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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
28/139

028



水平線に沈みゆく太陽。

甲板で肩を並べる二人。

男は白い歯を見せ微笑みかける。


「綺麗だね」



吉田栄太郎は弾んだ声で言った。


「そうやね。あんたさえおらんかったらもっと綺麗やったのに」

「この船はさ、ひと月前まで西回りで蝦夷まで行ってたらしいよ。ほら後ろの縁に傷があるだろ?アレなんで付いたか知ってる?」


吉田はククッと含み笑いをして言った。


「鯨にぶつかったらしいよ...プーくすくす」


苛々ゲージが100%を超えた。


「次話しかけたら殺す!」

「ひでーな。助けてやったのに」

「うるさい!あほー!」


怜はすこぶる機嫌が悪かった。

何故ならこの男無一文だったのである。

本人曰くさっきの漁船で払った船賃が最後の金子であり、長州に戻った理由は誰かに金を借りようと思っていたのだという。


嫌々ながら怜が立て替えてやったわけだが、大坂までの船賃はなんと一人で一両二千文という高額な金額であり、怜の懐は一気に寂しいものになってしまったのだった。


「京に着いたらちゃんと返すからさ」

「私は京にはまだ帰らへんの!てか帰られへんの!」

「え、……だってさっき」

「面倒くさいからウソついただけや!」

「じゃあ何処へ行くんだ?」

「仙台や!」


キレまくりの怜であったが、吉田は意に介さずといった表情で「仙台かー楽しみだなあ」と、嬉しそうに頬を緩め、また遠くを見つめた。


「これは夢や。動物でも言うこと理解出来るのに、この男の言葉はわけがわからん。きっと違う星から来たんや!そうや、そうに違いない!」

「子どもって、直ぐ現実逃避するよな?」

「うっさい!黙れ!貧乏人!」


怜は力一杯拳を振り上げたものの、またも忍者のように容易くかわされ、ぶつけようのない怒りに半泣きになりつつ、ダンダンと激しい足音を立てながら船内へと消えていった。



◇◇◇◇◇◇◇



脱藩者として、ある種自由な身の上である吉田にとって、怜との運命的な出会いは中々面白味のあることに違いはなかった。その原因はやはり先ほどの怜の行動である。子どもの割に大人びた言動、知識、堂々とした雰囲気はさることながら、独特な”何か”を身にまとっている。


「薩摩藩お預かりか」


吉田は懐からあの身元証明書を取り出した。実は混乱に乗じて盗んだのである。


どこからどう見ても見ても正式な証明書だ。

何故そうなっているのかわからないが、薩摩藩が怜を特別視しているのは間違いないと思われた。しかし長州にとって薩摩は宿敵である。いくら脱藩したからといっても大切な故郷に変わりはなく、高杉や桂などと連絡を取り合う身でもある。ゆえに長州にとって”敵”と判断すれば、いくら小さな子どもだとしても容赦しない。


「まあ、とりあえずもうしばらく様子を見るか」


吉田は証明書を折り畳んでまた懐にしまい込むと、自分の荷物袋から、なけなしの金で購入した団子を取り出した。あまり怜の機嫌を損ねるのは得策ではない。成り行きとはいえ、金子を持っていないのは事実なのだから。


「開けるよー」


船室の戸を開けると、怜は板間に突っ伏していた。ピクリと動いたものの返事はない。


「大坂に着いたら直ぐに返すからさ、機嫌直せよ」


ズイッと団子を差し出すと怜はむくりと起き上がり、吉田と団子を交互に見た。


「これは私に迷惑かけた詫びとしてもらう」


怜は団子を分捕り、美味しそうにむしゃむしゃと食べ出した。そういう姿は他の子どもらと何ら変わりはない。しかし五分後この子どもに金を借りてはならないと吉田は思った。


「何これ」

「証文や」


怜は硯を吉田の前に押し出し、顎をクイッとさせて促した。


「口約束だけじゃ信用出来へんからね」


いわゆる借用書である。


「我ハ」から始まる文面には、元金から利子、遅滞金まで記されており、一番下には怜の住所氏名、拇印まで押されていた。


「しっかりしているな」


吉田は肩をすくめて筆を取る。


「へえ、木津屋橋に住んでいるのか」

「無駄口はよろしい」

「……はい」


吉田はサラサラと書き連ねつつ、”遅滞金”に記載された金額を見てギョッと目を見開いた。


「一日五百文……」

「当然やろ。もし滞ったら桂君に支払ってもらう。桂君が拒否したら長州藩に訴えたるんやから!」

「わかったわかった。必ず返すから」


何という”ガメツイ”子どもかと、半ば辟易しつつ拇印を押し、ごろりとその場で横になる。


「大坂に着いたらさ、一緒に藩邸に着いて来てよ」

「おや?おかしい。なんでわざわざ私がついて行かなあかんねやろ。耳がおかしなったんやろか」

「一応脱藩者だし、堂々と行ける身じゃないんだよね。だからさ、知り合いがいるから呼び出してほしいんだ」

「なんと図々しい」

「それに、俺逃げるかもしんないよ?」

「無駄や。それやったら桂君か藩に」


吉田はニヤリとして怜の言葉を遮った。


「だってさ、俺が”吉田栄太郎”じゃなかったらどうする?もし偽名だったら?長州の人間じゃなかったら?」


怜は考えた。

そう言われてみれば、確かにこの男が”吉田稔麿”だという確たる証拠はない。嘘をついている風にも見えないが、もしここでそれを拒否でもすれば、例え本物だとしても(そのせいで桂や藩に迷惑かけたとしても)怜にひと泡吹かせる為に逃げてしまうかもしれない。


怜はこの男がどういう男なのか読めないだけにここは頷くしかなかったが、結局数日間悶々とした日々を過ごす羽目になったのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



再び大坂の地に着いた怜と吉田は、今度は淀川を大坂中心地へと結ぶ十石船に乗って土佐堀川を進み、常安橋付近で下船した。


この辺り一帯は中之島とともに諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいる。中でも長州藩邸は立派な造りであった。


「あそこに門番がいるだろう?右側の男にこの文を渡すだけでいい」

「わかった」


おもむろに文を分捕り、子どもらしくテトテトと歩いて男の前まで来ると、握り締めた文を突き出した。


「おじちゃんこんにちは」

「ん?ああ、こんにちは。何だそれ」

「知らん人に頼まれてん」

「どんな人だった?」

「将来つるっぱげになりそうおじさんやった」

「え」

「ほな、私は頼まれただけやから」

「あ、ああ……ありがとう」


門番は宛名を見ると反対側の男に何やら告げて中へと消えていく。吉田は怜は先ほど降りた常安橋の辺りまで戻った。しばらくすると吉田は「来た来た」とこちらに向かってくる小柄な少年に手を振った。


「こっちだ!」

「吉田さん!」

「よう市ィ」

「こんなところで彷徨(ウロ)いてたら危ないじゃないですか!一体何を」

「心配するな。大丈夫だ。それより金を持ってきてくれたか?」


市ィと呼ばれた少年はハーッと溜め息をつき懐から手巾を取り出すと、それを吉田に手渡した。


「この子どもは?」

「俺の友達」


少年は一瞬目を見開いて怜を見る。


「後藤怜言います。宜しゅう」

「よ、よろしく。山田です」


怜は知っていた。顔を見て直ぐに気付いたのだ。まだ十代の少年の名は山田市之允(やまだいちのじょう)


のちの山田顕義(やまだあきよし)である。

数年後の戊辰戦争では、征討総督副参謀に命じられ、西郷隆盛からは「用兵の奇才」と評される。軍人としての能力は山縣有朋より遥かに優れていたと言われる人物だ。


「すまないな。助かったよ」

「それはいいんですが、これからどちらへ行かれるのですか?」

「仙台だ。ちょっと野暮用でな」

「仙台!?一体何をしに」

「怜の付き添いだ」


市之允はちらりと怜を見た。


「実に迷惑なんやけど」

「吉田さん駄目ですよー。高杉さんや桂さんが顔を出すよう言ってましたよ?」

「え、マジかー、でもなー仙台行きたいしなー」

「来なくてよろしい」

「うーん、じゃせめて江戸まで付いて行くかな」

「是非そうして下さい。でも他の方々に見つからないようにして下さいね」

「わかったわかった」

「ちっ」


怜は巾着片手に手を突き出した。


「早よ返して」

「はいはい」


市之允から受け取った手巾を広げると、申し付け通り一両小判が十枚が輝いている。そのうち三枚を怜に渡した。


「お釣りや」


既に準備していた釣りを吉田に押し付けると、そのやり取りを見ていた市之允が眉を潜めた。


「吉田さん、こんな小さな子どもにお金を借りていたんですか?」

「そうやねん。長州人ってほんま頭おかしい。疫病神や」

「そんなことはけしてありません!吉田さんと高杉さんが特別おかしいだけです!」

「オイ待て。久坂もだ」

「アホが移るからあんまり近寄らんといて。一間以内に近付いたら噛み殺す」

「馬鹿だなぁ。俺がいた方が都合がいいだろ?江戸に付いたら桂さんに仙台行きの船を紹介してもらえるかもしれないしさ」


吉田は怜の目が一瞬輝いたのを見逃さなかった。


「もしかしたら金も出してくれるかも」

「そういうことや!あんまり悪く言うたらいくら厄病神でも可哀相やろ。口の利き方には気をつけなあかんよ?ほな悪いけど吉田君は借りるで」

「…………」


唖然とする市之允の肩をポンポンと叩く吉田。少しずつ怜の扱いがわかってきたようである。


「吉田君!早よ戻ろ!」

「おう!」


吉田は怜に気付かれないよう市之允にもう一枚隠し持っていた文を渡して小声で言った。


「九一に渡せ。お前は指示どおり京へ行け」

「承知」


”後藤怜”の身元調査と薩摩での動向調査を命ずる文である。どういった成り行きで薩摩藩お預かりとなっているのか、場合によっては敵になるか味方になるか変わってくる。勿論それだけではない。


「早よう!」

「はーい」


たかが五つの子どもに興味が湧いた。



◇◇◇◇◇◇◇



二人はまたも天保山へ戻った。


幸運にも江戸行きの弁才船が停泊しており、出航が間近に迫っていた。早々に番所で身元や出航の手続きを済ませた二人は、早速船に乗り込む。

怜は上機嫌で頭を下げた。


「証明書見つけてくれておおきに。しかも船賃まで払ってくれて、ホンマに助かったわ」

「おう。お安い御用だ」


吉田は盗んだ身元証明書をさもその辺に落ちていた風を装い、その後ろめたさから船賃を支払ってやったのだが、むろんそんな真意を怜は知らなかった。その後二人は案内役の船員の後に続き船内へ続く階段を降りていく。上機嫌な理由は前述ばかりが原因ではなく、スムーズに事が進んでいるからでもあった。


「どれくらいで着くやろ」

「まあせいぜい十四、五日前後じゃないか?」


ということは九月に入るということになる。江戸から仙台もおそらくその程度だろう。


「十月までに間に合うやろか」

「どうしてそんなに急ぐんだ?」

「そりゃあ」


怜は口籠った。

まさか「地震がくるから」などとは言えない。いや、例え今言ったところで信じはしないだろうが、それよりも本当に地震がきたら「予言者」というレッテルを貼られてしまうかもしれないと思ったのだ。中村とのイザコザで、つい「未来が見える」と口走ってしまった怜は、それを酷く後悔していたのである。


むろん自分にそんな力が無いことは重々承知なのに、売り言葉に買い言葉とはいえ、人命に関わる重大な”事実”なのだ。怜は口が裂けても言うべきではなかったと自責の念に囚われていた。


「も、紅葉を見に行くねん」


嘘丸出しの返答をしたところで、ちょうど前を歩いていた船員が立ち止まり、「こちらです」とドアを開けた。


「ほな、またね」


助かったとばかりに怜は入室する。

吉田は何か言いかけたが、案内役に阻まれ「じゃあまた後でな」と、隣りの船室へと消えていった。ほんの三畳ばかりの小さな船室は、帆船には珍しい造りである。


この弁才船は以前は新酒番船として活躍した樽廻船であった。今ではすっかり客船として利用されており、外観はさほど変わりはないが、内部は西洋の蒸気船の造りに似て、一風変わった船である。細分された船室にホールのような広間、食堂にはカウンターまで付いている。淀屋の西洋商船(神風号)も立派であったが、それに引けを取らないほど落ち着ける空間を演出しており、さながらクルージングといった雰囲気であった。


「二週間で出来ることって何やろ……」

「キョキョ」


無駄に時間が過ぎるのは勿体無いと頭を巡らせるのだが瞼が重い。何せ息吐く暇もないほど様々な出来事が矢継ぎ早に起こったものだから、ここへきて疲れが一気に出たのだろう。怜は硬い寝台で鈴木君とイチャイチャしている内にいつの間にか寝入ってしまっていた。



◇◇◇◇◇◇◇



次に起きた時、船はとうに出航し、外は満面の星空であった。夏が過ぎようとしている為か心地良い風が吹いている。怜は鳴り止まぬ腹を撫でながら食堂へ向かった。


「怜、こっちこっち」


扉を開けると、中央付近の四人掛けの丸テーブルの椅子に吉田が座っていて両隣りに二人の女をはべらせている。

周囲もガヤガヤと会話をしながら食事を楽しんでいる状況であった。


「あらぁ、可愛らしい子供やねぇ」


ねっとりとした口調の女は、怜を上から下まで舐めるように見つめて「ふふふ」と笑う。もう一人はクスクスと含み笑いをしていた。


「”スケコマシ”って絶滅危惧種かと思っとった。生で見たん初めてや」

「誰が”スケコマシ”だよ…」

「ふふ……面白い坊ややねぇ」

「大きなったら男前になりそうな顔立ちや」


怜の髪もだいぶ伸びて、肩よりやや上であったが、けして女の子に見られることはない。かくゆう吉田も怜を男の子だと思っている。むろん怜にとってはその方が好都合であることには間違いなく、よほどのことがない限り、告げるつもりもなかった。


「お姉さんも綺麗やね。十代?」


どう見ても二十代半ばといった年頃であったが、敢えて言ってみた。


「あら、いややわぁ!そんな若こう見える?」

「肌の艶が最高や」

「この坊や見る目あるわあ!」

「ほら、これお食べ。美味しいから」


怜は大袈裟に首を振った。


「綺麗な上に優しい女性やなんてまるで女神や」

「……ウチ、女神やったんや」

「この子……わかってはるわ」


女性達は怜の方へ椅子を寄せた。


「何でも好きな物頼んだる!言うてみ?」


吉田は思った。

これが真のスケコマシだと。


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