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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
37/139

037



「ぷふ…、くっはッ……ハッハッハッ!!…ひっひふっハッハッフッ」

「わ、笑い過ぎですよ……くっ…」



ここは薩摩。

小松の屋敷である。


涙目で笑い転げるその手には一枚の絵草紙。

江戸勤務の薩摩藩士から送られてきたのだ。怜の動向はすべて小松の手の内であることを本人は知らないのである。


「地獄…ククッ…行く先々で、…ぶふ…やってくれるねえ」


『地獄小童子』という文字の横に猛り狂った少年の錦絵が描かれている。どこをどう見ても隈取をした金太郎そのもので、怜には全く似ても似つかない。しかしその形相たるや、まさに鬼神そのものだった。


「み、見てコレ...グッ...ぶははっ.....」


左端には「この世は生き地獄」という言葉と共にその武勇伝が説明されている。小松はそれを目で追ってまたも腹を抱えて笑い転げた。


「で、でも本当なんでしょうか。遊女に食らいつく蛸を焼き殺して食べたなんて……」


もはや脚色し過ぎてファンタジーである。


「…ぶふ…仲五郎はどう思う?」

「わかりません。……ただ」

「ただ?」


東郷は意を決したように顔を上げた。


「怜ならやりそうだな、って」

「ブホッ……グフ……そうだね……私もそう思う」


怜が聞いたらカンカンに怒るだろう。

小松はひとしきり笑った後、懐から文を出した。


「ただ恐れていたことが起きたようだ」

「恐れていたこと?」


小松は頷いた。


「長州に目を付けられた」

「え!?」

「ああ、命を狙われるといった類いじゃない。あの子の底知れぬ価値に気付いたんだ」

「価値……ですか」


小松はこの地で怜と別れた後、吉田と同様、怜の素性や大坂、土佐、薩摩での動向を調べさせていた。


「怜は世の中をわかっていない。自分の言動や行動が、人々に多大な影響を与えていることに気付いていないんだ」

「はい…」

「誰かが止めなければ、あの子はきっとーー」


小松はゆっくり目を閉じた。


噂は噂を呼ぶ。

このままでは”後藤怜”という不思議な少女の存在は、全国に知れ渡るだろう。土佐長州のみならず幕府や他の藩まで怜を注視し始めれば、命を狙う輩が出ないとも限らない。


「仲五郎」

「はい」

「直ぐここを発ち、怜の護衛を命ずる」


東郷は目を見開いて小松を見つめた。


「来年、江戸で落ち合おう」

「御意」


かくして東郷の江戸行きが決定した。



◇◇◇◇◇◇◇



一方、長州藩上屋敷では秘密会議が行われていた。十二帖ほど和室では三人の男が難しい顔で座っている。


文机の前には数枚の紙。山田市之丞に命じた調査書である。


「仙台に行く理由が、まさか地震の予言だったとはね」

「その場しのぎの大ボラだろう。全く」

「ま、普通に考えりゃそうだろうな」

「なんだ高杉、まさか予言なんてもの信じているんじゃないだろうな?」

「別に信じちゃいないさ。ただあの小僧なら逆に地震でも起こしそうな勢いだからな」


高杉は悪戯っ子のようにヒヒッと歯を見せ、続きの間で寝息を立てる怜に視線を移した。


「しかし、薩摩藩お預かりとなると我々がむやみに匿うのは難しいな。憎い敵でも今は事を荒立てたくはない」

「別に本人の自由だろ。ちょっとそれ貸して」


高杉は桂の手からあの証明書をぶん取ると、ビリビリと破って放り投げる。


「お、おい!?」

「これで小僧は薩摩のものじゃなくなった」

「あのなぁ……」

「あーあ。高杉の所為で新しい証明書作らなきゃな」


彼らの言葉の意図を察し、桂はハァーと溜め息を吐く。


「全くどいつもこいつも!」


数時間後、怜の新しい証明書には「長州藩お預かり」と記載されることとなった。



◇◇◇◇◇◇◇



怜が目覚めた時、吉田はいなかった。

桂の説明によると帰藩を条件に藩命を受けたという。詳しい詳細までは勿論教えてはくれなかったが、大方幕府側の動向調査に出かけたのだろうと怜は推測した。というのも脱藩者は確かに追われる身ではあるが、逆に自由に動けるという利点もある。また藩命とあれば追われる心配も無い為、もし敵に素性を調べられ敵藩だと認定されても”脱藩”を理由に言い逃れることも出来る。そして何より敵を知るにはその懐に入る方が、より早く確実なのだ。


ともあれ怜には関係の無いことで、そんなことより預けた荷物袋は何処にあるのか桂や高杉に聞いてみると驚くべき答えが待っていた。


「吉田が間違えて持っていったっぽい」

「嘘や!!」

「”必ず返すからしばらくここで養生しろ”と言って、さっき文がきたんだ。嘘などつかん」

「ほんなら吉田君の代わりに桂君が払って!」

「あいにく金は持っていない」


怜は高杉を振り返り、ジッと見つめた。


「持って無さそう」

「失礼な奴だな。ーー事実だが」


完全に行き詰まった怜は途方に暮れた。金が無ければ仙台には行けない。このままでは江戸で足止めを食らったまま最悪の事態を迎えることになる。


「タダで船に乗せてくれる優しい人おらんやろか」

「いないだろ」

「長州人はそんなコネもないんか!情けない!」


怜は空を仰いだ。(天井だが)


「もうあかん……吉田め、今度会うたら丸坊主にしたる!丸坊主にして花魁の格好で市中引き回しの刑や」


高杉はプッと噴いて、怜に睨まれた。


「そんなに金が必要なら自分で稼いだらいいんじゃね?」

「そんなん無理やもん。まだいたいけな子どもやし」

「だったらココで働けよ。給金は長州藩が出すし」


高杉の言葉に怜は耳を疑った。


「ココで……?」

「いいだろ?桂さん」

「ああ。藩には私から話をしておく」

「い、いくら?」


怜は身を乗り出した。


「そりゃお前次第だ。働きっぷりによっては仙台の船代、宿泊費、食費も出そう」

「お、往復?」

「当然だ」

「やる!!」


高杉と桂はほくそ笑んだ。


「じゃ、決まりだな」


怜は二人の策略にも気付かず、まんまと丸め込まれたのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



「キョキョ」

「カァカァ」


これは夢だ。夢に違いない。


一人の青年はそう言い聞かせて何度も目を擦った。


「久坂。ワリィな呼び出して」

「ああ。いいんだ……いいんだ別に」

「どうしたんだ?目が痛いのか?」

「なあ高杉。アレが見えるか?」


久坂玄瑞は(ヒノキ)を指差した。


「ああ。カラスだろ?あと夜鷹。それがどうかしたか?」

「いや、いい。幻覚じゃないんだな」


覆い尽くすように並ぶカラスを横目に、二人は室内へと入っていく。久坂は最後にもう一度振り返った。


「ヒッ…!」

「どうした?」

「い、いや!なんでも!なんでもない!」

「?」


今、確かに見た。

小さな夜鷹が隣りのカラスを平手打ち(※正しくは翼打ち)し、それを見た周りのカラスが一斉に平伏したのを。


(いつからここは夜鷹の天下になったのだ…)


身震いする身体を押さえ、部屋に入るといつもの位置に座る。高杉は机を挟んで座り、落ち着く間もなくけたたたましい二つの足音が近付いた。


「失礼」


再び開いた襖。そこには桂がいる。

そして隣りには小さな子ども。


「すまないな。急に呼び出したりして」

「いえ。.....その子どもは?」

「怜、挨拶」

「初めまして。後藤怜と申します」

「あ、ああ。私は久坂玄瑞だ」


高杉はクククッと笑ってだらしなく頬杖付いた。


「コイツがさっき言ったお前の主人だ」

「ふうん。そうですか」


子どもはジッと久坂を見つめて、不意にその場に正座すると三つ指をついて頭を下げた。


「宜しゅうお願いします」

「ちゃんと言うことを聞くんだぞ?」

「はあい」


室内に沈黙が流れる。

久坂以外は皆満面の笑みだ。




「ーーーーー主人!?」


久坂は思わず叫んだ。ただ自分は話があると呼ばれてきただけなのに何の説明もなくいきなりの宣告である。


怜はぽかんと口を開けたまま状況を飲み込めない彼に近付き、目の前で手を振ってみた。

しかし何の反応もない。


「この人...ちょっとコレ?」


怜はこめかみ辺りで人差し指を回す。所謂「クルクルパー」を表現しているのだが、自分が侮辱されていることすら気付かないほど彼は遠い世界に旅しているようだ。


「死んどるで」

「コイツは理解するのに三分かかるんだ」

「ウルト◯マンみたいやな」

「う◯とらまん?」

「三分で現実に戻る人のことや」(※怜の解釈)

「へえ。ーーーーオイ!うるとら◯ん!!しっかりしろ!!三分経ったぞ!」



ドンッと机を叩く高杉。


「はっ…」


久坂の背筋が伸びた。


「マジこいつ”うる◯らまん”だったんだな」

「だから言うたやろ?」



なんだかんだ言いながら、高杉と怜は意気投合していた。



◇◇◇◇◇◇◇



久坂玄瑞は歳の頃二十一の若き青年である。百八十センチの大柄な体格で目鼻立ちがハッキリしており、その雰囲気がそのまま性格を表しているように物事におけるなんたるかも白黒ハッキリさせないと気が済まない性分だった。


また前述した通り松門四天王として名高い久坂だが、やはり吉田松陰の信頼は厚く彼の妹を妻としている。


その久坂の元で小姓として働くことになった怜だったが、この男とんでも無く神経質でやりにくい性格だった。


怜はこの男の情報を未来の記憶から手繰り寄せた。


松陰死後における久坂の思想行動はまさに反幕の頂点を極めている。松陰の遺志を継ぐように長州藩尊攘運動の先頭に立っているのだ。


しかし今の長州藩の方針はある一人の男によって阻止されようとしていた。それは長井雅楽(ながいうた)という公武合体論を説く同藩士だった。


「お前はこれついてどう考えるか」


久坂はかしこまった調子で怜に問うた。


「どう、って言われても私には関係ないし」

「馬鹿者!!日本男児が日本のことを考えないでどうする!」ゴツン

「ぐへ」

「全く近頃の若い者は何と愚かなのか!私がお前の年の頃は、この美しき日本をより良く豊かに強くしようと日々勉学に励んだものだ」

「へー」


久坂はハーッと溜め息をついて引き出しから風呂敷を取り出し、ズズイと前に押し出した。


「そのような西洋の衣服など着ずこちらを着なさい」


四隅までキチンと折りたたまれた灰色に黒縦縞の袴と生成りの小袖。怜は頷いてそれを受けとった。


「十数える内に着替えること。それから私のことは”玄瑞先生”と呼ぶように」

「玄瑞先生!」


怜は手を高く挙げた。


「なんだ」

「どこ行くん?」

「”どこへ行くのですか”」

「"どこへ行くのですか”?」

「黙って私についてくればいい」


早くも怜は後悔し始めた。

全く考えが読めなくとも高杉の傍にいる方がマシだ。この男は過激派として名高いわけで怜の思想とは真逆である。無論そういった類の話は五代友厚以外にしたことはないが重々発言に注意しなければ危険なのだ。



「ここだ」


敷地内のこじんまりとした建物の前に来ると、中から威勢の良い掛け声と竹刀が風を切る音が聞こえる。どうやら道場のようで、中を覗きみると十数人の男が素振りをしていた。


「まさかコレをしろと?」

「馬鹿者。お前は仕事をしにきたのだろう」


久坂は道場内の隅を指差した。

そこには袴や小袖、手拭い、更には(ふんどし)が山積みにされている。


「あれを全て洗うのがお前の仕事だ」

「まさか全部ですか?」

「当たり前だ。約五十人分ある」

「エーーーー!?」

「裏手に井戸場があるからそこで洗うのだ」

「先生!」

「なんだ」

「アレ、全部一人で運ぶんですか?」

「当然だろう」

「いたいけな子どもやのに?たった一人で?」

「ーーーーさて私は稽古の時間だ」


久坂はさっさと竹刀を持って、他の藩士らに混じり素振りを開始した。


「くっそう!」


これでは小姓というより女中である。

怜は拳を握り締め、ドンドンとわざとらしく足音を立てながら洗濯物を取りに行った。


怜の苦難は始まったばかりである。





(ФωФ)っ西瓜

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