024
「昨日の....」
冬一郎が目を見開いた。
「この男、知っとるんか?」
「知っとるも何も昨日会ったし」
怜は思い出した。この冬一郎こそ『熊屋は高いからやめておけ』と、そして"むつみ屋"を教えてくれた男だったと。それを聞いた佐吉が冬一郎に詰め寄った。
「お前営業妨害しちょったんか!?」
「ぬるいなあ、お前は」
しかし冬一郎は開き直った態度で言った。
「別に熊屋に限った話じゃない。商売というものはそういうもんだ。その為だったら何でもするさ」
「なんじゃと!?」
「さあ話は終わりだ」
冬一郎は踵を返した。
「もう二度と千香に近づくな」
金で解決するなら簡単だ。しかしその金さえ佐吉は持っていない。真面目に働いておけば良かったと後悔しても今更遅いのだ。とはいえ千香のあの悲しそうな表情を思い出すと胸が苦しくなる。
佐吉は縁側に腰掛けて盛大な溜め息を吐いた。
「ほら佐吉君、元気出して」
「一体どっちの味方じゃ」
「明日も頑張らなあかんし、そろそろ寝よ」
「そんなんしちょる場合じゃなか!何とかせんかったら千香が!」
人ごとのように明るい怜に対して佐吉は声を荒げた。子ども相手に八つ当たりしても仕方がないのはわかっている。しかしどうにも腹の虫が治まらなかった。
「しゃーないなぁ」
怜は肩を竦めた。
「今回限り、私が助けたる」
佐吉はバッと顔を上げると身を乗り出す。
「そのかわり、解決したら西瓜作りに付き合ってもらうよ?」
「け、けど助けるってどうやって」
「私に考えがある。けど、ひとまず明日は下調べや」
「下調べ?」
「佐吉君はまず....」
怜はじろじろと佐吉を値踏みしてニヤリと口角を上げた。
「身嗜みを整えるとこから始めよか」
「なんでそんなこと...」
「薄汚い格好で女口説かれへんやろ?」
佐吉は顔を真っ赤にした。
「口説くゥゥウ!?」
「あ、相手は千香ちゃんやなくて、千香ちゃんの母親な」
今度は真っ青になった。
「ばっ!!?アホかァアァ!!いくら女日照りでもあんなババァは勘弁じゃ!」
「あんた世の中のババァ"敵”に回したな」
「違う!そういう意味じゃなか!あのババァはオラを虫けらか何かと思っちょる!目合わせただけでゴチャゴチャ言いよるし!」
怜は上から下まで佐吉を眺めながら、ウンウンと納得するように首を振った。
「ババァの言うこともあながち間違いではない」
「それにオラは千香以外興味がないんじゃ!」
「うっさい男やな。取り敢えず今日は疲れたから寝るで。あんたが出来んなら私がするから」
「!??」
怜は「ふぁあ」と欠伸をしながら部屋へと戻っていく。
「”わ、私がする?”??」
「ブヒヒ!ブヒブヒッヒー!」(言うた!確かに言うた!)
その後ろ姿をただ呆然と見送る佐吉と佐藤君であった。
◇◇◇◇◇◇◇
三十七歳と言ってもまだまだ女盛りである。特にこの熊屋の女主人”琴子”は元は芸妓をしていたせいもあって、自分の美に関しては病的に過敏であった。
「千香、店お願いねぇ」
「はあい」
今日は町の呉服屋が新作の着物を仕入れたと情報があり、朝からいそいそと家を出た琴子であったが、途中見知らぬ男に出会ったことで、彼女の運命が大きく変わってしまう。
「ひゃっ」
「おっと」
逆光の中に長い手が伸びて、琴子の腰を捉える。よく顔は見えないが、逞しい身体が伝わって胸がどきりと高鳴った。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ…」
琴子は白いうなじの後れ毛を、さらりと上に撫でつけながら、男の顔が見えるように少し横にずれた。
(お、と、こ、ま、え)
白い小袖に濃い灰色の袴。総髪の髪は肩よりやや上で、まるで役者のようなきりりとした目力の強い男前だ。
「申し訳ない。急いでいたもので」
「いえ、こちらこそ……あっ」
琴子は自称”持病の眩暈”を起こして、ふらりと男の胸に重なった。
(これは運命の出会いや!)
「大丈夫ですか?」
「ちょっと足が……」
「足を?見せて下さい」
男はその場にしゃがみ込んで琴子の足を触った。冷たい足がヒヤリと足首を触り、『綺麗な足ですね』と男の心の声が聞こえる。勿論ただの妄想だが琴子には確かに聞こえたのだ。
(なんて罪な女なんじゃろ!これも私の美貌のせいや!ああ!神様は私に二物も三物も与え過ぎじゃ…!)
胸に手を当て、高まる鼓動を必死で抑える。
「怪我はしてないみたいですが」
「あ、けんど、足首が……」
琴子は着物の裾をひらりとめくってハッと我に返った。
(いかーん!!今日の襦袢はらくだ色や!)
琴子は見えない部分にまでこだわる女であった。ある意味女子力高めと言えなくもないが、逆に言えば自尊心の高い女である。
「先生ェエ!」
と、その時、遠くから小さな子どもが走って来た。身なりの良いその男の子はハァハァと息を弾ませ、男の前に片膝を付く。
「なんじゃ。騒々しい」
「勝手に外出なさらないで下さい!米田様が首を長くしてお待ちでございます!お急ぎ下さい!」
(米田……?)
琴子は目を見張った。”米田”という名前に聞き覚えがあったのだ。いや、おそらく肥後人なら誰でも知っている名であった。
(まさか……)
”米田”とは米田虎雄。ここ肥後藩藩主・細川韶邦の家老という立場に就く男である。
「全く、あのお方は人遣いがお荒い」
「それは仕方がないですよ。先生の腕が良いのですから」
(”米田”なんてそうそうある名前じゃなか!一体この人何者じゃろ……)
男はお手上げといった調子で肩をすくめた。
「わかったわかった。しかしこの女性か先だ。私の所為で怪我をしてしまったのだからな」
琴子はコホンと小さく咳をして、胸襟を合わせた。
「あの、お仕事なのでしょう?私などお気になさらずお行きになって」
いつもと違う喋り方である。
「そうはいきません。実は私は医者なんです。だから」
「医者ァアァ!?」
思わず叫んでしまった琴子。無理もない。”医師”という職業は今も昔も変わらぬ高給取りなのだ。
「は?」
「あ、いえ、ほ、本当に大丈夫ですわ」
「しかし」
「でしたら、明日にでも診て下さらない?」
「明日?」
「ええ。駄目かしら?」
琴子はジッと見つめる。男は少し考えた後にっこりと笑顔になった。
「ええ。いいですよ。では明日のこの時間に」
琴子は「ふふ…」と流し目で足早に歩き出す。いつになく腰の振りが激しいのは、ひしと感じる視線の所為である。それを見送る二人は、言わずと知れた佐吉と怜だった。
「足、挫いたわりにはめっさ歩いてるやん」
「オラもう嫌ッ!自分がキモチ悪過ぎて死にそうじゃ!」
佐吉は髪をくしゃくしゃとしてその場に座り込んだ。久しぶりに髪を切り髭を剃り小綺麗な着物に身を包んだ佐吉は、はたから見れば好青年である。つまり怜の見立ては間違いなかったのだ。
「なかなか良かったで。先生」
「やめろォオォ!!」
通り行く女性の視線に気付きもしない佐吉。
何が恐ろしいと言えば誰でもない”怜”という小さな少女である。一体次は何をやらされるのか不安で仕方がなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
佐吉を帰らせた後、怜は熊屋の隣りの薬問屋に向かった。というのも、先ほどから怜達のやり取りを盗み見している視線をこの店からひしひしと感じ取っていたからである。それに加え色々と確かめたいこともあったのだ。
「ごめん下さい」
二間ほどの店土間には帳場と、その後ろには子どもでは到底手の届きそうにない薬箪笥(百味箪笥)が並んでいる。
「はーい」
しばらくして奥から人の良さそうな中年女性が現れると、怜は子どもらしく笑顔を見せた。
「こんにちは」
「あら(さっきの子どもや)こんにちは。今日はお店お休みなんやけど」
「薬買いに来たんじゃないんです。ちょっとさっきの”お色気ババァ”のことで、色々聞きたいことがあって」
「お色気…っ…!!」
ブッと吹き出しそうになるのを堪える中年女性。その様子から、いかに琴子が(悪い意味で)有名なのかわかる。
「まあお入り。旦那は出かけちょるし、ちょうど話し相手が欲しかったんよ」
大体この年頃(四十~)の女は噂好きである。特にあの手の女は同性に嫌われることこの上なく、互いに変なライバル意識を持っているものなのだ。
「お茶でよか?」
「お構いなく」
中年女性はお茶をそそと差し出し、前のめりの体制で満面の笑みを向ける。
「おばさん、さっきの見とったでしょう?」
「あらバレちょったんじゃね!」
女性はケラケラと悪びれもせず笑う。名は”小百合”といい、歳は四十四歳だった。
「さっきの人、坊やのご主人なんじゃろ?」
「はい。それでこちらへ伺ったんです。本当にもう女性が放っておかない主人を持ちますと、私のような立場の者は苦労するんですよ」
「やろうねえ」
小百合はうんうんと頷く。
「あれだけの美男子なんじゃもん。私だって旦那がおらんで歳も若かったら……」
小百合は悩ましげに赤らめつつ頬に手を当てた。
しかし怜はそんな様子に無視を決め込み、話を続けていく。
「とはいえ珍しく主人があの女人を気に入ったようで、小姓としては喜ばしい反面少し心配なんですよね。何だかあの方は裏がありそうで」
すると小百合は、前のめりの身体を更に前へと近付けて、「待ってました」と言わんばかりに口を開いた。
「あの女はやめた方がよか!金遣いは荒いし、男にだらしがないんよ。昔からそうじゃった。千香ちゃんも……あの女の娘な?まあ娘言うても本当の親子じゃないんやけど、それはまあ苦労しちょるんよ」
「本当の親子じゃないんですか?」
もしかしたらとは思っていた。昨晩の冬一郎の言葉の通りだとすれば、実の娘に対する仕打ちとして、あまりに冷たく思えたからだ。
「ここだけの話よ?千香ちゃんも知らんから。あの娘がまだ一歳になったばっかりの頃、実の母親が急死してな、半年も経たん内に後妻としてやって来たんがあの”琴子”なんよ。旦那さんがおった頃はまだ大人しくしとったけど、亡くなってからはやりたい放題よ。店も勝手に売ろうとするし」
「店を?」
「当時はさすがに千香ちゃんが反対したもんやから売りはせんかったけどねえ」
小百合の話は突拍子もない内容であった。
「とにかくあの女が店の切り盛りするようなって、それからはめちゃくちゃや」
父親が病で亡くなってからは琴子がその跡を継いだ。しかし所詮ど素人。経営に不満を持った番頭や男衆らは苦言を呈すも解雇されたり自ら辞めてしまったり、熊屋の主人が亡くなった僅か一年足らずで皆いなくなったという。
その頃から千香を店に立たせ"病弱”だとかこつけて遊び呆ける毎日。
「千香ちゃんと店放ったらかしにして自分の田舎に遊びに帰ったり、友達かなんか知らんけど女やら男やら引き連れて豪遊三昧なんよ」
「田舎ってどこですか?」
「長崎じゃわ。昔は芸妓しちょったらしいけどねぇ」
相当な財産が残されていた熊屋であったが、琴子の所為でほとんど食い潰され、借金まみれで首が回らなくなったという。
「じゃけんど、千香ちゃんも今更年季奉公やなんて可哀想にねえ」
怜は目を見開いた。
「年季奉公?」
「そうよ。ほんとあの女は鬼じゃわ」
「え、ちょっと待って。千香ちゃんは結婚するんじゃないの?」
思わず素が出た怜だったが、小百合は気にも止めず話を続けた。
「結婚?千香ちゃんが?ーーーそれはないわよぅ」
「婚約者が冬一郎って聞いたけど」
小百合は目を丸くした後、ケラケラと笑い出した。
「冬一郎さんは親戚のお嬢さんと来月祝言挙げるんよ?他の人と間違えちょるんやない?」
「え...」
どういうことだ、と怜は頭を巡らせた。
佐吉はもちろん冬一郎も千香を自分の婚約者と呼んでいた。それがここへきて根底からひっくり返されてしまったのだ。
「えーと...おばさん?千香ちゃんはどこに奉公に行くん?」
「長崎って聞いたけどねぇ。あの女の知り合いの所らしいけど」
「長崎...」
これが事実ならば佐吉は勿論、千香も騙されていたことになる。そして昨夜の「誰かに頼まれた」と言う冬一郎の言葉は、"偽婚約者"の役を琴子に頼まれたと考えれば辻褄が合う。
「失礼やけど、ほんとの話?」
「玉屋さんから聞いた話よ。間違いないわ」
「玉屋さん?」
「この辺では有名な"金貸し"よ」
小百合はキョロキョロと辺りを見回して小声になった。
「じゃけんあの女、邪魔者(千香ちゃん)を追い出して自分だけ幸せになろうっちゅう魂胆なんじゃろ」
「じゃあ母親と冬一郎って」
怜が言いかけると小百合はニンマリと口角を上げた。
「ふふふ。あの二人は男女の仲や。この辺りでは有名な話なんよ。あの男、すっかりあの女に魅せられてしもて、何でも言いなりになっちょる。苦労知らずの二代目に天国の両親も嘆いちょるじゃろなぁ」
「そういうことか……プッ」(※屁ではない)
怜は堪えきれず吹き出した。
(やっぱり冬一郎と琴子はデキとったんか……)
昨晩の冬一郎の様子から小百合の言葉によって、その考えが間違いでは無かったと改めて確信した。
「ねえおばさん。玉屋さんて何処にあるん?」
「奉行所の向こうじゃけど...」
「わかった。ありがとう」
怜は勢いよく立ち上がった。小百合は少し心配そうに目を泳がせている。
「おばさんから聞いたってことは内緒にしとくから安心して。迷惑もかけへんし」
「そ、そう?」
「色々聞けて助かったわ。これほんの気持ちやけど」
怜は二朱銀を小百合の手に押し付けた。
「ありがとうおばさん!」
「ええんよ!力になれたみたいで良かったわ!"先生"さんにも気をつけるように伝えといてねぇ」
「はい!」
外に出た瞬間、怜はほくそ笑んだ。
自分の考えが正しければ千香を救うことが出来る。
勝算はあった。




