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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
36/139

036

火事についての残酷な描写があります。苦手な方はご遠慮下さい。


「わかったって...?」


信じられない面持ちで怜を見つめる吉田。桂や高杉に至っては言葉を失ったまま絶句している。


しかし怜は自信たっぷりで腕を組んで頷いた。


「おい。犯人がわかったと聞こえたが、何の話だ?」


そこへ偶々通りがかった役人が足を止めた。

慌てて桂が間に入る。


「あー、違うんだ。放火の話じゃない。子どもの戯言だから無視してくれ」

「戯言?……聞き捨てならんなぁ」

「違うっ、そうじゃなくてだな」


怜は空気を読まず桂に食ってかかる。


「桂君はお口にチャックな」

「お、おい」

「ちょうど良かった。役人さんにも聞いてもろたらええわ」


そこへ高杉が笑い出した。


「へえ、面白い。お前自信があるんだな?」

「モチのロンや」

「なら聞かせてもらおうか」


怜はニヤリとほくそ笑んで、花乃の隣りの男を見た。


「兄ちゃん、名前は?」

「俺?……俺は次郎だが」


吉原からほど近い酒屋の息子である。跡取りではないが、ほぼ毎日吉原に酒を卸しに来ているらしい。


「まさか俺が犯人だと?」

「あー、ナイナイ。あんたはシロや」


怜はひらひらと手を振って次に花乃に向き直った。


「花乃ちゃんはなんで入り口に倒れとったん?」

「私は煙の匂いに気付いて.....」


言い淀む彼女を庇い、他の遊女が割り込んだ。


「この子が放火なんて大それたことが出来るわけがない!花乃はあたしの妹分なんだ!」

「まあ落ち着いて。花乃ちゃんが犯人なわけない。だってその時花乃ちゃんは()()()()()()()されとったんやから。ーーーそうでしょ?お姉さん」

「そ、そうよ」

「私が行った時、花乃ちゃんは入り口付近で倒れてた。まさにその格好で」


元は白い襦袢だったろうそれは、煤のせいで真っ黒になっている。ところどころ穴が開いているのは火の粉の所為だろう。


「この時間帯に一介の見習い遊女が仕事も出んなんてありえへん。その姉ちゃんの妹分なら尚更よね?見習い遊女は姉さんに付き添うの当たり前の世界やのに」


花乃は肯定を示すように俯いた。


「つまり、出られへん事情があったと推測が出来る」


火事で折檻部屋の一部が焼かれたことにより自力で脱出出来たのだ。しかし入り口に差し掛かる場所で天井からの瓦礫によって気絶したのだろう。


「楼主さん、私の考え間違ってる?」


名指しされた楼主は一瞬押し黙ったものの重い口を開いた。


「吉原には吉原の”決まり”というものがある。それを守れねえ奴は男であろうが女であろうが子どもであろうが罰を受けなきゃなんねえ」


楼主は二人を睨み付ける。身を竦める花乃と唇を噛み締めた次郎を見れば一目瞭然だった。見習い遊女の身でありながら、客でもない男と恋仲になった花乃に折檻をしたのだ。


「私は別にあんたの店の”決まり”を非難しとるわけやない。ただ自分の()()()で人の命を蔑ろにする行為だけは許さへん」


吉田と高杉は顔を見合わせた。


「おい、まさか」


怜は頷いて、真っ直ぐ手を伸ばす。


「犯人は、あんたや」


指を差した方向を皆が一斉に見た。





「ーーーーーー楼主さん」



吉原の喧騒が鎮まった。

いつの間にか人々が周囲を取り囲み事の成り行きを見守っている。


「.....てめぇ」


楼主は一歩後退し、怜を睨み付けた。


「馬鹿も休み休み言え!火事で被害を受けたのはこっちだ!店のもん全部焼けちまったんだからな!また一から建て直さなきゃなんねえ!どれだけ金がかかるか、ガキのオメェにわかるわけがねえだろ!大損だ!大損!」


怜は首を傾げて見返した。


「はたしてそうやろか」

「どういう意味だ?」

「だからホンマに損したんやろかってことや」

「オイ、オメェはバカか!考えたらわかるだろうが!」


楼主は今にも殴りかかろうと鼻息荒く詰め寄る。しかし怜は意に介さず「くくっ」と笑みを零した。


「出火元のくせに今まで蓄えた金だけはしっかり持ってこれたんやなぁ」

「た、たまたま勘定してたからだ」

「他の遊女らの命はどうでも良かったんや?その金を稼いでくれた人やのに」

「助けようにも火の回りが早かったからな」

「じゃあお姉さん達が気付いたとき、火はどんな感じやった?」

「あたしらはちょうど張見世の最中だったからね。火事の声が聞こえて皆で外に出たら、二階の奥から火が上がってるのが見えたわ」

「その場所は誰の部屋かわかる?」


妓楼は大体が同じ造りで、道路に面する格子のついた座敷に遊女が並ぶようになっている。正面入り口から暖簾を潜り抜けると、一階は台所や厠、見習い達の雑魚寝部屋があり、廊下から奥へ"コの字"に長廊下を進むと楼主らの居室、折檻部屋などに続いている。二階は遊女らの部屋や宴会場、監視部屋で、出火元はそのいずれかの場所ということになる。


「多分、姉さんの部屋だと思うけど」


視線の先は物言わぬ遊女だ。

薄く開けられた目は何の感情も無く、空を虚しく映すだけだった。


「ほら見ろ!犯人は俺じゃねえ!コイツだ!自分で火を付けて死んじまったんだろう!自業自得だ!」


楼主は興奮気味に指差した。


「その結論は時期尚早やわ」

「なんだと!?」


怜はくるりと反転し、今度は役人に声をかけた。


「さて本題や。役人さん、全焼した店は今後どうなるん?」

「どうなるって……」


役人は困惑気味であった。

怜の言葉の意図を理解出来ないようである。


「さっき仮宅の準備が出来たって楼主さんから聞いたけど?」

「ああ、代替地に使われていない茶屋だった店や廃屋を提供することに決まってね。他の店も今移動している最中だ」


怜はニヤッと口角を上げ、再び楼主を見据えた。


「良かったねぇ?何から何まで幕府が面倒見てくれて」

「!!」

「オイ坊主、どういう意味だ?」


高杉はすかさず声をかけた。


「この人らが火事で損すると思たら大間違いやよ。寧ろ全焼した方が儲かるんやから」

「え!?」

「代替地での営業は必要経費もかからん。ましてや火事でこの姉ちゃんらの大事な商売道具も全部燃えてしもたやろ?また新しく買い直すには楼主さんからの借金しかないんや。そもそも散々コキつこてるくせに、給金も小遣い程度。着物代すらぼったくっとるからね」

「どういうこと!?」


その発言に食いついたのは遊女達である。


「姉ちゃんのその着物、いくら?」

「これは五両くらいだけど」

「ホンマの値段は三両かそれ以下や」

「なんですって!?」

「おい!!言いがかりだ!」

「ほな、全部の呉服屋さんに聞いて回ったらええわ。まあおそらく結託して互いに利益得てんねやろうけどね。金に汚い奴ほど金で動くって知ってる?"五両あげるからホンマの事教えて”言うたら一発や。なんなら今試してもええよ?みんなの前でな」


楼主はグッと拳を握り締めた。


「ま、けど、一番の狙いはそれやない」

「何なんだ?」


怜は一息ついてニッと口角を上げた。


「上納金や」


しんと張り詰めた空気が漂う。


「火事で全焼したら上納金払わんでよくなるもんねぇ?新しい妓楼の建築費なんてたかが知れてるし」


幕府は営業を許可する代わりに、月に一度吉原から上納金を受け取っている。その金額は売り上げの約一割であり、多少の誤差はあれど吉原全土では年間約二万両近くに及ぶ。更に代替地すら無料貸与されるのである。


「代替地まで用意してもろて必要経費もいらんもんね?結局遊女だけコキつこて売上金丸儲けや」


そこへ高杉が「なるほどな」と納得したように口を挟んだ。


「上納金逃れの放火というわけか……」

「まあ儲かるんはコイツらだけやないけどね」

「確かにそうだな。大工も呉服屋も放火の度に商売になる」


楼主はここぞとばかりに鼻息を荒くした。


「それだったら犯人は俺とは限らねえだろう!他の奴らが火を付けたかもしれねえじゃねえか!」

「は、アホか」


怜は鼻で笑った。


「犯人はあんたや。その証拠に死んだ遊女らはみんな病の人間ばかりや。あんたは放火のついでに病気になって使いもんにならへん女を殺したんや」

「病?」


スタスタと遺体に歩み寄った怜は、その横にしゃがみ込むと周囲を見回した。


「この人らは逃げようにも逃げられへんかった人ばっかりやよ。ーーーーーだって、既に死んでたんやもん」


まるでその目で見たかのように言う子ども。

誰もが息を飲み張り詰めた空気が流れた。


「何故そんなことがわかるんだ?」


薄く目を開く物言わぬ遊女。

顔も手も身体も灰と煤に塗れ、焼け爛れた肌が露出している。怜は半開きの口元を指差した。


「生きたまま逃げられずに亡くなったとしたら普通は口の中に煤が残るんよ。息をするときに吸い込むんや。そしたら気道が焼けて肺まで達するから呼吸困難になって死に至るねん」

「それは聞いたことがあるな」

「この人は口腔の粘膜は爛れとるけど、これは火事のせいじゃなく梅毒が原因やと思う。身体もところどころ皮膚が爛れとるしね。もし生きた状態で亡くなったとしたら、爛れたところが腫れるはずなんやけどそれも見当たらんでしょ?ということは火事になる前に亡くなったとしか考えられへん」


怜は立ち上がった。


「つまりこの男は逃げられへんようにこの人らを先に殺してから......そこに火を付けたんや」


静かな声色は怒りを含んで威圧していた。

怜は再び筵を元に戻すと楼主へと向き直る。


「なあ、まだ言い逃れする?」


楼主はギリギリと奥歯を噛み締め、怜を睨み付けた。


「医者でもねえのに何寝言言ってやがるんだ!子どもごときが知ったかぶりしやがって!」

「じゃあ最後に聞きたいんやけど、あんたは火事の時()しとったん?」

「んなもん皆と一緒に消火の手伝いを...」

「あー。そういえばみんな必死で消し止めとったんやったね。そのおかげで被害も最小限で済んだみたいやけど」

「そ、その通りだ!」

「ふっ...くく」


突然笑い出した怜に誰もが唖然とする。


「.....じゃあなんでそんなに綺麗なん?」

「ああ!?」


スッと伸びた手は楼主の足を指していた。


「お役人さんでさえ煤や灰に塗れて真っ黒やのに、なんであんただけそんなに綺麗なん?」


皆の視線が一点に集中した。

楼主の着流しや上掛けは皺も乱れも無く、足袋に至っては真っ白のまま洗い立てのように染み一つ見当たらなかった。


驚愕に目を見開いた楼主は言い返すことも出来ず、顔色は真っ青で震えている。まさに自供しているようなものだった。


「一生懸命働いてもまともな給金すら無くて、病になったら使いもんにならんからと殺される」


ゆっくりと楼主に歩み寄った怜は上目遣いで睨み付けた。


「そやけどな、たとえ先の短い命やとわかっとっても誰にも人の命を奪う権利なんてない。あんたが犯した罪は重い。遊女やからって舐めとったら痛い目見るで?」


凄味を利かせる怜を追い越し、店の遊女らが楼主につかみかかる。


「よくも姉さんを!」

「この人殺し!!」

「うわああぁぁ!」

「散々コキつかいやがって!」

「こら、落ち着きなさい!」

「邪魔だ!能無し役人!」

「助けてくれェエ!!」



一気に混乱の坩堝と化する吉原。

怒りに狂った遊女達はなりふり構わず楼主に殴りかかる。何故か他の遊女らまで加勢に加わり、楼主に限らず男衆や四郎兵衛らも犠牲となっていた。



そして怜は吠える。


「この世は地獄や!!生き地獄やァアァ!!」


ーーーーー説明しよう。


怜は、『妄想花魁』になったのだ。

つまりアドレナリンが大量放出され、自分が吉原で働いているという錯覚を起こしているのだ。


「一発殴らせろぉおお!」

「キョキョオォオ」


三人は顔を見合わせ、深く頷いた。


「怜、行くぞ」

「まだまだや!!ここにおる楼主どもを根絶やしにするまで、わっちは諦めへん!ーーーぐえッ」


もはや手の施しようがないと悟った高杉は、怜に腹バンし一瞬で気絶させる。そして軽々と持ち上げ、走り出した。


「とんでもねー坊主だな」

「坊主って、お前。怜は一応"女"だ」

「「え!?」」

「知らなかったのか?吉田」

「初耳...」


煤だらけの顔は百歩譲っても男にしか見えなかった。

三人は無言のまま藩邸を目指す。唯一鈴木君の翼の音だけが鳴り響いていた。




ーー余談


この一連の騒動が、数日後伝説化されることを四人は知らなかった。


たまたま近くを歩いていた落合という名の浮世絵師が怜の絵草紙を描いたのだ。絵草紙とは今でいう人気アイドルのプロマイドみたいなものである。


彼が描いた絵草紙は瞬く間に人気を博し、吉原だけでなく町中で飛ぶように売れたという。



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