか!」

「そやから私がこの人の借金返したるわ。ーー誰か紙と筆持ってきて」


その声に「よっしゃ待っとけ」と、近くに店を構える店主が走っていった。怜はそれを見送って、また男に向き直ると荷物袋を地面に降ろす。一瞬男は呆気に取られたものの、次の瞬間笑い出した。


「チビのくせに気前がええやないか!そやけど十両やぞ?お前みたいなガキがそんな大金持っとるんか?」

「そんなもんはした金や」


怜の言葉に周囲はどよめいた。


「言うやないか。そんなら今直ぐ払っ」

「そやけどなあ、オッサン」

「あん?」

「それじゃあオモんないやろ?」


怜は間髪を入れず続けた。


「私な、京から来たんや。知り合いの話では、大坂人ってみんな裏表のないサバサバした明るい人ばっかりで、太っ腹で気前が良くて、正義感に溢れてる男前ばっかりって聞いたわ」

説明するまでもないが誇張である。もしそんな大坂人がいたらお目にかかりたい。


しかし髭男を含む周囲も、何故かそわそわと顔を赤らめて照れ始めた。


「そ、それがどないやっちゅうねん」

「そやからな」


怜はその場に正座した、


「お、おい!土下座で許されると思ったら、、」

「そうやない。一度口に出した約束は守るんが礼儀や。そやけどそれは私に勝ったらの話や」

「アホ言うな!そんなん」

「まあ、最後まで聞き」


ちょうど店主が戻り、怜の前に紙と筆を差し出した。怜は筆を取り、字が見えないようサラサラと滑らせると、乾いたところで小さく折り結んだ。


「この紙に私の好きな数字を書いた。オッサンにもこれから好きな数字を書いてもらう。その数字がバッチリ符合したら、借金帳消しでどうや」

「帳消しィイィ!?」


髭男の雄叫びを無視し、誰かが声をかける。


「もし、符合しなかったら?」


フンと馬鹿にしたように鼻で笑った怜は、金子の入った巾着を地面に叩きつけた。


「借金の金額、倍にして返したるわ。耳揃えてな」


静まり返った周囲を見て、怜はゆっくりと立ち上がる。


「誰か私が書いた紙無くさんように持っといて」

「私が預かろう」


スッと一人の男が歩み出て、それを渡す。

怜はくるりと髭男に向き直った。


「ほなオッサン。この紙に好きな三つの数を書くんや」

「三つ?」

「ほら早く。同じ数はあかんよ?」

「お、おう」


言われるままに髭男は筆を走らせる。


「その三つの数を逆の順にして、下に書いて」

「”九八五”やから”五八九”ってことか」

「そうや。頭ええな」

「ま、まあな」

「それを大きい数から小さい数を引いてみ」

「えーっと”九八五”引く”五八九”は、、、」

「三九六や~!」


野次馬の一人が叫ぶ。


「わかっとるわ!外野は黙っとれ!」


髭男は負けじと言い返した。


「ほな、さっきと一緒や。”三九六”をまた逆にして、今度は足すんや。それで出た数がオッサンの数字っちゅうことや」

「三九六足す六九三は、、、千八十九や!」


髭男は「千八十九」と書かれた紙を怜の眼前に突き出した。


「千八十九か、、」



怜が大袈裟に溜め息をつくと、髭男は興奮したように声を荒げる。周囲からも野次が飛んだ。


「オイ!お前の紙見せんかい」

「ええよ。さっき預かってくれた人、オッサンに見せたげて」

「よし」


さきほど紙を受け取った男は、結びを解いてそれを広げた。


「!!」


その表情は困惑そのものだった。


「な、なんや?俺にも見せろ」


男は紙を上下に持ち替え、周りに良く見えるように前へ突き出す。


「嘘やろ、、、」


怜が書いた紙には、大きく”千八十九”と書かれていた。


「オッサン」


水を打ったように静まり返る一群。


「”帳消し”やな?」


怜の言葉と共にワッと歓声が上がった。


「坊主の勝ちや!!」

「ようやった!ようやった!」

「なんや興奮したわ!」


この不思議な計算は、どんな数だったとしても、必ず「1089」になるのだ。それは怜が、テレビで知った情報であった。ズルといえばズルだが、この親子を助ける為には、それしか思い浮かばなかったのである。


◇◇◇◇◇◇◇


「ホンマにありがとうございました」

「気にせんといて」


深々と礼を言う親子は固く手を繋いでいた。怜は仲の良い親子の姿に、京を思い出した。


「あの、おばさん?失礼を承知で聞くけど、旦那さんはおらんの?」


あまり首を突っ込むのは駄目だと思いながらも、聞かずにはいられなかった。


「お恥ずかしい話ですが」


旦那は病で半年前に他界したらしい。借金をしたのはその治療費や薬代を捻出する為だった。朝から晩まで働いてはいるものの、利子だけを返している状態では元金は全く減らない。それでも何とかここまでやってきたが、今度はこの女性が過労で倒れてしまい、仕事もクビになってしまったという。


「ホンマにもう情けない母親なんです」

「お母ちゃんは情けなくなんかない!ウチの為にいつも頑張ってくれてるんやから!」


深い絆で結ばれた親子を目の当たりにし、怜は胸に(たぎ)る悔しさを覚えた。


この世は真面目に生きる者ほど、不幸になるのだろうか。


「あのなおばさん。差し出がましいとは思うねんけど、良かったら私の兄の家に来えへん?」

「え?」

「部屋いっぱい余ってんねん。住み込みやったら借家代もいらんやろ?借金も帳消しにしてもらえたし、そこで再出発したらええ」

「そ、そやけど」

「紹介状書くからちょっと待ってな?」


勝手なことばかりして、三男には怒られるかもしれない。しかし困っている人を見捨てることなど怜には出来なかった。


(兄ちゃんなら、わかってくれる!)


「もし嫌やったらしゃーないけど、気が向いたらこの紹介状持って、下に書いてる住所に行ったらええから」


唖然とする二人を尻目に、やや押し付け気味にそれを渡すと、怜はくるりと方向転換し、また夜の街を歩き出す。


(これであの親子は救われる。兄ちゃんと幸子姉ちゃんが、ちゃんと面倒見てくれるやろ)


何となく晴れやかな気分だった。


「ちょっと君」


ほんの五メートルを歩いたところで肩を掴まれた。振り返ると数字の紙を預かってくれた男だった。


「あ、さっきはおおきに」

「いや。なかなか面白いものを見せてもらったな」

「そうかな。は、、」


先ほどは夢中になっていたので、ちゃんと顔を見ていなかったが、こうして目の前でマジマジと見つめると、頭の中の様々な画像が急流のように流れ込んで、ある一人の人物と合致した。


「あーーーっ!!」


小柄で姿勢の良い痩せ型のその男は、大阪経済界に大きく貢献した実業家として余りに有名だ。むろん幕末の今はまだ一介の武士ではあるものの、やはり他とは違う異才のオーラを放っている。


(嘘やろ!まさかこんなとこで!)


「な、なんだ?」

「あ、あんたっ!!」

「え?」

「ごだっ」

「ごだ?」


ーーーーー五代友厚、その人でだった。



「いご、天皇、、、?」

「んなわけあるか!」


(あ、危なかった!また桂君の二の舞になるところやった!)






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