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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
6/139

006


「おい、怜?」



やはり現実には無理なのだ。

そもそも民衆には需要がない西瓜である。きちんと栽培されているわけでもなく、ほとんど野生西瓜に近いか、片手間に栽培しているのではないかと思ったからだ。実際、西瓜が日本で本格化栽培されるにはまだ早い時代だ。


ただ仕方ないとはいえ、ここまで酷いと思わなかった。あの男の店にあった西瓜で、怜の眼鏡に適ったのはたった二つ。たった二つではどうしようもない。


「怜、急にどないしたんや」

「うん…別になんもない」

「そやけどお前物知りやな。兄ちゃん驚いたわ」

「西瓜が好きやねん」

「そうなんか」


市場の西瓜がこんな不出来なものなら、町で売られているものも不出来に違いない。そう思うと怜は泣きそうになるのを我慢しながらトボトボ歩いた。

と、そこへ。


「お嬢!ちょっと待ち!」


先ほどの男が、両手に西瓜を抱えてやって来た。


「おっちゃん…どないしたん?」


男はニカッと笑い、一つを三男に、もう一つを怜に押し付けた。


「あの中から、お嬢が言うた”ええ西瓜”だけを選んでみたんや。合うてるか見てくれへんか?」


怜は言われるままに西瓜の表面を軽く叩き、ツルの窪みや色、底のヘソ部分の大小を検見した。


「おっちゃん合格や」


それは怜の眼鏡に適った西瓜であることは間違いなかった。


「よっしゃ!」


男は大袈裟にガッツポーズをして、怜の頭をガシガシと撫でた。


「おおきにな。その西瓜はお嬢にやる」

「ええ!?」

「ええねん!良し悪しを教えてくれたお礼や。目利き出来たらこれから俺も仕事やり易くなるからな」


怜はハッとして男を見つめた。


「なあおっちゃん!この西瓜、どこから仕入れたん!?」


「ああ、肥後の卸業者やったかな」

「そんな遠いとこから?」


肥後は今の熊本県である。


「肥後言うたら高瀬米やな。堂島の米相場の基準言われとる。父さんから聞いたことないか?」

「お父ちゃんはあんまり仕事の話してくれへんから」

「そうか。まあとにかくそこの港町から、船で輸送して大坂に来とるっちゅうことや」


高瀬から海路北上し、下関を経て瀬戸内海を航行し、大坂へと搬出するのが一般的らしい。確かにそんな重たい物を陸路で運ぶのは困難だろう。


「ほな戻るわ」

「すんません。二つも貰ろて」

「おっちゃんおおきに」

「おう!また来てな!」


去っていく男を尻目に、怜は三男に向き直った。


「運搬費用ってめっちゃかかるん?」

「そりゃあな。川とは違うんや。それより怜、西瓜一個割って食べへんか?」

「ええ?」

「さすがに二つ持って帰るんは重たいやろ。喉も渇いたしちょうどええわ」

「あかん!!これは全部私のや!」

「お前、欲張りやなぁ」

「それにこんなとこで食べるやなんて行儀悪過ぎ、、」


そこで初めて怜は大きな思い込みに気付いた。


(そうや。何で今まで気付かんかったんやろ)


目の前が急に明るくなったような気がした。


(あんな重たいもん運ぶ必要ないやん。”現地で作って”から運んだらええんや。それやったら傷む心配もせんでええし荷も軽なる。運搬費も西瓜に比べたら少なくて済むんやから)


「兄ちゃん!早よ帰ろ!」

「なんや急に元気になって」

「早よう!!」

「わかったわかった」


帰りの駕篭の中で、これからの事を考えた。とりあえず肥後に行かなければならない。肥後で西瓜を栽培する農家を何が何でも探し出すのだと。


”一度決めたら最後までやり抜くんや”


ふと、ハツの声が聞こえて、怜は拳を固く握り締める。


「やったる!」


それは新たな決意表明だった。



◇◇◇◇◇◇◇



帰宅後。

怜は貰った西瓜で、早速「西瓜糖」を作ることにした。井戸水でしばらく冷やした西瓜を綺麗に洗い、皮ごと細かく切っていく。種も全てだ。


大きなすり鉢でそれを潰し、まずは西瓜ジュースを作るのだが、なかなか力のいる仕事だった。赤身は柔らかいが、皮はやはり硬い。ジューサーでもあれば簡単なのだが、到底無理な話だ。


骨の折る作業ではあったが、手抜きは許されないのだ。怜は「完璧」を常に目指していた。


その後、出来上がった西瓜ジュースをさらしで濾し、大鍋に入れて火にかける。沸騰したらアクや不純物(色素)が上に溜まるので、それを丁寧に取り除いていく。


いったん火からおろし、冷めたところでもう一度さらしで濾して、また火にかける。火加減は強いと焦げたり色が付く為、弱火に近い中火でじっくり煮詰めながら水分を飛ばしていくのである。


怜はじっと表面を見ながら、鍋の中を時々かき混ぜた。あまり煮詰め過ぎると冷めた時固くなる為、片時も眼を離すことは出来ない。


怜は噴き出る汗を拭った。暑い台所での作業は小さな怜にとって地獄のようなものだ。それすらも気にならないのはやはり「西瓜糖」への思いが並々ならぬものなのだろう。


「よし」


完成した西瓜糖は蜂蜜よりやや軽めの液状であった。色は色素が抜けて、これも濃厚な蜂蜜に近い。

怜は素早く火を消し、使用人が用意してくれた陶器の小壷にそれを入れた。大きな西瓜二個が、小壷二つ分にしかならないのは勿体無い気もするが、完璧な西瓜糖を作るには仕方がないことなのだ。


怜は鍋の縁についた西瓜糖を、指ですくって舐めてみた。


「甘っ」


京で父に作った西瓜糖と同じだ。以前黄玉で作ったこともあるが、格段に違う。黄玉が全然甘くないわけじゃない。むしろ黄玉も煮詰めれば、結構甘みが出るのだ。


糖度というものは煮詰める度合いによって変わる。要は煮詰めれば煮詰めるほど水分が減り、その全体の量が減る為、糖度は高くなるのだ。


「これだけ甘かったら腐らんかも」


怜はニタリと笑みを浮かべ、片付けに取り掛かった。


とりあえず二壷は確保出来た。あとは向こうに行ってから考えば良いのだ。夏はまだ始まったばかりで、まだ収穫されていない西瓜はあるはず。


「まずは行動あるのみ!」


その夜、怜は第一の難関に挑んだ。



◇◇◇◇◇◇◇



「あかん」

「お願いします!」

「兄ちゃんは絶っ対に反対や!」


やはり三男は首を縦に振らなかった。

もっともだろう。五歳の子どもを遠い肥後に一人で行かせるわけにはいかない。また、三男が心配するのはそれだけではなかった。怜は女の子なのだ。


近頃、少女狙いの人身売買が上方を中心に横行している。攫われた少女達は下は三歳から上は十五歳まで多岐に渡っている。もし怜がそんな目にあったらと想像すると、それだけで胸が苦しくなる思いだった。


「怜、この話は終わりや。もう寝ろ」


三男はピシャリと言って部屋を出ていった。


「怜ちゃん。あの人の事、悪く思わんといてな?」

「頭ごなしや」

「そやけどこればっかりは私も反対や。世の中はええ人ばかりやない。反対に悪い人の方が多いんよ。怜ちゃんは強いかもしれんけど、やっぱりまだ五歳の子どもなんやからね?」


無謀な事はわかっている。だが自分はもう決めてしまったのだ。それを曲げることは夢を諦める事になる。怜は膝に置いた手で着物をぎゅっと掴んだ。


「、、、わかった」


その言葉に幸子はホッと息をつき、「おやすみ」と部屋を出て行く。足音が遠く聞こえなくなったところで、怜は小さく呟いた。


「ごめんな。兄ちゃん」


木箱に入れた二つの小壷。壊れないように固く紐で縛り、隙間にはクッション代わりの細く切った紙を、見えなくなるまで目一杯詰め込んだ。それを風呂敷に包み、荷物袋の一番下に入れる。その上には着替えと金子の入った巾着を入れ、袋の口をぎゅっと締めた。


「よし」


怜の決意は固い。箪笥の引き出しから鋏を取り出すと、長い髪を束で掴み、躊躇いもなくザクリと切った。艶やかな黒髪が畳に落ちていくのも気にせず、どんどん短くしていく。


この幕末、特に「髪は女の命」と言われる時代である。むろん怜に取れば”どうってことないの一つに尽きるのだが、断髪するほど「意思を貫きたい」という怜なりの覚悟を、兄夫妻に見せたかったのだ。


怜は着物に付いた髪を払い、鋏を元の場所に戻した。畳に散らばった髪を横目に姿見に目をやる。鏡に映った自分は女の子用の着物を着た小さな少年。怜は桃色の着物を脱ぎ捨て、青い四つ身を着た。


この着物は京から持ってきたものだった。元々は喜助の着物で、遊ぶ時や西瓜糖を作る時は汚れてもいいようにいつもコレを着ていたのだ。


怜は走り書きでお別れの文をしたためると、縁側に置いてある少し大きめの草履を履いた。


玄関に自分の草履があるが、取りに行ってはバレてしまう為、これで我慢するしかない。音を立てないように裏口へ回り込み、使用人が利用する木戸まで来ると、最後にもう一度振り返る。


(兄ちゃん。ごめんな、、、)




そしてもう二度と振り返らなかった。


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