056
品川沖から北へ、淀屋所有の神風号は順調な滑り出しであった。相変わらず西洋の品々が辺り一面に装飾されており、以前と何ら変わりはない。
「これはな”まいせん”っちゅうとこの陶磁器や。”ぷれと”言うてな」
「”プレート”な。ただの皿やな」
「そ、それや。”ぷれいと”……そやけどただの皿とちゃうぞ?これはな」
「ニ・セ・モ・ン・や」
怜はフンと馬鹿にしたように淀屋に向かって言った。
「マイセンの綴りは”MEISSEN”。ーーけど、この皿は”MEDESON”になっとる。どうせ謎の中国人にぼったくられたんやろ」
「ちゅうごく人?」
「あ、清のヤツらな」
「う、嘘や……」
「なかなか上手く作れとるけどね。でも私は騙されへん。ま、そもそもこういう白磁や青磁は清が発祥やし、むしろこの印がない方が良かったのにね」
「.....わし、もう清から物買わんとこ」
淀屋は肩を落としてブツブツ独り言ちしていたが、坂本はしきりに感心した様子である。
「よう知っちょるのう……」
「寺子屋の先生の教えやよ」
怜はさらりと嘘を吐き食事を開始した。
さっきまでは久々の再会で気付かなかったが、以前と比べ坂本の態度がやたら気になる。なんとなく監視されてるような探られているような気がするのだ。しかしチラチラと様子を伺っても、目が合った瞬間ニッと歯を見せるだけで、特に怪しいわけでもない。
怜はなんとなく腑に落ちぬ思いにとらわれつつも食事を済ませ、空が暮れかかると同時に客室に戻った。
充てがわれた部屋は、前とは随分違う一等級の個室である。ダブルサイズのベッドに革張りのソファ、壁には(怜曰く)怪しげな絵画などが飾られていた。
怜はソファにばたりと仰向けになると、鈴木君が腹の上に乗る。伊勢海老をたらふく食べた鈴木君は今にも寝てしまいそうなほどうつらうつらとしていた。そこへ……
「入るぜよ」
「もう横になっとるんやけど」
「長い旅路じゃ。冷たいこと言わんと仲良うしようや」
「回りくどいな。坂本君らしくない。何か私に聞きたいことあるんやろ?」
にべもない口調に苦笑しながら、坂本はベッドに横になった。
「怜。おんし小栗忠順の小姓しちょったんか?」
「うん。元々は大久保先生やったけど、私の美貌に惚れた小栗先生が”どうしても”言うから仕方なく小姓になってあげたんよ」
「ほう……ほんでどうやった?」
「……何が?」
「その二人はおまんの眼鏡に叶ったか?」
怜はジロリと坂本を睨んだ。
「私から幕府の内情教えてもらおー思てるやろ?言っとくけど、中の話なんてわからんし、知らんし、知りたくもないし、私には関係ないことや」
「……いや、内情なんぞどーでもええんがやき。俺は敵味方より”人”を判断する人間じゃ」
坂本はニカッと笑顔になった。
「ふうん」
「どんな男じゃ?」
「ズバリ二人とも賢い人。日本の行く末をキチンと考えとる。単純馬鹿とは違う」
「単純馬鹿?」
「長州とか水戸のことやん。自分らと意に反する者は”天誅”言うて斬る。浅はかな考えの奴ら。邪魔やから人を殺めるなんて弱虫のすることやよ」
「まあ奴らは奴らの正義があるんじゃ」
「それで命取られたら元も子もないし」
「そうは言うても侍は心意気が違うじゃろ。死を恐れん誠の男ぞ」
「そう言うのを無駄死に言うんよ。この世は生きてなんぼの世界。信念を貫きたいならどんな困難があっても最後まで生きなあかんでしょ」
怜はふぅと溜め息をつくと、坂本は眉間に皺を寄せて起き上がった。
「おんし、ホンマに五歳か?」
「ああん!?あったり前や……」
と言いかけて、怜は勢い良く立ち上がる。
「アァアアアァアアァア!!」
坂本は怜の雄叫びにベッドからひっくり返って落ちた。
「坂本君……」
「な、なんじゃ…」
「あんな……」
「お、おう」
怜はにっこりと笑顔になった。
「明日は六歳の誕生日や!!」
去年、実家で誕生日パーティをしたのを思い出した。近所の人々も招き深夜までどんちゃん騒ぎをしたのだ。
ふふっと怜が思い出し笑いをする反面、坂本は訝しげに怜を見つめていた。
「”おめでとう”くらい言うたら?」
「なん言うちょる。歳は皆正月にとるがやき。目出度いも糞もないがじゃろ」
この時代誕生日を祝うという考えは存在しない。「数え年」が主流であり、全員一律に元日(1月1日)に歳をとるのである。つまり大晦日(12月31日)生まれの人は、生まれた時点で1歳となり、翌日には2歳ということなのだ。
本来の誕生日に基づく満年齢の導入は明治35年。とは言っても習慣というものはなかなか変えられず、導入後もそれが定着することはなかった。また、成長を祝う風習なるものは存在したが、やはりごく一部の高貴な人々のみで、”誕生日=祝い”という概念が一般民衆に定着したのは、実に戦後以降だという。
「私の家では、誕生日には祝いの宴をするっていう”きまり”があるんや.。ほんで誕生日を迎えた人には、みんなで何か贈り物をするんよ」
「ほう……!そりゃあ面白そうじゃの!」
後藤家が”誕生日パーティ”という習慣を取り入れたのは言わずとも怜の所業である。最初は戸惑っていた家族も自分の誕生日にはプレゼントを貰えるというのが気にいったようで今では当たり前になっていた。
「ほんなら俺もおまんに何か贈り物をせなにゃならんな」
「ええ~そんなん申し訳ないわ~……でも、……そう?…そこまで言うんやったら有り難く貰おかな……いやぁ~悪いわぁ!おおきにな、坂本君!」
「……」
◇◇◇◇◇◇◇
次の日、太平洋上で誕生日を迎えた怜。
希望的強制により(単に我儘とも言う)デッキにて誕生日パーティが開かれた。
とはいえ、坂本と淀屋、山田以外には水夫ばかり三十名ほどである。主役の怜が全て取り仕切り、デッキに敷物を敷いて食べ物や飲み物をその上に置いただけであり、所謂花見や遠足のような状態だった。
「音楽がないのが辛いとこやな」
「音楽?」
「三味線とかお琴とかやん」
「長唄ならワシ得意やで」
「遠慮しとくわ」
怜はおもむろに立ち上がり、手に持った盃を高々と上げる。
「ハァーピバァースディートゥーユゥゥゥゥハァーピバァースディートゥーユゥゥゥゥ」
「何かの呪文かのう?」
「ハァーピバァアァスディィィイ」
「呪いの言葉じゃないでしょうか」
実は怜、ヘビー級のどオンチである。どんな軽やかな音楽であっても怜が口ずさめばお経にしか聞こえないのだ。
「ディアァアァ」
「あ、まさか怜さん。この神風号を沈没させようと企んでいるんじゃ……」
「レェエイィィイ」
「ま、まさか。いくら何でもそりゃあないやろ…」
「……いや、怜ならやりそうじゃな」
「ささ坂本はんまでなんちゅうことをっ」
淀屋は一気に青ざめた。確かに怜ならやってしまうかもしれない。ちらりと伺えば、ジロリと視線が返ってくる。けして呪文を止めようとしない怜に淀屋は一層震えるばかりであった。
「ぼ、坊主……」
「ハァーピバァースディィィイッ!!」
「やめてくれ!この船だけは!」
「トゥッ」
「頼む!何でも言うこときくさかい!」
「ウゥウゥゥゥ」
「頼む!!」
「ウゥーー…ウゥ………」
「やめてくれェエ!」
「ユゥゥゥゥ」
あまりの恐怖により、淀屋は顔を突っ伏して泣き出したのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
江戸城
「消えた、と?」
「は。申し訳ありません」
上座に座る安藤に、小栗は深々とこうべを垂れる。その様子を横で見ていた水野は、疑いの目を向けて言葉を発した。
「小栗殿。それはいささか不自然ではございませぬか?」
「……どういう意味でございましょう」
「”あれ”はまだ子どもで、しかも女子であったと申すではないか。流石に誰かの助け無しに逃げ果せることなど不可能でござろう」
「そう申されましても、事実でございますので」
しれっと返答する小栗に苦虫を噛み潰した顔の水野。それを取りなすように永井が言った。
「与力衆に聞くところ、ちょこまかと大人の入れそうにない隙間を掻い潜り、なかなかの速足だったと聞く。小栗殿を庇いだてするわけではござらぬが、子ども故に我らの目を欺くなど容易いのかもしれぬ」
「しかし……これは由々しき事態ぞ」
水野の言うとおりであった。どんな理由があるにしろ、たかが子ども一人、捕らえることが出来なかったのである。
「小栗殿。知らぬこととは言え、長州の間者たる者をこの城内に引き入れた責任は重かろう」
「水野殿。まだ”長州の間者”と決まったわけではありませぬ。むしろ長井などは、そのような童は知らぬと申されておる」
「”火のないところに煙は立たぬ”!」
「では寧ろ、小栗殿は”被害者”だと言っても過言ではなかろう」
「しかしっ」
ますますヒートアップする二人と相反して、小栗は他人事のように聞いていた。安藤はそのやり取りを黙って見ていたが、突然思い立つように立ち上がった。
「もうよい」
即座に反応し、平伏する三人。
「あの者が”間者”だとは到底思えぬ。もしも我らの敵であったなら、我らの為に働こうなどとは思わぬだろう」
安藤は小栗に顔を向けた。
「切れ者は恨みを買うのが常。そうであろう?又一」
「……は」
「だからこそ手放すのは惜しい」
「……は?」
小栗は平伏したまま間抜けな声を上げた。
「そなたに子はおらなんだな」
その一言に水野と永井は顔を見合わせ、小栗もその言葉の意味を察した。
「京に使いを出し、至急事を進めよ」
「お待ち下さい!もし敵であったら!」
「敵であるも味方であるも関係無い。女子だとて貴重な人材を手放すなど以ての外だ」
「では……」
小栗は訝しんだ。
確かに怜は稀に見る子どもではある。男子であれば使いようもあろうが、所詮”女子”の身。しかもまだ幼子である。
小栗は嫌な予感がした。
「後々は恥じぬ家柄の男子を迎え、良き様に取り計らうことにしよう」
嬉々とした安藤の声が響いた。
** * **
太平洋北上中ーー神風号
「御守り?」
「実家近くの神社の肌守です」
肌守とは御守りのことである。山田は誕生日の贈り物だと言って怜に渡した。
「こんなん……大切なもんちゃうん?」
それは年季の入った青い小さな御守りで、首からかけられるよう長い紐で結んであった。
「僕はもう充分守ってもらったので」
「そうなん……ほんなら遠慮なく」
いくら怜といえど『本当は”金”が欲しい』などと言えなかった。何故なら山田は貧乏そうだったからである。
「坂本君は何くれるん?」
「急じゃったき、まだ用意しちょらん。向こう着いたら好きなもん買うちゃる。何が欲しい?着物か?」
「着物なんかいらん」
「ほんなら何が……」
「私が欲しいのは”種”や」
その言葉にギョッと目を見開く三人。
「「種ェエェエ!?」」
コクリと怜が頷くと、皆の顔が見る見るうちに赤く染まっていった。
「怜……さすがにそれは」
「早まらないで下さい!怜さん!」
「六歳の子どもの言葉とは思えんわ…」
盛大な勘違いに怜は気付かない。
付加すれば「男」とはいつの時代もこのようなものである。
例えば一人の可愛らしい女子高生がいるとしよう。
『妙子おっはよ~!』
『ちょっ!どうしたの陽子!?びしょ濡れじゃん!』
『急に雨に降られちゃってさ~。上から下までビショビショになっちゃったぁ』
女子にとってはごく普通の会話である。
しかし周囲の男共の脳内は全く逆の世界に飛ばされている。一種の”サブミナル効果”と呼ばれるものかもしれない。
言うまでもなく、この女子高生の何気ない一言で、トイレへ駆け込む者、保健室へ直行する者、「マズイ!」とばかりにポケットへ手を突っ込む者が後をたたないわけだが、つまりこの三人も同様であった。
「種さえあればいっぱい出来るんよ」
怜の追い討ちに、坂本は恥ずかしそうに手を口に当てた。
「こ、こら怜!女子がそんなこと言うたらいかんぜよ!」
「なんで?」
「怜さんにはまだ早過ぎます!」
「子どもやからって馬鹿にせんといて!私はそんじょそこらのガキちゃう!今まで自分が出来へんことなんか無かったんやから!」
「怜!そういう問題じゃないがぜよ!」
「なんでも好きなもんくれる言うたやん!」
「言うた!言うたけど……っ!」
坂本は頭を抱え、そして思い出した。
初めて怜と会った日、鮫がいる海に飛び込んだ怜を助け、着物を着替えさせた時のことを。
『責任取ってくれるんやろな!?』
怜はそう言った。
不可抗力とはいえ、うら若き乙女(少女)の怒りに触れたのは間違いない。「責任」と言われれば、確かに男として当然である。それに二十程の年の差はあれど、あと六、七年もすれば出来ないことはないのだ。それに世間には年の差カップルなどごまんといる。
頭の中が目まぐるしく葛藤し、懇願するような怜の視線から目を逸らしつつ、坂本は呟いた。
「い、今直ぐって訳には……」
「それはわかっとる」
「坂本さん!?」
怜は満足気に微笑んだ。
「約束な?」
「……約束じゃ」
坂本龍馬。人生最大のミスである。




