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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
12/139

012



「それはそうと、その鰹はどうしたんだ?」

「知らん爺ちゃんに貰てん」


中岡の問いに怜はさっきの爺の話をみんなに聞かせた。坂本は腕を組んで「うーむ」と唸る。


「誰じゃろ」

「小さい頃から知っとる言うてたよ?」

「いっぱいおりすぎてわからんぜよ。近所の爺かもしれんな」

「饅頭屋の爺さんじゃないですか?坂本さんのこと息子みたいに思ってるし」


中岡の言葉に怜はポンッと手を叩いた。


「そうや。黒い帽子被っとったわ。変わった着物着て」

「変わった着物?」

「昔の着物みたいなやつや。平安時代くらいの裾が広がった、何て言うんやろ」

「やったら神社の宮司じゃな。」

「あー。そう言われたらそんな感じやけど」

「珍しいの。いつも作務衣(さむい)しか着んのに」

「地鎮祭でもあったんじゃないですか?」

「ふむ。そうかもしれん」


最終的にあの爺は近くの神社の宮司という結論に至った。近所でも評判の世話好きで大の子供好きらしい。確かに”子供好き”という感じだったが、怜は何となく違うような気がしていた。

それは本当に何となくであったが、この時代にそぐわない不思議な老人といった感じだろうか。


ちなみに貰った鰹はというと、やはり禁令を侵すことは出来ぬと権平が意見を変えない為、結局角煮へと様変わりしたのであった。



◇◇◇◇◇◇◇



大風は夜から本格的に激しさを増していった。大体いつも”のび◯”(目を閉じれば三秒)の怜であったが、さすがに外の音が気になって寝つけず、加えて締め切った部屋の暑さと湿度に辟易していた。そっと布団から這い出て、雨戸を少し開けると隙間からブォオォと風が突き抜け、横殴りの雨が顔を濡らす。耐えきれず戸を引いたが、何故か動かなかった。


「ふぎぃ!!なんで、閉まらへんのっ」


さっきは抵抗なくスッと開けることが出来たのに、叩いても蹴っても押してもビクともしない。状態から見てもそんなに古くはない雨戸なのに、どうしても閉めることが出来なかった。 仕方なく部屋へ戻る為振り返った怜であったが、顔を向けた瞬間身体が飛び跳ねた。


「じ、爺ちゃん!?」

「フォッフォッフォッ」


なんと反対側のふすまの前に宮司がちょこんと座っている。


「どしたん!?こんな夜中に!鬼嫁に追い出されたん!?」


(家宅侵入?いや、もしかして坂本家と”なあなあ”な関係なんやろか。それにしても部屋に入ってきたの全然わからんかった)


ただ昼間に会ったばかりということもあり、不思議と怖くはなかった。


「嵐で心配になったんじゃ」

「心配?誰を?」


そう言った途端、雨戸が大きな音を立てて閉まる。


「わっ!?さっきまでびくともせんかったのに」

「ワシがおるから大丈夫じゃ。お嬢ちゃんは早よ横になり」


宮司の表情は穏やかだった。


「爺ちゃんは帰らんでええの?家の人が心配するよ?」

「案ずるな。さあ寝なさい」


怜は宮司の言う通り布団へと横になった。と言うより、勝手に身体が動いたと言った方が正しい。急激な眠気に襲われ、こくりと頷くや否やスーッと夢の中に落ちていった。


「おやすみお嬢ちゃん」



◇◇◇◇◇◇◇



「怜、昼じゃ。起きろ」


ぱちくりと目を覚ました怜。

目の前の坂本に半眼になった。


「坂本君。一応私はレディなんや。もし着替え中やったら殺されても文句は言えんからね?」

「れでぃ、、、?」


怜はきちんと布団をたたみ、雨戸を開けた。やはりまだ雨風は強く、昼間だというのに垂れ込めた灰色の雲の所為で、空は薄暗い。


「あ、そう言えば夜にまた神社の宮司さんが来てくれたんよ」

「夜中に?」

「私が寝るまで傍におってくれてん」


坂本は眉間に皺を寄せて腕を組んだ。


「夜中においそれと他人の家に入るなんぞ由々しき事態じゃ。いくら宮司言うても」

「図図しさで言うたら坂本君も負けてないと思うよ?」

「おまんの中で俺はどんな立ち位置じゃ、、、」


坂本が頭を悩ませているうちに素早く着物に着替えていると、開けた襖からドタドタと誰かの足音が聞こえてきた。


「坂本さん!」

「なんじゃ忙しない」

「山田君廊下は走らない」

「そんな事言ってる場合じゃないんです!淀屋さんが船を出すと言って港に!」

「なんじゃと!?」

「沖に移動させると言って、、、」


台風や津波の時は沈没や転覆から船を守る為、敢えて沖合いの静かな場所に船を移動させるのはよくあることだ。岸壁や他の船との衝突を避ける為でもある。


しかしこの状況下、沖に出るまでに最悪な事態にもなりかねない。漁船などの小型船舶は岸に上げ縄で互いを結び合って固定し、流されないよう工夫しているが、岸壁に停泊させている大型商船は、太い木の係留柱に繋げているとはいえ不安定な海の上。

特に今日のような予想外の大嵐ともなると、淀屋が心配するのも無理ならぬことである。しかしだからと言って人命を第一に考えたら嵐が過ぎるのを待つしかないのだと、素人目にもわかることであった。


「家で待っちょれ」


同じように付いて行こうとする怜に坂本は言った。気にならないわけがない。あの船が無ければ別の船を探すのは必然で、それには時間と手間暇がかかる。遠くなる坂本達の姿を、ただ見ていた怜であったが、やはりジッとしていられなくなり、女中らが止めるのも聞かず後を追っていった。


「待ってー!」


バケツをひっくり返したような雨と、もはやどの方角から吹いているかわからない風の中を、必死で歩く一行。それを眼前に捉え、怜は叫んだ。


「何で来たんじゃ!家に戻れ!」


坂本や中岡、山田らの後を追う怜であったが、やはり大人と子どもでは足が違う為、少しずつ引き離されていく。けれども怜はびしょ濡れになりながらも必死で歩き、しばらくすると海が見えた。


不気味なほど黒い海は、波が高くうねりを上げ、槍のような豪雨が海面を叩いている。こんな荒れた海を見るのは初めてだった。呆然とそれに見入っていた怜であったが、遠くからの人の声に我に返る。そしてまた追いかけるように港へと足を進め、人だかりが出来た方に向かっていった。


「嵐の所為で舵がきかんのや」

「無謀じゃ!」

「なんとか船員だけでも助けられたらええんやけど」


数人の船員が船に乗り込んでおり、沖に出る準備をしていたという。やはり荒れ狂う海では思うように小回りも利かず、波に翻弄されるばかりで立往生しており、係留柱に繋いだ太縄が唯一の命綱であった。


「こりゃ嵐が静まらな助けることも出来んぜよ」

「いっそ縄を切った方がええんかもしれん」

「切った反動で転覆する可能性もあるき下手は出来ん」

「こんな波じゃ泳いで戻ることも無理や」


上下左右に揺れ動く船は、何とか転覆を免れてはいるものの高波が起こる度にマストが音を立てその恐怖心を煽る。あんな船に乗れば、怜など瞬く間に海へ落とされてしまうだろう。皆が頭を悩ませている横で怜は何も出来ず立ち尽くしていた。


「小舟の用意じゃ。風が弱なったら乗り込むぞ」


そのうち話がまとまったのか、坂本の一声で皆が準備に取り掛かる。地元漁師らも手伝って男達はバタバタと忙しく動き出した。


「坊主も来とったんか。飛ばされたらあかん。向こうで待っとき」


淀屋の言葉にこくりと頷いた怜は、言われた通りに古く軋む建物の中に移動した。そこには、漁師らの家族だろう女性や子どもが数人いて、心配そうに海を見つめている。自分がいたところで何が出来るわけではないというのは、怜もこの者達も同じであった。


「いつになったら止むんやろうね」

「こんな嵐初めてや」

「ウチら先にあっちに行っとくわね」

「気をつけてな」


小さな子どもを抱えた若い女性や老人が身を寄せ合って去っていく。古い家屋に住む者達は皆、自主的に寺や神社に避難しているようだった。


「怖くないん?」


怜が隣りを見ると、おそらく三つ四つ年上だと思われる女の子が話しかけてきた。


「怖くないよ。ただ何も出来んから悔しいだけや」

「ふうん。さすが男の子じゃねえ」

「自分は避難せんでええの?」

「お父ちゃん待っちょるんよ。ほらあそこ」


女の子の指差す方は坂本らとは反対の漁師らの小舟が集結する場所で、十数人の男達が雨風にさらされながら作業する姿が見えた。


「お母ちゃんは?」

「おらん」


少女は父子家庭らしい。家は近くだがこの嵐の所為で家屋が半壊に近い状態になり、一人そこで待つわけにも行かず、父親に付いて来たと話した。


「臭いなぁ」

「そう?」


雨漏りのする建物内は魚の腐臭と潮の匂いで充満している。慣れない怜には不快でしかなかった。しばらく丸太の上に並んで座っていた怜であったが、カチカチと少女が鳴らす手元を見て声をかけた。


「それなに?」

「これ?」


少女は手のひらを広げた。それは円形で八センチほどの大きさの貝だった。平滑(へいかつ)で光沢があり,くすんだ紫やピンクを背景に白い稜角(りょうかく)と放射彩が走っている何とも美しい二枚貝だ。


「これは”忘れ貝”っていうんよ」



(忘れ貝か、、、どっかで聞いたことがあるような無いような)


「何で嵐が来るか知っちょる?」


少女は唐突に言った。


「季節外れの嵐は、神様が大事な物を探しちょるんよ」

「大事な物?」

「だから海が荒れるん。お父ちゃんが言うとった」


そんな迷信など聞いたこともなかったが、怜は「なるほど」と頷いた。「大事な物が見つかったら、この嵐も治るのになぁ」


怜がそう言うと、少女はほっとした顔をした。


「ウチの話信じてくれるんやね」


信じるも何もこの手の迷信や伝承は、どこの地方にもあるのだ。真実かそうでないかは、何の意味も持たない。怜はその上で言葉を発したのだが、少女は嬉しそうに目を輝かせた。


「これあげる」

「え?」


押し付けられた忘れ貝は、カチリと音がして怜の手のひらに転がった。怜はしばしそれを見てふいに顔を上げる。


「あげるって、、そやけど」


少女はにこりと笑い、すっと立ち上がる。ちょうど建物の入り口に一人の男が現れた。


「お父ちゃん!」

「すまん。待たせたの」


少女が男に飛び付くと、父親は愛おしげに頭を撫で、そして娘を守るように肩を抱き寄せ去って行く。怜はその後を追って外へ出た。


「待って!」


怜は二人の前に回って貝を前に突き出した。男は何のことだと言わんばかりに怪訝そうな目で怜を見つめ、少女は不思議そうに首を傾げた。


「こんな大事な物貰われへんわ。だから返す」


男は少女を見て言った。


「お前があげたんか?」

「ううん。知らん」


怜は呆気にとられた。


「知らんって、、、今くれたやん」

「坊主、誰かと間違えちょるん違うか?」

「いやだってさっき」

「うち知らん。お父ちゃん早く行こ」

「そうじゃな。ほら坊主も危ないき、早よ安全なとこに避難しいや」


(なんなん!?意味わからん!)


「ちょっと待って!」

「きゃっ!?」

「おい坊主!しつこいぞ!」


ドンと肩を押されて怜は尻餅をついた。まさに狐につままれた気分である。しかし少女が嘘を吐いているようには見えなかった。本当にわけがわからぬといった表情で、むしろ嫌な奴でも見る目付きであった。怜は親子の後ろ姿を見送りながら、混乱する頭の中を整理した。


(どういう事!?さっきまで普通に喋っとったのにあの変わり様、二重人格か?それとも何かに取り憑かれとったとか?わけわからん!)


と、不意に身体が宙に浮いた。


「怜、どがいしたんじゃ」

「坂本君、、、」

「こけたんか?」

「ううん大丈夫。タヌキに化かされただけや」


坂本はフッと笑い、怜を地面に降ろした。


「おんしは一旦家に戻れ。役人らも集まってきちょるけ邪魔になる」

「、、、、、」

「山田、怜を頼むぜよ」

「わかりました」


山田の後ろに続いて、仕方なく歩き出す怜。離れ難い気持ちは山々だったが、坂本の言う通り、子どもがこんな場所にいても邪魔以外の何物でもないのだ。


「それ、何ですか?」


山田は怜の手のひらを見ながら言った。


「忘れ貝や」

「へえ。綺麗ですね」

「知っとるん?」

「知ってますよ。見たのは初めてですけど。……”寄する波、うちも寄せなむ、我が恋ふる、人忘れ貝、下りて拾わん”」


怜は何かを思い出しかけた。


「それ、、」


(何やったっけ?どこかで聞いた気がする)


「土佐日記ですよ」

「、、、あ!」


紀貫之が綴ったあの有名な日記文学である。

国司として土佐に赴任していた紀貫之がその任期を終え、京へ帰る五十五日間を綴ったものだ。内容は土佐で亡くなった娘を思う心情が中心で、五十首以上の様々な和歌が含まれていている。山田が詠んだのは、その中の一首であった。


「そうや、そう言えば古典の授業で習ったわ」

「え?怜さん、寺子屋に行ってたんですか?そんなに小さいのに」


怜は山田の声を無視した。


「我が恋ふるって娘のことやったよね?」

「そうですね。悲しい歌です」


何かがぴたりと当てはまった。三者から見れば途方も無い夢物語ではあるが、思い返せば様々な物事が符合する。


(あの爺ちゃん、不思議な少女、忘れ貝、、、そして……)


「そうか、何で気付かんかったんやろ……」

「え?」

「山田君!私用事思い出したわ!先帰っといて!」


怜は元来た道を引き返し、全速力で走り出した。


「えええ!?ちょっと待って下さい!!坂本さん!捕まえて!」


(この嵐はあの爺ちゃんの仕業や。どこにおるんやろ、早よ見つけな!)


「怜!どこ行くんじゃ!」


捕らえようとする坂本の腕をすり抜け、役人の横を通り過ぎ、怜は見晴らしの良い岩場へと向かう。必ずこの辺りのどこかにいるという確信があった。




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