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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
38/139

038



「3581.,..3582....3583...」


黙々と竹刀を振り続ける久坂玄瑞。

床には玉の汗が広がっている。

他の藩士達は久坂の無言の圧力で先に帰ることも出来ず、毎度付き合わされる羽目になるのだ。しかし無限の体力についていけず、一人また一人とぶっ倒れていく。


極々当たり前の日常だった。


「先生、お疲れさまです」


きちんと畳んだ手拭いを両手で持って、怜は恭しく手渡した。


「む.....」


久坂は素振りをしながら暫し考えて、漸く竹刀を下ろした。


「どうぞ」

「うむ。かたじけない」

「あの桶はなんですか?」


道場の端っこに二十ほどの桶が並んでいる。


「昨日の雨で水が溜まったのだ」

「あーなるほど」


この道場はだいぶ古いようで、ところどころ雨漏りするらしい。


「じゃあまだ仕事が残っとるから戻りまーす」

「うむ」


怜は踵を返して道場を出ようとしたが、すぐ様久坂に腕を掴まれた。


「待て。これは何だ」

「手拭いですが何か?」

「ほう。私には褌に見えるのだが」


怒りに堪えた顔が真っ赤に染まる。


「気のせいかと」

「ならばお前が使え。私が拭いてやる」


怜は後ずさった。しかし成人男性の鍛えられた腕から逃げることなど出来るわけがない。後ろから羽交い締めにされ、主に顔を中心に擦られる。


「この馬鹿者が!」


ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ


「うぎゃぁあぁあっ」

「罰だ!そこの桶に入った雨水を全部捨ててこい!」


憤怒の顔で睨まれる怜の褌ダメージはMAX。

ヨロヨロと桶を持って格子窓から打ち捨てた。


「窓から捨てる奴があるか!!」



◇◇◇◇◇◇◇



「キャ!久坂様よ!」

「なんて素敵なのかしら...」

「いつ見てもかっこいいわぁ」


道場を覗き込む二人の女は長州藩邸で働く下女である。髪を天辺にまとめたお団子頭の娘は果代(かよ)。長州の小さな商家生まれの娘で、歳は十六歳である。もう一人の娘は農家生まれの十七歳で(みつ)と言い、無造作に髪をまとめ、(こうがい)で止めただけの簡素な髪型をしていた。

所謂二人は年季奉公の身で数ヶ月前に人手が足りないとの要請を受け、他の女中や下男らと共に江戸へ来たのである。


「そういえば、小姓が出来たらしいわね」

「男の子でしょ?」

「うん。.....だけど怪しくない?」

「どういうこと?」

「だって....ほら」


一汗かいた久坂の元に小さな子どもが現れた。

両手で手拭いを渡した後、何やら仲良さげに会話をしている。直ぐに子どもは退出しようとしたが、久坂が追いかけ腕を取った。数秒間見つめ合う二人。久坂の顔は無表情だが赤く染まっている。


「「んまあ!」」


光と果代は思わず叫んだ。

なんと久坂は子どもを後ろから抱きしめたのだ。


「な、なんてこと!不謹慎だわ!」

「で、でも衆道なんて珍しくもないわよね?」

「でも相手は子どもよ!?」

「そうだけど...」

「光さん。あなた私より歳上のくせに無知だわ」


果代は腰に手をやり呆れたように首を振る。

光は「えっ」と後ずさった。


「かの信長公も衆道だったのは知っているわね?」

「え、ええ。でもそんなに詳しくは...」

「彼の小姓の蘭丸がお相手だったのよ!」

「小姓が!?」

「そうよ!小姓という身分をいいことに好き勝手にしやがったのよ!」

「不届き者だわ!」

「不届き者よ!」


手を握り合い満場一致で肯く光と果代。

二人の頭上に滝のような雨水が降り注いだ。



◇◇◇◇◇◇◇



大量の洗濯物を洗うのは至難の業である。

怜はタライに十枚ずつ衣類をぶち込み、井戸水と炭汁を混ぜ入れて足で踏み踏みし始めた。


「精が出るな」


その声に振り返ると高杉が上機嫌で立っている。

怜はフンと鼻を鳴らし、再び踏み踏みを開始した。


「あの男は鬼や」

「今は我慢しろよ。もうすぐ特別な任務が待っているからな」

「任務?」


怜は目をパチクリと瞬かせた。

視線を合わせて蹲み込んだ高杉はニンマリと笑う。その笑みに何故か身震いがした。


「成功したら特別報酬1両」

「1両!?ほんま!?」

「ああーーーーうわッ」


怜は思わず抱き付いた。


「俄然やる気が出た!」

「そりゃ良かった」


高杉は苦笑しつつ怜の頭をポンポンすると「頑張れよ」と言って去っていく。いつもなら洗いだけで一刻かかる作業が、四分の一で済んだ。


「鈴木くーん」


近くの檜でうたた寝していた鈴木氏は、その声に気付いて欠伸をしながら飛んでくる。

怜はタライを指差して言った。


「これどっかに捨ててきてくれへん?昨日ここに捨てたら怒られてん」


毎日大量に炭汁水を使い同じところにばかり廃棄するものだから、井戸場周辺がぬかるんでしまい下女らしい女に注意されたのだ。


「キョキョ?」

「ここじゃなかったらどこでもええよ」

「キョ」


鈴木氏が翼を一振りすると、大量のカラスがやってくる。それぞれがタライの縁を嘴で加え、ゆっくりと浮上した。


「おお...さすが鈴木君。ちゃんと教育しとる」

「キョキョ!」

「いってらっしゃーい」


タライは空中を浮遊しながら鈴木氏の後を追っていった。



◇◇◇◇◇◇◇



「やだ!あの子ったらまた炭汁をあんなに入れて!」

「貴重な炭汁なのに勿体ないったらないわね」

「まあ!足で踏み踏みし始めたわ!」

「揉み洗いが基本よね」


建物の隙間から二人の下女が覗いていた。

光と果代である。


「あ、高杉様よ」

「キャー!カッコイイ!しぶーい!」

「彼、最近ちょっと明るくなったと思わない?」

「わかるー!」

「ふふふ。実はね、私この前話しかけられたの」


光がポッと頬を染めた。


「嘘!!ほんと?なんて?なんて仰られたの!?」


果代は胸倉を掴み光を揺さぶる。


「"おもしろき こともなき世を おもしろく"って」


両手を合わせ、思い起こすように「ほう..」と息を吐いた光。果代は口元に手をやった。


「そ、それって..."貴女といるとこんな辛い世の中でも楽しくて仕方がない"ってコトじゃない!?」


全く違うと思われる。


「直訳したら、そうよね?」

「きゃー!すごいわ!」


二人は手を取り合って飛び跳ねた。


「あ!ちょっと見て!顔を近づけているわ!」

「まさか接吻する気じゃないでしょうね!?」


小姓が突然高杉に抱き付いた。


「なんてふしだらな!!」

「許せないわ!」

「ーーーーあ!頭をポンポンしたわ!」

「なんてことなの!アレは巷で有名な"可愛がり"行為よ!」

「久坂様のみならず高杉様まで...」



二人は鬱血するほど唇を噛みしめた。


「不届き者だわ!」

「不届き者よ!」


決意を込めてうなずき合う光と果代。

満場一致で可決した。


二人の頭上に炭汁水が降り注いだ。



◇◇◇◇◇◇◇



怜の目の前にどん率高めの男が立っていた。


名は柴田東五郎。

薩摩の商家出身で、現在は江戸幕臣・柴田家の後継である。内外情報に精通しており薩摩藩のみならず、様々な藩の志士と関わりを持っており桂や久坂とは概知の間柄であった。実は吉田もこの男の口利きで幕府側の旗本である妻木という男の元に変名を使って潜り込んでいる。


「文は読みました。既にあちらの方とは話を通しております。一時的ではございますがお役に立てるかと」

「かたじけない」


怜の頭の中はハテナだらけだ。

二人の顔を何度も往復し「うーむ」と首を捻る。

そうこうしている内に久坂が腰を上げたので、怜も反射的に立った。


「お前はある人物の小姓として幕府内に入ってもらう。二日に一度、使いの者を差し向ける故、どんな小さな物事でも聞き漏らさず報告しなさい」


怜はギョッとして目を見開いた。


「スパイをしろってこと!?」

「すぱい?なんだそれは」

「あ、やなくて、間者になれって!?」


久坂は無表情で肯定した。


「そういうことだ」

「私、間者なんか……」

「内容によっては、別報酬もある」

「別報酬!??」

「そうだな。情報一つにつき、一両」

「一両ォオォオ!!」

「けして我々の手の者だと気取られてはならぬ。わかったな?」

「わかった!!」

「もしバレたら、子どもと言えど”切腹”だ。わかったな?」

「わかった!!」


(情報一つで一両!!

メッチャ美味しい仕事やん!

ひと月もおる必要ないし、さっさとお金貯めてお役ご免になったら万々歳やー!)



「はっ……」


怜はハタと気が付いた。


(……いや待て、最後何て言うた?……切腹とか)


「ハァアア!?切腹ゥウゥゥ!?……あ」


時すでに遅し。

頭の中で計算をしている内に久坂はいなくなっていた。



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