023
次の朝、怜は佐吉の案内で裏の畑と林の奥に自生する西瓜を見に行った。むろんどれも売り物にならない物ばかりである。ほとんど動物に食い荒らされていたり育ち切らず腐敗していたり散々な有様だ。
「こんなもん美味くもないじゃろに」
「水分補給やね。きっと動物にとって西瓜は貴重な命の源なんやわ」
「確かにそうかもな」
「それより黒くて大きい種だけ集めて」
「そんなもんどうするんじゃ」
「来年の為に確保するんや。白いのや茶色のはいらん。さあ早よ手伝って」
そこから二人は黙々と種集めを開始した。本来なら熟した甘い西瓜の種が欲しいところだがそうも言ってはいられない。暑さに耐えつつ、なるべく綺麗な種だけをザルに入れること二時間。そこそこの量を回収することが出来た二人は井戸場へ移動した。
「これから種の保存方法を説明するからよく覚えておくようにな」
「あ、ああ」
「まずこの種を水洗いするやろ?」
怜は井戸場へ向かい桶にたっぷりの水を入れると、ザルごと種を沈めた。種が傷つかないように片手で優しく混ぜ、熟した種以外は取り除いていく。
「熟した種ほど黒く固いねん。それ以外は破棄な?」
よく水洗いした後は水気を切り筵の上に重ならないように並べて(これが思いの外、時間を要した)更に選別する。そして風通しが良く日の当たらない場所で乾燥させるのである。
「乾燥し切ったら湿気の少ないとこで保管や」
怜はくるりと向き直って言った。
「わかった?」
「おう。簡単ばい」
「ほんなら次は畑作りや」
佐吉の畑は一部が荒れ放題だった。雑草は絡まるほど茂り、動物に踏み荒らされ、まるで何年も手を加えていないような状態である。これを再生させるには相当な時間が必要だろうと怜は思った。なにせ耕運機などないわけで自分達の手でやるしかないのだ。
「これを全部?」
畑の広さは他と比べたらかなり狭い方であるが、それでも一反(三百坪)はある。
「最初は半分でええわ。あっちの残ってるヤツはこのままな。こっち半分は来年の春までに耕しといて」
怜は指を差しながら指示をするが、佐吉の方はというとその表情は暗かった。
「間に柵立てなあかんな。まあそれは植えた時でええか」
「なあ、えっと...」
「”怜”な」
「怜、もしかしてこれオラ一人でするんか?」
「当たり前やろ」
怜は当然といった口調であったが.ふと佐吉の背後を見てニヤリとほくそ笑んだ。
「けどまあ男や言うてもさすがに一人は大変やろうから佐藤君を使ったらええわ」
「ブヒ!?」
怜は佐藤君の前にやって来てその牙を掴む。
「あんたの牙は何の為にあると思う?」
「ブヒ…?」
「土を耕すためやろ?」
「ブヒ…」
「あんたの足は何の為に付いとると思う?」
「ブヒ…?」
「土を耕すためやろ?」
「ブヒ…」
「あんたは何の為に生きとると思う?」
「ブヒ…?」
「土を耕すためやァアァ!」
「ブヒィイ!!」
「オラ頑張るゥウ!」
暗示にかかったのは佐藤君だけでは無かった。早速作業を開始する二人(内一匹)。怜は満足げに微笑んだのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
千香はいつも無表情だと言われていた。
本人はそんなつもりもないのだが、友人は元より母親にまで「もっと愛想良くしなさい」と注意を受けることもあった。しかしそれは千香の生まれつきの少しキツめの顔立ちが原因なだけで、本人のせいではない。
確かに昔と比べたら感情表現が乏しくなったと自分でも思うが、遊びたい盛りにそれを抑制した人生とその家庭環境が、少なからず影響を及ぼしたのだろう。
千香は十歳からこの熊屋の看板娘として店に出ている。身体の弱い母と二人三脚で歩んできた道のりは今年でもう八年になった。しかし近年は売れ行きが一向に伸びず、亡き父が残してくれた財産も底を突いていた。母は毎日朝から晩まで親戚中を駆け回って資金繰りに奔走したが誰も助けてはくれず、家計は火の車。税を納めるのも借金しなければならない状態で、最終的には借金を借金で返しているのが現状だった。
そんなある日、千香の元へ縁談話が舞い込んできたのだ。
千香は十八歳。結婚適齢期である。今までその手の話が無かったわけではなかったが全て断ってきた。
そんな彼女のお相手は呉服屋から食事処、酒屋まで手広く展開する豪商人で、千香の家の事情を知るや否や、借金を全額返済すると申し出てくれたのだ。さすがに申し訳なく固辞しよう考えていた千香だったが「こんな良い話はない」と泣く泣く母に説得されてしまったのである。
「千香、そろそろ店閉めんと。もう客ば来んじゃろうし」
「でも、まだ佐吉さんが」
千香は表をちらりと見た。
遅くても昼過ぎには必ず来るのに、今日はどうして来ないのか何となく不安になる。むろん来店したからと言って仲良く話をするわけでもない。幼い頃は彼を兄のように慕い毎日遊ぶ仲だったが、千香が店に立ってからは時間的にそれも難しくなり、徐々に疎遠となっていった。
佐吉が店に訪れるようになった彼の両親が亡くなった頃である。天涯孤独となった佐吉は、その寂しさからか毎日酒を求めるようになったのだ。
「あら、そう言えば来んねぇ」
「何かあったんじゃろか」
「大丈夫じゃろ。ほらもうしまって」
「うん…」
千香は渋々表へ出て長暖簾を片付けると、板戸を閉めようとして、ハッと手を止めた。
(もしかして、病気にでもなったんじゃろか)
一度気になると居ても立っても居られなくなるのが彼女の性分である。加えてもう自分はこの町から去るのだ。祝言を挙げたら、きっともう二度と会えなくなるだろう。
「どこ行くん!?」
千香は前掛けを剥ぎ取ると陽が落ちかけた町中へと飛び出した。
「直ぐ帰るけん!」
「千香!?」
◇◇◇◇◇◇◇
陽が落ちた空の下。庭先で横になるイノシシと男は、泥だらけのボロボロであった。一人涼しい顔で縁側に座るのは、もちろん怜である。
とはいえ、ずっと休んでいたわけではない。二人が畑を耕している間、怜は林を探索し、たけのこやキノコなどを採りつつ枝や枯葉などを集める作業をしていた。
「今日はここまでや。二人とも初日にしてはよう頑張ったね。ご飯用意してあるから食べてええよ」
その言葉に二人はそれぞれ食事に飛び付いた。ちなみに佐藤君はたけのこ。佐吉は”雑穀たけのこ飯”と茄子の漬け物である。
「こんなに動くんは久しぶりや」
「しばらくは土起こしやね。大変やけど来年の春先までには何とか良い状態にせなあかん」
「根が張っとるけ、なかなか進まんのじゃ」
「ええよ。その間に堆肥作らなあかんし」
「それやったら草肥と下肥を混ぜたのが一番じゃって親父ば言うとったな」
草肥とは草や木の葉を青いまま土にすきこんだ肥料で、下肥は人糞をそう呼ぶ。
「人糞は使わへん。不衛生やし」
「そんなら何を使うんじゃ?」
「色々試してみなわからんけど、手始めに腐葉土にしよ思てる」
「ふようど?」
「枯葉を籠か何かに詰めるだけ詰めて、重石を乗せとけば出来る簡単なヤツな」
「この辺では聞かんなぁ」
「まあ私も初心者やし色々試しながらやるしかないんよね。けどこっちも用事があってずっと付きっきりってわけにもいかん。そやからその辺は佐吉君に任せるから何とか来年の春までに良い土作っといてね」
「どっかへ行くんか?」
「十月までに仙台に行かなあかんねん」
「仙台?」
「ちょい野暮用でな。植木からどれくらいかかるかわからんから、最低八月中旬前後には出発する予定や。それまではここにおるけどね」
「まさか一人で行くと?」
「ううん。鈴木君と行くんよ」
怜は夜空を見上げた。計算が正しければ、あの夜鷹は明日か明後日に怜を探し出せるはずだ。
「そんなら良か。一人じゃったら危険ばい」
「鈴木君がおるから大丈夫やよ。それより」
怜はそう言って、目つき鋭く林を見た。
「………何かおるな」
「え?」
佐藤君もそれに気付き耳をピンと立てる。
「な、何かって?」
怜は”静かに”と人差し指を立て、体勢を低くしてそろりそろりと近付いていく。その後ろから佐藤君がのそりのそりと付いていった。佐吉はその場から動かず怜の背中を見ていたが、ちょうど数段下がった木々の手前で「あっ!」と声をあげた怜を見て、思わず駆け寄った。
「だ、大丈夫か!?」
怜は振り返る。そしてニコリと笑った。
「佐吉君、お客さんや」
「……へ?」
木の陰から現れたのは、佐吉のよく知る顔。
「あ……あの」
「千香!?......なんでこんなとこに」
熊屋の千香であった。
「へえ。お姉ちゃんが千香ちゃんか」
怜は千香を覗き込むように顔を寄せた。
「私は後藤怜や。もしかして佐吉君が心配で来てくれたん?」
「し、心配…というか……その…」
千香は顔を真っ赤にして慌てて俯く。いつもの無表情さは欠片もなく、いじらしい乙女のようであった。
「あー!”佐吉さんの汚らしい顔見な落ち着かへんわ”って感じ?」
「そ、そんな感じ」
コクコクと頷いた千香を見て.佐吉は首にかけていた手拭いで泥だらけの顔を急いで拭いた。しかし余計に汚さが増し真っ黒だ。月明かりが無ければ闇に同化していたことだろう。
「まあこんなとこで話もなんやから、汚い家やけど上がって」
「そ、そうじゃ。汚いけんど、どうぞ」
「いえ。直ぐに帰らないけんから」
佐吉の元気な姿を見て安心した千香は踵を返して去ろうとしたが、怜はその手掴んで引っ張った。
「少しくらいええやん。私、同性のお友達が欲しかったんよね」
「え……?」
怜の言葉に驚いたのは千香だけでは無かった。佐吉もぼかんと口を開けている。
「同性……?」
「ん?見てわからん?」
腰をくねっとさせて己れのセクシーさを主張した五歳の子ども。残念ながら周囲からすれば「ケツが痒いんか?」くらいにしか見えなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
怜に押し切られる形で、佐吉の家に上がった千香は、あまりの変わりように驚きを隠せなかった。古いながらも小綺麗に整理整頓されていた室内は、荒れに荒れ足の踏み場も無いほどである。
「一体どんな生活しちょるん……」
「酒飲みながら春画ばかり見とる毎日や」
千香の問いに怜が佐吉に代わって答えた。
「アホウ!要らんこと言うなっ」
しかし事実であった。散らばったソレを掻き集め押入れへと押し込む姿は、エロ本を隠す中高生男子と何ら変わりはない。佐吉は焦りながらも話題を変えようと必死であった。
「ち、千香がうちに来るんは何年ぶりじゃな」
「前に来たのはおじさんが亡くなった時やから、もう五年以上前やね」
「……そうか。そんなに経つか」
しんみりとした雰囲気になりつつも、二人には二人にしかわからない空気が流れている。
怜は気を利かせて外へ出ると腐葉土作りに取り掛かった。背負い籠の枯葉は溢れそうなほど入っているが、踏みしめると三分の一にもならない。ゆえに量が必要になってくるのだが、時期が時期だけに落葉している木は少ないのだ。
もちろん秋になれば踏み場もないほどの枯葉が手に入るが、怜がいる間には到底無理だろう。結局、人手が足りないのは分かりきったことなのである。だからと言って諦めるわけにはいかない。まず佐吉をサポート出来る人材を確保しなければ、予定通りには進まないのだ。
「佐藤君以外に、あと数人おったらなぁ」
と、一人悶々と枯葉を踏みしめる怜であったが、何者かの足音とその声にハッと我に返った。
「お前はこの家の者か」
現れたのは三人の男であった。両脇の男二人は用心棒のようで槍と提灯を手に立っている。その一歩後ろに立つ”大将”と思わしき真ん中の男は、見下すように顎を突き上げ、怜を睨んでいた。
「どっかで会ったっけ?」
「なんのことだ?」
「見たことあるような無いような」
「私はお前など知らん」
男は汚いものでも見る目付きである。
確かに今の怜は全身ドロドロで髪も顔もめちゃくちゃであった。逆にその男は色白で背は低いがインテリ風の小ざっぱりした雰囲気で、おそらく佐吉と変わらないか少し歳上だろうと思った。怜は背負い籠から出ると枯葉を払いながら三人の前に歩み出る。
「お前は誰だ?」
真ん中の男が言った。
「兄ちゃんらこそ誰なん?」
「答える義理はない。それよりここに佐吉という男がいるだろう。今直ぐ呼んでこい」
「そんなら私もあんたの言うこと聞く義理ないから帰ってくれる?」
その言葉に両脇の男が「無礼なガキめ」と一歩前に出る。それを見てすかさず前に飛び出したのは佐藤君であった。
「ブオォオォォォ!」
「「うわあ!!?」」
驚いて尻もちをつく男達。暗闇から突然大きなイノシシが現れたのだ。無理もない。
「な、なんじゃこの化け物は!」
「こっちへ来るな!」
慌てふためく二人の用心棒は怯みつつも槍を構える。佐藤君は闘牛の如く短い足で地面を蹴る動作をした。
「失礼なオッサンやな。佐藤君は化け物やないで。働き者のイノシシや」
冷静に訂正しながら「なあ?」と佐藤君の頭を撫で撫でする怜であったが男達の耳には届かなかった。
「コイツは”一の神”じゃ!!」
「あの伝説の猪神!?本当におったんか!?」
”一の神”とはこの肥後に昔から棲むと言われているイノシシの長である。噂では全長三メートルもある大イノシシとして名高いが、実際目にした者はおらず伝説の神として知られている。
「へえ。佐藤君って神様なん?」
「ブヒブヒ…」(オラも初耳…)
しかし真ん中の男は、馬鹿にするようにフンと鼻で笑った。
「お前ら落ち着け。一の神しては小さ過ぎる。大方食い過ぎた肥満のイノシシなんだろう」
「佐藤君、肥満なん?」
「ブヒヒ…」(生まれつきズラ……)
男はズイッと前に歩み出て「醜いイノシシめ」と吐き捨てると、右側の男の手から槍をぶん取り佐藤君に斬りかかった。
「死ねっ!!」
一瞬のことであった。
ガッという音が一帯をこだまする。
まさしくそれは柄と柄がぶつかり合う音。
そして静寂に包まれた。
「貴様……」
いち早く反応したのは怜。男が斬りかかった瞬間左側の男の槍を奪いざまに水平にし、両手を上げて受け止める。
「人のもん傷つけんといてくれる?」
怜はギリギリと迫る槍を押し上げようと必死であった。いくら度胸の据わった怜と言えど力があるわけではない。男が本気を出せば瞬く間に斬られてしまうのは容易に想像がついた。
「もつかな?」
余裕の表情でほくそ笑む男。小さな足は地面にめり込むようにズズッと後退していく。槍を持つ手は直ぐに限界に達しブルブルと震えを成した。
と、次の瞬間「やめろ!」と佐吉の声が聞こえたと思ったら、ふわっと身体が軽くなった。
「子ども相手に何しちょるんじゃ!」
佐吉は怜が持っていた槍を掴むと一瞬で男の槍を払い除け、真っ直ぐとその喉元に狙いを定めた。
「貴様が佐吉か」
「お前は?」
「私は千香さんの婚約者だ」
その言葉に佐吉の顔色が変わった。
「千香さんのお母様から話は聞いているよ。昔は随分仲が良かったんだってな」
「何の用じゃ」
「千香さんを返してもらおう」
「……嫌じゃと言うたら?」
男の目がギラリと光り二人の周りに緊張が走る。
と、その後ろから千香が小走りにやって来た。
「冬一郎さん!?何故こんなところに」
「お母様に頼まれて迎えに来たんですよ。祝言を控えた花嫁の行動ではないですね」
「……すみません」
「よりによって"男"の家に行くなんて正気の沙汰じゃない。全くどういう躾をされてきたのか」
「おい!お前!」
「これは我々の問題だ。口出しは辞めてもらおう」
千香は唇を噛み締める。
いくら金持ちだからってこんな嫌味な男の元へなど嫁ぎたくもないのは一目瞭然であった。だがどう足掻いたとしても自分に拒否権など無いということは千香にもわかっている。
「………すみません。帰ります」
千香が冬一郎へと歩みを進めると怜が後ろから話しかけた。
「千香ちゃん。こんな男辞めた方がええよ。まだ佐吉君の方がマシやわ」
「無礼だぞ!」
用心棒が前に出ると冬一郎がそれを制した。
「お前達は千香さんを連れて先に帰れ」
「し、しかし」
「いいから行け」
「は、はい!」
千香は佐吉から目を逸らしたまま頭を下げると、両脇を用心棒に挟まれて去っていく。佐吉は思わずその場で一歩前に進み出たが、冬一郎がそれを制した。
「良いことを教えてやろうか」
冬一郎はニヤリとほくそ笑む。
「私は千香にこれっぽっちも興味はない」
「な、なんじゃと!?」
「頼まれたから仕方なく引き受けただけだ」
「誰にじゃ!」
「お前には関係ない。とにかく二度と千香に近づくな」
「待て!」
冬一郎は呆れたように肩を竦めた。
「それともお前が借金を返すでも言うのか?」
「借金は.....いくらじゃ?」
冬一郎は鼻で笑う。
「言っておくが十両二十両で済む話じゃない。あの店を売ったとしても足りないほどの借金があるからな」
怜は「ん?」と首を傾げた。
「千香ちゃんに興味もないのに借金全額返済するって。あんためっちゃええ人やん」
「ふん」
「これはもう佐吉君の負けやな」
「ちょ!?」
「残念無念や」
怜は諦めろと言わんばかりに首を振ると、「ところで」と唐突に話を切り替えた。
「あんたの顔やっぱり見たことあるわ。あんたも私に覚えがあるやろ?」
怜は汚れた顔を手拭いで拭くと、あの中村に殴られた青あざを見せつけるように顔を上げる。
「お前は……」




