031
蒸気船に乗り込んだ怜は、早速マーシャルに誘われ船内ラウンジへと向かった。マーシャルはヤスケの他に両脇には男性秘書二人、少し離れたところには三人の使用人(これも男)を従え、西洋の肘掛け椅子に腰を下ろす。
そして怜に言った。
「座りたまえ」
怜が丸テーブルの向かい側に着席すると、使用人達は待ってましたと言わんばかりに準備を始める。
「ティータイムだよ」
マーシャルはコホンと小さく咳払いをした。
「これは紅茶という飲み物だ。イギリス人はね、様々な場でこれをいただくのだよ。まあ所謂”紳士の嗜み”というカンジかな」
コポコポと音を立てたポットの湯が、茶葉の入った別のティーポットに注がれる。使用人はゆっくりとそれを回し、音も立てずに白いティーカップへと注ぎ込んだ。
「紅茶には様々な種類がある。ダージリン、アッサム、シッキム……」
「全部イギリス産やなくて、インド産ということなんやね」
マーシャルの動きが止まった。
「....それからアールグレイ」
「それは清(中国)産やね」
「……!」
「昔、清に赴任しとったエゲレス外交官が国に持ち帰ってグレイ伯爵に献上したから”アールグレイ”と言うんよね?」
「よ、よく知っているネ」
「そうですか?常識やけど」
怜は挑戦的な目でマーシャルを見つめた。
「ま、まあいい。さあいただこう」
「いただきます。ーーーーあ!」
「なななんだい?」
「蒸留酒はないんですか?」
「蒸留酒!?」
「ブランデーやん。あれを一滴入れたら更に良い香りがするんでしょ?」
「え!?」
「知らんかったんですか!?エゲレス人のくせに!!」
「いや!!知っていた!知っていたとも!へイ!ポッター!本国から蒸留酒を1ダース輸入しろ」
「は。かしこまりました」
『この子ども、侮れん』とマーシャルは思った。
無理もない。理想的妄想とはかけ離れた展開である。何とか優勢に立つ方法を早急に考えなければ、イギリス人としてのプライドが許さないのだ。
「ところでレイ、馬に乗ったことはあるかい?」
「馬?乗せられたことはありますけど」
マーシャルはほくそ笑んだ。
「私は乗馬が得意でね、横浜の自宅にはイギリスから取り寄せた素晴らしい馬が三頭もいるんだ。向こうに着いたら早速乗馬を教えてあげよう!」
「わあ!!馬の操作って難しいんでしょ?」」
「ああ!もちろんさ!まず友達になることから始めるといい。大丈夫!私が教えてあげるからネ!」
「おおきに!私、イノシシしか乗ったことないんです!佐藤君っていう友達なんやけど、せいぜい八十キロくらいの速さしかなかったわー」
「イノシシ!?ーー80キロ!?」
マーシャルのティーカップがガシャリと音を立てて転がった。
「イノシシ乗ったことあります?」
「も、もちろんさ!イノシシのエミリーとは大の親友だからネ!」
怜は思わず目を見張った。
「エミリー……」(さすがエゲレス人...)
「ハッハッハーエミリーアイラブユー!」(直ぐ様本国からイノシシを取り寄せねば!)
戦いは始まったばかりであった。
◇◇◇◇◇◇◇
出航から二日目。マーシャルに誘われて甲板へ出た怜は「おおー」と感嘆の声を上げた。
「ロッキングチェアだよ」
揺り椅子"とも呼ばれ、普通とは違い地面に接する面が二箇所しかない椅子である。身体の重心を前後させるとゆっくり揺れることから高級品として金持ちの間で人気だった。
「これはドイツ製さ。トーネット社という会社から"お取り寄せ"したんだ」
「いつも持ち歩いとるんですか?」
「当たり前だよ。どんなことがあろうともティーを愛する我々は、この椅子と共に楽しむのが上流階級の嗜みなのさ」
「上流階級って面倒くさいんですね」
「ハッハー羨ましいだろう。まあ座りたまえ」
怜の嫌味は脳内変換された。
「今日はね、私の話をしようと思う。聞きたいかい?聞きたいだろう」
「聞いてあげてもええけど」
「ありがとうございまス」
悠然とロッキングチェアにもたれて、両手を腹の上で組んだマーシャルは青い目を閉じた。輝く黄金の髪がサラサラと風に靡き、黙っていれは王子様のようだ。
「私はコーンウォール地方で生まれたんだ」
「ど田舎やね」
「素晴らしく美しい場所さ」
「あ、コーンウォールといえば」
「気付いたのかい!?」
ガタリとマーシャルが身を乗り出した。
「なんやったっけ」
考え込む怜に両拳を握り締めて応援するマーシャル。
「えーとえーと」
「がんばれがんばれ!あとひと息だ!」
「あー!なんやったっけなー」
「ヒントを出そう。ーーーーティンタジェルという村を知っているかい?」
「あーーーーー!!」
怜はマーシャルを指差して叫んだ。
「アーサー王や!」
「そうだ!!そのとおーり!」
アーサー王はブリテン王の息子として生まれ、サクソン人と幾度も戦って平和をもたらしたと言われる英雄である。
「私はおそらくアーサー王の血が流れていると思われる.....」
遠い目で海を見つめるマーシャル。そちらの方向はオーストラリアだ。
「へえ。アーサー王ってホンマにおったんですね」
「当たり前だよ。故郷の屋敷には我がマーシャル家に代々伝わるエクスカリバーがあるのだからね」
「え!!?」
エクスカリバーとはアーサー王が持っていたとされる聖剣である。伝説では石に刺さった剣を引き抜いたアーサーが正当な後継者として王になったのだ。
「すごーい!石から引き抜いたんですか!?」
「えっ」
「魔法の剣なんでしょ!?」
「う、うむ」
「うわあ!見たかったー!今度見せてもらえませんか?」
「え、うむ、しかし」
「お願いします!」
「き、機会があれば見せてあげよう」
「わーい!」
今更レプリカだとは言えなくなったマーシャル。ふと見上げるとポッターと目が合った。
「ごめんなサイ」
◇◇◇◇◇◇◇
「う…ん」
怜の頬にカーテンの隙間から零れ落ちた一筋の光が射していた。聞こえるのは小鳥達のさえずり。そしてほんのり良い香りもする。
薄っすら目を開ければ、そこは真っ白な天井とクリスタルガラスのシャンデリアが輝いている。
「あ、……そっか。横浜に着いたんやった」
昨夜横浜に到着した一行だったが、時間的なこともありマーシャル家に泊まらせてもらうことになったのだ。長い船旅のせいで着いた早々寝てしまった怜だったが、久しぶりに熟睡出来たおかげもあって身体も頭もすっかり元気を取り戻していた。
「キョキョ」
「おはよう鈴木君」
怜は両手でカーテンを開け、続いて窓を上へと押し上げる。
「わぁ……」
そこは別世界であった。
間違いなく日本なのに日本ではないような一帯で、それこそ絵本に出てくるようなファンタジーな景色だ。
「長崎もきっとこんな感じなんやろね」
のんびりと外を眺めていた怜であったが、ふと下を覗き込むとヤスケが庭の右奥から歩いてくるのが見えた。
「そうや!こんなことしとる場合やないわ」
怜は広い室内の壁に取り付けられている洗面台で顔を洗うと、直ぐさま着物に着替えて扉を開ける。
「なんやこれ。まるで城やん!」
昨晩は屋敷内を見る余裕などなかった怜は、非現実世界に迷い込んだ気分になった。赤絨毯が伸びた廊下。所々調度品が置かれ、壁には見たことがあるようなないような絵画が点々と並んでいる。
「なんやその目は」
「キョキョ」
鈴木君は、この場に怜は不釣り合いとでも言いたげな目つきであった。
「モーニン!レイ!やっとお目覚めかい?」
「あ……マーシャルさん」
現れたのはもちろんマーシャルである。
「ああ、私のことは”ビル”と呼んでくれ」
「ビル?」
「そうさ。”ウィリアム”だからネ」
怜は首を傾げた。
「私の愛称だよ。親しい人はみんな”ビル”と呼んでいるんだ。キミはまだ会ったばかりだけど、ーーーー特別さ」
”光栄かい?”とでも言わんばかりのマーシャルに、怜はこくりと頷いた。
「さあおいで。みんなを紹介するよ」
背中を押されて案内された部屋は磨き上げた長いテーブルに椅子がズラリと並び、中央には燭台が置かれている。まさに映画で見たような食堂であった。
その脇に使用人が十人、ヤスケと秘書は反対側に立っている。マーシャルは皆の前に怜を誘導し、その肩に手を置いてにこやかに微笑んだ。
「私の友人の”レイ”だ。みんな、仲良くするように。じゃあトム、君から紹介を」
そこから自己紹介が始まった。
通常なら五分もかからないそれは「マイケルはダンスが得意でネ、本国の社交界では」などとマーシャルがいちいち口を挟む為、ようやく朝食にありつける頃には既に半刻が過ぎていた。
「さあ、西洋の朝食といこうか!」
その言葉に使用人達はパタパタと大忙しで準備を始める。怜はただ言われた通りちょこんと椅子に座って、運ばれる料理の数々をぼんやり見ていた。
「ジャパニーズの朝は、やはり”米”なんだろう?」
「米よりも粥が多いかな」
「”カユ”?……OH!あの貧乏人が食す奇怪な料理だね?私の国にもよく似た食べ物があるよ。私の口には合わないけどネ」
「食べやすいと思うけど」
怜の呟きはマーシャルの耳には届かなかった。
「西洋の朝はね……」
マーシャルはわざとらしく間を空けて、「ジャジャーン!」といった程で立ち上がった。
「コレさァァア!!」ドヤァ!!!
「パンやろ」
マーシャルの動きが止まった。




