067
再会です。
江戸・小栗邸
「お帰りなさいませ」
「ただいま。文は…」
「お部屋の方に」
「そうか」
小栗は悟られないよう平静を装い、早足で自室に向かうと「誰も入らないように」と釘を刺した。妻や使用人は「またか」と慣れ顔である。何せ、毎日そのような感じで、結局一分もしない内に「茶」を所望するのだ。つまり目当ての文がきていないことを意味していたのである。
ところが今日だけは違っていた。
いつまで経っても声がかからない様子に道子が訝しむのも無理はなく、何度か部屋の前を行ったり来たりしていたが、結局夕食時まで部屋を出て来ることはなかった。
「……亡くなっていたのか」
小栗は十日前程前、”宇木”という昔馴染みの女に文を出していた。しかし返ってきたのは、宇木が世話になっているはずの賀茂神社の神主からだった。
神主は宇木の後見人であり、直接小栗が会ったことはないが、一度だけ彼女が現状を知らせる文を送ってきたこともあり、そこに身を寄せていることだけは知っていた。何故なら、江戸城大奥に身を置いていた彼女を、極秘裏に京に向かわせたのは、紛れもなく小栗本人だったからである。
江戸城大奥というのは、周知の通り将軍家の子や正室、奥女中の住まいである。多い時には1000人もの女達が奉公していたこともある大所帯だ。
完全秘密主義の大奥と専ら定評されているが、必ずしも全てそうではない。厳しい状況下に置かれているのは上級女中のみで、それ以下は特に出世の見込みがないと判断すれば途中離職することも可能であった。
その大奥において十年近く働いている女がいた。元々は幕府直属の御家人の生まれで、十五の時に奉公へ上がったのだ。しかしその職務は御目見得以下の「御使版」という役目であり、文書や進物等の受け取りや上臈と御広敷番との連絡に携わる内容だったり、また"代参”といって上級女官の代理として神仏へお参りにいくことが日々の務めであった。
ゆえに将軍はおろか御台所を拝顔することすら叶わぬ身分ではあったが、届け出を提出さえすれば自由に外界と往き来出来るのだから、それほど苦痛な職ではない。勿論そのような軽々しい身分だけに大奥内部に身を置くことは無く、城内での行動範囲も限定されており、奥の内情など知るはずもない。せいぜい噂好きの下女や茶坊主から、面白おかしい噂話を聞く程度であった。
その女が突然宿下がりをし、大奥から姿を消したのは実に六年前のことである。
当時小栗家は、当主・忠高が急死し、嫡男である忠順が家督を継いだばかりであった。服喪中の小栗は、忌日が明けて直ぐに登城を許され、時の将軍・徳川家定に御目見得するに相成ったが、そこに待ち受けていたのは、大奥における波乱の種「実子誕生」という事案であった。
大奥の中に棲むのは煌びやか女性だけではない。様々な悪の手が常に潜んでいるのだ。どんなに身分が高くても流れを変えることは困難であり、これまで意に反した物事の多くを見てきた家定だけに、我が子が誕生するに至ってそれだけは避けねばならぬと心を決めたのである。
加えてこの頃深刻化する将軍継嗣問題は、一橋派・南紀派と分裂している時期であり、突如湧いて出たこの事案が、後に混乱を招くのは必然的であった。
すなわちこの争いは、子が男子か女子かということよりも、一橋慶喜を継嗣にする目論見をもって大奥に輿入れさせられた篤姫が、世継ぎを生んでその計画が絶望的になれば、水戸藩主・徳川斉昭が黙って見過ごすはずはないだろうと懸念したのである。
ゆえに実子がその渦中に巻き込まれ、それこそ篤姫のように人生そのものが人為的に翻弄される確定的未来予想図を打ち壊すのが家定の真の狙いであった。
衰弱した母体から取り上げられた子は、「死産」として扱われ、その母が知ることも許されなかった。唯一年寄りの奥医師のみが立ち会ったようだが、君主厳命により他言は許されず、数年後の病死をもって封殺される。
家定は最近まで近侍を務めていた最も信頼する小栗忠順を自室に呼び付け、我が子を江戸城から脱出させる任務を命じた。小栗は直ぐに行動を移すが、自分が動くにも限りがあり、協力者は必要不可欠と判断。幸いというべきか、元々篤姫のご懐妊は僅か数人が知るのみで、とうの小栗もその日まで知らずに過ごしていたほどである。
よって外界へ自由に往き来出来る者で、近侍職の頃からの知り合いに協力を求めることにした。
その協力者こそが大奥の御使版として従事する「宇木」という女だったのである。
小栗に信頼を寄せていた宇木は、その腕に抱えられた幼子を、まさか将軍の御子だとは知らず、ただ世に出してはならぬ血筋の子くらいの認識しかなかった。着せられた産着の文様が何を示しているかさえ、彼女は考えなかったのである。
命ぜられるままに江戸を発ち、長い旅路を経て京という遠い地へ向かう。その道中には小栗も知らぬ苦労があったに違いない。しかし彼女は無事目的地に到着し、その身を削って任務に全うしたのだ。
神主の文には、宇木がこちらに来て直ぐに重い病に侵されたこと、既に余命幾ばくかの状況であったこと、連れていた幼子に関しては、知り合いに預けるといってここにはいないことなどが記されていた。
「そういうことか……」
文を読み終えた小栗は、全ての謎が解けたと深く息をついた。
京に来た宇木は、神社に身を寄せつつ幼子の面倒を見ていたが、自分の病に不安を抱き、おそらくどこかで知り合った裕福そうな男に幼子を託したに違いない。
そう。
つまりその男こそが怜の父「後藤善治郎」であると結論付けたのである。
◇◇◇◇◇◇◇
実質三日で瀬戸内海を走り抜けた神風号は、太陽が沈む頃、長州は馬関港へと到着を果たした。
「萩に住んどるワシの友達”熊ちゃん”や」
「お初にお目にかかります。熊谷五右衛門と申します。どうぞ良しなに」
熊谷は愛想の良い笑みを浮かべ、深々と頭を下げる。怜はその身なりから「金持ち」の匂いを感じとったが、自分を売り込む気力も湧かないほど、意気消沈していた。
「俺は坂本龍馬っちゅうもんじゃ」
「キョキョキョキョ」(後藤怜です)
「……」
鈴木氏が代わりに自己紹介した。
「向こうに馬と駕籠を用意しとるんで」
「すまんなぁ、熊ちゃん。無理言うて」
「なんも。大坂へ行く時はこっちも世話になっとるからお互い様ですわ」
「ほな行こか」
久しぶりに再会した友と、嬉しそうに肩を組んで歩く淀屋。その後ろには、すっかり鈍った身体をほぐしながら、スキップの勢いで前進する坂本と、珍しげに周囲を観察する山田。その更に後方に猫背姿でトボトボ歩く怜の姿があった。
「ブヒブヒ…」(現実逃避率…)
「……キョキョ」(……98%)
鈴木・佐藤両者は、怜が溜め息をつく度に1メートル距離をとった。とばっちりを受けたくないからである。
しかし怜の気持ちを考えれば無理もない。何せ向こうにしてみれば怜は「裏切り者」である。勿論、細かいことを言えば怜とて言い分はあるが、途中放棄して逃げたことに変わりはないのだ。
「こら怜。元気出せい!」
「……普通に無理やろ」
「大丈夫じゃ。俺が付いちょる。おまんはなーんも心配せんでええ!」
「坂本君は玄瑞先生のこと、なーんも知らんから簡単に言えるんやわ。あの男をその辺の奴らと一緒にしたらあかん!」
坂本は怜の必死さを見て眉をひそめた。
「そんなにヤバイ男か?」
「ヤバイなんてもんやない。狂っとる」
「く……狂っちょる?」
「目が合った瞬間抹殺される勢いや」
「抹殺…」
「あれは男版メデューサやね」
「め、め、めどう………なんじゃソレ」
「知らんの?」
知るわけがない。
坂本は興味津々に首を横に振った。
「髪の毛が蛇で猪の牙を持ったバケモンや。ポセイドンの愛人っちゅう噂もある」
「愛人!?まさか衆道っちゅうことか?」
「可能性は高い」
それはない。
話がややこしくなるので補足するが、メデューサとは目が合った者を石に変える能力があり、髪は無数の毒蛇で構成され、猪の歯に黄金の翼を持つとされるギリシャ神話出身の女怪物だ。(※諸説有り)
確かにポセイドンの愛人で二人の子をもうけているが、それを久坂とごちゃ混ぜにするのは甚だ疑問である。
「ほぇ~初耳じゃ」
「辞めといた方がええと思うよ?」
「そうは言うても、もう大坂で文出してしもたしの」
「はぁあ!?いつの間に!?」
「仕事早いじゃろ?」
得意げな顔の坂本にカチンときた怜は、短い手を思いっきり伸ばして胸倉を掴んだ。
「掘られても知らんからな」
「掘ら……え…?」
「だってそうやろ?玄瑞先生は男好きや。当然坂本君も標的にされると思うけど」
「お前は本気で言っているのか」
「本気も本気や。悪いことは言わへん。会うのだけはやめとき。一晩中手篭めにされた挙句、足腰立たれへんように……」
背後から聞き覚えのある声がして、怜の全身から血の気が引いた。目の前の坂本は「不憫」と言いたげに苦笑し、淀屋や山田に至っては口をパクパクさせつつ、顔が真っ青である。
これは夢や。
全部夢なんや。
怜はそろりと振り返り、声の主を見た。
「久しぶりだな。怜」
そこにいたのは紛れもなく久坂玄瑞、高杉晋作の両者であり、馬鹿笑いの後者に相反する前者は、修羅の如く怒りの表情であった。
「玄瑞先生ェエェエ!お久しぶりですウゥ!ずっと会いたかったですウゥウゥゥゥゥ!」
「私もだ!!!」
ごつん
「ぶひっ!」
怜の頭に見事なタンコブが出来上がったのは言うまでもない。
◇◇◇◇◇◇◇
長州萩・熊谷邸
「いやいや、まさか久坂君本人が迎えに来てくれるとは思わんかった。かたじけないことじゃ」
「こちらこそ遠い地までわざわざ来て頂き、痛み入ります」
本来は明日此方から久坂に会いに行く予定だったが、まさかの出迎えで結局みんなで熊谷の屋敷に入ることになった。坂本は大喜びだが、怜にとっては不幸の極みである。
「離れの方に宴会の準備をしておりますので、今日は旅の疲れをゆっくり取って下さい」
案内された座敷は、ざっと二十畳ほどの広さで、長机には所狭しと酒や海の幸が並んでいる。美しく着飾った芸者も用意され、男達は色めき立った。
「久坂君、高杉君。真面目な話は明日にして、今夜は心行くまで飲もうやないか」
「親交を深めるってやつだな!賛成!」
「うむ。悪くない」
「ほんなら私は子供やし先に失礼するわ」
そろりと退出しようとする怜だったが、即座に首根っこを掴まれた。
「お前とは”色々”と積もる話もある。今宵は共に語り合おう」
「……ぎょ、御意っ!」




