002
後藤家からわずか十分の場所に大きな寺があり、喜助達の恰好の遊び場となっている。
「あそこはおもろない」
「ええやん!行こうやー」
「怜ちゃーん、喜助ー!どこ行くうん?」
「寺やー。みっちゃんも来るー?」
「うん!行くぅー」
ぐいぐいと腕を引っ張られている内に近所の子ども達も集まってきて、到着する頃には十人ほどに膨れ上がる。
誰かが「かくれんぼしよー」と言い出すと、我先にと皆が石段を駆け上がった。しかし怜の足取りは重い。いくら子どもの姿でも、精神は二十三歳のいい大人だ。春やハツ、朱美ら大人とお喋りしている方が伶にとっては楽だった。
「はー、つまらん。なんで今更かくれんぼなんか…」
しかし喜助を置いて帰るわけにはいかない。ある意味子守のようなものである。
「お?怜やないか」
「あ、和尚さん」
後ろから声をかけてきたのは、この寺の住職だった。ツルピカと禿げ上がった住職は人当たりの良い笑みを浮かべ、その後ろから男が顔を出した。
「こんにちは」
「、、、こんにちは」
若い男だ。なかなかのイケメンだが、何処かで見たことのある顔だと怜は思った。
(誰やったっけ、、えーっと、、、)
「なんや怜。難しい顔して」
「私の顔に何かついてるのかな?」
そこで怜は思い立った。
「あー、そうや。”桂小五郎”や!」
桂小五郎。のちの木戸孝允。
幕末の志士だ。平成の世に写真が残っているが、そのままの姿で目の前に立たれると少し変な感じだった。
「え、、、」
ハッと我に返った。二人とも信じられない顔で怜を見つめている。
(やばい。つい、、)
この五年間。当たり障りのない毎日を過ごしてきたと怜は自負している。というのも、自分の置かれた時代が、江戸末期いわゆる動乱の幕末だと知り、最初は興奮したものだが、よくよく考えたら怜はこの先の未来を知っている。
特に日本史が得意というほどではないが、どちらかといえば嫌いではなかったし、高校レベルの知識は身についている。しかし知っているからといって、何が出来るわけではない。というか、しちゃいけないのだ。つまるところ「傍観者」でなければならない。
「◯三枝やろ?」
「もう遅い。怜、ちょっと来い」
蛇に睨まれた蛙とはまさにコレだ。
不信感を露わにする◯三枝…いや、桂小五郎。住職も最初は驚いてはいたものの、怜の「ちょっと変わった子ども」ということを良く知っている為か、幾分マシだった。
「そやから、勘や」
「たかが勘で人の名前がわかるわけないだろう」
「千里眼やねん」
住職は楽しそうに二人のやりとりを聞いている。怜は苛々していた。
「しつこい男はモテへんで。帰る」
「おい、まだ話は」
「まあまあ、桂君。怜はホンマに勘の鋭い子どもなんや。あの戊午の大獄も知っとったし」
「戊午って、、、」
「そうや。松陰が処刑されたあの一件や」
現在では「安政の大獄」の名で知られるこの弾圧事件は、桂にとって辛いものだった。吉田松陰から兵学を学んだ桂は、門人の礼を取ると共に、歳が三つほどしか違わないことから、友のような関係でもあったからだ。
それはこの住職も同じであった。
◇◇◇◇◇◇
回廊から境内を眺めながら、遠い江戸の空を見ていた。
「和尚さん、どないしたん?怖い顔して」
「お?ああ怜か」
「なんかあったん?」
「ん?、、、まあな」
怜は回廊に続く階段に座ると、住職を見上げて言った。
「つらい時は人に頼った方がええよ?」
「生意気やなぁ」
住職は思わず苦笑した。
「、、、大事な親友が危機に立たされとるんや」
「親友?」
「そうや。”吉田松陰”っていう奴でな」
「あー、あれな。最後に処刑された人やろ?松下村塾の」
仰天したのは他でもない住職である。何故三歳(当時)の童が松下村塾や松陰を知っているのか。そして確かに「処刑されそうな危機」ではあるが、まだ確定はしていない。今の所「流罪」という線が色濃かった。
「しょ、処刑?」
「しゃーないよ。本人がそれを望んだんやから」
怜はきっぱりと言い切った。
「望んだってどういうことや」
「国の為に死んだんや」
(国の為に、、、
確かにアイツは昔からそんな奴だった。向こう見ずで怖いもの知らずで、危険も顧みず、自ら火の中に飛び込むかような「己の正義」というものがあった)
そして数週間後、松陰は怜の言った通り斬罪に処された。露見されていなかった老中暗殺計画を自ら暴露したのだ。おそらく自分がどうなるかわかっていて暴露したのだろう。判決が下された松陰は、最後まで取り乱すことなく死地に旅立ったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「あれは受け売りや!茶屋に行った時、隣りのオッサンから聞いただけ!」
怜は慌てて言い訳をした。
子どもの戯言と言ったらそれまでだが、松陰の件だけが怜を訝る理由ではない。父善治郎が、度々相談に寺へ通っているからだ。
「和尚さん!聞いてくれ!ア、アイツ読み書き算盤が出来るんや!教えてもないのに何でや!?」
「こっそり勉強しとったんやろ」
「まだ三歳やぞ?黒船のことも、ぺりぃのことも」
「瓦版でも見たんちゃうか」
「ケッタイな言葉まで喋るんや!今日なんか小遣い多めにやったら”さんきゅう、だでぃ。あいらぶゆー”って」
「、、、」
とにかく普通じゃないのは確かであり、それを問い詰めても無駄だということは、住職にもわかっていた。
目を細めて怜を睨みつける桂だったが、まさか「未来」の記憶を持ったまま転生したなどと思うはずもなく、最終的には「頭の回転が速く、勘の鋭い少女」という位置付けで納得した。
「もう帰ってええ?」
上目遣いで窺う伶に、住職は傍にあった風呂敷に手を伸ばし、それを広げた。
「まだええやないか。一緒に茶でもどうや?桂君が土産に持ってきてくれたんや」
紙の包みに入っていたのは、反りのある楕円の形の菓子。怜の目が輝いた。
「亀の甲煎餅や!懐かしいなあ!」
怜の親友だった亜美は山口出身で、昔帰省土産に貰ったことがあった。パリッと焼き上げられた亀の甲煎餅は、口に入れると溶けるような舌触りで、懐かしく素朴な味がする。怜は八ツ橋の次にこれが好きだった。
「懐かしいって、、、どうしてお前がこの煎餅を知ってるんだ?これは最近馬関(下関)で売り出したばかりの菓子で、まだそんなに出回ってないはずだが」
しまった!と思った。
自分が五歳の子どもだということをつい忘れてしまう、怜の悪い癖だった。
「こ、この前誰かに貰ったんや、、、確か長州の人やった。」
「長州の人?誰だ?」
桂が険しい顔をする。
「え、えーと。長◯小力やったかな」
「聞いたことがないな」
当然だろう。怜は冷や汗が背中に伝うのを感じ、話題を変えることにした。
「なあ和尚さん。この前の西瓜、もう無いの?黒ーいヤツ」
この時代の西瓜は緑と黒の縞模様ではない。一般的にあるのは黄色っぽいものか黒に近い緑色(黒玉)が主流だった。特に京では黄色の西瓜がポピュラーだったが、あまり美味しいとは言えない代物で、中身が赤いというだけで嫌う人も少なくなく、その割に値段が高いものだから、あまり市場に出回らないのだ。
そんな中、和尚が黒玉の西瓜を後藤にプレゼントしたのが数日前のことだった。
「ああ、あれか。気に入ったんか?」
「うん。まあね」
「アレは貰いもんやったからなあ」
「どこで手に入る?」
怜は身を乗り出した。