表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
119/139

114




「まずいことが起こっておるのか?」


小笠原が不安そうに聞いた。

りょうは「いえ」と否定したものの、見る限り顔色が冴えない。ぶつぶつと独り言を言いながら、指折り何かを数え始めた。


しばらくすると表が騒がしくなり、複数の足音が近付く。小笠原はその場で立ち上がると、扉へと視線をやった。


『お待たせ致しました』


先頭にニールを従え、ヘボン医師と思われる白髪の老人と女性が一人入ってくる。りょうは立ち上がるとテトテトと医師の前に行き、手を差し出した。


『ようこそ。英吉利公使館へ』


にっこりと笑顔で話しかけると、ヘボン医師は一瞬驚きに目を瞬かせるも握手に応じる。無論ニールや他の英吉利人は半眼である。「お前の公使館じゃないだろ」という目だった。


『なかなかしっかりした子供ですな』

『しっかり者で賢いのが取り柄にございまする』

『そ、そうなのかね』

『私は幕府代理の勝りょうと申しまする』

『私はジェームス・カーティス・ヘップバーンだ』


ちなみにヘボンという呼び名は日本人がそのように聞こえたから勝手にそう呼んでいるだけであり、実際はヘップバーンである。(以下ヘボン)


『こちらは私の妻だ』

『クララと申します。よろしくね』


上品そうな夫妻だった。


『妻もまたその場に居合わせた内の一人だ』

『さすがヘボン医師の奥様にござる』


二人はりょうの応対に目を合わせるもニールに促され、対面の椅子に腰掛ける。りょうも自分の席に座ると、早速口を開いた。


『この度は急なお呼び出し痛み入りまする。早速ではござるが、被害者の容態は如何でござろう』


ヘボン医師は黒い革の鞄から数枚重ねた紙を取り出し、テーブルに置いた。


『そちらが三名の診断書だ』


診断書にはリチャードソンに対し、左肩と左脇腹に二箇所の損傷。及び右手首の切断により出血多量にて死亡と記され、クラークは左肩損傷、マーシャルは左腕と太腿の損傷など細かに記述されていた。


『ウィリアム・マーシャルが怪我をしていたでござるか?』

『深い傷ではないが』

『クラークも、でござるか?』

『こちらは軽傷ですね』

『ほう…』


あの事件の記憶をりょうはつぶさに覚えている。確かにリチャードソンは斬られていた。最初に左脇腹を斬り上げられ、立て続けに左肩を斬り付けられた。


とはいえりょうが薩摩藩とリチャードソンの接触を見たのはそれだけで、その後は小栗に助け出されてしまった為、どうなったのかはわからない。


ただ次に目を開けた時、リチャードソンが亡くなったのを知って、やはり運命は変えられないのだと悟った。


そしてクラークも斬られてはいたが、逃げる際の動きはそれほど深い傷を負っているようには見えなかったので、ヘボン医師の見立ては誤りではない。しかしマーシャルに関しては知る限り一太刀も浴びていないはず。だとしたらその後、逃げた彼に薩摩藩らが追い付き、刀か拳かを突き付けたということだろうか。だとしたら、乗馬に優れた英吉利人に追い付けるほど馬の使い手が薩摩藩にいるということになる。


「あの田舎者らの中に…?………あり得ないでござる。薩摩藩の中に馬の名手などいたら世も末でござるよ」


薩摩藩の者が近くにいたら、確実にボコボコにされるだろう独り言を呟いて、ケラケラと笑い出した。


『納得したかね?』

『まあ色々と不審な点はありまするが、一先ずそれは横に置いておきまする』

『不審な点?』


ヘボン医師は怪訝な顔を向けた。


『因みに、銃などの痕跡は無かったのでござろうか?』

『銃痕は無い』

『それは不幸中の幸いにござる』


りょうは態とらしく咳払いをした。


『ところで代理公使殿』


向き直ったりょうにニールは余裕のある表情でテーブルに両肘を付く。


『なにかな?』

『我が徳川幕府の絶対的支配化の下に、不幸にもこのような嘆かわしい事件が起きたことに遺憾の意を表明致しまする』


りょうは頭を下げて、一秒もしない内に前を見た。


『貴国との間において、これより賠償協議を進めるにあたり、先ずはそちらの決議案に対する返答書を読み上げたいでございまする』


この時彼らは、いそいそとりょうが取り出した書簡を見て、それが英吉利が求めていた公式謝罪要求に対する謝罪文書だと思った。


『1862年9月14日。生麦村にて薩摩藩大名行列においてーーーーーー』


抑揚なく読み進めるりょうに、皆が皆聞き入った。


『かの生麦村での死亡者、及び負傷者に対する謝罪と賠償金10万ポンドを………』



りょうは真っ直ぐとニールを見据えた。



『貴国に要求致しまする』



◇◇◇◇◇◇◇



謝罪と賠償金10万ポンドを要求する。



公使館は静寂に包まれた。

小笠原はその様子に右仲を見る。

彼らはニールとりょうの間にどのような話がされているかわからなかった。しかしその雰囲気を見れば、りょうが「とんでも発言」をしているくらいは想像出来る。


「おぬし……今何を言った?」


小笠原が小声で聞くと、りょうはニッと白い歯を見せた。


「謝罪と賠償金を要求したでござる」


当たり前のように言うものだから、小笠原もつられてヨシヨシとばかりに頷く。


「そうか。ならば良い……え!??」


しかし、直ぐに言葉の意味に気付いた。


「おい右仲!今この小僧はなんと言った?謝罪と賠償金を要求、と言ったか?」

「は、はい。そのように聞こえました」

「まさか!あり得ない!気でも触れたか!」

「落ち着かれませ!若様!」

「おぬし!自分が今の何と申したかわかっておるのか!!」


取り乱しつつも、周りに聞こえない程度の声で抗議するが、りょうは小笠原の眼前に手を広げて制した。


「お静かに」

「!」

「覚えておくでござる。国と国の交渉は、総じてこういうもの。一方的に相手の要求を受け入れるのは愚の骨頂でござる」


重要なのはいかにこちらの主張を飲ませるかということである。それは勝ち負けという意味では無く、互いに建設的に解決を図らなければならない。ただりょうの場合、勝つことしか考えていないが。


りょうは再びニールを見る。


『聞こえたでござろうか?我が徳川幕府は貴国に対し謝罪と賠償金10万ポンドを要求致しまする』


古ぼけた時計の針が、コトリと動いた。


『…なに?」


りょうの発言は理解の範囲を超えていた。まさかこの期に及んで、振り出しどころか全て覆されるなど微塵にも思わなかったのである。だが、もしこれがオールコックでならば、もう少しまともな反応を見せたに違いない。



『そのような不思議な顔をされておりまするが、こちらのほうが驚きでござる。何ゆえ、自分らの主張ばかり押し付けるのか。それが当然と貴国はお思いか?』


ただりょうにしてみれば、彼の想像力は欠如しているとしか思えなかった。


『まさかこの世界全ての国は、貴国の主張を何もかも受諾しなければならぬ法でもあるのでござろうか?あるのであれば、愚鈍なそれがしめにご教示頂きたい』

『わ、我々はそのような話をしているのではない』

『ならば、話を進めましょうぞ』


りょうは刻印の入った決議書にザッと目を通し、テーブルをトントンと指で叩いた。


『先ず、そちらの被害状況だけが考慮されておりまするが、こちらも子供が一名死亡しておる事実を知らぬ筈がございますまい』


当然ながら"小栗怜"という少女が死亡した件について、英吉利側は熟知している。だが、それを踏まえて幕府に要求したのは、少女の死亡に英吉利側の落ち度がないと考えているからである。


『その件はお悔み申し上げるが、それについては薩摩藩とそちらの問題であって、我々に要求するのは筋違いというものではないか?』


ニールはいつもの調子を取り戻した。


『つまり国内問題である。いくらなんでも我が国に責任を押し付けるなど、新手の海賊でもそのようなことはしませんぞ』


小さな子供にというよりは、幕府そのものに対する含みのある言い方である。彼らにとって日本人という野蛮な民族は、それ故に考えそのものが野蛮であり、自分達の足元にも及ばぬ極めて知性の欠いた国民性としか思えなかった。


『これだから黄色人種は…』


英吉利人は目配せしつつ失笑し、やれやれと肩を竦めて見せる。ニールは気分が良くなって、子供をあやすようにニコニコと笑顔を見せて言った。


『そうか。そういうことか』

『どういうことです?』


ヘボン医師が首を傾げる。


『幕府がこのような子供を遣わせたのは、"子供相手なら、英吉利人も少しは融通をきかせてくれる"と思ったのですよ』

『いやまさか』

『貴国では外交に子供など使いますか?』


ヘボン医師は沈黙のまま首を振る。

亜米利加は人種差別はあっても女性子供に対する差別は無い。だからといって子供が政事に関わるなど、どんな国でもあり得ないことである。例えば、大統領制である亜米利加は子供を使って人気を集める手法はあるが、外交問題に代表者として使うなど考えにも及ばないだろう。


だがヘボン医師は"勝りょう"という丸々と太った子供に、底知れぬ非凡さを感じ取っていた。それは以前ヒュースケン賠償問題に関わったとされる、頭の切れる小姓がいた話である。


たった六つの子供が亜米利加総領事と対峙したという噂は、居留地に住む亜米利加人にとって知らぬ者はなかった。


(まさかこの子供はその時の小姓ではないか……?)


ふとそんな考えがよぎったヘボン医師は、目を閉じて考えた。


ヒュースケン賠償問題は、本国では日本側が支払いに応じたという形で熟知されている。だがそれがデタラメであることを居留地の者だけは知っているのだ。ハリスはあれからしばらく寝込み、その診察を行なったのは何を隠そうヘボン医師であった。彼は精神を患い、回復するのに時間がかかった。あの気丈な男がそこまで病んでしまうなんて、それほどまでに追い詰めた小姓に少なからず興味が湧いたのも事実である。


確か六つの子供で、名は"後藤怜"と聞いた。ということは目の前の子供"勝りょう"はその小姓ではないということになるが……


見たこともない後藤怜を想像して、何故か重なってしまう奇妙な感覚。



その時、子供の含み笑いが聞こえた。


『何を笑っている…』


反応したのはニールである。

やり込めた感満載の彼から笑みが消えた。


『少女が何故撃たれたか、貴殿は知っておられるでござるか?』

『薩摩藩の流れ弾に当たったと報告を受けているが』

『おお…どうすれば撃ってもいない流れ弾に当たるというのか』

『なに?』

『根本が間違っておりまする』


りょうは居並ぶ面々をじろりと見た。


『少女は……リチャードソンに殺害されたのでござる』








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ