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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
53/139

053




裏口からこっそり脱出した二人は、沈みかけた太陽を背に手を繋いで走り出した。


「急ごう」

「うん」


夜の道を子どもが彷徨くなど不審がられる為、何としても暗くなる前に築地へ行かなければならなかった。


東郷自身は薩摩藩邸に逃げ込むのも有りだと思ったが、それが長州藩や幕府の耳に入り最悪引き渡すよう申し立てがあれば、いくら薩摩藩といえど拒否は難しいのではないかと思ったのだ。自分だけであれば、きっと藩は守ってくれるだろう。だが怜は京の人間である。つまり幕府の直轄領(天領)に属しているのだ。となれば、例え長州藩から守り通せても公儀から要請があれば出頭は止むを得ない。


「キョ」


鈴木君が短く鳴いた。

何かを感じ取ったのか誘導するように細い道を右折する。二人は、積まれた空き樽の後ろに身を低くして息を潜めた。


「お前らは街道へ急げ!」

「子どもの足だ。それほど遠くへは行っていないだろう。暗くなる前に確保するぞ!」


矢継ぎ早に役人の怒声が上がり二人の肩がピクリと跳ねる。


「どうしよ...」

「下手に動いたら捕まってしまうから、今日はどっかに身を隠して明日行動した方がいいね」

「キョキョ」

「うん」


その後二人は誰も使っていない廃屋で夜を明かした。




◇◇◇◇◇◇◇



築地軍艦操練所(講武所内)


「深夜まで捜索したんだが、結局見つからずじまいさ」

「それは大変でしたね」

「全く……」


勝はハーッと溜め息をついた。


「しかしその子どもというのは一体何者なんですか?」


榎本武揚は腑に落ちぬ表情だった。

というのも、中浜(ジョン万次郎)から、小栗の小姓で英語が堪能な子どもがいると話は伝え聞いてはいたのだが、それ以外は特に何も知らないのだ。(※中浜は操練所内における英語の教師)


あの米国との協議に参加したのも勿論聞いてはいたが、詳細は国家機密になっており中浜もそれ以上は固く口を閉ざしていた。


「長州藩の間者だと匿名の書簡が届いたんだ」

「長州藩の…?」

「小栗さんは否定していたがね」

「まさか小栗さんが処罰させられるなんてことはありませんよね?」

「それは無いだろう。元々は大久保さんの小姓だからな」


榎本はホッと息を吐いた。


「しかしわざわざ何故ここへ?」


勝とは長崎海軍伝習所からの付き合いであるが、小栗ほど深い付き合いをしているわけではない。逆に小栗と榎本は同じ思想の持ち主であり、小栗が認める数少ない仲間の一人であった。


「ここへ逃げ込むかもしれないと睨んでね」

「ここへ、ですか?」

「例えば小栗さんが奴らを逃すとしたら誰かに託すだろうと思ったんだが……」


榎本は「なるほど」と思わず口角を上げた。自分が疑われているとようやく気付いたのだ。


「互いに忙しくて、小栗様とはしばらく会ってもいませんし、文のやり取りすらしていませんよ」

「……そうか」

「他を当たって下さい。今から授業が始まるので失礼します」


榎本は軽く頭を下げると部屋をあとにした。廊下には与力衆が数人立ち、道を塞いでいる。榎本はそれを一瞥すると「退け」とわざと肩をぶつけ、臆することもなく去っていった。


「先生!」


そこへ榎本の小姓が息を切らしながらやって来た。


「廊下を走っては駄目だろう」

「す、すみません」


小姓の様子から何かあったのだと瞬時に察したが、榎本はあくまでも平静を保った。背後からは突き刺さるような視線。その気配に神経を研ぎ澄ませ、いつもよりゆっくりとその場を離れる。小姓もその様子を直ぐ様察知し、口を噤んで後ろに付き従った。



勝や与力衆が見えなくなると榎本はボソリと口を開く。


「何かあったのか?」

「はい。お客様が」

「……子どもか?」

「は、はい」

「どこにいる」

「先生の部屋に待たせてあります」


今更ながら勝の洞察力に感心する。

同時に小栗が自分を頼ってくれたことも少なからず嬉しく思った。


「誰にも見られなかったか?」

「手水場で声をかけられてそのまま部屋へお通ししたので大丈夫だと思います」


榎本専用の部屋は操練所より少し離れた建物内にあり、人目を避けるように奥ばった一角である。所々に配置された警備にも見つからず、子どもだけでここまでくるとはよほど急を要しているに違いない。榎本は小姓を見張りに立たせ、自然と早足になって部屋の扉を開けた。



「お前達が小栗さんの小姓か?」

「小姓っていうか友達?いや、仲間かな」

「何言ってんの怜!」


小さい子どもの言葉を少年が慌てて制す。榎本は一瞬呆気にとられた。


「初めまして。東五郎と申します」

「後藤怜言います。宜しゅう」


礼儀正しく頭を下げる二人。

榎本は自分も自己紹介を済ませると、怜から手渡された小栗からの文に目を走らせた。


「……仙台か」


余計な一文は一切無く、簡素な内容であるも、小栗がいかにこの二人に目をかけているのか榎本にはわかる。しかし目の端で怜達の様子を観察しても、特にその辺りにいる子どもらと何ら変わりなくも思えた。


「ここに来たのは初めてだろう。よく迷わなかったね」


講武所内のこの施設は結構入り組んでおり、迷うことは少なくない。ましてや子どもである。誰にも会わず、更に偶然か否か、自分の小姓にピンポイントで出会うなど奇跡に近かった。


「キョキョキョ」(余裕や)

「!?」


榎本は目を見張った。

怜の頭の上の物体が突然動いたからである。


「あ、この子は鈴木君です」

「す、鈴木…?」

「この子に案内してもらったから。な?」

「キョ」


にっこりと怜は笑顔を見せた。


実は鈴木君。江戸の地理には精通している。暇さえあれば江戸の町を散策していた為、鈴木君にとってみれば江戸は「庭」のようなものなのだ。


榎本は「まさか」と内心訝しむも早速腕を組んで考え始める。


「仙台、となれば奥筋廻船で行くしかないな」


奥筋廻船とは北前船、尾州廻船と並ぶ民間船である。日本列島を囲む航路を三分割し、北前船は大坂周辺港から瀬戸内海を経由し、日本海沿岸を北上して蝦夷地まで運行し、尾州廻船は大坂より紀伊半島から伊豆半島を経由して、江戸方面。そして奥筋廻船は、江戸や浦賀から奥羽方面を経由して蝦夷地へと運行しているのである。


「どちらにしろ今は動けない。役人共が彷徨いているからな。暗くなったら……」

「だからこそ今行動したいんです」


榎本は思わぬ言葉に耳を疑った。


「夜の方が危険やから私らは朝まで待ったんです。明るい方が人目にもつかんから」

「しかし外には…」

「鈴木君がおるから大丈夫です。それより船を紹介して下さい。さっさと江戸を脱出せな、時間が経てば経つほど捕まる可能性が高くなるんです」

「ご面倒おかけして申し訳ありませんが、宜しくお願いします」


二人は頭を下げ、答えを待つ。


確かにそれももっともだと思った。

先ほどの勝の様子からそれほど慌てている風でも無かったし、寝不足気味の調子であるのを見れば深夜に捜索したであろうと考えられる。むろん日中も目を光らせているのは明らかだが、夜に比べればまだ目立たない。


「”高田”という男がいる。家はここからそれほど遠くない。あいつなら上手くやり遂げてくれるだろう」


高田は江戸生まれの江戸育ちで、"廻船問屋”を生業としている。蝦夷地と江戸を往復する商人で「淀屋」と同じ類いの者であった。船主であり商人でもある”買い積み賄い”に従事しているらしい。


「この文を渡してくれ」

「「ありがとうございます!」」


二人は榎本が書いた文を受け取って一礼する。しかし部屋を出ようとした瞬間、榎本が東郷の肩を掴んだ。


「別々で行動した方がいい。 二人一緒だとどうしても目立ってしまう」

「でも」

「そうや。その方がええわ」

「だけどもしすれ違ったら…」

「大丈夫や。文は五郎君が持っといて」


榎本は住所を書き記した紙を二枚用意すると、それぞれを二人に渡した。


「途中まで小姓に案内させよう」

「ほんなら私は鈴木君と違う道から行く。現地集合な」

「でも...」

「大丈夫。鈴木君がおるし。何かあれば連絡するから」


怜は心配そうに眉を下げる東郷を勇気付けるように笑顔を見せた。


「ありがとうございました!五郎君、また後で」

「....うん。気をつけて」


バンと襖を開けた怜。臆することもなく堂々と廊下を歩いていく。榎本は呆気に取られながらもそれを見送り小姓を呼び寄せた。


「この少年に道案内を頼む」

「はい」

「他の者に見つからぬよう」

「承知しました」


不安に押し潰されそうな東郷とは真逆に、口笛を吹きながら颯爽と歩く怜。船を確保出来たことで一先ず安心し、呑気なことに最初から長州などあてにせず小栗を頼った方が良かったとさえ思っていた。



◇◇◇◇◇◇◇



高田の屋敷まで、通常ならば四半刻(30分)の道のりである。慎重派の東郷は榎本の小姓と別れた後、道なき道を歩いた。むろん江戸の町を知らぬ東郷にとっていくら住所がわかっていてもやはり不安である。



「申し訳ありません。道を尋ねたいのですが」


娘に声をかけたのは、別にやましいことがあるわけではない。単に優しそうな顔だったからである。女は東郷を見るなり顔を真っ赤にした。歳はおそらく15、16。薄い水色の着物に明るい青の帯。頭に白い頭巾を被り、手桶と柄杓を持つ。どう見ても町娘である。


「あ、あ、……」


娘は何故か口をパクパクさせた。


「ここへ行きたいのですが」


東郷は住所を書いた紙を見せた。

しかし娘はちらりとも見ず、東郷の顔をガン見している。


「あの……?」

「あ、は、はいっ!」


ハッと我に返った娘は手桶をその場に置いて、何故か頭巾を取り、手の汚れを着物で落とすようにゴシゴシすると、恭しく紙を受け取った。


「こ、ここでしたらあの道を右に曲がって……」


娘が上ずりつつも説明し始めた時、東郷はその向こうから役人の姿を捉えた。


(役人だ…!)


東郷は危機を悟る。娘の声も聞こえないほど緊張で胸が鳴った。しかし怜に会う前に捕まるわけにはいかない。東郷は近付く役人を視界の隅で捉えつつ、「失礼します」と紳士的に断りを入れて、やおら娘に「壁ドン!」からの抱擁を繰り出した。


「きゃっ」

「しばらくこのままで」


すかさず耳元で囁く東郷に、娘は真っ赤に震えながらもコクリと頷く。むろん頭の中は大パニックであるが、それよりも、こんな美少年の逞しい腕の中にいる事実に、人生最高の幸せを感じていたのであった。


(とうとう私にも春が来たのね…)


娘はうっとりと目を閉じた。


「ようよう!熱いねぇ!」

「若いってのはいいよなぁ!」


薄目で少年の向こう側を見ると、役人らしき男達がニヤニヤと薄笑いをしながら通り過ぎていく。それでも少年が自分を離さないのをみて、娘は「結婚」を意識する。


(もしかして、私に一目惚れ……)


娘は震えながらも東郷の背に手を伸ばした。が、抱き付こうとした瞬間、温もりが瞬時に消えた。


「突然不躾な真似をしてしまいまして申し訳ありません」

「い、いえ!気にしないで下さい!なさぬ仲でもないのですから!」

「……は?」


東郷は首を傾げた。


「あ、あの、高田様の屋敷でしたね!私がご案内致します!」

「え!?いいのですか?」

「もちろんですわ!さあ、参りましょう」

「ありがとうございます!助かります!」


東郷は45度に頭を下げた。


「私達の間に遠慮は無用ですわ。夫の手助けをするのが妻の役目ですもの」

「……は?」

「あらやだ!私ったら!」


”うふふっ”と笑顔の娘に東郷はわけがわからなかったが、取り敢えず屋敷に案内してくれるということで、その後を付いていったのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



一方怜と鈴木君は既に高田の屋敷に到着していた。なかなか立派な門構えの屋敷は、それほど広くは無さそうだが建築されたばかりの真新しい木の香りがする。


「主人ならいないわよ」

「え!?もう出航したんですか!?」

「出航は昼過ぎだけど、最後の積荷の引取りがあるからって今朝早く出発したわ」

「船の名前何て言うんですか!?」

「奥羽丸だけど……」

「おばさんありがとー」


昼までもうあまり時間がない。


「鈴木君!五郎君とこ行って港に集合って伝えて!」

「キョキョ!」


怜と鈴木君は二手に分かれ、それぞれ逆の方向へ走り出す。足止めを食らうわけにはいかなかった。



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