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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
17/139

017


「口は災いの元」とはよく言ったものである。


藩の機密をさらりと発してしまった怜は、当然ながらその場で大久保に取り押さえられ、座敷牢に放り込まれてしまった。


女であっても護身術は習うべきなのだ。善治郎から猛烈な反対を受けて断念したが、やはり押し切るべきだった。今更かもしれないが京に戻ったら何を言われようとも道場に通おうと怜は固く誓った。

むろん「帰れたら」の話だが。


「今、何時やろ」


自分の浅はかさも最初は後悔したが、時間が経つにつれ沸々と怒りが湧き上がる。


「小松め……」


木格子で仕切られた内部は畳の造りで、隅には簡易トイレ用の壷が設けられている。室内は風通しが悪くジメジメとしていて、換気用の窓があるものの、大人でも手の届かない高い位置にあった。


「やっぱり薩摩人は侮れんな。油断した私もアホやけど...」


荷物袋は没収されてしまい、手元には何も残されていない。めぼしい物はないか牢内も隈なくチェックしてみたが、髪の毛一本落ちていなかった。年老いた牢番が木格子の向こうに一人いるが、怜が話しかけても一切応じない。


(まあえーわ。また明日考えよ)


結局なす術もなくゴロンと横になった怜は、いつしか夢の中へ堕ちていった。



◇◇◇◇◇◇◇、



「子どもだからと言って甘い顔は出来んぞ」

「まあ落ち着いてください。大久保さん。怜のことは私が何とかしますから」

「あれは間者に違いない。五代め。余計なことを」

「五代に罪はありません」


大久保の手前もあり、不本意にも怜を私邸の牢に閉じ込めてしまった小松であったが、このままでは久光やその家臣の耳に入るのも時間の問題だと思われた。そうなれば怜の命など容易く散ってしまう。それだけは避けねばならない。


「さあ今日はもう遅い。そろそろお開きに」


大久保はまだ何か言いたげな表情であったが「また明日」と帰りを促すと、仕方なくといった程で、呼びつけた駕籠に乗って帰っていった。


それが見えなくなると、小松は直ぐ様屋敷に戻る。するともう一人の男が間口から出てきた。


「小松さん。そろそろ私もお暇致します」

「今からですか?しかし明日ここを発つと」


目の前の男は大隈重信という名で、かの早稲田大学創設者である。肥前(佐賀)藩出身の大隈は、遊学と称して先日からこの薩摩に滞在しており、小松邸に滞在していた。機転の利く頭の良い男で、小松自身も多大な信頼を寄せている仲間の一人でもある。それなりに長い付き合いだけに贋金の件も彼は知っていた。


「ええ。早い方が良いと思いまして」


小松は彼の張り詰めた空気に、ピンとくるものを感じた。


(なるほど…)


「ならば一つ届けてほしいものがあるのですが」

「ええ。何なりと」


小松の怜を助けたいという心中を察し、自分から申し出たのだと理解した。彼なら無事に怜を薩摩から脱出させることが出来るだろう。むろん怜とはまだ話をしたかったが、時間がない。大久保より地位の高い小松であったが、あの生真面目で頑固な歳上男を蔑ろには出来なかった。特に今は大事な時期。内部に敵を作らない方が良い。


「仲五郎はいるか」

「は、ここに」


音もなく現れたのは一人の少年。


「お前に怜の護衛を命ずる」


少年は顔を上げて小松を凝視する。真っ直ぐで揺るぎない瞳は、命に代えてでもやり遂げる固い意志が見えた。小松はこの将来有望な少年に怜を託す事にしたのである。


「半刻したら出発する」

「御意」



◇◇◇◇◇◇◇



コトリと音がして目が覚めた。

燭台を持つ手がぼんやりと怜に近付き、木格子の扉が開く。


「怜、起きなさい」


怜は「アッ」と息を飲んで、直ぐ様体を起こすと、声の主に飛びかかった。言わずもがな小松である。


「よくも私を……!」

「ハハ……まあ落ち着いて」

「落ち着いていられるか!」

「シッ……静かに」


小松は口元に手を当て、怜を制止した。


「時間がないから苦情はまた今度聞く。黙って聞いてほしい。今から君を逃す」


怜は目を見張る。


「この方は私の友人だ」


夕食時にはいなかったが、西瓜糖のプレゼン時に大久保の隣りに座っていた男だった。男は丁寧に頭を下げて「大隈」と名乗った。


(な、なんと!!早稲田ベアか!)


早稲田ベアではない。大隈である。

もう一人は手拭いで顔を隠してはいるものの、背格好から少年だと推察出来た。


「この者達が君を無事に薩摩から連れ出してくれるだろう」


怜は無言で頷いた。


「もう少し話をしたかったんだが、仕方あるまい。しかし怜」


小松の表情から余裕の笑みが消えた。


「何事も見据える目を持つのは悪いことではないが、世間を侮ってはいけない。弱い人間ほど他者を恐れ、亡き者にしようとするんだ。敵を作っては世の中は渡れないんだよ」


(兄ちゃんみたいやな……)


「うんわかった」


小松は笑顔を見せると風呂敷を手渡した。


「さあこれに着替えて」


渡されたのは赤い着物と藍色の帯。そして長い髪のカツラだった。


「女装しろってこと?」

「元々女の子だろう」

「そうやった!」

「外で待っているから急ぐんだよ」

「うん」


三人が表へ出ると、怜は早速準備に取り掛かる。しかしもし逃げ出したとなれば、いくら小松でも立場が危うくなるのではと心配になった。一体どうするつもりなのか、もしかしたら責任を取らされて、怜の代わりに罰を受けるなどとなったら、いくら何でも夢見が悪い。坂本や中岡ならば、いつどこで世を去るか有名な話だが、怜は”小松帯刀”に関しての情報を持ち合わせていないわけで、それが余計に不安を煽るのだった。

怜は着替えを済ませると木戸を開けた。


「よし、じゃあ裏口から出発しよう」

「待って小松君」


怜は小松の腕を引っ張ると、二人から少し離れて口を開いた。


「まさか死んだりせんよね?」


小松は目を見開いた。


「私のこと助けたら怒られるやろ?そしたら死刑とかなる?」


小松はクスリと笑い、怜の前に膝をついた。


「明朝、奄美行きの船が出航する。そこに私の信用を置ける者が数人乗船する予定だ。その中の一人が、自分の息子を同行させると言っている」


つまり怜を遠島(流罪)という罪名で、奄美に連れて行くことにしたのだ。もちろん身代わりの”怜”である。


「表面的に、逃がしたわけでも逃げられたわけでもない。キチンと処断したのだから咎められることもないだろう。だから怜は心配しなくていいんだよ」

「そっか。良かった」

「しかしこの地を出るまで気を許しては駄目だ。なるべく方言は使わないようにしてほしい。どうしても目立ってしまうからね」

「うん、気をつける」

「今度会うのを楽しみにしているよ」


小松は怜の頭をひと撫ですると、スッと立ち上がった。


「二人とも怜を頼む」

「承知しました」


すっかり更けた夜の薩摩は、常夜灯の光りが幾つか見えるだけで、街ごと寝静まってしまったようである。


怜達は敢えて駕籠を使わず、歩いて薩摩街道を目指した。



◇◇◇◇◇◇◇



鶴丸城下から伊集院宿を経た次の宿場町”市来(いちき)”を今日の仮宿として進む一行。


薩摩街道は大きく三つの筋に別れており、その一つ「出水(いずみ)筋」と呼ばれる街道が最も肥後に近いルートであった。直線距離なら大した道のりでもないが、やはり町から離れるに連れ、勾配の激しい箇所や獣道のような道幅の狭い箇所もある。


この脱出劇が厳しい旅路となるのは容易に想像が出来た。ましてや怜は動きにくい着物であり、付いていくのに精一杯で他を気にする余裕すらない。少年が荷物袋を持ってくれているのが、せめてもの救いだった。


「なあに心配することはない。出水の宿場町には着いたら船で移動する。高瀬に向かう商船があるから、それに乗り込もう」

「八代から有明に出るんですね」

「それが一番安全だ」


有明とは九州最大の湾である。

出水にある名護港から八代海を北上し有明海へと入ると、その沿岸には肥後の高瀬津と呼ばれる河港がある。主に経済、産業、交通の中心部として栄えている場所だ。


「陸の関所は通らない方が無難なんだよ。足止めを食らう可能性が高いからね」


薩摩と肥後の国境にある野間之関所は、全国的にも出入国の厳しい関所として知られており、時と場合によっては数日、数週間の逗留を余儀なくされ、不審と判断されれば、役人によって厳しい取調べを受けることが常であった。


もしも関所破りなどしようものなら、その場で斬り捨てられるのは当たり前なのである。よって船で迂回する方法が最も安全な方法あり、海路を利用する者は後を絶たなかった。もちろんその場合でも海の関所である”船番所”を通過しなければならない。


しかし表向きは厳しい取締りに見えて、実のところ賄賂が横行し、比較的緩い体制であった。特に商船などは出入国の度に時間を取られるわけにもいかない為、番所の役人に金を払って免除してもらうのが通説で、それは何も薩摩に限ったことではなかった。今まで怜が何の問題も無く土佐や薩摩に入国出来たのは、淀屋のおかげだったのだ。


「暑いー」

「ほら頑張って」


城下から伊集院宿までの距離は約二十五キロ。薩摩半島を西へ横断するように進んでいく。深夜出発した一行は、途中何度か小休憩をとりながら、陽が高く登った頃、そこへ辿り着いた。


「茶屋がある。何か頼んでこよう」


大隈が店の中に入ると、少年は荷物袋を下に降ろして、怜の顔を覗き込んだ。


「大丈夫ですか?」

「大丈…ぶ」


陽が高くなるにつれ、今朝方の低い気温も一気に上昇を始める。結構な坂道を歩いた所為もあり、どんどん汗が噴き出すのだ。


「アイスクリーム……かき氷…」

「何ですかそれ」

「呪文や」


怜は茶屋の前の長椅子に、ちょこんと座った。続いて少年も隣りに座る。


「怜さん、方言に気をつけて下さい」

「わかっ…りました。というか、あんた名前は?」

「”仲五郎”です。東郷仲五郎と言います」

「東郷?……東郷ってまさか」


少年は顔に巻いていた布を取った。


「……(西郷)どん率ゼロパーセント」


ハーフかと思われるほど均整のとれた顔立ち。歳の割に小柄ではあるものの今の時代では普通の背丈なのだろう。


「父をご存知なのですか?」

「ううん。でもあんたのことは知っ……らん」

「は?」


(まさか東郷平八郎とは……)


まだ十三歳の東郷はまだ”ひよっこ”の少年である。二年後の薩英戦争で初陣を果たし、それからはメキメキと頭角を現していくのだ。


「東郷君」


それにしても線の細い少年だと怜は思った。こんなひ弱そうな身体で戦えるのだろうか。余計な心配であったが、口に出さずにはいられなかった。


「もっと鍛えた方がええよ?何か弱そう」

「失礼ですね……一応剣術は習っています」

「ふうん。どこの流派?」

薬丸自顕流じげんりゅうです」

「聞いたことないわ」


薬丸自顕流とは、大太刀を使った薩摩の古流剣術である。先制攻撃を重視し、防御のための技は一切無い。刀を差したまま電光石火のごとく斬りつけられれば、交わすのは非常に困難であり、実戦的で一撃必殺を尊ぶ流派なのだ。


「けど……もう刀の時代でもないけどね」


怜が呟いたその時、大隈が戻ってきた。


「小松さんも同じことを言っていたよ」

「よいしょ」と腰を下ろした大隈は、盆の上から湯のみを受け取り、怜と東郷に手渡す。

「”開国”が刀の終わりを告げるのだと」


やはり”小松帯刀”は凡人ではないと改めて怜は思った。現実的な目線で世の中を見ているのだ。”藩”も大事だろうが、それだけではない。「日本」という国を客観的に分析する目を持っている。


「僕はそうは思いませんけど」

「東郷君。剣術もええけど銃の使い方も習った方がええよ」

「銃?何故ですか?」

「だっていつ異国と戦になるかわからんし」

「うーん……仮に異国と戦になったとしても負ける気はしないですね」


怜はそれ以上話すのをやめた。

墓穴を掘りそうなのもあるが、たとえその必要性を声高に主張したとしても、人は一度経験しなければわからない。加えて彼はまだ子どもである。世界を見る広い視野は持ち合わせていないのだ。


「さあ、二人とも食べなさい。まだ市来まで距離がある」


東郷は差し出された草団子にかぶりついた。しかし怜は、朝食を食べていないにも関わらず食が進まなかった。その理由は早く城下から離れたい気持ちの他に、小松の作戦が上手くいっているか気になって仕方がなかったからである。


「小松君、大丈夫やろか」

「心配ないですよ。小松さんは強いから。それより怜さん、”方言”」

「…東郷君って男前やけど、小姑みたいやね」

「……」

「怜さんは東郷君みたいな人が好みかい?」

「顔だけの男はちょっとな」

「年齢的にはちょうどいい。あと七、八年もすれば……」

「うーーん……そうやな。もう少し柔軟性を身に付けてくれたら考えてもええけど」

「ちょっと!勝手に話を進めないで下さい!」


大隈は声をあげて笑った。



一行はその後市来宿に到着した。

沿岸部に位置し、現在ではその面影すら残っていない宿場町である。伊集院までの距離は長かったが、市来までは思いの外早く、当初の予定通りここで一泊することになった。


よく大隈が利用するという宿は、夫婦が営む小さな旅籠屋で、怜は挨拶もそこそこに部屋へ案内されると、ばたりと死んだように眠りについた。


「怜さんを頼んだよ、東郷君」

「はい。お気をつけて」


大隈が近くの知り合いの寺に行くと言って旅籠屋を後にすると、東郷は部屋へと戻り、自分もごろりと横になった。


「柔軟性か……」


なんとなく気になる言葉であった。

確かに小松によく「頑固」だと言われる。

もう少し力を抜けと。まさか歳下の少女に指摘されるとは思わなかったのだ。東郷は隣りで眠る怜の横顔をちらりと見た。


小松が一目置いている五歳の少女。

その辺の子どもと何ら変わりない、ごく普通の寝相の悪い女の子だ。東郷が含み笑いをしつつ捲れた掛け布団を首までかけてやると、突然怜が自分に抱きついてきた。


「?!」


あまりの驚きにしばらく声も出せないでいたが、「お父…」と怜が小さく呟くと、東郷は仕方なく背中に手を回して目を閉じた。


むろん相手は五つ。

まだ女も知らぬ東郷が、間違いなど起こすはずもない。逆に怜はというと、東郷と寝ると何故か安心して熟睡出来るという新たな発見をし、彼を”抱き枕認定”したのである。






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