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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
69/139

069


馬関港近くにある白石邸は、この辺りでは名高い豪商である。当主は白石正一郎。あの西郷隆盛や尊王攘夷派の真木和泉らと交流があり、また久坂や高杉らに資金援助もしている。その関係もあって連日様々な志士が訪れ、まるで集会所のように日々談義が繰り広げられているのである。


中でも久坂は、妻から帰宅催促の文が再三届いているにも関わらず、ほとんどこの屋敷に入り浸っており、実際結婚して四年経つが、自宅に帰ったのは両手に足りるほどであった。かと言って全く気にかけていないわけではなく、夫として金銭的な責任は果たしている。



さて、その白石邸の敷地面積は実に後藤家の二倍。離れが五つ以上あり、手入れされた日本庭園も見事な美しさである。


普段はそこいらから剣術の稽古をする威勢の良い男共の掛け声が聞こえてくるのだが、今日に限っては、まるで眠ったように静かであった。




「何だこれ」


高杉がそう呟くのも無理はない。


”静か”は”静か”なのだが、正確には不穏な空気の中、人々が黙々と作業をしているという状況である。広い庭には沢山の木材が積み上げられ、使用人はさることながら、年様々な男共が慌ただしくも終始無言のまま駆け回っているのだ。


「……お前ら何やってんの?」


邸門をくぐり抜けた高杉は、その有様に驚きこそしなかったが困惑したまま立ち竦む。そこへ通りがかった仲間の一人が、高杉に気付いた。


「高杉!お前も手伝え!」

「……何を?」


高杉は怪訝そうな表情を浮かべて、やおら慌ただしく動き回る周囲を見渡した。


「どうしたんだ?」

「大風が来るんだ!」

「大風?時期じゃないだろ」

「いいや!来る!それも超特大の!」


男はドヤッとばかりに両手を広げた。

ジッと相手を見つめること数秒。滴る額の汗が地面を濡らし、厠にでも行きたいのかと思うくらい膝がガクガクと震えている。それでも高杉は至って冷静で、男が僅かばかり目線を泳がせたのを見て、ハッと息を飲んだ。


()()に何かあったのか?」


流石「高杉晋作」である。

状況を瞬時に把握し、その原因を一発で言い当てる能力。おそらく長州藩において右に出る者はいないだろう。


「じ、実はな……」


男はコショコショと耳打ちした。


「なにっ!!?”久坂が口笛を吹いている”!??」

「シィーーーーーー!!」


男は慌てて高杉の口を塞いだが、時既に遅し。

周囲で作業する男達は、号泣と共にその場に跪き、各々が”辞世の句”なるもの呟き始めた。


「奴は何処にいる!?」

「”萩の間”だ!今、白石さんが”抑え”にかかっている!」

「よし!行ってくる!」

「た、頼んだぞ!高杉!」

「任せろ!」


そんな馬鹿なことがあるわけがない。

あの久坂が口笛を吹くなど全く以ってあり得ないことなのだ。一体何年一緒にいると思っている。それこそ長年の付き合いで、久坂が口笛を吹いたのはたった一度きりだ。



あれは確か吉田が吉原の遊女にこっ酷くフラれた時だった。


〜〜〜〜***


一年程前。


俺と桂さん、そして久坂と吉田の四人で吉原のいつもの店に行って、最近開業したばかりの”船橋屋”から遊女を呼んだ時のことだ。


吉田はその中の一人(名は忘れたが)に一目惚れしてしまったのだ。確かに美しく気品のある女だ。


煌びやかな黄色の着物に水色の帯。

艶やかな黒髪には枝垂れ桜の(かんざし)が輝き、少々膨よかではあったが、黒目がちの瞳と透き通るような色白の女だ。もし吉田が先にいかなかったら俺が手を挙げていただろう。


「今宵は俺と共に」


らしくない紳士的な物腰で女の手を取った吉田は、その手の甲に口付けをした。今思い出しても恥ずかしい行為だが、普通の女ならこれでオチる。


しかしこの遊女は違った。


「好みじゃないなっしー」


たった一言で終了。完全敗北。一発撃沈。

項垂れる吉田を桂さんも俺も励ましたが、久坂だけは逆だった。


あいつは藩邸に帰るまで、それはそれはこの世の春の如く口笛を吹き続けたのだ。おそらく吉田は今でも恨んでいるに違いない。



〜〜〜〜〜***



つまり久坂が口笛を吹くということは、すこぶる機嫌が良いという以外に他ならない。


「久坂ーー!」


高揚する気持ちを抑えるのはなかなか難しいことである。特に高杉は感じたままを素直に表現する性分の為、平静を保つのに苦労するのだ。


「高杉!こっちだ!」


応答する久坂の声色に、高杉は”事”が順調に進んでいるのだと確信した。つまりそれは怜との”関係”を意味する。


実は坂本らが長州に到着する前日、二人はいかに怜が自分達の味方に転ずるか策を講じていた。怜にとって既に信用度の低い長州藩である。たとえ金銭で釣ろうとしてもおそらく振り向かないだろう。だからといって江戸での失敗を繰り返すわけにもいかなかった。


久坂の考えはわからないが、高杉が怜に必死になるには勿論理由がある。単に「勘の鋭い子供」だけだというならここまで執着はしないだろう。しかしあの「大地震」で、高杉の怜を見る目は一転したのだ。


”予言”


本当にそうなのか?

本当は”知っていた”のではないか?


そんな突拍子もない疑問すら沸き起こるのだ。「馬鹿馬鹿しい」と何度打ち消しても辿り着く答えは一つであった。


だとしたらあの小さな子供の目には、動乱の起こりつつある未来の全てが見えているのではないか?そう思えてならないのだ。


現実主義者の久坂にはけして理解出来ないだろう。いや、実直な者は皆そうかもしれない。だからこそ今の時代に久坂は必要な存在であるのも確かだが、高杉は明らかに理想主義者であった。



「久坂。入るぞ」


襖を開けた瞬間、その表情を見て直ぐに理解した。長年の付き合いである。わからぬはずがない。


「これは高杉様…」

「白石さん悪いな。二人にしてくれ」

「は、はい」


ホッとした表情を浮かべて退出する白石。高杉が前に座ると、久坂はわざとらしく眉間に皺を寄せた。


「姑息な手など使わず女子でも子供でも真に心を開いて見せれば、自然と相手も返してくれるものなのだ」

「へえ。上手く取り込んだということか」

「馬鹿者。取り込んだのではない。ようやく通じ合ったのだ」

「通じ合った?」

「互いに認め合い、心を通わせ……」

「誰と?」

「怜に決まっているだろう。他に誰がいる」


高杉はまた久坂が脳内転換の上、ぶっ飛んだ妄想をしているのではと疑った。幾ら久坂とてやはり()は単純ではない。


「高杉」

「……あん?」


思わず不機嫌に溜め息をついた高杉だったがーーー


「我々は三年後に祝言を挙げる」


この発言に「よもや一刻の猶予も無し」と、抵抗する久坂を無理やり診療所に連れていき、その後ようやく誤解が解けた頃には、もう陽は沈みかけていたのであった。



一方坂本は山田から話を聞き、腕を組んで考え込んでいた。


「怜がそんなことを…」

「止めて下さいよ坂本さん!」

「うーむ...」


しかしあの子どもに限って無意味な約束などするわけがない。


「まあ、本人が決めたことじゃき他人がどーの言うてもしゃあない。好きにさせちゃれ」

「でも……」

「恋に年は関係ないんじゃ」


面白おかしく笑った坂本であったが、怜が久坂に惚れたなど思っているわけではない。


「さて、そろそろ出発するか」


きっと何か裏があると思っているのだ。




時刻は昼前。


準備を終えた神風号から、淀屋が早足でやって来た。


「坂本はん。そろそろ行きまっか」

「よっしゃ」


坂本は見送りに来た怜の方を振り返り、中腰に視線を合わせた。満面の笑みの向こうで、微かな危惧が見えるのは気のせいだろうか。


「鈴木君と佐藤君が付いとるから心配せんでええよ」


怜は安心させるように笑顔を見せた。


「まあ、そうじゃの」

「それより昨日言うたことやけど」

「ああ、それは心配せんでええ。簡単に捕まるほど腑抜けちょらん」

「偽名使わなあかんよ?」

「わかっちょる」


怜の一番の懸念は歴史の歯車が狂い、数年後の暗殺事件よりも早く坂本が命を狙われる危険性だった。しかも全て「後藤怜」という少女が原因であり、それに対して責任を感じているのだ。


「万が一捕まっても、おまんが取り成してくれるがやろう。最悪詮議にかけられても軽い刑罰で済むはずじゃ」


たったそれだけのことであるなら、怜も悩まなかっただろう。何故なら相手側(幕府役人)は明白なのだから、接触しないよう注意すれば良いだけである。


しかし「暗殺」となれば話は別だ。

現在においても坂本龍馬の暗殺犯は決定付けられてはいない。様々な憶測や関係者の発言はあるが、結果的には「犯人不明」なのだ。だからこそ不安になるのは当然で、怜の心配も無理はなかった。


「それとも怜」


坂本は軽い調子でそう言うと、急に真顔になった。


「俺に何か話したいことがあるか?」

「えっと…」


何も言うべきではない。まだ何も始まってはいない。まだ頭角すら現していない「坂本龍馬」を誰も危険視などしていないのだ。


「ううん。何もないよ」


怜は自分にそう言い聞かせ、咄嗟に言葉を飲み込む。


「ただ、ちょっと心配になっただけやよ」


坂本はフッと息を吐き、怜の額を軽く小突いた。


「怜。おまんは人の心配より自分の夢に向かって突っ走れ」

「坂本君……」

「まあ色々と頭働かせるんは悪いことやないが、まだおまんはガキじゃ。ガキはガキらしく毎日笑っとったらええ。難しい話は大人に任せとけ」


ニカッと笑った坂本に、怜は呆気に取られた。長州に来て以来、笑顔が無かった怜に気付いていたのだ。その原因の実の部分までは知る由もないが、ただ”何か”に不安を抱いている怜の心情を払拭してあげたかったのである。


「うん。……わかった」

「ほんならまたの」

「怜さん、くれぐれもお身体を大切に」

「うん」


最後にポンと怜の頭を触り、風のように颯爽と去って行く。山田が心配そうに何度も振り返っていたが、怜は元気よく手を振った。



◇◇◇◇◇◇◇



白石邸


「おい高杉。桂さんからの文だ」


ちょうどその頃、江戸では桂を筆頭とした長州藩士一派と過激尊王攘夷派として知られる水戸藩士が接触していた。


両藩は以前より盟約を結んでおり、外国人襲撃などの計画において、互いに連帯し実行することをそこに約していたのである。その一つが安藤信正暗殺計画であった。所謂「坂下門外の変」である。


しかし、長州藩内はその主流が公武合体を占め、藩士の参加は困難であった。よって不本意ではあったが、そのものの延期を提案したのだ。しかし水戸側はそれを良しとせず、自分達だけで実行する旨を伝えてきたのである。


「婚儀まで時間がない。その前に実行するということらしい」


怜とほぼ入れ違いに和宮内親王が江戸入りを果たしている。様々な諸事情により江戸城大奥に入ったのは、更にひと月経った頃で、婚儀の日にちを足すと計三ヶ月を費やしている。着実に進んでいく幕府側の思惑を、黙って指を咥えて見るだけの長州側からすれば、腹立たしこと極まりない。


「年明け直ぐか」

「出来ることなら我々も援護したいが…」


桂や久坂、高杉らに対する監視の目は極めて厳しいものがあり、事を成すのも容易ではない。


「桜田門のように上手く行けば良いけどな」

「不可能だと見るか?」

「……さあね」


幕府側もそういった過激派を十分警戒しており、少人数で攻撃しても結果は見えている。


しかし彼らの大義名分は自分の命など顧みない。寧ろ、命を賭けてこそ真の”信念”を貫く彼らなりの”正義”が、そこにあるのだ。



その夜



「あー食った食った」

「……」


高杉は満足気にごろりと横になった。


「お前は食欲がないみたいだな」

「図々しい男が目の前におるからね」

「え、どこに?」

「あんたや」


坂本が発った二日後、肥後出発を明日に控えた怜は白石邸で世話になっていた。言い方を変えれば久坂の庇護下に置かれたわけだ。怜からしてみれば熊谷邸であろうと白石邸であろうとどちらでも良いことだが、”港に近い方”という意味では後者が便利な為、他意なく久坂の言うなりに付き従ったのである。


「何か話があるんやろ?」


怜はいつもと違う高杉に気付いていた。食事が終わると早々に久坂を風呂に追い立て、やたらと二人きりになりたがっているように見えたのだ。


「さすが怜」

「褒めても何も出んよ?」


高杉は勢い良く起き上がり、長卓越しに前のめりになった。


「前々から聞こうと思ってたんだ。お前は何故”俺”を知っていたんだ?」

「ん?どういう意味?」


とぼけたわけではなく、意味がわからなかった。高杉からすれば初めて会った吉原での出来事、つまり自分を見た瞬間その名を呟いた疑問について問うているわけである。しかし怜はそんなことなどすっかり忘れ、全く以って記憶がない。


「そんなこと言ったっけ」

「伊藤のこと知っていたらしいな」


怜は「ああ…」と邪魔くさそうに言った。


「それは京で仲のええ寺の和尚さんに聞いただけやよ。桂君が連れてる人は伊藤ってね」

「ほう」

「高杉君のことは吉田君から大体聞いてたし、一緒におったからそうなんかなーって」


怜は適当に言い訳しながらも心中穏やかではなかった。あまり突っ込まれてベラベラと話せばいつかボロが出そうだからだ。


「ふうん...」


疑いの目が突き刺さる。

もぞもぞと居心地悪そうに腰を動かしたが、視線だけは逸らさなかった。もしここで隙を見せたら高杉の罠に引っかかることは間違いない。


「まあ、いいや」


ところが高杉は、予想に反してそれ以上は突っ込まなかった。つまり問い詰めても「無駄」だと察したのだろう。怜的にはやっと「解放」されると勘違いし、一瞬ニヤリと口元が緩んだのだが、悟られまいと慌てて目の前の白湯を口に含んだ。



「怜、三年後に何があるんだ?」

「ブホオォォオーー!!!」


高杉の顔面に白湯が降り注いだ。






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