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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
132/139

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茶屋


「おっさん、おしるこ十杯ね」

「へ、へい」


人目も憚らずおかわりを繰り返すまん丸の子どもに、他の客は釘付けになっていた。まるでわんこそばのように次から次へと飲み込んで、長卓の上にはお椀が山積みにされている。しかし本人は何ら気にすることなくひたすら食い続けていた。


「お隣り失礼します」


上から男の声がして、ふと顔を上げた。

どこかで聞いたことのある声だったからだ。


「あれ?……君は」


我が身を呪うりょう。

どうしてこんな時に限って会いたくない奴に会うのだろうか。


「摂海巡視以来ですねえ」


桂小五郎は目を細めて口元に笑みを浮かべた。



この頃長州藩は亜米利加、仏蘭西らの砲撃を受け、壊滅状態となっていた。 死者こそ少ないものの、長州藩の砲台や軍艦は悉く粉砕され、民家も多数焼き払われる。これによって多くの民が苦境に立たされ、その矛先が自藩に向くと各地で一揆が発生し始めていた。


「自藩が大変な時に油を売っとる場合じゃないでござる」

「私はまだこちらで仕事があるのでね」


りょうはフンと鼻を鳴らした。


「そういえば、君に聞きたいことがあったんだ」

「それがしめはないでござる」

「ここの支払いは任せてほしい」

「何でも聞くでござる。ーーーー店主!おしるこ五杯追加!」

「へい!」


桂はりょうに向き直ると、まじまじとその顔を見た。一瞬バレたか、と思ったがーーーー


「以前と髪の色が違う……」

「あ、あー、これが地毛でござるよ。前はカツラを着用していたのでござる」


りょうは茶髪のキノコカツラをかぶっていた。


「何故そのようなことを?」

「元々それがしめは色素が薄い体質のようでして、顔立ちもこの通り美男子でありますゆえ、悪意ある者どもから異国人扱いを受けることがしばしばありまする。あの巡視の際におきましては公卿方もおられましたので、不愉快にさせてはならぬと変装した次第でござる」

「なるほど」


スラスラと嘘をつきながら、りょうは話題を変えた。


「ところでお聞きしたいこととは?」


桂は姿勢を正した。


「先の巡視の際、君は我が藩の建白書を''読み物"だと言ったね」

「言ったでござる」

「その見解を是非ご教示願いたいのだが」


長州藩が提出した建白書"摂海戦守御備"とは、大坂城を含む三つの城を改修し、砲台、堀を増大し、更には堺などに莫大な砲台を築いて淀川筋には多数の砦を建設する。そこに与力等の役人を総動員し、将軍が自ら指揮を執るという内容である。


「つまり幕府に全て押し付ける、という極めて悪質かと思いまする。そもそもこの国は幕府のものだけではございませぬ。外国との問題が取り沙汰される昨今、本来であれば幕府、諸藩が共に連携するのが筋に思いまする。しかし諸藩は協力どころか、足を引っ張る始末。東禅寺事件しかり生麦事件しかり、英吉利領事館焼き討ち事件しかりにござる」


桂は言い返そうと思わず前のめりになった。


「しかしそもそも」

「そのような状態になったのは幕府の所為であると、そちらは言われるでござろう。しかしそもそも非協力的な輩に何を申しても同じこと。糠に釘でござる。幕府、朝廷に圧力を与えているのはどなたでござろう。一切の責任を押し付けるのはどこの藩でござろうか」

「……」

「例えば、そちらの要求のままに攘夷とやらを決行したとしまする。それで外国勢に勝つと思われまするか?」

「それこそ幕府の力が試される時だと思うが」


桂の言葉にりょうは首を振った。


「無理でござる」

「…なに?」

「どれだけ幕府の海軍能力が長けていたとしても、どれだけ武器を保有していても、けして勝利はあり得ませぬ」


桂は目を見開いた。



「……それは何故だ?」

「日本という国が極めて特殊な国だからでござるよ」


りょうはさらりと言い切った。


「ゆえに、真に国を憂いでおる者は、攘夷など馬鹿げた発想には至らぬはずなのでございまする」

「特殊とはどういう意味だ」


しかしりょうは一瞥しただけで話を続けた。


「重要なのは、それに気付くかどうか。それだけにございまする。目先の物事にだけ囚われれば足元をすくわれる結果となりましょう」

「ならば、例え勝さんの言う操練所を作ったとしても全て無駄ということでないのか?」

「無論、それだけでは不可能」

「どういう意味だ」

「更にもう一つ必要不可欠なものが存在しまする」

「それは一体…」

「藩を廃止することにござる」


それがいかにこの現状にそぐわない考えであったとしても、日本が一つになる為には避けて通れない道である。


「藩を…」

「貴殿ら長州藩は見通しすら立てず、阿保の一つ覚えのように"倒幕"しか頭にないでござる。内紛がいかに諸外国を喜ばせるか考えたことはないのでござるか?」

「!」

「攘夷を妨げる一番の功労者は、"長州藩"、そして一部の公卿にござる」

「なっ…」


りょうはニヤリと口角を上げた。


「とはいえ、そちらも少々進歩はしたようでござるな?」


暗に含む物言いに桂は訝しむ。りょうは手招きし、耳元で囁くように言った。


「攘夷攘夷という割に、陰では藩士を英吉利に留学させておるようで。貴殿の藩もなかなかの策士でござるなあ」

「な、何故それを!?」

「それがしめに知らぬことは無いと、いつも申しておりまする」


桂は思わず周りを見渡した。



ちなみにりょうは先日紅花から聞いて「長州ファイブ」のことを思い出したのだが、例えばこのことが幕府の知るところになり、同じ攘夷派にまで知られれば、長州藩は「裏切り者」として立場は一層悪くなるのは必然であった。ゆえにこの件は藩の極秘事項であり、誰にもバレてはならなかったのだ。


「安心なされ。このことはそれがしめしか知りませぬ。しかしーーー」


りょうは再び目の前に迫る。


「上様を失脚させ、その名誉を傷付けるようなことがあれば」


りょうは親指を立て、首を切る動作をした。


「けして容赦は致しませぬ」



りょうの目は本気だった。



◇◇◇◇◇◇◇



京・長州藩邸



「やはり、アレは怜じゃない」


桂がポツリと呟いた。


「アレって?……何の話?」


吉田が不思議そうな顔で聞き返した。


桂は巡視の時から、りょうが"怜"ではないかと疑っていた。見かけだけではわからないが、声が似通っているように思えたのだ。実際、彼は吉田と違って後藤怜の遺体を見ていないし、現実味がなかったのも原因だった。


もしあれが怜だと言うなら人格そのものが変わったとしか思えない。最初からどこか大人びた子供ではあったが、その中にはやはり特有の「幼さ」があり、また「可愛らしさ」もあった。しかし"勝りょう"という子どもはその欠片も無く、啖呵を切った時の目は、憎しみに満ちていた。


「桂さん、大丈夫?顔色が悪いけど」

「ああ。大丈夫だ」


桂は"勝りょう"を強制的に排除した。


「それより長州に帰らねーの?」

「まだ帰れない。実はな、真木さんが入京したんだ」

「真木さんが?」


真木和泉は久留米藩士である。

この男もまた尊王攘夷派であり、久坂や寺島より更に輪をかけて過激な思想を持っていた。


「へえ。ようやく釈放されたのか」


真木は以前寺田屋事件の際に、京への挙兵計画を企てていたが失敗し、久留米にて投獄されていたのだが、長州藩や天誅組の中山忠光らの働きかけで先月釈放され、家茂が東帰した数日後に入京したのである。


「元気な爺さんだな」

「取り敢えずこっちのことは任せて、お前は直ぐに京を発ち、久坂にこれを届けてほしい」


桂は袖から久坂宛の文を差し出す。


「くれぐれも無茶するなよ」


吉田は頷くと、襖を開けた桂の背中に声をかけた。


「あいつ、まだ怜のこと……」

「……」


久坂は変わった。

以前はそこまでの激しさは無かったが、幕府を恨み、異人を恨み、薩摩藩を恨み、世の中の全てが敵だというように、ひたすら前に進んでいる。


むろんその根底にあるのは怜の死だった。


生麦事件以降、久坂は密かに計画を立てていた。"後藤怜"という少女が家定公の娘であるという事実を公にしようと目論んでいるのだ。


例えば事件の死亡者が家定公の娘だと世間に広まれば、民衆はおろか幕府側の人間も攘夷に転じるかもしれない。また、事件の当事者である薩摩藩への責任も追及出来る。


しかし世間に怜の存在が露見されれば、それを隠蔽した小栗忠順は言わずもがな、知らなかったとはいえ後藤善治郎も責任を問われるのは必定で、下手すれば怜に関わった全ての者が詮議にかけられ、厳しい取調べを受ける可能性もあり得た。むろん高杉も同様、久坂、桂、吉田にも火の粉がかかり、兎角ありとあらゆる人々に追及の手が伸びるのは想像に容易い。


つまり、怜が徳川の人間である以上、あくまで被害者は"徳川幕府"と位置づけられてしまい、それに関わった薩摩藩、長州藩をも攻撃出来る材料が揃うことになり、その絶好の機会を"徳川慶喜"が見逃すはずがないのだ。


いっそあの勝りょうが怜だったらとさえ思う。そうすれべ久坂の暴走を止めることが出来たのにーーーー




◇◇◇◇◇◇◇




江戸城



「今、なんとおっしゃりました?」


和宮は首を傾げる。

桃の井は周囲を警戒しつつ声を潜めた。


「あくまでも噂にございます」

「上さんはそんなこと言うてはらへんかったけど……」


桃の井は怒りを露わに顔を歪めた。


「当然でござりましょう。何処の世に、そのような話をする殿方がおりますか。穢らわしい…」


東帰した将軍・家茂の噂話は、大奥全体に広がりを見せていた。出どころは不確かであったが、口さがない茶坊主達は"事"を面白おかしく吹聴し、信憑性すら皆無に等しいというのに、外を知らぬ大奥の女人らの大半は信じているようである。


曰く、上様は京で若い男に夢中だとか。


曰く、何処へ行くにも同行させ、自分の側からけして離さぬとか。


曰く、いずれはその者を養子に迎えるつもりであるとか。


江戸城では、見目麗しい上様の意中の男探しが水面下で動き出していたが、未だその者の正体は明らかにされていなかった。


「武家の殿方は、少々変わった嗜好をお持ちであると聞いたことはござりますが、まさか上様まで…」

「単なる噂や。気にするようなことでもない」

「なんと健気な宮様。……けれど、これに限っては許容出来るものではござりませぬ!」


桃の井は決したように立ち上がると、廊下で控えている絵島を呼んだ。


一度言い出したことは自身が納得するまで絶対に譲らない桃の井特有の性分は、昔から何ら変わることなく、例え和宮であっても止める術はないのだ。それを重々承知している彼女は、フッと息を吐くと人形に手を伸ばした。


「お呼びでございましょうか」

「そなたもあの"噂"を存じておろう」


一瞬目を瞬かせた絵島は、ハッと気付いたように目を伏せて平伏した。


「は…」

「噂の真相を探って参れ。金子でも与えてやれば茶坊主共も口が軽ろうなる」

「承知致しました」

「けして上様に気付かれてはならぬぞ」


桃の井は念を押すと、帯から白い紙に包まれた小判を押し付ける。絵島は素早く懐に隠し、早々に退出した。


「宮様。御心配には及びませぬ。この命に代えても宮様をーーーー」


ドンと自分の胸を張る桃の井の前で、菊姫が腕を畳に打ちつけて爆笑していた。(因みに動かしているのは和宮である)



「"ほんに面白いオバはんやぁ"ーーーーーーこれ菊姫、そんなこと言うたらあきません」







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