055
夢かと思った。
するりと地面に降ろされた瞬間、怜の身体は疲れがドッと押し寄せたみたいに力が抜けた。
「おい。大丈夫か?」
「……あの有名な坂本龍馬がおる」
「有名なんか俺は。知らんかったの」
「なんで?どういうこと?」
坂本は笑顔になって、怜と同じように座り込んだ。
「ここは俺の隠れ家みたいなもんじゃ」
「愛人の家?」
「アホウ。おんしのよう知っちゅう奴の屋敷じゃ。江戸に来た時は大抵ここで世話になっちゅうき」
坂本はヒョイと怜を立たせた。
「さあ詳しく話しを聞かせてもらおか」
「それよりお腹が空いた」
「俺が特製カツオ節飯作っちゃるき」
「それネコマンマやろ?」
◇◇◇◇◇◇◇
ここは「忍者屋敷」というべきか「からくり屋敷」というべきか、一風変わった屋敷であった。
さっき役人の様子を伺っていた時に張り付いていた壁は、回転式の仕掛け扉だったのだ。万が一追手が来たとしても、今度は逆向きに回転させなければ開かない仕組みになっているらしい。ほかにも地下室や屋根裏部屋といった隠れるにはもってこいの場所がいくつもあり、怜は感嘆の声を漏らした。
「なかなかやるな」
「面白い屋敷じゃろ?」
「……さては淀屋?」
「ようわかったの」
「無駄に金だけは持っとるやん」
「くくっ。その淀屋がおまんが追われとる言うてさっき教えてくれたんじゃ。今頃山田と役人巻いてくれちょるわ」
「淀屋にしてはなかなか頑張るやん。さすが私の一番弟子や」
怜の相変わらずの調子に坂本は苦笑した。
「ほんで役人に追われちょるんは何でじゃ」
出されたカツオ節飯を食べながら、今日二度目の説明をする。むろん自分にマイナスになる事柄は避け、長州のせいで幕府に追われていることと、仙台に用があることを伝えた。
「長州とはどんな繋がりがあるんじゃ」
「繋がりなんかない。勝手に養子やら結婚やらの話を決められたんやよ。ええ迷惑やわ」
「ほう……えらい気に入られたんじゃの」
「挙句、役人からは間者の疑いかけられてこの有り様や。長州藩は疫病神や!」
坂本は声を上げて笑い、再び話しを続けた。
「しかし仙台か…またえらい遠いとこじゃな」
「そうや!淀屋に乗せてってもらお!」
「アホウ。淀屋は俺と長州に行くんじゃ」
「長州?なんで!?」
「アギに使いを頼まれての」
「そんなん今やなくてもええやん!私は急いどるんよ!今すぐにでも出発せなあかんの!」
坂本は訝しい表情で怜を見た。
「仙台に何の用があるんじゃ」
「い、生き別れの妹が…」
「ホラを吹くな」
「死にかけの老婆が…」
「正直に言わんか」
怜は深い溜め息を吐いた後、憂いを込めた表情で庭園へと目をやった。
「私な、たまに未来が見えるんよ」
「未来?」
「予知夢って言うんかな……」
悲しげに微笑む女優ばりの演技を見せつけ、出てもいない涙をそっと拭う。
「その予知夢に神様みたいな神々しい人が現れて、”もう直ぐ仙台で大きな地震が来る”って言われたんよ」
坂本はギョッと目を丸くさせた。
「な、な、…ほりゃあまっことなが?」
「まっことなが」
コクリと頷く怜。
「私が行くからって地震が無くなるわけちがうけど、一人でも多くの人を助けたいんよ。だから仙台に行きたいねん」
坂本はしばし唖然と口を開いたままであったが、怜の真剣な表情を見て、それが「嘘」ではなく本当のことだという結論を出した。
それにはやはり、以前土佐で嵐を鎮めた現象が、この目の前の少女の不思議な力によって起こったものだという前提があったからである。
「よっしゃ。ほんなら俺も付いてっちゃる」
「え!?」
「簡単に”仙台”っちゅうが、ガキ一人で何が出来るんじゃ。一人より二人。二人より三人っちゃ」
「そ、それはそうやけど。長州はどうするん」
「その後に行くだけじゃ。おんしも付いて来い」
「えー!!嫌や!」
「アホウ!逃げても一緒じゃ。ついでに話し合いに行けばええ。俺に任せとけ」
坂本は自信ありげに胸を叩いたのであった。
その後、屋敷に戻ってきた淀屋やその手下、また山田とも合流し、再会の記念(?)にと、昼間から宴会が始まった。
「横浜の取引先からの帰りやったんや。街道にエライようさん役人がおるから何かあったんかと思て下のモンに調べさせたら、子どもが手配にかけられとる言うてな、よくよく調べたら”京弁を話す五歳の生意気な小童”や聞いて、坊主しかおらん思たんや」
淀屋の失礼な推理に怜は納得がいかなかったが、大目に見てやることにした。
「ともかく無事で良かったですよ」
「そう簡単に捕まらんし。奥の手もあるもん」
「奥の手ですか?」
「あの子や」
怜は庭木の根元を突付く夜鷹を指差した。
「な、鳥?」
「おお、そうじゃ。えらいおまんに懐いちょるの」
「鈴木君やよ。あの子の攻撃は半端ない。アームストロング砲の砲口初速より速いことで有名や」
三人は「え!?」と身を乗り出した。
むろん誇張であり、逆にそんな鳥がいるならお目にかかりたい。
「ほりゃあ凄まじい威力に違いないのう!」
「ふふん。まあね」
坂本の良い点というべきか、この男は基本的に純粋かつ単純である。怜の言葉にすっかり感心し、鈴木君を見る目は尊敬の眼差しに変わった。
「それより淀屋。横浜の取引先ってまさかウィリアム・マーシャルとか?」
「ああ、その名前は聞いたことあるなあ。そやけどまた別や。知り合いか?」
「友達やねん」
「そうやったんか。まあ、わしの取引相手は英吉利人だけやない。仏蘭西人や亜米利加人とも取引しとる。長崎の方はもっぱら阿蘭陀人が多いけどな」
淀屋は拠点を大坂とし、南は薩摩、北は蝦夷地まで取引きをしている。南の特産品は北で売れ、また逆もしかりということらしい。
「日本の物は人気がある。何せ質がええからな」
「そうなん…それは良いこと聞いたわ」
怜の不気味な笑みを見て、三人は嫌な予感がした。
「わし寒気がする…」
「あの顔は悪いことを考えている顔です」
”外国人との取引”
それは怜の野望に一歩近付くということだ。各国から様々な品種の西瓜の種を取り寄せ、改良を重ねていく。最終的に最高級の甘い西瓜で"西瓜糖"を作るというあの”野望”である。
「仙台の後はその後は長崎やな。ほんで肥後にいかなあかん。いやその前に京にも帰らな……」
「長州が抜けちゅう」
怜はブツブツと独り言を言いながら、今後のスケジュールを組み立てる。そして「ヨシ」と立ち上がると、淀屋の背中をバンッと叩いた。
「頼むで!淀屋!」
「は!?」
「ほな、私は風呂に入らせてもらう。準備が出来たら出発や。鈴木君!お風呂行くで!」
「キョキョ…」
鼻歌を歌いながら怜が部屋を出て行くと、淀屋は廊下を確認した後ぴったりと襖を閉めた。
「向こうはどうじゃった」
「それがな、間者の噂を流したんはどうも長州らしい。それで坊主に手配がかかったっちゅうことやわ。逃がしたんは小栗忠順やったかの」
「小栗忠順か…」
「小姓をしとったっちゅう話や」
「……なるほど」
「それで長井らが公儀から聴取を受けてる最中でな、もちろん坊主なんか知らん言うてシラ切り通しとるけどな」
坂本は腕を組んだ。
「長州は二分されちょるき、おそらく長井らはまっこと知らんがやろう。つまり、もう一派が犯人じゃの」
「もう一派とは?」
「久坂玄瑞が率いる一派じゃ。あわよくば長井にも公儀から疑いの目を向けられたらええと二重の策を講じたんじゃろ」
前述通り、長井雅楽は幕府からも信頼を得ている。特に安藤信正は長井の”航海遠略策”を承認した一人でもあった。それを快く思わない久坂一派が怜を利用したというのは少し考えればわかることであった。
しかし、それだけではないと坂本は思った。
「そやけどホンマに仙台に行くんでっか?」
「そうせんと怜は長州に行かんじゃろ」
「坊主を連れていってなんかええことあるんかいな……」
「大有りじゃ」
「なんでまた……」
「アギに使いを頼まれたんもあるが、俺は久坂玄瑞っちゅう男に興味があるんじゃ。なかなか任侠な男と聞いての。それに怜は聡い子じゃ。奴らもそれに気付いたんやろう。手土産みたいなもんじゃ」
「手土産ってまさか」
坂本はニヤリと頷いた。
「山田、今から長州側に文を届けてくれ」
◇◇◇◇◇◇◇
長州藩上屋敷
思った以上に手強かったとしか言えない結果だった。桂、伊藤、そして久坂は、むっつりと険しい表情のまま室内は不穏な空気が流れている。
「怜のヤツ、とうとう戻らなかったか…」
「小栗忠順があれほど小姓を大事にする奴だったとは想定外だ」
「まあ怜だからというのもあるのだろう」
「どうします?長井さんらも薄々気付き始めていますよ。我々が策略したのではないかと」
「あの男はどうでも良い!とにかく怜を取り戻さなければ…っ…」
「久坂……いつものお前らしくないな」
「桂さん。当たり前でしょう。怜は私の..」
「言うな!!(オエ」
桂が怒鳴り声を上げたのと同時に、高杉が勢い良く襖を開けた。
「おい、久坂宛に文が来たぞ」
「おお、高杉か。誰からだ?」
「土佐の坂本という男だ」
「坂本……?」
久坂は文を受け取ると、素早く目を走らせた。
「これは...」
「どうした?何て書いてある」
その文には、『近々長州にて世界に一つとない”京の珍品”をお見せしたい』と書かれていたのであった。




