026
女衒とは貧しい家から若い女子どもを買い、遊郭や岡場所などへ売り捌いて強制従事させる人身売買の斡旋業者である。
「な。そうやろ?おばさん」
佐吉の背後からひょっこり顔を出した怜。そのまた後ろから息を切らした千香が隣りに立った。
「はあ?」
とぼける琴子に千香が駆け寄る。
「お母さん!年季奉公なんて、嘘よね!?」
こういった者達は表面上"年季奉公"という名目で、大抵は貧しい農家から身内によって売られることが一般的だった。
「あーあもう!千香ぁ、そんなに引っ張ったらお着物に皺がいくじゃろぉ。高かったんよコレェ」
「お母さんっ」
その面の皮の厚さといったらない。
縋り付く千香の押し退け、埃か何かを払うように着物を叩いた。
「立ち話もなんやし、そこの寺で話つけよか」
「私らは話すことなんてないわ。ねぇ、冬一郎さん」
「ああ。帰るぞ」
「待って!」
千香は冬一郎の腕にしがみついた。
「冬一郎さん!親戚の方と祝言挙げるってほんと!?」
あからさまに凍りついた冬一郎だったが、琴子が間に割り込む。
「何言うちょるの。祝言挙げるのは千香じゃろ?ねぇ冬一郎さん」
「そ、そうだ。この間結納も済ませたじゃないか。誰に吹き込まれたか知らないがーーー」
そう言いかけた時、横手から数人の男が現れた。
「そりゃあ初耳じゃの」
威風堂々と現れた中島は腕を組んで二人を睨み付ける。
「な、中島さん」
その後ろには小使いの男衆らがいて、そのまた後方には玉屋が難しい顔で立っていた。冬一郎は状況を一瞬で理解しみるみる青くなっていく。
「久方ぶりじゃのう二人とも」
しかし琴子は顔色一つ変えなかった。
「あらぁ中島さん。ご無沙汰しております。まあ玉屋さんまで」
コロリと態度を変えて、少女のように不思議そうに首を傾げる。
「お二人揃って何かあったんです?」
厚顔無恥な態度に思わず中島と玉屋は言葉を失う。
いや、だからこそ今まで上手くやってこれたのだろう。
「ごめんなさいねぇ。私これから大事な用事があるんでそろそろお暇しますわね。ほら千香も皆さんに御礼言いなさい」
「お母さんっ」
「ほんとにこの子はもう。店放ったらかしにしたらあかんでしょお」
わざとらしい猫撫で声で千香の手を握った琴子だったが、怜はそれを阻止するように間に割り込んだ。
「なんやアンタ」
「逃げても無駄やよ」
「逃げる?なんで私が逃げるのよ。悪いこともしちょらんのに」
あくまでもシラを切り通すつもりなのか、理解不能と言いたげに肩を竦める。
「おばさん。ええこと教えたげよか?」
「はあ?」
「ここに来る前にな、熊屋でええもん見つけたんよ?」
懐から出した紙は前金渡しの証文だった。
その支払い人の名は長崎の豪商人ではなく玉屋さえ知らなかった、とある遊廓の楼主と受取人"熊屋琴子"の名が記名されている。
琴子の顔があからさまに歪んだ。
「不法侵入や!」
「ハハッハー!熊屋の当主から許可貰って入らせてもらったのに不法でもなんでもないしー」
「返せぇえ!!」
飛びかかろうとした琴子を小使人らが取り押さえる。怜は目の前で証文をひらひらとさせた。
「度々長崎に行っとったんも、村の女子どもを売りに行っとったんやろ?仲間と」
証文は一枚二枚ではなかった。ざっと見つけただけでも数十枚はあり、それだけの数を一人でこなすのは考えにくい。見知らぬ男女と豪遊していたと証言した小百合の話からあるように、おそらくその者達が仲間なのだろう。
ギリギリと歯軋りしながら睨みつける琴子に、怜はニヤニヤを抑えきれない。大嫌いなタイプの人間を木っ端微塵に粉砕するのが趣味なのだ。昇天しそうな己の感情を抑えるのに必死だった怜は、怪訝な顔で自分を見る玉屋に気付いて深呼吸で心を鎮めた。
「おばさん。そろそろ正直に生きたら?」
「ふっ....ふふふ」
琴子は突然笑い出した。
「....何や勘違いしちょるようじゃけど、私は頼まれただけじゃ」
捕らえられた腕を振り解き襟元を正すと、乱れた髪を撫でつけながら怜を睨みつけた。
「ガキにはわからんじゃろねぇ。貧乏人は自分の子なんて物みたいなもんじゃ。こっちが何も言わんでも向こうから差し出してくるんよ?」
確かに法の上では違法行為だが、人攫いなどに比べると身内が関わることもあって黙認されているのが現状だ。実際、遊廓の大半はこういった身の上の女性が圧倒的多数と言えるだろう。
「だから私のやっちょることは"人助け"や。みんな私に感謝しちょる」
きっとある者からすればそうなのだろう。
明日をも知らぬ生活は、それだけで人を狂わせる。
時代が時代だけに仕方ないのだと、こんな状況を作り出した世の中に、怜でさえ歯痒くなるのだ。
「けど、千香ちゃんの件はまた別の話や。千香ちゃんの親でもないおばさんが、勝手に身の振り方を決めるのはおかしいやん」
「あのねぇ、熊屋には借金があるんよ?借金を返す為には仕方ないことじゃろ」
その借金の大半が自分の所為だと言うのに、まるで人ごとのように言い切った。
「それで熊屋を担保に玉屋さんから三百両借りたんやろ?そのお金、何に使ったん?」
「!」
「ま、女衒で稼いだお金もそうやけど、どうせ今着てる着物とか"遊び"に使ったんやろうけどね」
怜はフンと鼻を鳴らした。
「最終的には千香ちゃんを長崎に追いやって、熊屋を乗っとるつもりやったんやろ?」
「乗っとるも何も私は千香の母親や!」
「ただの内縁の妻なだけやん」
琴子は胸を衝かれたように驚愕に目を見開いた。
「あれ?知らんかったん?おばさんは義親でも養母でもない。ただの同居人や」
「...う、嘘や」
「人別帳見たことないん?さっき中島さんに人別帳見せてもらったんよ」
人別帳とは今で言う戸籍帳を指す。この時代、婚姻届というものはなく、住民を管理するのは町名主や大家であった。作成された人別帳は奉行所に届けられ管理されている。
「おばさんの名前なんてどこにも書いてなかったわ」
"熊屋琴子"として生きてきた十数年。
それは偽りだったと告げる子どもの声。
琴子の中で何かが壊れていった。
「そんなん嘘や!」
拳を振り上げた琴子の前に千香が立ちはだかった。
「お母さん!やめて!」
これ以上積みを重ねないでほしいと訴えても届かない。琴子は憎々しげに怜を睨みつけたが、突然何かに気付いて頬を緩めた。
「じゃったら私は無実じゃねぇ」
爛爛とした目でニヤリとする。
「証文の名前は"熊屋琴子"なんじゃから」
琴子はポンと手を打って振り返った。
「ねぇ?玉屋さん?借金も熊屋琴子じゃったよねぇ?」
「まあ...」
言い淀む玉屋に対し琴子は嬉しそうに破顔して怜の手を両手で包み込んだ。
「あんたのおかげや!」
「へ?」
「だって私は真新になったんじゃから!」
奇しくもその名を語ったことで、全ての罪を架空の人物"熊屋琴子"に擦りつける。そして自分は無実だと喜ぶ琴子に、中島や玉屋はもちろん、冬一郎でさえ驚愕に目を見開く。
しかし怜だけは冷静だった。
「そう言えば、おばさん長崎出身らしいね。証文に書いてある楼主さんに聞いたらおばさんの身元もわかるやろか」
怜の言葉に琴子の顔が固まった。
「中島さん。調べること出来ますよね?」
この手の女が今まで大人しく生きてきたわけがない。長崎から肥後に来たのも徒ならぬ理由があったに違いない。そう予想した怜の考えは琴子の表情を見れば一目瞭然だった。
「うむ。ひとまず二人とも奉行所に来てもらう。祝言の件も詳しゅう聞きたいしの」
「ま、待って下さい!中島さんっ」
「琴子さん。話は奉行所で聞かせてもらうからのーーーー二人を連れていけ」
「嫌や!!やめて!」
「神妙にせえ!」
「触らんといてーー」
三人の男に羽交い締めにされても尚、暴れ狂う琴子。
中島は深い溜め息を吐いて千香に歩み寄った。
「あとはわしらに任せて千香ちゃんはゆっくり休みなさい。疲れたじゃろ」
「おじさん...」
「怜、やったかの。子どもに全部任せるとは、まあ情けないことじゃが、助かった」
何とも言えぬ顔をして笑みを浮かべる中島に、怜はにっこりと返した。
「さ、帰ろか」
泣き腫らした千香を見て、怜は佐吉を手招きする。
「なあ佐吉君、琴子に気に入られてえらい言い寄られとったけど、まさか危ない関係になってないやろな?」
「なるわけ…」
佐吉が言い返そうとすると、突然千香が胸倉を掴んだ。
「え……佐吉さん本当に!?」
「ちょっ!?」
「本当のこと教えて!!そういえば何でそんな格好しちょるん!?いつもの”汚らしさ”はどしたん!?」
「いや、だからっ何も……」
二人がイチャイチャと揉め出したので、怜は玉屋に駆け寄った。
「玉屋さん、おおきに。助かったわ」
「こっちこそ大助かりや。何も知らんままじゃったら、こっちも首が飛ぶ羽目になっとったわ」
二人の中で話はついていた。
玉屋にとっては三百両さえ戻ってくればいいわけで、熊屋を譲渡する形でおさめてくれるようだ。千香には悪いが熊屋は諦めてもらうしかない。だが彼女には佐吉がいる。これからは共に生きていけば良い。そして長崎に関しては、恐らく楼主は知らぬ存ぜぬで無視を決め込むだろう。ただ、これはもう中島の手腕に頼るしかないのだが、琴子の情報を交換条件に不問の方向に向かうのが終着点だと考えられる。
どちらにせよ、怜には関係ないことだ。
遠く空を見上げれば、小さな点が見えた。
「ん?」
目を細めると"何か"が少しずつ形創る。
「あ!」
怜が叫んだほぼ同時に、誰かの叫び声が聞こえた。
しかし怜はその"何か"に夢中でその場から動かない。
「怜ちゃん!危ない!」
視界の端に怒り狂った琴子が闘牛のように走ってくるのが見えた。その手には小刀が光っている。
(あんなもん隠し持っとったんや)
どうやって回避しようか、などとその方法を模索していると、翼の音が鮮明に耳に届く。そしてあの聞き覚えのある鳴き声が空に轟いた。
「キョキョーーーー!!」
「鈴木君!!」
真っ青な空に現れたのは、紛れもなく怜の夜鷹”鈴木君”だった。
翼を横に広げ一直線に降下するその速さは一秒足らず。真っ直ぐに怜に向かい、通り過ぎ間に琴子の持っていた小刀を取り上げて怜に渡した。
「キョキョ」(つまらぬ物ですが)
「おおきに!」
二人は激しく抱き合ったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
佐藤君は泣き腫らした目を擦ることが出来ない。何故なら猪だからである。ただ大きな声で鳴くことだけは、誰にも負けなかった。
「ブヒィィイブヒィィイィィイ!」
「また負けたん?」
「ブヒ……」
「鈴木君をその辺の鳥と思たらあかん。”能ある夜鷹は爪を隠す”って言うやろ?人も動物も”見かけ”やないんよ」
「キョキョ」
「いや、この夜鷹は特別やろ」
”畑耕し競争”に勝利した鈴木君は、ご褒美に巨大ミミズを食していた。(どのように佐藤君に勝ったのかは想像にお任せする)
「そろそろ時間よー」
「おー、今行く」
あのイザコザからひと月近くが経った。熊屋から佐吉の家に移り住むようになった千香は、早々に祝言を挙げ、名実共に夫婦となったのだ。
琴子は殺人未遂の罪で投獄され、長崎においても色々やらかしていたらしく現在も取り調べ中である。最初は育ててくれた情もあり、落ち込みの激しかった千香も、怜の言葉(※琴子が佐吉を狙っている云々)に吹っ切れたのか、少しずつ元気を取り戻し、今ではすっかり以前と変わらぬ様子である。ただ絶えず佐吉にモーションをかける町娘達を監視するのに、琴子のことなど考える暇もないようにも見えた。
ちなみに冬一郎は終始大人しく、単に利用されたに過ぎない彼は、愛人の琴子に頼まれて偽婚約者を装っただけだった。熊屋の妨害行為は本人の意思によるものらしいが、とりわけ珍しいことでもなく、以降の取り調べにおいては不問となった。とはいえこの事態を重く見たむつみ屋の親族らは全員一致のもと冬一郎を押込にし、部屋住みだった次男を当主にしたらしい。
「本当に行くん?」
千香は心配そうに言った。
もう八月も終盤に差し掛かっている。佐吉の家で厄介になりつつ、知る限りの土作りや畑作りのノウハウを教え込んで、ようやくひと段落がついたのだ。そろそろ出発しなければ間に合わない可能性もある。
「うん。お世話になりました」
「何言うちょるん、こっちこそ色々してもらって」
「世話になったんはオラ達じゃ」
「ホンマにそうやね」
怜は否定しなかった。
「「……」」
「それより佐吉君、後のこと頼むで。来年、冬が過ぎたらまた来るから」
「おう。わかっちょる。オラも勉強しながらええ土作っとくから」
「佐藤君も手伝ってあげてな」
「ブヒー !」
目安としては三月~四月。
その頃までに、諸問題を解決しなければならない。当然中村との一件なのだが、実はそれだけではない。
(チ……小松め…)
鈴木君が持って帰った巾着の中身は三両と怜の身元証明書、そして松の枝が入っていた。
三両は行きの旅費。帰りは松の枝。
松の枝の意味は「江戸で待つ」つまり帰りの旅費は江戸で渡すということなのだ。ただ身元証明書に関してはなかなか気の利く男だと思った。今までは運良く大人がいてくれたおかげでここまでやってこれたが、仙台までの道のりは簡単ではないし、小さな子どもが一人旅などもし役人に知られたら”身元改め”をされる可能性はほぼ百パーセントなのだ。
「ここでええよ」
「もう少し先まで送っちゃる」
「大丈夫や。佐藤君が町になんか降りたら大騒ぎになりそうやから」
「けんど、本当に心配やわ」
「コレがある限り危ないことにはならんから」
怜は証明書をヒラヒラとさせた後、また巾着に戻す。その証明書には”薩摩藩お預かり”として小松の名と共に島津家の家紋も入っており、旅の安全をこれが証明してくれることはほぼ間違いなかった。そう考えたら有り難いことであるが、怜にとれば必要以上の借りは作りたくないのも事実だ。
「二人とも子作りに励むんは結構やけど、あんまり声が大きいと外まで丸聞こえやから気をつけや!」
真っ赤になって絶句する二人を尻目に怜は走り出す。
「ほなまたね!鈴木君、行こ!」
「キョキョー」
先ず目指すは門司港である。
陸路で小倉方面に進み、北に位置する門司港。目の前は関門海峡を挟んで馬関(下関)だ。
「門司港から一旦長州に行った方がいいんかな。それとも門司港から大坂行きがあるんやろか」
馬関は西廻り航路最大の中継交易港である。九州や四国にも船が出ており、大坂と長崎をつなぐ航路も馬関が中継している。ゆえに古くから重要視され、その財源のおかげで長州藩は発展し続けていると言っても過言ではなかった。
「長崎にも一回行ってみたかったんやけどなー」
「キョキョ?」
「外国人と友達になって西瓜の種もらうねん」
一説では、ポルトガルから長崎にスイカの種が持ち込まれたと言われている。それを踏まえて単純に考えれば、この辺りの野生西瓜は、元々ポルトガル産である可能性が非常に高い。ゆえに市場に出回らないだけで、長崎でも必ず野生西瓜があると確信したのだ。いや長崎だけではない。適した地ならどこにでもあるはずなのだ。
怜は佐吉の畑だけでなく、様々な土地で全国的な西瓜栽培を始めようと目論んでいた。そうなれば運搬経費も削減出来る上、入手しやすくなる。もっとも質を上げる為の年月は必要不可欠だが、既に栽培が確立されている外国からの種を入手すれば、それほど時間はかからないだろう。
「さあ!気合い入れて行くでー!」
「キョキョーー!」




