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ウィリアム・マーシャルは目を瞬かせた。
夜中に竹富から話があると言われ、内容を聞いてみると子どもを横浜まで送ってほしいと言うのである。
竹富とはここ三年ほどの付き合いであった。
初めて日本に訪れたのは約五年前。元々は仕事でイギリスから上海に渡ったのだが、知り合いに日本行きを誘われ長崎へ来たのが始まりである。そこでしばらく日本語を学んだ後、新しく会社を設立する為に横浜へ移動し、その途中大坂へ滞在していた時期に友人の紹介で竹富と知り合ったのである。
「横浜?それはまたどうして」
「知り合いの子どもなんやが江戸に行く予定でな。どうも急いどるらしい。わしらはのんびり観光しながらやからそれほどでもないんやけどな」
「なるほど」
「子ども一人だけやさかい、頼めるか?」
「それは構わないが」
マーシャルは仕事の関係で先を急いでいた。
人脈を駆使し小回りの効く丈夫な船を確保した彼は一足先に出航する予定だったのだ。
「日本の子どもだろう?怖がらないか?」
「ああ、それは大丈夫や。なんや西洋に興味があって色々勉強したい言うてな」
「……勉強、ね」
マーシャルは日本人という人種を劣等民族だと思っている。いや、何もそれは自分だけではない。白人至上主義のこの時代では概ね万国共通の認識なのだ。むろんそういった態度はおくびにも出さないが、根抵にある”それ”は変わらない。ただ他のアジア諸国と異なる点で言えば、やはり礼儀正しさや清潔さ、そして何をいっても謙虚で真面目な性質を高く評価していた。
そういった人間性の人々と接する内に、この地で仕事をするという人生を選択したのだ。
「語学を習いたいわけやないんや。欧米諸国の生活っちゅうんかな。そういう習慣を勉強したいらしい。別に何や教えるんやのうてな」
「あー、なるほど」
「まあ硬く考えんと、使用人が一人増えた思てしばらく頼むわ。勿論給金なんぞいらんさかい」
「ふむ……まあそういうことなら」
マーシャルはこの時まで特に深く考えてはいなかった。竹富によればその子どもは出自もきちんとした五歳の少年であり、歳の割に利口だという。
日本人が好奇心旺盛な民族だとよく理解しているマーシャルは「子どもまで旺盛なのだな」くらいにしか思わなかったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「私はウィリアム・マーシャルだ。横浜で会社を経営している。よろしく」
流暢な日本語を話しお決まりの握手をすると、彼は紳士的な態度で胸に手を当てた。
「後藤怜と申します。宜しゅう」
第一印象は”普通の日本の子ども”ではなかった。
今までの経験からすると、この国の子ども達は極度の恥ずかしがり屋で親の背後に隠れるタイプばかりなのだ。
「西洋に興味があるんだって?」
「はい。どんな生活してるのか知りたくて。エゲレスの人は高貴で頭が良くてカッコイイの人ばかりやと聞いたから、私もそんな風になりたくて」
怜はにっこりと微笑んだ。
「良い心がけだネ。きっと驚くことばかりだよ。私の暮らしていたイギリスの話も沢山聞かせてあげよう」
「わあい。楽しみぃ~」
「ハーッハッハッハー」
マーシャルは褒められると図に乗る男であった。
「ああ、そうだ。私の専属使用人……いや、こちらでは”小姓”というのかな。紹介しよう」
マーシャルが隅に控えた黒人の少年を手招きする。
少年は怯えたように上目遣いで目を泳がせながら怜の前に立った。
「彼は”ヤスケ”。良い名だろう?私がつけたんだ。知ってるかな?知らないだろう!ーーーその昔、日本で活躍した黒人侍の話なんだが」
「織田信長でしょう?」
マーシャルの動きが止まった。
「信長が気に入って自分の家来にしたという話でしょ?違いますか?」
「……レイは物知りなんだネ」
あからさまにガックリ肩を落としたマーシャルであったが、立ち直りはマッハだった。
「まあいい!!ヤスケは八歳だ。私のお気に入りなんだよ」
「ヤスケ君、宜しゅう」
怜はヤスケに笑顔を向けるも、彼は少し頭を下げただけだった。
「残念!ヤスケは口が聞けないんだ!ハッハッハー」
「そう、……ですか」
「ま、そんなことはどうでもいい!」
マーシャルは何でもないようにサラリと言って、怜の小さな肩に手を置いた。
「もう直ぐ西洋の蒸気船が港にやってくる。我々はそれに乗り換えて横浜へ帰るんだ。やはり最初から和船など乗るものではないネ」
軽く日本をディスった後、マーシャルはスーツの内ポケットから懐中時計を取り出す。
とその時、襖の向こうから声がした。
「旦那様。駕籠屋が参りました」
「時間通りだ。さすがジャパニーズ!」
マーシャルはバンバンと怜の背中を叩き、ウインクをする。怜の口端がヒクリと歪んだ。
「さあ、レイ!行こうか!風待ちなどに負けてたまるか!レッツゴー!!」
「オッケーラジャー!アイアイサー!」
「なっ!?」
怜も負けてはいなかった。
一方吉田は朝目覚めると怜の姿がないことに気付いたが、鈴木君が微睡んでいるのを見て安心しきっていた。またいつものように華のところにいると思ったのだ。手水場に行く途中あの外国人の集団とすれ違ったが、船を乗り換えるという話を聞いて、これで煩わしい問題が無くなると胸を撫で下ろしたのだった。怜がその中にいるとも知らず。
昼頃になると雨も止み、船員らが海と船の状態を確認しに寺を出たが、その直ぐ後に華と竹富という男が現れた。
「……今、なんて?」
「坊やに頼まれたんよ。黙っててごめんやで?」
「詳しいことはこの文に書いてあるさかい」
竹富は怜の荷物袋と文を吉田に渡した。
「ワシらはこのまま江戸まで行くけど、お宅はどうしはるんや?」
吉田は返事もせずきちんと折り畳まれた文を開いた。そこには詳しくどころか、几帳面な文字でただ一言「荷物を預かって下さい」としか書かれていない。
「あのエゲレス人は軍人でも何でもない。ただの商人や。命を取られる心配はせんでええ」
竹富は気遣ったが、その心配はむしろ逆であった。吉田が心配しているのはあの外国人なのだ。怖いもの知らずの怜が何かしでかすのではないかと考えているのである。事実、吉田はあの黒人奴隷の少年を憐れには思ったが、実際には世の中とはそういうものだとも、半ば諦めに近い感情の方が優っていた。そして同時に自分に何が出来るわけでもなく、傍観するしかないのだと。
ただ怜の言葉を聞いた時、眼前に突きつけられたショックは払拭出来そうもない。小さな子どもすら何とかしようと考えるのに、自分はその前に全てを諦めているという現実に。
そもそも吉田が脱藩したのは、やはり吉田松陰が原因である。松陰が捕らえられた際、入江九一や松下村塾の創立者であり、松陰の叔父である玉木文之進らと共に助命嘆願に奔走したものの、それにより藩より謹慎処分を受けたのだ。玉木に至っては、監督不行き届きという理由で代官職を剥奪されてしまい、そんな藩に嫌気がさし、また松陰を失ったことで自分の目標すら見失ってしまって脱藩に及んだという経緯であった。
「雨も止んだから一刻後に出航する言うてはるわ。ウチ着替えてくるわ」
「ほんなら出発の準備しよか。吉田はんはどうしはります?何やったら帰りの船用意させますけど」
吉田は文を懐にしまい込むと、首を振った。
「いや、俺もこのまま江戸へ行く」
吉田は自分の道が見えた気がした。
しかし幸か不幸か。それこそ未来の吉田の行く末を知る怜は、本人のまかり知らぬところで一人の若者に道を示したのは決定的であった。
◇◇◇◇◇◇◇
余談
「お前が見張ってたのは俺だったんだろう」
「キョキョ」(まあね)
鈴木君はゆっくりと翼を広げた。
「キョーキョキョキョ!」(じゃあまたな!)
「ああ!怜によろしくな!」
「キョー!」(おう!)
大空高く飛び立つ夜鷹。
雲の切れ間から太陽の光が反射し、その眩しさに目を細める。しかし次の瞬間、大きな鷲が鈴木君に一直線に攻撃を仕掛けてきた。
「危ない!!」
吉田は叫ぶ。
「ピイギィイイィイィ!!」
あわや一触即発と思いきや、鈴木君は余裕で鷲の攻撃を交わす。右に旋回した鷲は再び攻撃を仕掛けるが、鈴木君は素早い"走り"で背後に回り込み、両翼で鷲を叩き落とした。
けたたましい(鷲の)悲鳴が一面をこだまする。
鷲は真っ逆さまに森の中へ消えてった。
呆然とする吉田。
「……全部、夢、じゃないよな?」
まだ怜と鈴木君を理解するには、しばらくかかりそうである。




