035
残酷な表現があります。苦手な方はスルー推奨
大門前には数人の男が立っていた。
「四郎兵衛」という見張り役の男衆である。大門口には江戸役人と吉原各見世から派遣された「四郎兵衛」という自警団が常駐しており、左手に役人の面番所、右手に四郎兵衛会所(番所)が配置されていた。
四郎兵衛という名は、元々大見世の番頭三浦屋四郎兵衛が常勤していたところから、この役名がついたのである。この者たちの役目は遊女の逃亡を阻止監視するのが目的であり、逆に外からの女の出入りに関しては会所で証明書(切手)を発行してもらわねば中には入れない。また役人の面番所に関しては吉原内では解決出来ない事件などを取り扱う場所である。
「子どもが何の用でい」
「あー、ちょっと知り合いが……」
「ここはガキが遊びにくるような場所じゃねえ!」
四郎兵衛はその辺の客らしき男を指差した。
「あの男を見ろ!ココがどういう場所か物語っているだろう!」
ドヤ顔の四郎兵衛に、怜は客をジッと見定めてから口を開いた。
「モノが勃っているのを”物語って(モノが勃って)いる”……てこと?」
「ふっ…ブフッ.......通って良し!!」
怜は易々と入門を許可された。
「江戸っ子が糞くだらん駄洒落が好物なんはホンマの話やったんやな」(※諸説あり)
「キョキョ」
怜は七軒茶屋を通り越し更に奥へと進む。昼間ということもあり客はまばらだったが、見世出しの時間のようでその周辺だけは賑やかだ。怜は物珍しそうに首を左右に動し見入っていた。
頭上の鈴木君が「キョォオォ」と雄叫びを上げた。
「何や、あれ……」
通りの奥に何かが揺らめいている。
行き交う人々もまたそれに気付いて皆足を止めた。
「か、火事だァァア!!」
誰かの声と共に大きな爆発音のような轟きが周囲に響き渡る。むろんガスなどない時代であるため、実際には建物の一部が崩れ落ちた音だった。
木造建築は火の手が上がるとあっという間である。出荷元かと思われる妓楼の上半分は轟々と燃え盛り、風のせいもあって隣りには建物にも燃え移っている。その中から数人の女子ども、男達が着の身着のままで飛び出した。
「キャァアァ!」
「逃げろォオ!」
通りは混乱に包まれた。他の妓楼からも次々と人が逃げ出し前に進もうにも困難な状況である。それでも隙間をかいくぐり何とか群衆から脱すると、目の前に炎に飲まれた妓楼の全貌が露わになった。崩れた二階の格子や板戸はほとんど崩れ落ちているが、入り口だけはまだ火は回っていない。もう既に逃げ出していれば問題ないが、残っていれば厄介だ。
「危ねえぞ!逃げろ!」
「誰か助けてー!」
様々な声が飛び交う中、鈴木君が一声鳴いた。
視線を追うとその一階入り口付近に僅かに白い手が見える。怜は迷うことなくそこへ駆け寄ると、若い女が倒れているのを見つけた。細い身体には幾つか瓦礫が重なり身動きが取れないようだ。
「しっかりして!」
手を握れば温もりはちゃんとある。
おそらく瓦礫が落ちてきて気絶したのだろう。目を覚まさせようと必死で叫んでも全く反応をみせない。
その間も火はどんどんこちら側へ向かってきた。
「鈴木君、誰か大人呼んできて!」
「キョキョ!」
どうにか助け出したいが、押しても引っ張っても子どもの力には限界があった。いよいよもって身の危険を感じた怜は"てこの原理"を利用し、上に覆い被さった瓦礫と地面の間に細長い格子の棒を突っ込む。そのままゆっくり上へ押し上げると、瓦礫は棒に沿ってずれ落ちた。
うつ伏せに倒れた女の子はびくとも動かず、真っ白な顔で息をしているかどうかもわからない。体勢を低くした怜は無謀にも女の子の下に入り、背中に担ぎ上げるようにして身体を浮かせてみた。しかし気を失った人間の重さは全ての重みが背中に集中するため、普通より重く感じてしまうものだ。ぐしゃりと押し潰されて尚諦めず何度も何度も同じことを繰り返し、匍匐前進で少しずつ外への距離を縮めたのだがーーーー怜の意識はあと少しのところで途絶えた。
◇◇◇◇◇◇◇
火事の轟音は吉田らのいる大和屋にも響いた。三人が一瞬顔を見合わせた後、数秒もしない内に廊下を走る八兵衛の足音がし、パンッと勢いよく襖が開いた。
「皆さん!火事です!今直ぐ避難を」
芸妓らはたちまち外へと出ていき、廊下では他の客などが我先にと押し合いになっている。三人は特に慌てもせず残った酒を手酌で飲み干すと、皆が出るのを待って一番最後に店を後にした。
「あーあ」
高杉は上空を見つめながら溜め息を吐く。
渦を巻いた黒煙が空へと伸び、数十間先は人だかりが出来ている。駐在する役人や四郎兵衛、男衆らが消し止めようと総出で水を運んでいるが、到底追い付く気配はなかった。
大門入り口付近には客や遊女が集まり外に出るのも困難そうだ。
「ツイてねーな」
「まあ、他で飲み直せばいい」
呑気にそんなことを言いながら人波を掻き分け外へ出ようとしたその時であった。
「キョキョォオォェ」
奥から一直線に飛行する黒い影。
三人は同時に振り返った。
「おあ!?」
「なんだオイ、こっちにくるぞ」
高杉と桂は一歩後ずさりをしたが、吉田は逆に一歩前進した。
「ええ?お前なんでここにいるの!?」
「キョオー」
吉田はそう言って、ハッと気付いた。
「…………まさか、いるのか?」
「キョ!!」
「オイ吉田、お前の鳥か?」
「これ夜鷹だろう。何故こんな鳥が」
「桂さん、コイツは怜の鳥だ!」
「れい?……レイ?.....怜!!?どういう事だ!?お前怜を知っているのか?」
「説明は後だ!怜はどこにいるんだ!?」
「キョキョ!」(ついてこい!エロガッパ!)
「ちょっ?どういうこと?」
「いいから高杉、お前も来い!」
「エェエエェ!?」
三人は夜鷹の後を追うのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「何でも好きな物買ってやるよ」
「まあ、太っ腹でありんすねぇ」
「何が欲しい?着物か?髪飾りか?」
「ふふふ……」
吉田は美しく煌びやかな花魁の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「俺は金持ちなんだ。見ろ。この小判を」
懐から取り出した巾着をばら撒くように逆さにすれば、ジャラジャラと輝く小判が落ちる。
怜はバチッと目を開け瞬間的に起き上がると、目の前の吉田の胸ぐらを掴んで馬乗りになった。
「ほほオォォオ!!私の金で豪遊とは命が惜しくないようやな?」
「ちょちょちょ」
「こ、こら!!怜!」
止めに入ったのは桂小五郎である。
怜は我に返り周りを見回した。
そこは焼け落ちた妓楼の少し離れた場所である。
既に火は消し止められていて、役人や多くの男達が現場付近を忙しく走り回っていた。
同じように多数の怪我人が道すがらに並んでいて、中には酷い火傷を負った人々もいる。近くの茶屋などは皆一様に店を解放し、重症者などはそちらに運ばれていた。
「夢か……死ぬかと思た」
「そりゃこっちの台詞だバカ。なんでいつもいつも危ないことばっかすんのかなー」
妓楼の入り口付近で意識を失った怜だったが、運良く吉田達が助けたのは言うまでもなくーー
「あんたが吉原に来たのがそもそもの間違いや」
「....むしろなんで知ってるの」
「千里眼やねん」
「.......」
吉田は身震いをした。
「しかしまさか怜とこんなところで再会するとはな」
「あら久しぶり。桂君」
「とりあえず風呂だ。風呂行こう」
吉田はむくりと起き上がり、襟元を正す。その顔は皆と同様煤にまみれて真っ黒であった。
「あ、そういえば、あの女の子は?」
怜がその姿を探すようにキョロキョロすると、一人の男がやってきた。
「大丈夫だ。大した怪我じゃない。さっき迎えの男が来てとそこにいる」
怜は目を見開いた。
「高...!......すぎーーーーーー晋三」
「惜しい!」
◇◇◇◇◇◇◇
『火事と喧嘩は江戸の華』
とはよく言ったものである。
この吉原だけでもゆうに二十回以上の火事があり、その度に復興を遂げてきた。(移転前含まず)
怜は自分が気を失っている間に鎮火した吉原を見て、溜め息を零した。
「だいぶ焼けてしもたな」
「まだマシだよ。五軒ほどで済んだから」
「けが人は?」
遊女らも起きている時間で客もそれほどいなかったこともあり、逃げ遅れた者は出火元一件のみであとは他の妓楼は軽い火傷や怪我で済んだらしい。
「あれは...」
怜は妓楼の前に並べられた藁筵を見た。
「助けられなかった奴らだ」
並んだ遺体は三体。その周りに数人の遊女が泣いていて、怜の胸がチクリと痛んだ。
「見てくる」
「おい、怜」
怜はスタスタ歩いて彼女達の元へ向かった。
その中に怜が助けた女の子もいる。彼女はこちらに気付くとぺこりと頭を下げた。
「怪我大丈夫?」
「うん。擦り傷だから。助けてくれてありがとう」
すると隣りの男がガバッと怜に抱き付いた。
「花乃を助けてくれたのはキミか!たまたま通りがかったら火事だと聞いて飛んで来たんだ!本当にありがとう!」
男は薄っすら涙を溜めて花乃の手を握った。馴染みの客を取るにはまだ早過ぎる少女だ。しかし二人は誰が見ても恋仲にしか見えなかった。
「姉ちゃんらは同じ店の子?」
「……ええ。そうよ」
「見てもいい?」
遊女は顔を見合わせ、躊躇いながらも頷いた。
遺体に被せた藁筵を剥ぎ取ると、焼けた遺体が晒される。周りで息を飲む音が聞こえたが、怜はただ黙って手を合わせた。それを見ていた遊女らは誰か言うでもなく残りの藁筵も剥ぎ取る。それぞれ手を合わせて涙を流していた。
「そろそろ行くか」
吉田が声をかけた。
怜はウンと頷いて藁筵を元に戻していく。
しかし途中でーーーふと手を止めた。
「.....なんで火事が起きたんやろ」
「さっき役人さんが来てね、もしかしたら放火じゃないかって」
「ね…?」と互いの顔を見合わせる遊女。そこへ男達が数人やって来た。
「ほらほら、嘆いてる暇はねえ。仮宅の手配が出来たから行くぞ」
どうやら遊女らの雇い主(以下楼主)と手伝いの若衆のようである。楼主は大事そうに樫の木で作られた千両箱を抱え、テキパキと指示を出しながら後ろの吉田らに向き直った。
「全く困ったもんだよ。役人どもの話では見習い遊女か、俺に恨みを持つ野郎の仕業だろうってさ」
「火の元はあんたの店なんだろ?ならあんたの店の者なんじゃないのか?」
「そりゃあわからねえな。もしかしたらこの中にいるかもしれねえが」
楼主は遺体を見て言った。
吉原の遊女達は厳しい管理の下に置かれている。逆らうなど以ての外であり、仕事を怠けたり脱走を試みた遊女らは、三日三晩食事を与えられず、全裸で縛られて棒などで打たれるという苛酷な折檻を受けていた。(※店による)
その結果、悲観したまだ幼い遊女見習いによる放火(逃亡する為の)が多発していたのだ。
怜は口元に手を当て、しばし考えこむ。
頭の中で様々な映像が繰り返され一つの真実が生み出された。
「なるほどな。犯人がわかったわ」




