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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
13/139

013


海面に突き出した大きな岩をよじ登ると、うねり狂った真っ黒な海が視界いっぱいに広がった。岩を叩きつける波飛沫が全身に飛散し、目を開けるのもやっとだ。もし一歩踏み外せば瞬く間に波に飲まれてしまうだろうと怜は思った。


「爺ちゃん!!出てきて!」


最初から何か違和感があったのだ。

怜の前だけに現れる不思議な老人。慈しむような目で怜を見ていた。きっと「誰か」と間違えたのか、もしくは「誰か」を探してほしかったのだろう。そして怜に話しかけてきた少女。あの子もまた「誰か」に憑かれて「誰か」を探していたに違いない。「何故自分が」と思わないこともないが、波長が合ったのか、もしくは父をいつも思う気持ちが同調したのかもしれない。


ならば止めるのは自分しかいない。

そう怜は結論付けていた。怖いという気持ちは無い。ここで命を落とすようなら、それが最初から決められた自分の寿命なのだと、ある意味怜は腹をくくっていた。


「爺ーーー!!」



無我夢中で何度も呼んだ。遠く怜を呼ぶ坂本や山田らの声が微かに聞こえたが、それどころではない。声が枯れるほど繰り返し、降り注ぐ波が全身を濡らしても気にしなかった。


しかし徐々に視界はぼやけ、堪えるように踏ん張った足は次第に震えていく。


「爺、」


ガクリと膝をついた身体はもはや限界だった。波の音も人の声ももう聞こえない。ただ果てしなく広がる海の向こうに懐かしい家族の姿が見えて、消えゆく意識を振り絞って父を呼んだ。



「....お父...ちゃ...」



と、次の瞬間だった。



「ーーーーーーー怜!!」


追いついた坂本が崩れゆく小さな身体に手を伸ばしたが、ほんの僅か間に合わず。噴き上げられた波は目の前の小さな少女を飲み込んで、潮が引いた岩場にはもう誰もいなかった。




◇◇◇◇◇◇◇



目を覚ました怜は老人の腕の中であった。周りは真っ白な空間で、雨も風もない無の世界だ。


「爺ちゃん!」

「危ないがやろう。死んだらどうするんじゃ」

「そんなんどうでもええ!じいちゃんに渡さなあかん物があるねん!」


怜は握り締めた手を開いた。


「探しとったんやろ?」

「……これは」

「忘れ貝や」


老人の顔が強張った。身体が小刻みに震え、それば怜にも伝わって胸が苦しくなる。


「女の子に貰ろたんよ。だから爺ちゃんにあげる」

「女の子?」


怜は頷いた。


「そやけど……多分忘れてほしくないんや」


自分がこの世を去ったとしても、父には忘れてほしくないと、少女はそう思ったのかもしれない。怜にはなんとなくわかる気がした。


「死んでも心の中では生きとるやろ?

それに、忘れたら”向こう”で会えんよ?」


その言葉に老人の目からはらはら涙を落ちた。


「……忘れたらあかんか」

「うん」

「そうじゃな」


言葉は必要ではない。老人の笑顔がそれを物語る。ザンッという波の音が耳元を掠めたと同時に、怜の瞼の上に老人の手が触れた。すうっと意識が遠のいていく瞬間「ありがとう」という二つの声を聞いた気がした。



『寄する波、うちも寄せなむ

我が恋ふる、人忘れ貝、下りて拾わん』


(波よ、どうか恋しい人を忘れさせるという”忘れ貝”を浜に打ちあげてくれ。そしたら船を下りてその貝を拾いに行くから)


土佐日記より



◇◇◇◇◇◇◇



気がつけば坂本の腕の中。怜は大きな欠伸をして立ち上がった。


「怜!」

「あ……坂本君。おはよう」

「おはよう。……じゃないぜよ!おまんは馬鹿か!?アホか!?」

「大丈夫ですか?怜さん」

「全く!……坂本さんが助けなければ溺れて死んでいたんだよ?」

「二回目じゃ!俺は二回も助けてやったんじゃ!」


怜は光り輝く大海原を見た。

こんな美しい海は初めてだ。

大きく息を吸って深呼吸すると潮風が怜を取り巻くように流れ、すーっと水平線へと伸びていく。


「怜!聞いとるんか!」

「それより坂本君、早く助けてあげな」


ゆらゆらと海面に漂う商船は、手や旗をを振る船員がいて、皆無事のようだ。建物にいた者や漁師らもワッと喜びの声をあげ、役人達は安堵の表情であった。


「お!?……そうじゃ!行くぞ!」

「はい!」


一斉に駆けて行く一番後ろで、怜は手のひらを広げた。そこにはまだ少女から貰った忘れ貝があって、キラキラと輝いている。


「怜!早よ来い!」

「うん」


怜は真っ直ぐ海を見る。


「お父ちゃん待っといてな。必ず生きて帰るから」


そう小さく呟くと、握り締めた忘れ貝を思い切り振りかぶって海へと放った。陽に照らされたそれは長い放物線を描いて海の彼方へ消えていく。


怜はその光景を心に深く刻み、父への想いを海に誓ったのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



その後、商船も船員らも無事帰還したものの、船体や機関を点検すると、やはり幾つかの損壊が見られ、急いでも二日はかかる見通しとなった。しかしそれよりも皆が驚いたのはデッキに積み上げられた大量の鰹であった。


「なんじゃこりゃ」

「嵐の所為で勝手に飛び込んできたみたいで」

「生きとる内に早よう海に返せ。魚臭なるわ」


怜はそこへ割り込んで入った。


「私にちょうだい!五匹でええわ」

「ええけど、持って帰るんか?」

「ここで食べるんや。お腹すいたやろ?」


船員達は顔を見合わせて頷く。怜はにこりと笑顔を見せた。


「直ぐ出来るから待っといて。山田君運んで」

「は、はい」


怜は踵を返して去っていく。そして建物の前に集結する女性や老人の元へ向かった。


「料理手伝ってほしいねんけど」

「料理?何を作るんじゃ?」

「新しい鰹料理や」


怜の言葉に皆が目を丸くした。


「新しい?」

「ほっぺが落ちるくらい美味しいんよ」

「ほう、そりゃ楽しみじゃ」


少し離れた場所にいた漁師が、怜をからかうと、周りにいた人々もつられて笑い出した。しかし怜は意に介さず、話を続ける。


「鰹はな、お江戸辺りでは高価過ぎて一般庶民には手が出んのよ」

「……へえ、そうなん?」

「”女房質に入れてでも初鰹”っていう川柳があるくらいや」


怜の言葉に場はドッと湧いた。


「けど、残念なことにこの土佐では、刺身は禁令で食べたらあかんことになっとる」

「大体焼くか煮付けじゃわ」

「煮付けや焼き以外でも美味しく食べる方法を私が伝授する。せっかく沢山採れるのに勿体無いやろ?」


漁師らは眉を寄せて顔を見合わせた。


「おい、まさか刺身と違うじゃろな?」

「そ、それはいかん!」


と、その時漁師の言葉を聞き付けた役人が、人垣を割って入った。


「坊主。今の話は誠か?」


しかし怜は役人をちらりと見ただけで、そのまま話を続ける。


「取り敢えず用意してほしい物を言うよ」

「おい!例え子どもと言えど……」

「お役人さん」


怜はぐっと背伸びし、挑戦的な目で男を見る。そしてニヤリと笑みを浮かべた。


「禁令は犯さんから安心して。心配やったら見とったらええわ」


それを見ていた坂本は腹を抱えて大笑いした。


「こりゃええわ!」

「坂本さんマズイですよ」


ぼそりと耳打ちする中岡であったが、その顔も微妙に笑いを堪えている。


「怜、俺も手伝っちゃるわ。何すればええ?」


一瞬キョトンとした怜であったが、周りを見れば皆自分の言葉を待っているのに気付く。


「ほんなら、この鰹捌いて柵にして。皮は残しといてな」

「任せとけ。山田、行くぞ」

「うちらは何したらいい?」

「しょうがと葱あるかな。あと柚とかすだちとか、あ、醤油があればええねんけど」

「うーん……醤油は高価やから、うちらには中々手に入らんのよ」

「ワシの家にあるわ。今から持ってくる」

「おっちゃんおおきに。あとは藁とか木とか燃えるようなヤツある?」

「それならこっちに藁の束があるわ」


それぞれがそれぞれの持ち場につき、怜の指示通りに動いていく。その内気持ちが大きくなった怜は悪態をつき始めた。


「私は声を大にして言いたい。大体人間っちゅうんは、過去に囚われ過ぎるところがある。昔は昔、今は今や。禁令がなんや。くだらん!」

「怜、一応役人がいるから」

「中岡君。言いたい事は言わな相手に伝わらんのよ。恋と一緒や」

「こ、恋!?」

「そうや。想うだけで実るんやったら口なんかいらん。色恋の話やったら得意やからいつでも相談してな?」

「いや……遠慮する」

「怜さん!全部捌けました!」

「さすが早いわ。さてどうやって焼くかな」

「七輪ならあるけど」


一般的に焼き物は七輪を使うのが主流であり、網の上で焼くかもしくは金串に刺して直火で焼くか、大体どちらかだ。だがこの鰹は普通の七輪だと一度に一本しか焼けない。


怜は散々悩んだ末、傍に置いてあった踏鋤(ふみすき)を見て閃いた。踏鋤というのは農作業に使われる道具である。刃先が枝状に別れており、フォークの大型版といった形状だ。土や肥料を混ぜる時などに使う農具であった。


「これ貸してもらうよ?」

「ええけど、そんなもんどうするん?」

「鰹を焼くんや」


怜は踏鋤を片手に海へ向かった。綺麗に洗うためである。ゴシゴシと丹念に洗い上げた後は、その辺の大きめの石を円状に並べ、中央に藁の束を置く。


そこへ火打石を打ち鳴らした。散った火花は瞬く間に藁へ着火し、みるみるうちに燃え広がる。怜は踏鋤の上に鰹を並べ、山田にそれを持たせた。


「落とさんように焼いてな」


一メートルほどの火柱はバチバチと音を立てて登っている。山田は戸惑いながらも一歩ずつ前に歩み出て、踏鋤を火にかざした。怜は注意深く見ながらほんの数十秒、皮の全体に焦げ目が付いたところで声をかけた。


「山田君、もうええよ」

「え?もう?」

「炙るだけでええねん。これで皮下の寄生虫も消滅したやろ」

「寄生虫!?」

「あのな、寄生虫なんて鰹だけやないよ。どんな魚にも寄生虫がおる。消滅させたいなら熱するか凍らしたらええねん。特に刺身で食べたい時は、はらわたを全部取り除くことで予防出来ると思う。寄生虫ははらわたに棲息するって聞いたことあ…る……多分な……私もよう知らんけど……」


子どもらしくない発言に皆が驚いている。

それに気付いた怜は、我に返ってコホンと一つ咳をした。


「えーっと、ほんで鰹をスライス……やなくて、薄く切って、醤油に柑橘系の絞り汁を加えたタレを鰹に馴染ませてください。一枚ずつ軽く叩くようにして、…そうそう。全部おわったら葱と生姜をかけまーす」


鰹が見えないほど薬味をどっさり盛ったところで、皆に見えるよう皿を持ち上げた。


「これが怜特製鰹のたたきや。藁で焼いたから"藁焼き"でもええな。葱も生姜も魚の臭みを消す優秀な食材で殺菌作用もあるんよ。でも摂り過ぎたらあかんよ。お腹壊すからね」

「美味そうじゃ!」


一番先に手を出したのはやはり坂本である。ひょいと手掴みで一切れ取って口に放り込んだ。


「こりゃ美味い!おんしらも食え!」

「ほらみんな食べて!」


二人がそう言うと、皆が顔を見合わせ、おずおずとそれに手を伸ばす。そして口に含んだ瞬間、一様に顔を綻ばせた。


「ウマイ!全然臭くないぞ」

「あっさりしていくらでも食えるな!」

「誰か酒持ってこい、宴会じゃ!」

「こっちにも寄越せ!」


ワッと人だかりが出来たと思ったら、あっと言う間に消えていく皿の上。すっかりやり方を覚えた女性達は、怜の指示が無くても次々と調理を始め、いつの間にかそこは宴会場と化していく。それを楽しげに見ていた怜であったが、ふと思い立って幾つか鰹を乗せた皿を、少し離れた場所にいた役人へと運んだ。


「役人さんも食べてみて?新鮮で美味しいよ」

「しかしこれは……」

「ちゃんと焼いたの見たやろ?」

「た、確かに」

「ほら、騙されたと思て」


役人らは互いに譲り合いを始めたが、一人が意を決して一切れ口に放り込む。


「…………」

「どう?」

「ふ、む。……美味い!」

「良かったあ!」



小さな港から始まった”鰹のたたき”は、この日から土佐全土に広がりをみせ、数ヶ月後には土佐人の主食となったのである。(※諸説有)


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