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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
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次の朝。怜は早速町へ繰り出すことにした。

全て一人でやるということで特別に小姓の仕事は無しになったのだが、客が来るのは七つ半(午後五時)。時間に余裕はなかった。


「とりあえず神田やな」

「キョキョ」


聞くところによると江戸最大の青果市場があるらしい。普通とは違って市場の中に住居を兼ねた店があるといった感じで、広さは約一万五千坪にも及ぶという。


「さすがに西瓜はないやろな……」


むろんそれどころではなかったが、怜はキョロキョロと店を見渡しつつ、ついいつもの癖で西瓜を探していた。


「やっぱないわ…」

「キョキョ」

「あ、そうや。お酒どうしよかな」


悩みどころは酒宴の主役である”酒”だ。良い酒なら一升で二百五十文ほどかかり、味が落ちる物なら八十文~売っている。しかしどちらにしろ、三十人分の酒を確保するには到底足りない。


「酒が流れる川とかないやろか」

「キョキョキョキョ」(ないやろ)

「悩んでもしゃーないよね!取り敢えずお酒は後や。料理の材料でも買いに行こっか!」

「キョ!!」


気を取り直した怜は、近くの八百屋に入る。しかし五秒後に出てきた。



「大根が十五文って舐めてんの?京やったらせいぜい十文以下や!」

「キョキョ!」

「鈴木君、次行くで」

「キョ」


怜は古びた紙を広げた。

昨晩作った江戸の物価表である。その八百屋の欄に、今しがた入店した店の屋号”八百吉”と書いて値段を書き留めた。

そして次は向かい隣りの店に行く。


「”八百安”か。安そうな名前や」


期待を込めて入店し、今度は僅か三秒で出た。


「十八文ってアホか。潰れろ!ぼったくり!」


人目もはばからず暴言吐きまくりの怜は、その後も調査続行し足が棒になるまで歩き続けた。


しかし同時に「妙な子どもが町を徘徊し何やら調査している」という噂が広まっていく。その噂は少しずつ尾ひれが付いて、


「どうも身分の高い者らしい」

「店主らの素行調査をしているとか」

「八百八さんとこの息子が捕まったんだって!」

「あのゴリ◯イモが!?」

「違う!ブタゴ◯ラだ!」


などと、怜の知らぬところで拡大していったのであった。




◇◇◇◇◇◇◇



「つーかーれーたー」


物価表が十枚目に突入した頃、怜は日本橋に近い京橋地域内にある新川にいた。隅田川や日本橋川に囲まれた場所である。


ここは酒問屋が集まる一帯で、大坂の天満青果市場と同様、問屋が仲卸業者に売り付け仲卸業者が小売店へ捌くといった具合であった。


その近くには当然ながら酒屋や居酒屋が沢山あり、ここでも怜は調査を開始したのだ。


「植松屋、一升250文、店主・若作りのいかず後家。五十鈴屋、一升98文、歯抜けのハゲ親父。金田屋、一升125文。……顔に七つの傷があるオッサン」


ぎっしりと書いた物価表は、鈴木君も呆れるほど'誹謗中傷表”へと変化を遂げていく。世が世なら名誉毀損で訴えられても仕方がない。


しかしこの怜の行動こそが、思わぬ転機に結び付くのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



江戸時代はリサイクル社会である。

現在の日本は”使い捨て文化”が主流だが、”物は最後まで大切に使いつくす”という考えが、この時代では当たり前であった。


町中のあちこちで修繕や回収業を生業としている者達がおり、その種類は紙屑買いや紙屑拾い、傘の骨組買い、空の酒樽、古釘拾いなど多岐に渡る。ゴミを焼却した灰ですら”灰買い屋”なるものが存在していた。


怜はその一つ酒樽屋の前に立った。


「凄い量やな」


空の酒樽は店の軒下にまで及ぶ。隣りには酒樽の修繕をする男がおり、どうやら売りと修繕を兼ねているようだった。


「お兄さんこんにちは」

「お、?……こんにちは」


三十代くらいの男である。怜はその男の前に座り、その様子をマジマジと見つめた。


「こんなものに興味があるのか?」

「いやあ、面白そうやなって思って」

「変わった坊主だな」


男は白い歯を見せて笑った。


「この酒樽っていくら?」

「一つ五十文だ」

「五十文か……」

「まとめ買いならもう少し安くなるけどよ」

「ふうん」


怜は考えた。

今日の酒宴に、この酒樽一つ並々あれば”こと”は足りる。しかし空のままでは話にならない。何とかこれをいっぱいにする方法はないものか、と。


(油わけ算みたいやな……)


ふと思い出した昨日の蕃書調所での出来事。

その時、怜の頭の中で何かが閃いた。



「おにーさん、この酒樽貸してくれへん?」

「貸す?」

「後で倍にして返すから」

「倍?そりゃあどういう意味だ?」

「言葉の通りや。この酒樽を貸してくれたら、貸してくれた分その倍にして返すってこと」


男は意味がわからず首を捻った。


「一つの物が二つに、二つが四つになる。お兄さんにとっても悪い話やないと思うけど」

「そりゃあそうだがよくわかんねえな。一体何をする気だ?」

「説明してる時間が勿体無いから私に付いてきて。見たらわかるから」



◇◇◇◇◇◇◇



男の名は”甚兵衛”

二十二歳の独身男だ。


突然現れた男の子は、頭の上に奇妙な鳥を乗せて笑顔で立っていた。歳はもう直ぐ六歳になるという。名は”怜”と言った。


身なりから、おそらく良い家柄のように見えるが、武家社会に良くある身分と言う名の「権力」を笠に着て不遜な態度を取る子どもといった感じではない。


少々小生意気そうではあるが、なかなか愛嬌のある子どもだと思った。




ーーーーーーこの時までは。




「なんだって?」

「知り合いに酒屋さんくらいおるやろ?」

「そりゃあいるけどよ……」

「紹介して。なるべく安い酒屋がええな。新川の酒屋で一番安いとこは歯抜け親父の店やったけど、安いだけあって糞マズそうな酒やったわ」

「……」


子どもは「オェエ」と右手で吐く真似をする。

甚兵衛は言葉に詰まった。


「あの酒、だいぶ水で薄めとるな」

「……そ、そうなのか?」

「まあそんなことはどうでもええ。どうなん?心当たりあるん?」


甚兵衛は結構顔が広い。商売柄というのもあるが生まれてからずっと同じ土地に住んでいる為、友達にだけは恵まれていた。


「だったら日本橋の”孫六”の店に行くか。あいつの店は評判もいいし、居酒屋も兼ねているんだ」

「へえ。それは好都合やわ。ほな行こ」


一つの物が二つになるなんて、きっとみんな「馬鹿げている」と鼻で笑うだろう。しかし、甚兵衛は何故か断ることが出来なかった。或いは相手が”怜”という子どもでなかったら、おそらく甚兵衛は聞く耳を持たずに断っていただろう。それは説明しろと言われても説明のしようがない。


ただ、人を惹きつける空気がこの子どもにはあったという他なかった。


「よし、行くか」

「おー!」


甚兵衛は店を両親に任せ、大八車に空の酒樽五つを乗せて日本橋に向けて歩き出したのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



目的地に到着した二人。

そこは甚兵衛の言っていた通り”宇喜田屋”という酒屋兼居酒屋があった。

店に横付けされているのは小さな屋台。

出来上がったばかりの味噌田楽が山積みされている。その前は簡易的な長椅子が幾つか並び、昼間だというのに人でいっぱいだった。


「よう!甚兵衛じゃねえか」


酒屋の入り口から一人の男が顔を出した。


「孫六、久しぶりだな」

「昼間から珍しいな」


孫六は大八車に積まれた酒樽をちらりと見て言った。


「仕事か?」

「ああ……ちょっと野暮用でな」


その大八車の後方から、ひょっこり現れたのは怜である。にっこり笑顔で孫六に近付きペコリと頭を下げた。


「お兄さんこんにちは」

「おう。こんにちは」

「お酒買いにきたんやけど」

「酒?」

「四斗分のお酒が欲しいねん」


それを聞いて甚兵衛はギョッと目を見開いた。反対に孫六は相手が子どもということもあり、至って冷静に対処する。


「四斗分ってこの酒樽一つってことだぜ?」

「うん。わかっとるよ」

「お金はあるのか?」

「いくら?」

「一両と二貫文だ」

「ふうん」


怜はその辺に落ちていた棒を拾い上げ、途端座り込むと地面に何やら書いていく。二人は顔を見合わせて首を捻った。


「一合二十文か……ということは……」


怜の頭の中は数字だらけであった。

地面に何度も式を書き直し「ああでもないこうでもない」といった具合に考え込んでいる。


「どういうことだ?甚兵衛」

「いや、俺にもさっぱりわからねえ」

「知り合いなんだろ?」

「さっき知り合ったばかりだ」


甚兵衛は怜との経緯を孫六に話した。

それを聞いた孫六は呆れた調子で溜め息をつく。


「まさか本気で倍になると考えてるんじゃねえだろうな?」

「いやあ………へへっ」

「お前は人が良すぎるんだ。この前だって」


孫六が文句を言おうとしたその時、「よっしゃ。これでええわ」と満足気に怜が立ち上がった。


「孫六さん」

「お?」

「私、三百文しかないねん」

「三百か……それっぽっちじゃあな……」

「後払いさせてくれるんやったら”二貫文”上乗せさせてもらうわ」


その言葉に二人は声を上げた。


「ハァアアァアア!??」


「つ、つまり、どういうこった?」

「だから、四斗樽が一両二貫文なんやろ?それに二貫文上乗せして、”二両”払うっちゅうことやよ」


ますますわからなくなった甚兵衛と孫六。

三百文しかないとたった今言ったのに、どういうことなのか理解の範囲を超えていた。しかし目の前の子どもは、自信ありげに笑みを浮かべている。


「ま、待て。まさか四斗樽五つの金額じゃねえよな?」

「ちゃうちゃう。一つや。そやから五つやったら十両やね」


十両というとてつもない金額に、孫六のみならず甚兵衛も卒倒しそうになる。


「悪い話やないやろ?店で出す金額と同じ金額で買う言うてるんやから」


孫六の店では、四斗樽の代金は一両二貫文だが、店先(居酒屋)で提供する場合は一合(一杯)二十文で出している。


一合は十杯分で一升。十升が一斗となる。


一斗=十升

一升=十合


ということは四斗樽の場合。

【四斗樽=四十升=四百合(四百杯分)】

一合二十文で×四百=八千文。

四千文=一両


結果二両という計算だ。


つまり客として購入するなら四斗樽を買った方が二貫文得であるが、店側としたら一杯ずつ小売りした方が儲かるといった今でもさほど変わらない仕組みである。


怜はそれを見越して、一杯二十文×四百杯(合)=八千文(二両)の小売り価格で購入すると言っているのだ。


「損はないやろ?」

「ないっちゃないが...」

「ほんなら商談成立や」

「あ、ああ…」


呆然としたまま孫六は返事を返した。


「ほな準備しよか。甚兵衛君手伝って」

「わ、わかった」

「あ、そうや。木札も貸してな」


怜に指示され、訳もわからぬまま動き回る二人。


しばらくすると、孫六の店先に空の酒樽と酒の入った酒樽が二つ並ぶ。怜はその後ろに立ち木札を高く掲げた。



【酒一合三十文!!勝負に勝てば無料!!】



怜は大勝負に出たのである。

てっとり早く酒を手に入れるにはもちろん酒を買わねばならない。しかし金が無い場合どうしたら良いのかと考えた時、怜の中で答えは一つであった。


(これもリサイクルや)


つまり【酒を回収する】ということである。


酒一合二十文で売っている酒を三十文で売る。となれば、もちろん誰も怜の出した簡易店で酒を買おうなどと思わないだろう。


しかし、そこに”勝負”をしかけたのだ。


「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!!これは勝負酒や!私に勝ったらお酒はタダ!!意気のええ江戸っ子はおらんか!」


威勢の良い声に皆が足を止める。


「なんだなんだ?」

「勝負ゥゥ!?一体何の勝負だ?」


ワラワラと集まる人々。

居酒屋の客らも興味深々に店先へと集まってくる。怜は甚兵衛に耳打ちした。


「甚兵衛君、アンタが一番客な?」

「へ?どういう…」

「ジャンケン勝負や」


怜は表へ向き直り、声を更に張り上げる。



「このお兄さんが一番乗りや!さすが空樽屋の男や!樽を売るだけじゃ”飽き(空き)足ら(樽)ず、江戸っ子の心意気を見せにきた!」


ドッと周囲が湧き、怜は手ごたえを感じた。


「さあお兄さん、ジャンケン一回勝負や」

「お、おう」


怜は並々入った一合升を甚兵衛に突き出した。


「勝てばその酒はお兄さんのものや。そやけど負けたらその酒はこっちの空樽に入れてもらう」

「わ、わかった」

「ほな三十文ちょうだい」

「よし」


甚兵衛は懐から金子入れを取り出し怜に渡す。引き換えに怜は一合升を手渡した。


孫六はそのやり取りを見て感心した。


(なるほど、これなら損をすることはねえ…しかし……)


孫六の心配は無理もない。

三十文の酒を買う。つまりこれは現在でいう「引き換え券」のようなもの。勝っても負けても三十文は必要ということになる。


「孫六さんも手伝ってな?私に負けた人は味噌田楽一本の”残念賞”や。もちろんその代金は私が後で払う」

「それは構わねえが…」


怜は孫六の言いたいことを察し、ニヤリとほくそ笑んだ。


「大丈夫や。私、ジャンケンで負けたことないねん。もし万が一負けたとしても一合”上乗せ”して渡したら文句はないやろ」


あまりの度胸の良さに噴き出す孫六。


「それより目一杯”田楽”作っとかな、足りんようになるで?」


怜はそう言い捨て、また表へ向き直ると、板台の上に昇り周囲を見渡した。


「ほないくで!!」


ワーッとたちまち盛り上がる一団。

通りすがりの女子どもまで足を止めている。怜に呼応して皆に見えるように甚兵衛も手を高く上げた。



「ジャーン!!ケーン!!」



怜の勝負が、今始まった。


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