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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
51/139

051



その後日米協議は大きな問題もなく終了した。


一番の重要案件であった開市開港問題は、米国が各国公使に通達し半強制的に延期が決定されることとなった。むろん英吉利や仏蘭西など各国公使は揃って反発したものの結果的には幕府の現状を察するにそれを改め、幕府支援に転換する運びとなった。つまり開市開港における国内の混乱を間一髪で抑えることができたのである。またヒュースケン賠償問題に関しては米国側が補償することで合意に至った。




「いやはや皆様にもお見せしたかった!」


永井は自分の手柄のように胸を張った。

三度目の状況説明にウンザリ気味の怜は、ほとんど自動的に声を発した。


「全て小栗先生の指示通りです」

「さすがは小栗殿じゃ!」

「いえ。滅相も無い」


珍しく謙虚な小栗は難しい顔のまま、何かを思案しているようだ。


「此度はよう働いてくれた。礼を言う」

「は」


安藤が満足気に笑みを浮かべる傍ら、水野は気に食わぬ表情で憮然と小栗を睨みつけ、口火を切った。


「ところで小栗殿。何故にあちらの内政状況を知り得たのだ?」


もっともな問いに安藤は眉根を寄せる。


「ふむ…確かにそれは気になるところ。我々すら知らぬ情報を、勘定奉行であったそなたが知るはずもなかろうに」

「以前渡米した際、既に彼の国は水面下で争いを繰り返しておりました。むろんその時はまさか戦にまで発展するとは思いもよりませんでしたが。そして今回の事件において、一番の被害者はハリス公使であるにも関わらず、当初彼は賠償金については言及しなかったのです」


小栗はそれを想定していたようで、何の澱みもなく淡々と説明した。


「うむ。確かに。我々は他の公使らと足並み揃えて抗議に来るだろうと思っていたが」

「はい。来年の開市開港まで時間もありません。これを良い機に早々に協議を進めると、そう思っていたのですが不思議な事に米国は沈黙を守り続けている。何故だろうと思案しました。そして思い立ったのです。彼の国はこちらを気にかける暇などないのではないかと」

「成る程。確かにあちらの返書は遅かった。つまり東の果ての他国のことまで、目を配る余裕もなかったのだな」

「その通りにございます」


納得した安藤とは逆に、水野はまたも鋭い質問を投げかける。


「しかし、ほれ、その小姓……”怜”と申したか。あちらの地理に詳しいのは何故だ」


怜はちらりと小栗を見た。


小栗は目を少し細めて僅かに首を縦に振る。おそらく”当たり障りなく答えよ”という意味なのだろう。


「えっと……私は京の寺子屋で洋学を習いました。その際先生に、五歳ならば世界地図ぐらい書けて当然だと言われ、毎日描いている内にその...地理に多少詳しくなってしまっただけです」


単に中学の頃散々やらされただけである。

しかし五歳の身空で世界地図を描ける者などまず存在しないだろうし、こんな言い訳など通用するのか甚だ疑問であったがなるべくその焦りを周りに見せないよう平静を装った。


「なんとそなた……メリケンだけでなく世界の、他の国々の地図も描けるのか?」

「まあ…」

「その京の寺子屋の”先生”とは」

「あ、あの、先生はもう亡くなりまして、その寺子屋も今はありません」

「亡くなったのか...成る程」

「はい。享年百四歳でした」

「それは...まあ....仕方あるまい」


安藤は怜を値踏みするようにジロジロと見る。怜は居たたまれなくなり、小さな身体をより小さく縮こまった。


「小姓もさることながらやはり又一は異国を見る目が他の者とは違うようだ。これからもよしなに頼むぞ」

「は」


結局小栗は町奉行及び勘定奉行から古巣である外国奉行に異動することになったが、彼の言説を弄する能力を見れば至極真っ当だと怜は思った。



「皆様方がお集まりでございます」


襖の向こうから近侍の声がした。


「おお……もうそんな時刻か」


安藤は軽やかに立ち上がる。一先ず良い方向に進んだ状況に満足している風である。


「又一、そなたも参られよ。此度の件、上様にご報告せねばならぬ」

「はは」


怜は皆の真似をして深々と頭を下げた。

安藤の後に続くように水野が出ていき、小栗も立ち上がる。慌てて怜も立ち上がると、永井がそれを制した。


「待ちなさい。お前にはまだ話がある。良いですな?小栗殿」

「ええ」


小栗は怜の不安を取り除くように頭を撫でると、小さく頷いて部屋を後にした。残された怜は不安というより”不快”に近い。永井の締まりのない顔で少しずつイライラとした感情が沸き起こるのだ。



「芙蓉で談義をしていたのは真か?」

「あ、……はぁ。まあ」

「実はの、あの談義を聞きたいと言う者が多くてな」


思いもよらぬ言葉に思わず目を丸くした。


「”あれ”でございますか…?」


怜の問いに永井が頷いた。


「各方より要望である。特に小姓らに知恵を授けてほしいと皆が口を揃えておる。嫌なら無理にとは言わぬが、給金は支払うと申しておる」

「やります!」

「……そ、そうか」


むろん本来のこちらの仕事が終わった後である。怜はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて、早速頭の中で計算を開始した。堂々と貰えるようになったとあらば、これからは決まった金子が手に入る。怜にしてみれば大きな収穫である。



◇◇◇◇◇◇◇



「五郎君。数えるの手伝って」

「うん。いいよ」


文銭を紐に通す怜と東郷。鈴木氏も手伝って事はあっという間に終わる。怜と鈴木氏はそれをニヤニヤと眺めては抱き締め合い、まるで守銭奴仲間のようだった。


「今度の休みの日、伊勢海老買いに行こか!」

「キョキョ!!」

「僕も付いていくよ」

「キョキョォォオ!」

「うわ!?」

「鈴木君?今日も処すん?」

「ちょっ!やめろってば……わっ」

「くすぐりの刑ー!」

「キョォォオキョキョォォオ」

「ははっ……やめっ…!…ひゃっはは」



その様子を、襖から覗き見る二人の男。


「仲のよろしい小姓でござるな」


小栗と平馬である。(※容保の登城日)


「何を話しているんだ。そんなに顔を近づけて」

「小栗様?」

「わ、私も仲間に…」

「小栗様、いかがなされた!」


小栗はハッと我に返った。

いつの間にか襖に手が伸びていたのだ。


「い、いえ!」

「大丈夫でござりまするか?」

「すみません。ささ、参りましょう」


後ろ髪を引かれるとはまさにこれだった。楽しそうな小姓達。自分もその中(特に中心)に入りたい。

しかし自分はいい歳を重ねた大人だ。



……***


『五郎~こちょこちょこちょ~~』

『……なんでんねん。この大人。頭イかれてますやん』(※小栗による想像の関西弁)

『怜、先生に失礼だよ』

『そない言うたかて、大の大人がやることちゃいますやろ?思いまへん?』

『わ、私も仲間に』

『残念でおま。”くすぐりの刑”の対象年齢は、五歳から十五歳と決まっとるさかい』

『そんな……』

『堪忍でっせ。ほなさいなら』



……***


遠ざかる二人の後ろ姿。

小栗の目から滝のような涙があふれた。


「あんさん、見捨てんといてえな!」

「な!?小栗様!?」


平馬はギョッと目を見張った。

何にもない空間に、涙を流しながら手を伸ばす小栗。下手くそな関西弁を惜しみなく使いこなし、恥ずかしさのカケラもない。(逆にこちらが恥ずかしい)


ちなみに関西弁は多岐に渡るとはいえ、「あんさん」「でんねんまんねん」など通常は使わない。観客を笑わせようとわざとらしくそういった話し方をする芸人はやたら多いが、実際は辛うじて「~さかい」を使っているジジババを目視する程度である。(※諸説有り)


「しっかりするでござるよ!小栗様!」

「ハッ……。も、申し訳ない」


(いつもの小栗様ではないでござる。そういえば小栗様の奥方は実家に帰っておられるとか……)


平馬は最大に感違いをしたまま深く頷いた。


(普段から某は小栗様にお世話になっている身でござる!そのご恩に報いる為にも、早期に恩返しをしなければ!)


平馬はあさっての方向に想いを巡らせ、そっと涙を拭いたのであった。




◇◇◇◇◇◇◇



芙蓉の間


「お?来たな」


現れたのは勝小姓団である。


「あんたらはだいぶみんなから遅れとるから取り敢えず”手習い”からや」


怜は手に持った紙を数え始めた。


「手習いって!ガキじゃあるまいし!」

「しーずーかーに!みんなの邪魔になる」


怜がひと睨みすると二人は周りを見渡してハッと我に返った。総勢三十人ほどの小姓らが「うるさい!」という目で自分達を睨んでいるのだ。


「手習いって言うても”点繋ぎ”やよ。この紙に書かれた点をイロハ順に線で繋いでいくの。簡単やろ?」


怜は二人の前に数枚ずつ紙を置く。


「わからんかったら五郎君か私に聞くように」


小さくなる二人。

コクコクと頷いてその場に座り、結局何をやらされているかもわからぬまま、筆を走らせるのであった。



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