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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
3/139

003


「黄玉はあかんのか?」

「甘みが違うねん。黒玉の方がまだマシや」

「そやけどアレは高いで」


それは怜にもわかっていた。その辺にも黄玉は四十文ほどで購入出来るが(※それでも民に取れば高価である)黒玉はそれ以上するらしい。


「わかっとるよ。そやからお金貯めてんねん。大量に安く手に入るとこないかな?桂君も知らん?」

「大坂だったら直ぐ手に入るんじゃないか?よく見かけるけど」

「ほんま!?」


怜の目がキラキラと輝いた。

住職はそれを見て不審気味に眉をひそめる。


「なんでそんなに西瓜に拘るんや?」

「え、別に」


目が泳ぐ伶を見て、桂も探るような目を向けた。


「単に”好物”ってわけでも無さそうだな」

「ちゃうよ!大好物なんや!西瓜と結婚したいぐらい大好きなんや!」


ムキになる五歳の子ども。だが、顔は守銭奴のようにニヤけているのを、二人は見逃さない。


「怜、正直に言わんかい」

「な、ななんの事?」

「大人を騙せると思ったら大間違いだ。裏があるんだろう?」

「ないない!潔白や!」


しかし数分後、二人の大人に詰め寄られた怜は、やむを得ず、その目論見を白状することになる。


それは怜の野望に等しい夢であった。



◇◇◇◇◇◇◇◇


「西瓜糖?」


二人は同時に言葉を発した。


利尿作用のある西瓜は、主に腎臓病に効く薬として、古くから中国にはあるらしい。幕末の日本であまり流通しないのは、やはり見た目はさることながら、夏場しか出回らないせいもあるのだろうと伶は推測した。


それにこの時代に冷蔵庫はない。保存方法といえば井戸水や川で冷やすのが一般的である。無論、氷室というものもあったが、庶民には到底手に入らない代物だ。そもそも買い置きという習慣が少なく、その日食べるものはその日に買うというが当たり前であり、特別腐りやすい魚や肉は塩漬けや干物が通説なのだ。


そこで怜は、住職に貰った黒玉西瓜を父から奪い、「西瓜糖」を作った。西瓜のままなら直ぐに腐ってしまうだろうが、これなら少しは日持ちする。


ちなみに元々は父の為に作ったのだ。西瓜は腎臓病だけではない。高血圧、二日酔い、妊娠中毒症にも効くと言われている。


商売柄、よく飲みに誘われる父は、週に三日は二日酔いに悩まされていた。伶も平成の時代ではよく二日酔いになったものだが、薬嫌いの伶はその度にこの「西瓜糖」を食していた。というのも、怜を育てた祖母が、自宅でよく「西瓜糖」を作っていたのを見ていたからだ。


その姿を真横で見ていた怜がその作り方を覚えたのは、言うまでもなく自然の成り行きだった。


「なるほど。その”西瓜糖”で商売始めるってわけか」

「さすが後藤家の娘や。商売人の血やな」

「だが、そんなに甘くはないぞ?」


桂は意地悪な目で怜を見た。


「簡単やないことはわかっとる。まだ改良せなあかんし。けど、諦めたくないねん」


現段階で不完全であるのも事実だ。伶の目指すのは「腐らない西瓜糖」であり、蜂蜜ほどの糖度があれば腐らないだろうが、現代の甘みよりも劣る黒玉西瓜は、砂糖を加えない限り糖度を上げることは不可能だった。


「砂糖を入れたらええやないか」

「砂糖高いやん。それに、そんなん入れたら余計虫歯の人増えるやん」


この時代の歯医者は最悪だ。抜くのが主流であり「治療」とは程遠い。痛み止めの薬草などもあるようだが、さほど効果もなく、神頼みに神社参拝する庶民もいたほどだ。


「それだけじゃないだろう?伶」

「え」

桂の鋭い眼差しに怜はドキリとした。


(コイツ侮れん)


「なんのことー?」

「惚けるな。さっきからニヤニヤ締まりのない顔しやがって」


簡単に見破られてしまった。

実は怜はその「西瓜糖」を、薬として幕府や諸藩大名、武家のお抱え医師に売り捌こうと企んでいるのだ。


「お前、本当に五歳か?」

「失礼な。こんな可愛いらしい子どもおらんやろ」

「まあまあ二人とも」


住職は睨み合う二人を笑いながら制し、桂へと向き直った。


「なあ桂君。怜も連れて行ってやってくれへんか?」

「は!?」

「え!?桂君大坂行くん!?」


怜は桂の胸ぐらを掴んだ。(ニヤけ顏で)


「ま、待て!」


桂は思わず仰け反って、和尚に向き直った。


「しかし和尚様。私は人と会う約束がありまして」

「途中まででええ。後藤家の三男が大坂におるんや。そこに送り届けるだけでええわ」

「しかし」

「怜。その後は自力で出来るやろ?」

「大丈夫や!」

「ほなら早速後藤君に話しに行こか。桂君も来てくれるか?」

「私も、ですか」

「一人娘やしな。心配するといかん。そやけど桂君の人となりを見たら安心するやろ」

「はぁ、、、」

「おおきに和尚さん!桂君!」


とはいえ、反対されると桂はほくそ笑んでいた。五歳の一人娘を見知らぬ男に預けるなど、正気の沙汰とは思えないからだ。しかしそれは桂の予想を超えるものだった。後藤家は善治郎以外、皆賛成の意を示したのだ。


「怜。女が一旦決めたことは最後までやり通すんや」

「お母ちゃん!私がんばるわ!」

「その意気や」

「俺はな、怜はこんな狭い世の中で生きて行くんは勿体無いと常々思とったんや。しっかりやれよ?」

「兄ちゃんおおきに!」

「怜ちゃん、体に気をつけるんやで?」

「朱美姉ちゃんもな。無理せんように」

「お前ら…」


怜は震える父の手を取った。


「お父ちゃんごめんな。どうしても大坂行きたいねん」

「怜、、、」


怜は父の気持ちがわかっていた。ハツは怜の一番の理解者であったが、反面父は小さい頃からいつも一番に怜を心配してくれていた。


「危ないことだけはせんといてくれ」

「わかっとるよ。お父ちゃんも体気をつけてな。私が作った薬、毎日飲むこと忘れたらあかんで?」


怜の言葉に、父は苦笑した。


「ああ。ちゃんと飲む」



かくして怜の大坂行きは確定された。

桂がショックの為に項垂れたのは、言うまでもない。




夜、伏見から大坂八軒屋間を繋ぐ三十石船は人で溢れ返っていた。怜達は船賃百五十文を支払い船に乗り込む。


「高いなぁ。二人で三百文やん」

「下りはまだマシだ。上りだとその倍以上はするぞ」

「倍!?」


両親に餞別として貰った金子と、ずっと貯めていた金子を合わせたら二両。一両は四千文だ。


「幕末マジックや」

「は?」


西瓜が手に入ったとしても、それを運搬しなければならないわけで、運搬用の船を調達するとしても、いくらかかるか想像出来ない。陸路もありだが今はまさに夏。炎天下の中で、重たい西瓜を運ぶのは至難の技だ。しかも運搬中に腐ることだってあり得る。


もちろん一つ二つならこうも悩まないのだが、あの「西瓜糖」は、西瓜一個で小さな陶器製の壺一つ分(約200ml)にしかならない。ということはおのずと量が必要になってくるわけで、それゆえに元を取れるかどうかもわからなかった。


(んー、それはおいおい考えるとして、とりあえず黒玉の価格が気になる。黄玉で四十文やから、やっぱ六十文くらいするんかな)


「寝てもいいぞ」

「おおきに。てか桂君は誰に会いに行くの?」

「秘密」

「ふーん。まあええけど。それより後ろの人、桂君の友達?」


怜は気付いていた。二人の様子を伺う「男」の存在を。そしてギョッとした桂を見て、怜はホッとしたように笑う。


「知り合いやったらええねん。多分そうかと思ってたから」

「どうしてわかった」

「秘密や」


怜にとってみれば、桂と同様「未来で画像を見た」だけなのだが、桂には理解出来るわけがない。


「ほう。じゃあ持ち前の勘で、名前くらいはわかるだろう」

「そうやな」

伶はさらりと言って退けた。


「伊藤俊輔やろ」

「な、何故、それがしの名を」

「顔に書いとる」


え!?え!?と顔を触る伊藤。

怜はケラケラと笑った。


「伊藤も有名になったもんだ」

「冗談はよして下さいよ!」


不思議な子どもだと桂は改めて実感した。伊藤はそれこそまだ無名であり、こんな子どもが知るはずが無い。いや、もしかしたら和尚に聞いたのかもしれないが、、、



ふと見ると怜は丸くなってスヤスヤと眠っていた。


「勘か…」

「何か俺、怖いです」


寝入った少女は、ただのあどけない子どもだ。少し生意気だがなかなか面白い。桂はふっと笑みを浮かべた。


「コイツも長州に連れて帰ろうか」

「何言ってるんですか!無理ですよ!」

「わかってるよ。冗談だ」


桂は明日大坂に到着する久坂玄瑞との会談の為、京から下坂していた。その後は長州へ一旦戻る予定だが、ふとこの少女を連れて帰ったら、面白いことになりそうだと好奇心が擽られたのだ。


「また会うことになるだろう」


そんな予感がした。




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