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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
138/139

133




「ほな行って参じます」

「気をつけて行くんえ」


上得意を持つ紅花は駆け出しの芸妓二人と男衆数人に守られながら駕篭に乗って夭華楼を後にした。その上得意は身分の高い者ということもあり、夭華楼では太夫或いは天神に限って、相手の御屋敷に参じることもあった。


「お時間まであと四半刻え。みな準備はよろしいおすえ?」


大座敷にずらりと居並ぶ芸舞妓。色彩豊かな着物姿は壮観である。ちなみにりょうは鼓打ちの役なので白の着流しに青い帯を結んだ質素な出で立ちであった。



「今日はアレでいくえ」

「ア、アレってまさか…お、お母はん本気!?」

「アンタらはデキル子え」


自信満々の女将だが、芸妓らはやや不安そうである。

それもそのはず。"アレ"は芸妓らにとって一歩間違えれば命取りになりかねないのだ。


従来芸妓遊びというものは投扇興やら金比羅船々やら虎拳などがある。負けた者はお酒を飲むのがしきたりで、大抵の場合これらの遊びに慣れた芸妓が有利である。しかしこの夭華楼ではひと味違う遊びを提供していた。それが嶋原人気ナンバーワン店の証でもあるのだ。


そしてこの発案者こそ"りょう"であることをお伝えせねばならない。


「"上様遊び"えーー!!」


現在でいうところの"王様ゲーム"である。




◇◇◇◇◇◇◇



「小豆、その髪の色どないしはったん?」


夭華楼のNO'2である天神"(むらさき)"は、りょうの姿を見た瞬間目を瞬かせた。


「知り合いに貰ったんよ。似合っとるやろ?」

「ふふふ…相変わらずやねぇ」


りょうは金髪のカツラをかぶっていた。久坂や桂に見破られないためである。


「紫姐さんきれーい」

「今日は金蔓が沢山来なさるそうやから」


妖しげに微笑する彼女の出で立ちは、藍色に小菊と月を重ねた落ち着いた色合いの着物だった。際立たせるように艶やかな金色の蝶模様をあしらった帯は前で結ばれており、紅花とはまた違った不思議な美しさがあった。


「長州の奴らやろ」

「それだけやないみたい。お江戸の御役人様やら薩摩の方やら……」

「薩摩?」


まさか小松ちゃうやろな?と、りょうは思ったが直ぐに否定した。小松が入京するとなれば、それは久光の上洛を意味する。むろんその限りではないが、薩英戦争が回避されたとしても、まだ英吉利との信頼関係は無きに等しい段階だと予想出来た。現在英吉利は他国と組み、下関で長州藩睨み合っている状況である。薩摩と仮に同盟関係であっても、長州薩摩が互いに憎しみ合っているとしても、日本という枠組みで考えれば同じ国の仲間であることは承知しているはずで、英吉利の立場から考えれば、例えば薩摩が長州藩の援護の為に背後から攻撃しないとも限らないのである。つまり英吉利は長州藩に睨みを効かせる一方で、薩摩の動向も注視しているに違いない。となれば、今久光が動くのは現状況では愚策としか思えなかった。


りょうはホッと一息ついて茶をすすった。


「そやけど今宵は小豆がおるから安心や」

「姐さんが変な男に言い寄られたら私がボコボコにするからね」

「ふふ…頼もしいわぁ」


そのうちガヤガヤと客らしき声が聞こえ、楼主らが部屋へ案内する声が響く。

しばらくすると襖越しに男の声がした。


「お客様どす。秋の間にお出まし下さい」


りょうは紫の手を取った。数名の芸舞妓がそれに続き、秋の間へ向かう。その名の通り秋の風情を感じさせる庭園が、お座敷から望める落ち着いた部屋である。一行は襖の前に正座し頭を下げる。


「天神のお越しにございます」


両側の男衆が同時に襖を引くと、せせらぎのような涼やかな声が響いた。


「本日はようこそおいでくださいました。天神・紫にございます。よろしゅうおす」


ほう、と感嘆する息が漏れ、紫の衣擦れの音がして、ようやく頭を上げる。


その瞬間、りょうは鬼でも見たような邪悪な顔面となりーーー



(小松ッ……)


予想は完全に外れていた。



◇◇◇◇◇◇◇



秋の間


居並ぶ面々は五代、高崎、小松、東郷である。

りょうは高崎という中年の男を知らないが、聞き耳を立てているとどうやら京都薩摩藩邸の留守居役のようだ。


酒を飲みながら紫の踊りに夢中の三名は全くりょうに気付いていなかった。ただ金髪については多少なり驚いてはいたが、色はともかく芸妓が舞や唄によってカツラを変えるのは珍しくない。


りょうは笛と踊りに合わせて鼓を打ちつつ、念のため目を合わすことだけは避けた。


しかし気になるのは東郷である。若いうちから妓楼に夢中になるなどろくなことがない。しかもお酒まで飲んでいるではないか。


(まさか私を差し置いて大人になったつもりちゃうやろな…生意気な)


りょうは苦々しく気付かれないように睨み付けた。


「お粗末様でございました」


踊り終えた紫は小松と東郷の間に座る。「とても綺麗でした!」などと興奮した面持ちの東郷。小松は敬意をはらうように紫に酌をしている。紫は微笑を携えたままお猪口に口を付け、りょうの方を見た。りょうはサインを送る。


先ず鼓を打つ右手の親指を立てる。更に一旦戻してから人差し指で円を描き、再び親指を立てて下に向ける。円はお猪口を表し、親指を下に向けるのは「酔わせてしまえ」という意味である。紫はこくりと頷いた。


「どうぞ」

「あ、僕はもう…」

「そんな悲しいこと…」


紫はうるうるとした目で彼を見つめた。ほろりとこぼれる涙。流石はNo.2である。東郷のイケメンオーラにも全く動揺なく女優ぶりを発揮している。他の芸妓や舞妓らはそわそわと落ち着きがないというのに。


「じゃ、じゃあ頂きますっ」


東郷は慌ててお猪口を差し出した。従来男という生き物は女の涙に弱いものである。りょうはニヤケそうになる口元を堪えつつ、ぽんぽんぽんと鼓を打つ。何故かその勢いに押されて東郷が一気飲みした。


「仲五郎。そんなに飲んで大丈夫かい?」

「は、はい!大丈夫です」


心配そうに覗き込む小松。どうやら東郷は酒に弱いようである。顔がほんのり赤く染まり、焦点が定まっていない。まあ年齢を考えたら当然かもしれない。しかしりょうは容赦無く鼓を打つ。


ぽんぽんぽんぽんぽん……

ぐびぐびぐびぐびぐび……


「な、仲五郎…?」

「東郷君はお若いのにイケる口なんだねえ」


瞠目する小松に対し高崎が感心したように頷く。


「薩摩隼人はそのくらいじゃないと世の中を渡ってはいけませんよ。ね?」


五代が隣りの舞妓に爽やかな笑顔で同意を求めると、一瞬で彼女のハートは射抜かれた。


「はうぅ」


(おのれっ五代!)


りょうは紫にサインを送った。中指と人差し指を立ててチョキの形にし、それを擦り合わせる。これは「チェンジ」のサインだ。紫はゆっくり立ち上がり、一番端に座る五代の方へ移動すると射抜かれた舞妓に何やら耳打ちをする。舞妓はハッと我に返り楚々と東郷と小松の間に移動した。


「どうぞ。旦那はんも一献」

「やあ嬉しいなぁ!天神からお酒を頂くなんて」


御座敷遊びに慣れたふうの五代。大坂新町で名を轟かせているだけある。


(しかしここ夭華楼では、貴様など客の一人に過ぎないのだ!はーっはっはっはー!)


りょうは更にサインを送った。

先ず鼓を打つ右手の親指を立てる。更に一旦戻してから再び親指と人差しを立てた。これは銃を表し『仕留めろ』。つまり、"堕とせ"という意味である。


「あっ」

「わわ」


お猪口からお酒が溢れ、五代の袴に零れ落ちる。


「堪忍しておくれやす」

「いやいや、大丈夫ですよ」

「お拭き致しますえ」

「いや、自分で………ちょ……そこはっ…」


主に大事な部分を擦り続ける紫。五代の顔はいつもの爽やかさを失い、いつしか(けだもの)の顔になっていた。


(堕ちよった!!流石紫姐ちゃんや!)


思わず肩を揺らしたりょうだが、ふと視線に気付いた。



「………」


小松である。

訝しむ表情でジーっと見ている。

背筋がぞわぞわした。りょうは一先ず退散しようと、ちょうど唄が終わると同時に腰を浮かせた。


「そこの君」


小松がりょうを手招きする。


「幼いながらに見事な鼓だったね」

「……お褒めに預かり」

「良ければ一献どうかな」


りょうが頭を下げたまま固まっていると、紫が助け舟を出した。


「旦那はん、この子はまだ未成年おす。お気持ちだけ頂きます」

「そうか。…確かにそうだね」


小松はそれでも視線を外さなかったが、ちょうど襖の向こうからタイミングよく男の声がした。


「桔梗屋の皆様がお越しでございます」


入ってきたのは遊女である。芸妓という職は遊女が来るまでの繋ぎ役で、客をもてなすのが仕事である。(と言っても、基本恋愛は自由なので、もし芸妓の方が客を気に入れば男女の関係になることもある)


「桔梗屋の小夜と申しますぅ」

「同じく、小雪と申しますぅ」


煌びやか着物を着た遊女らは一斉に東郷へ集まった。

当然だ。こんなイケメンは日本中探しても見つけるのは難しい。いくら五代でも若さと初々しさで負けてしまうだろう。


「小豆」


紫は小声でりょうを呼んだ。小指を立て、更に親指を立てて襖に向かってクイッとする。

"あとは遊女に任せて退出しよう"というサインである。


「旦那はん、ごゆっくり楽しんでおくれやす」

「も、もう行くのかい?」

「また後で来ますえ」

「絶対だよ!」

「へえ」


五代が紫に縋り付くのを心の中で爆笑しつつ、りょうは逃げるように部屋を退出した。



◇◇◇◇◇◇◇



春の間に久坂ら長州藩が来たのは間もなくだった。


女将から一報を受けたりょうはニヤリとほくそ笑む。

紫は初めてのようだが、他の芸舞妓は何度か会ったことがあるらしく嬉しそうである。彼らが人気を博しているのは間違いないらしい。


秋の間からコの字に続く廊下を右に曲がると冬の間である。更に廊下を右に行くと春の間に続くわけだがーーーー


冬の間に差し掛かった時だった。



「よっしゃー俺が上様じゃーー!」

「いやーまた坂本はんやぁ」

「お強いおすねえ」

「おまんらみんな攘夷じゃー!」

「「きゃーー」」



りょうの目が半眼になった。







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