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鍛冶屋町・だるま屋敷の蔵
「だるま先生!聞いて下さい!」
「如何したのじゃ」
「夫が…夫が愛人と別れて、ウチのとこに戻ってくれたんですうぅぅ!」
「さもありなん」
「これもひとえに先生のおかげですぅ!」
女は袱紗から二朱銀を取り出し、ズズッと前に押し出した。
「ほんの心ばかりですが、どうぞお受け取り下さい」
「かたじけない」
「また何かあれば…」
「いつでも参るがよい」
「あ…あ…ありがとうございますぅぅ!」
女は号泣しながら出ていった。
蔵の二階へ続く階段の影には、五人の男が神妙な顔付きで覗き見ている。
「アコギな商売じゃ…」
「そのうちりょうさんに天罰が下るんじゃないかと思うんです」
「さすが勝先生のご子息ですね……せ、先生っ…大丈夫ですか!?」
全員半目になりつつ見守る中、勝だけは笑い転げてのたうちまわっていた。
「しっかりして下さい!勝先生!」
「ヒヤハハハハハハヒィハハハハ!」
「先生大丈夫でっか…?」
「ヒィヒャハハ…ッ…!…ハハハハヒィ」
「いかんっちゃ!狂っちょる!山田そっち持つぜよ!屋敷に運ばにゃならん!」
「某も手伝います!」
「ほんなら陸奥君は扉を開…」
むろんそれらを見逃すりょうではない。
「りょ、りょう…」
「あんたら…」
「ま、待て!話せばわかるっちゃ!」
ピューと口笛を吹いたのを合図に、一斉に鳥達が坂本ら目掛けて突っ込む。慌てて蔵の勝手口から逃げ出す彼らに向けてりょうは一喝した。(ちなみに勝手口は元々無かったが、静の知り合いの大工に作ってもらった)
「二度と蔵に入らんといて!」
蔵はりょうの仕事場兼住処となっていた。屋敷にいると勝を訪ねて様々な客がやってくるので、なるべく蔵で顔を合わさないようにしているのだ。しかし一日中蔵に篭るなど精神的に滅入ってしまうと思い、仕事を始めたのである。
それから今に至るまで僅か十日ほどであったが、目論見は着実に成果を上げている。連日続く長蛇の列を目の当たりにした坂本らが、蔵に忍び込んでまで動向に注目するのもごく自然の成り行きだと言えよう。
「次の者」
りょうは身支度を整え、椅子に座った。
「失礼致しま…」
入室した男の息を飲む音がする。
初めてここへ来る者は皆同じ反応だ。
部屋一面を布で張り巡らせた黒を基調にした壁。よく見れば継ぎ接ぎだらけだが、それが一層の風情を醸し出している。床板も同じように様々な色が組み合わさったハギレを敷き、中央の木のテーブルの上には、紫の台座に乗せた大きな丸い石が置いてあった。更には今で言うところの観葉植物のような木が四方に置かれ、色とりどりの花が咲き乱れている。
平たく言えば"悪趣味"極まりない、不気味な異空間だと言っておく。
「座りなされ」
「は、はい!」
男はマジマジと前の人物を見つめた。
どこから見ても珍妙な生き物である。
目と口の部分だけ丸い穴が空き、継ぎ接ぎだらけの赤い布を全身にまとう。つまり完全なるだるまを表現しているようだが、正直かなり惜しい。
「…あなた様がだるま先生ですか…?」
「如何にも」
近頃開業した鍛冶屋町の"だるま占い"は、よく当たると評判であった。当初はこの町だけだったのが、いつしか周辺の町まで広がり、あっという間に京の半分にまで及んでいる。(全土まで拡大するのも時間の問題かと思われる)
兎角そのあまりに人気っぷりに、完全予約制になったのは言うまでもないが、その予約すらとるのも難しいほどであり、藤堂も五日前に十八時間並んで漸く取れたほどだった。
「その円の中に不届き物(お金)を置くのじゃ」
りょうは指先でテーブルを叩いた。
お金を不届き物というなら受けとらなければよいと思う。
「あ、はい!」
藤堂はハッと我に返って懐から一朱銀を取り出すと、言われた通りテーブルに書かれた円の中に置いた。
りょうは手袋をはめた両手で、一朱銀の上に赤い布を被せる。
「一、二、三!」
ヒュッと布を取ると、そこにはもう何も無かった。
「す、すげぇ…」
ドヤ顔のりょうであるが、単にこのテーブルに細工を施しているに過ぎない。お金を置くように指定した円の部分は、りょうの側にあるテーブルの側面の出っ張りを引っ張れは穴が空くような仕組みになっているのだ。
つまりただの似非マジシャンであった。
しかし年若い少年は感動に打ち震えていた。さもあろう。目の前でお金が消えたのだから。
「名は何と申す」
「と、藤堂平助と申します」
「……藤堂?」
りょうの瞳が瞬いた。
が、もちろん素知らぬふりで目の前の紙に名を記す。
そして丸い石に手をかざしながら、「アホーダラバカターレ」などと訳の分からぬ呪文を唱え始めた。
「ふむ……そなた、男ばかりの集団に属しておるな」
「わ、わかるのですか!!?」
「当たり前である。筋骨隆々の男が自らの筋肉を人々に見せつけ、祇園を闊歩する姿が見える」
「佐之さんだ!すげえ!!」
藤堂は一瞬で信じた。
「お…おぉ…なんと」
「な、何ですか!?」
「そなたの背後に禍々しい男の気が見える。なんだこの男は…見たこともない恐ろしい気じゃ」
「お、恐ろしい気…ですか?」
「まさしく此奴は悪霊の化身」
「悪霊!?そ、それは一体誰ですか!?」
「すらりとした長身で…」
「斎藤さんかな…」
「違う」
「えっ」
「端正な顔立ちであり…」
「土方さん?」
「違う」
「えっ…誰だろう」
藤堂は首を傾げた。
「"お"…の付く男である」
「"お"の付く人なんていたかな…あ、もしかして"おりん"ちゃんかも…」
「違う!……"おき"の付く男じゃ!」
「わかった!お菊ちゃんだ!」
「違う!!」
「ヒッ!」
苛々ゲージがMAXに差し掛かろうとしたが、何とか静めた。
「それより、そなたは何を占ってほしいのじゃ」
「あ!そ、そうだ!あ、あ、あの俺っ」
藤堂は顔を真っ赤に染め、俯いたまま口を開いた。
「好きな女がいるんです!!」
「ほう。恋占いとな」
「とても可愛らしい人で誰からも人気があって、優しくて、歌も踊りも完璧で……でも、俺、全然喋れなくて……」
藤堂はうな垂れた。
「どうやったら彼女と普通に話せるのかなって……」
これではただの恋愛相談である。
りょうは呆れながらも口を開いた。
「名は」
「えっ」
「その女人の名は何と申す」
「あ、はい!あの、島原の"紅花"太夫です!」
りょうは瞠目する。
と共に感慨に浸った。
「紅花か…」
「え!?知っているんですか!?」
「ワシに知らぬこと無し」と再び石に両手をかざすりょう。
「ミノーホドーシーラズ……カーオアラーテデナオセーーーーハイヤァアァァァ!!」
「ひっ!」
りょうの叫びに応じて、四方の木に止まっていた鳥達が藤堂目掛けて突っ込む。
「うわぁああぁ!」
思わず縮こまった藤堂だったが、攻撃されたわけではない。「面を上げよ」と声が聞こえて、そっと目を開けた先のテーブルの上に、椿の花をあしらった簪があった。
「それを持って紅花に会うがよい。自ずと道が開けよう」
◇◇◇◇◇◇◇
屯所
「占い師?」
「はい。鍛冶屋町のだるま占いに行っとったみたいです」
「ああ、聞いたことがあるな」
「特に若い娘らに人気みたいで、予約がないと見てもらえんとか」
「成る程。それで平助の奴…」
土方は苦笑した。
「そんなに当たるのか?」
「らしいですけど…」
「占いなんて当たるわけがないじゃないですかー」
ピシャリと襖が開き、沖田が入室した。
「総司…勝手に入ってくるな」
「全くお子様はこれだから」
「聞けよ」
沖田は鼻で笑った。
現実主義者の彼は、この手の類いは信用していない。いや占いだけではない。幽霊や予言、超能力といった様々な物事や現象において、全くと言っていいほど信じていなかった。
「でも、面白そうだから試しに行ってみようかな」
「お前は行かなくていい」
「なんで?」
「ろくなことがねえ」
「だってもし平助が変な奴に騙されたら」
心配の一つすらしていないくせに、ただ暇潰しにと目論む彼に土方が気付かないわけがない。
「別に悪いことをしているわけじゃあねえ。好きにさせてやれ」
話は終わり、という風に土方は立ち上がると、沖田の首根っこを掴んで廊下に引きずり出す。
「次、稽古サボったらタダじゃおかねえぞ」
「だって。山崎さん」
「……アンタや」
◇◇◇◇◇◇◇
鍛冶屋町・だるま蔵
「二十三両…」
「キョフ…」
「わかっとるわかっとる」
りょうは紐の付いた巾着に五両を入れた。
「これは鈴木君の取り分や」
「キョキョ」
ずっしりと重い巾着を鈴木氏の首にかけてやると、満足気に背筋を伸ばす。りょうはにこりと微笑んだ。
「家帰ったらお父ちゃんらの様子見といてな?」
「キョン」
鈴木氏はばさりと翼を広げ、瞬く間に明かり取りから飛び立つ。りょうはそれを見送って蔵を後にした。
鈴木氏は例の如く後藤家の庭木に貯金をしに行っている。ついでにご飯も頂き、ぼーちゃんと世間話をした後、蔵に戻るのが日課であった。
怜の死から数ヶ月。後藤家はしばらく明かりが消えたように悲しみに暮れていた。むろん今もまだ引きずっているが、形見であるぼーちゃんを差し向けてからは少しずつ落ち着きを取り戻してきている。また鈴木氏が立ち寄るようになってからは日増しに明るくなり、ずっと休業していた店も最近になって開けるようになった。
それを伝え聞いたりょうは安堵したものの、やはり善治郎やハツの身体が心配なので鈴木君に様子を見に行ってもらっているのだ。もちろんりょう自身今すぐでも飛んで行きたいが、今は我慢しなければ全てが台無しになってしまう。
それはともかくりょうの目まぐるしい努力の甲斐もあり、着実にお金は貯まってきていた。いつまでも勝に援助してもらうのも嫌なので、佐吉への送金分は自分で稼ごうと頑張っているのである。
「文がきちょるぞ」
「ん?」
りょうは坂本から手紙を分捕ると差出人を見て舌打ちをした。
「誰からじゃ」
「男」
「お、男?」
坂本を無視して屋敷内へ入ると、ちょうど山田が歩いて来た。
「あ、りょうさん。食事の用意が出来てますよ」
「うん。食べる」
りょうは部屋へ入ると早速封を切る。
中から上質そうな紙を取り出すとめんどくさそうにそれを見た。
"親愛なる怜へ
あの日の出来事がマルで昨日のヨウに思エルのは、きっと君も同じダろう。
元気にしているカイ?私は最悪ダヨ。
君と引き離されてカラ、日に日に想いが募り、余りの辛さに昨日ナンテ隣家の壁を黄色に変エテしまったくらいダヨ。
モウ我慢の限界ダ。
そこで、どうダロウ。
良かっタラ私の住むオランダに来ないカイ?モチロン旅費も全てコチラで工面する。
良い返事ヲ待ってイル。
Philipp.F.B.von.Siebold."
「糞ジジィ…」
手紙はシーボルトからだった。
りょうはグシャリと紙を握り潰す。何が悲しくてオランダに行かねばならんのだ!とブツクサ言いながら自分の席に座ると、目の前の膳を当たり前のように隣りの膳と取り替えた。
「お先に頂きまーす」
まだ誰も座っていなかった。
とはいえ、いつもこのような感じで、まともに食卓が揃うことはない。勝は二条城からまだ戻らないし、淀屋は仕事。陸奥は勝の用事で外出しているようだった。
炊きたてのお櫃の飯をペタペタとよそおっていると、顔を洗ってさっぱりした様子の坂本が入室する。どかりと隣りに腰掛けると自分の膳をジーっと見て、反対隣りの膳と取り替えた。
「これ。さっきの文か?」
坂本は無造作に捨てられた手紙を箸で指した。
「あー。しょーもない文やからいらん」
「ふーん」
坂本はそれを拾い上げると、皺を伸ばして目で追う。横文字のカタコト日本語を必死に解読していた。
「黄色の壁……おもろそうじゃのう」
「あー…蔵も色変えてみよかな」
「目立つき止めとけ」
「内装でもええな…」
言いかけて、ふと何かに気付いた。
「いや待てよ…」
動きを止めたりょうを坂本が覗き込むと、突然箸を置いて手を叩いた。
「あーそっか!これは良いアイデアや!」
「おん?」
「私ってホンマ天才や!」
「おまんまた良からぬことを」
「神さま!私を賢くしてくれてありがとう!」
「……」
りょうは急いで飯をかっ込むとさっさと部屋を出ていく。出会い頭に勝とすれ違ったが、声をかけられたことすら耳に入らなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
花屋町通を西へ向かうこと数分、嶋原大門がその姿を現した。屯所のある壬生からだと、歩いて約14、15分といったところである。
ずらりと建ち並ぶ置屋や揚屋、茶屋などは、大体四十軒近いだろうか。昼も夜も活気付いた町並みで、祇園とはまた違った雰囲気を醸し出している。
この界隈で最も格式高い置屋は"夭華楼"である。太夫三名、女郎十名、芸妓五名を抱えており、楼主夫婦、男衆、下僕を足せば総勢三十名以上の大所帯であった。
「あら、あのお人…」
ちょうど仕事が終わり、揚屋から出てきた芸妓の一人が藤堂に気付いた。
「また来てはるわ」
紅花はそっと顔を上げた。
本人は隠れているつもりだろうが半分以上隠し切れておらず、路地の隙間からジッとこちらを伺っている。
「紅花太夫、相手にしたらあかんよ」
「悪いお人には見えはらへんけど…」
「あーゆうのが一番厄介なんや」
「そうなん?」
クスクスと笑う紅花に正義感溢れる芸妓が睨む。藤堂は慌ててその身を引っ込めたが、その時キラリと光る何かが落ちた。
「太夫!?」
紅花は制止も聞かず藤堂に近付くと、彼が落としてしまった物を拾い上げる。とその時、見覚えのある簪に息を飲んだ。
「あ…」
落としたことに気付いた藤堂が、慌てて駆け寄る。
「す、すみませ」
「この簪をどちらで?」
「え…?」
藤堂は目をパチクリさせたまま止まった。ギュッと簪を握り締めて、上目遣いで見る紅花に藤堂の顔は耳まで真っ赤に染まっている。
「そ、それは」
「お侍はん…これ何処で手に入れはったの?」
紅花の瞳から涙が溢れていた。