005
キラキラと輝く室内。
怜の為に用意された部屋は、目の前に小さな池があり、ちょうどそれが太陽の光を浴びて、障子へと乱反射していた。
「んー、、、」
昨日は結局あのドタバタもあり、予定にしていた外出は取り止めにしたのだが、夜は怜の歓迎会と称し、家中の使用人も含め、盛大な宴会が深夜まで繰り広げられた。
とは言っても怜は昨晩の寝不足のおかげで、いつの間にか寝てしまったのだが、やはりそれは五歳の少女にとって致し方ないことであった。
「?」
グッと背伸びをしながら薄っすら瞼を開く。ここが大坂だと理解するまで、数秒かかった。
「あ、そうや!」
怜は急いで起き上がり部屋を出ると、バタバタと廊下を歩いた。
「兄ちゃーん!」
迷路のように入り組んだ屋敷は増築しているようで、途中から壁や廊下の色が微妙に変わっている。怜に用意された部屋は、どうやら増築部分の真新しい部屋だったようだ。
ギシギシと音の鳴る廊下をしばらく歩いていると、使用人の男が前からやって来た。
「お嬢さん、お目覚めでっか」
「うん。おはよう。兄ちゃんは?」
「案内します」
男の後ろについて行くと、広めの座敷に辿り着く。昨日最初に案内された部屋だった。
「あら、もう起きたん。おはよう怜ちゃん」
「怜、よう寝れたか?」
二人はちょうど朝食を済ませたばかりで、食後のお茶を頂いている。
「おはよう。うん。いつの間に寝たんやろ」
首を傾げつつ、使用人に促されて二人の前に座ると、直ぐに朝食が出された。
「なあ兄ちゃん。私、卸売り市場に行きたいねんけど」
「卸売り市場?なんでまた、、、そんなもん京にもあるやろ」
確かにあるのはあるが、怜の求めるものはない。むろんそれを知らない三男は腕を組んで怜に問いかけた。
「何か探しとるんか?」
「勉強や。京の市場とどう違うのか、この目で見たいねん」
我ながら上手い言い訳だと思った。
「そんな変わらんと思うけどな」
大坂は三府(江戸・京都・大坂)の一つで商業都市として繁栄している。中でも青物を取り扱う独占市場があると善治郎から聞いていた。
怜はそこへ行きたいと思っていたのだ。
おそらく探せばその辺りの八百屋にも西瓜は置いてあるだろうが、量を確保する為には大きな市場で探した方が良い。それに競合店のひしめく中では、価格も安いだろうと睨んだのだった。
「市場といえば堂島の米市場、雑喉場の魚市場やな」
「野菜とか果物とか売っとるとこないの?」
「青物は天満や。百件ほどはあるんちゃうか?いや、もっとあるかな」
「ほんま!?」
「なんや、行きたいんか?」
「うん!私、今から行ってくるわ」
「アホか。一人で行けるわけないやろ」
「大丈夫や!」
「あかん。それやったら兄ちゃんが連れてったる」
「えー、、、」
有り難迷惑だった。
心配ゆえの行動とわかっていても、三男は頭がキレるしグイグイ突っ込んでくる。しかし全力で拒否すれば余計怪しまれると思い、怜は渋々了承したのだった。
昼前に市場へ出かけることになると、三男は急ぎの仕事を済ませると言って外出した。怜は今の内にと部屋へ戻り、筆を走らせる。
(えーっと、西瓜が(値切って)一つ三十文として、百個で三千文。鍋で煮詰めるとしても一度で五個くらいが限界や。大体五時間かかるとして一日十個程度。十日で百。最低西瓜三百は必要やな)
「十時間ずっと立ちっぱなしは死ぬな。鍋の数を増やして一日三十個やったら西瓜…九百個!?、、、正式稼動したら人件費もいるってことか」
むろんそれだけではないことも怜にはわかっている。運搬費用もさることながら、西瓜糖を入れる器も必要であるし、火を扱う為の薪も大量にいるだろう。しかし今は細かいことを考えるより、先ずは百個の西瓜糖を作り、それを足掛かりにしようと考えているのだ。
「そうや!忘れとった!」
怜は部屋を出て台所へと走った。
西瓜を調達したとしても作る場所はここしかないわけで、そうなれば台所を長時間借りなければならない。
「おや、お嬢さん。どないしはったん?」
台所には鴻池三男家の使用人が三名いた。皆、優しそうなおばさんばかりだ。
「あんな、今日市場から帰ったら、台所使いたいねんけど」
「ここを?そりゃまたなんで?」
「えーっと、料理が好きやねん。絶対おばさんらの邪魔せえへんから。かまへん?」
「あらまぁ、小さいのに感心やわ。もちろんええですよ。火も使います?」
「うん。大鍋も一個貸してくれる?」
「わかりました。用意しときますね」
「おおきに!」
(よし!あとは西瓜を手に入れるだけや!)
◇◇◇◇◇◇◇
”天満青物市場”
元は大坂城付近にあったこの市場は、かの豊臣秀吉がその築城の際に、今の天満(現大阪北区)へと移設された。昔から青物市場として繁栄していたものの、大阪市中央卸売市場が設立されて廃止となったらしい。現代では市場跡しか残されていない。
「やっぱ凄いなぁ」
やはり官許の市場とあって、その賑わいは他とは比べ物にならない。怜はその大きさに圧倒された。
山積みされた野菜や果物が所狭しと置かれ、交渉し合う仲卸業者と小売り業者の声がそこら中から聞こえてくる。
「競売はないん?」
「もう終わったんやろ。あれは朝一から始まるからな」
「え、終わったん!?」
「今ここで売ってる奴らは”仲卸業者”や。大体競売は卸売業者と仲卸業者の間で成立するんや。そやから仲卸業者は卸売業者から仕入れたもんを、参加権があらへん小売業者らに販売しとるっちゅうことや。仲介者ってヤツやな」
「参加権がいるんや、、、」
「実績やら保証金やらいるからな」
世の中の見えない部分を初めて見たような気がした。店に行けば当たり前に置いてある物も、様々な人が関わって上手く流通しているのだ。
「難波や堀江にも市場はあるけどな、ここは特別や」
怜は三男に手を引かれ、人波に沿って歩きながら、見落とさないよう目を走らせた。
賑わいを見せる周囲は、うるさいくらい大きい。怜は片方の手で耳を覆いながら不安に駆られた。
(もう売り切れたんかも)
しかし数分後、キョロキョロと目をやった先に、ようやくあの黒光りした大きな西瓜を見つけることが出来た。
(あ、、、あった!)
やはり桂の言った通り、大坂では普通に置いてあるのだと改めて実感した伶であったが、同時に値段を見て驚いた。
「百文!?」
「どないしたんや?」
「西瓜、、」
怜の視線を追って、三男は西瓜に目をやる。
「ああ、”鉄かぶと”か。あんなもんや」
西瓜は”鉄かぶと”とも呼ばれているらしい。
「あんなん買うやつおらんやろ」
「ちょっと近くで見てもええ?」
「ええよ。来い」
三男は怜を抱き上げ、人波を避けながら進むと、店の前にきて伶を地面に降ろした。
「いらっしゃい!」
気っ風の良い男は、揉み手をしながら怜達の前でニコニコと話しかけてきた。
「お嬢、西瓜好きか?この西瓜は美味いでー、完熟や。安くしとくで?」
「いくら?」
「そうやな九十五文でどうや」
「三十文しかないわ」
「そりゃちょっとキツいなぁ」
「怜、欲しいんか?欲しいんやったら…」
怜は三男の言葉を制し、店の男に顔を近付けた。
「おっちゃん、ちょっとこれ叩いてもええ?」
「叩く?どういう事や?」
「百文の価値があるんか調べたいねん」
その言葉に男はギョッと目を見張った。
「怜!?」
「兄ちゃんは黙っといて。なあおっちゃん、ええやろ?傷付けたりせえへんから」
男は腕を組み、うーんと考えて、ポンと手を叩いた。
「よっしゃ。ええやろ。その代わり、少しでも傷付けたら買い取ってもらうで?」
「ええよ」
あっさりと言う怜に、男は顔が引き攣りつつも、怜の前に西瓜を持ってきた。
(これが百文、、、ありえへんわ)
怜を四方八方から睨むように検見し、表面を軽く叩いた後、ツルの生えた部分を見て、更に底の窪みも丹念に調べた。
「これはあかん」
溜め息と共に、ポツリと零した言葉に男は焦り出す。
「え、なんであかんのや?」
「これ、未熟やよ」
「未熟?」
「他の西瓜と比べたらわかるわ」
怜は奥に並べられた幾つかの西瓜へと歩み寄り、一つずつ叩き始めた。
「よう聞いときや?」
澄んだ音、鈍い音、高い音。
それは誰にでもわかる音の響きであった。
「こっちの西瓜は熟し過ぎや。音が鈍いやろ?」
「確かに」
「高い音は未熟や。ボンボンと弾んだような音が一番ええねん」
「へえ」
男は感心しながら頷いた。
「ちっさいのに物知りやなあ。そやけど未熟でも時期が来たら食べ頃の美味しいもんになるやろ?」
「ならんし」
怜はきっぱり否定した。
「西瓜は一度収穫したら成長が止まるんやよ。ちなみにこの西瓜は多少日持ちはするけど甘くない西瓜やな」
「なんでそんなんわかるんや?」
「このツルの部分見てみ。へこみが浅いやろ?」
「ホンマや。こっちと比べたら全然違うわ」
「それは甘いけど鮮度が落ちとる。見てみ?ツルが枯れとるやろ?一番ええのは緑のツルで付け根が窪んだヤツやねん。ほんで、この底のヘソが大きいほど熟し過ぎで、小さいほど未熟っちゅうこと」
怜は内心がっかりしていた。
それこそ現代なら、西瓜に限らず野菜や果物などは大体同じ形の同じ味が当たり前だ。キュウリにしろ大根にしろ、家庭菜園でない限り、真っ直ぐ見栄えの良い形状をしている。
しかしこの時代は不揃いな形状がごく当たり前なのだ。
「、、、帰る」