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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
117/139

112


久しぶりに見た久坂は、以前と違って少しばかり変わっていた。眼光鋭く、顔色も少々悪い。


威圧感たっぷりのオーラを放出しながら一歩前に進んだ彼に対し、店主は真っ青になってあと後退る。更には、帯をりょうに押し付けて風のような速さで店内へと逃げ込むと、暖簾をしまい込んで「臨時休業」の紙を貼り厳重に鍵を閉めた。


「さすが長州の久坂様や。一発で蹴散らしおった」


ヒソヒソとそんな声が聞こえて、家茂が固まった。


久坂玄瑞という名は幕府内では有名である。穏健派公卿である鷹司関白に脅しをかけ、攘夷決行の期限など様々な策を進言し圧力を加えている。特にこの久坂は長州藩の中心人物であり、「受け入れなければ、ここで切腹致す!」と自分の命をかける始末で、騒動に恐れた天皇が言いなりになっているというのが現状であった。むろん彼らにしてみれば、将軍上洛によって公武合体派勢力が大きくなるのを防ぐ為の手段であり、上洛したあかつきには「攘夷決行しかない」という状況を作っておきたい狙いがあった。


「大丈夫か?」


どちらにせよ、ある種の天敵とも言える相手が目の前にいる。もしも自分が徳川家茂だと知ったら、この男はどうするだろう。


家茂は底知れぬ恐怖を感じた。


「そんなに怖かったのか」


顔色の悪い家茂を見て、久坂は直ぐそばの女に声をかけた。


「茶を持ってきてやりなさい」

「はい!」

「い、いえ…御構い無く…」


何とか声を振り絞り、早々に退散しようとりょうへと振り返る。


そして愕然とした。


「りょ、…!!?」


りょうはめいいっぱい目を見開き、口を窄めて蛸のような顔をしていた。


「ど、どうしたのだ…りょう」

「何かおかしなことでもあるっぺか?」


りょうはさらりと言い放った。


ある。大いにある。

何故平然とそんな顔をしているのだ。しかも話し方まで全く違う。


家茂は言葉を失った。


「助けてくれてありがとだっぺ。けんどウチとねいちゃんは急いでるっぺ」

「いやしかし」

「しつこい男は嫌われるっぺ」


謎の方言を使いながら、りょうは家茂の袖を引く。


(これは……わざとだ)


顔をわざと変えるということは、面識があるということである。(と言っても低次元過ぎて失笑ものだが)


家茂はりょうの警戒を察した。


「お助けいただき感謝致しまする。それでは失礼」

「あ…」


二人は同時に踵を返し、一目散に退散したのだった。




◇◇◇◇◇◇◇




二条城



「小姓の身でありながら、上様を振り回すとは何事か!」


りょうは慶喜、春嶽、容保、老中らに囲まれていた。


「申し訳ございませぬ」


久坂から逃げた後、蕎麦屋に行ったところを勝に見つかったのである。実は勝も家茂捜索に加わっていたわけだが、早々にサボって一人で蕎麦を食べに来ていたのだ。勝は家茂の女装に至く感心し、自分も女装がしてみたいとのたまったがりょうはきっぱりと断った。


その後は二条城近くのあばら家であらかじめ持ち出しておいた着物に着替え、堂々と帰着したのだが……



「何事もなかったから良かったものの…」


絶賛説教中である。


「御命にかかわるようなことがあれば、其方の命だけでは到底済まぬぞ!」


容保が声を荒げた。


「このような遅くまで市中を彷徨くなど正気の沙汰とは思えぬ!闇夜の京がどれほど恐ろしいか!」


りょうは内心ほくそ笑んだ。


「申し訳ございませぬ。仰る通り、夜の京はその住人さえも恐怖で震え上がるほどにございまする」

「そ、そう…!…なのか?」

「特に黒谷辺り一帯は"物の怪町"と言われるほど、魑魅魍魎の類いで溢れているそうにございまする」

「なっ!??それはまことか!?」


そんなことは今も昔も未来も言われたことはない。


「肥後守殿、落ち着かれよ」

「こ、これから本陣に帰らねばならぬというのに……よりにもよって黒谷……うぅ……」


容保の現在の仮宿は黒谷にある金戒光明寺である。


「心中察しまする。背後には気を付けられませ」

「背後ォォ!?」


容保は後ろを振り返い、何もない空間を手で振り払う。


「誰ぞある!肥後守殿の家臣を呼んで参れ!」

「殿ォォオ!お気を確かにィイ!」


平馬に抱えられて容保は退座した。

興を削がれた幕閣は乾いた笑みをこぼしたが、慶喜の咳払いで再び姿勢を正した。


「兎にも角にも、其方にはそれ相当の罰を…」


そこへ家茂がやって来た。


「もうやめよ」


止める小姓らを振り解いて入室し、立ったまま口を開いた。


「予が案内を頼んだのだ」

「恐れながら上様」


慶喜が遮った。


「上様はこの者に目をかけ過ぎにございます。近侍が沢山いる中、一人のみに心を寄せるなど、周囲に何と思われるか。……真の統治者とは、皆に平等でなければならぬのです」

「……」

「いくら上様の御命令であっても、止められなかったのはこの者の落ち度となりまする」

「だが、予は無事に帰ってきたではないか」

「それが不問の理由にはなりえぬのです。この者には相当の罰を与えねば示しがつかぬでしょう」

「りょうに罰を与えるなど許さぬぞ」

「ならば上様は御自分の行動に責任を持つべきにございまする。皆がどれほどに心配したか」

「……」


家茂は返す言葉も無く、立ち竦んだ。


「上様の御心一つで尊い命が奪われることもあるのですぞ」



上に立つ者は皆そうである。

それが統治者の宿命だと、慶喜はそう示唆していた。


「上様を寝所へ」

「御意」


そうして"将軍"という人形を作っていくのだとりょうは思った。人々は皆、その高い身分を羨むが、何が羨ましいというのだろう。私利私欲には程遠く、意見も意思も悉く粉砕され、ただ"生かされている"だけの状態だというのに。


「勝」

「は」

「この者の処分については明日をもって沙汰を申し付ける」

「承知致しました」


深々と頭を下げた勝に対し、りょうは半眼で睨み付けた。本来ならそれだけで不興を買いそうだが、敢えて慶喜が何も言わなかったのは、家茂をこれ以上刺激させない為だろうか。それともーーーーーー



◇◇◇◇◇◇◇



りょうがその真意に気付くのは、数日後のことであっ

た。


「お前がりょうか」

「は。勝りょうにございまする」


小笠原は眉間に皺を寄せた。

なんだこの丸狸は、という目である。


「海に落ちぬよう気を付けよ」

「ご心配痛み入りまする」


一行は船で江戸へと向かっている。


慶喜はりょうに対し、生麦事件賠償協議の通詞として小笠原に同行するよう申し付けた。家茂に悪影響を及ぼすという理由で接近禁止令の沙汰が下っていたりょうだったが、家茂がそれを解除しよう躍起になっているのをみて、接触を避ける為に下した案である。


勝は阻止しようと何度か試みたものの覆すことは出来ず、最終的には同意した。いや、或いはこの件に尤も適しているのがりょうであると思い直したのかもしれない。


「協議でございまするか?」

「ああ。生麦村のアレさ」


勝は生暖かい目でりょうを見つめた。


「全くお前さんときたら」

「上様も羽を伸ばしたいお年頃なのでございまする」

「何故相談しないんだ」

「上様のご命令でございまする」

「それなら誰かお供を付けて」

「この京の三分の二はそれがしめの縄張り。下手に人数を伴うより二人の方が安全なのでございまするよハッハー」


勝は軽く溜め息を吐いたものの、従来の豪放磊落(ごうほうらいらく)さで話を切り替えた。


「ともかく、命令とあればやむを得ん」

「如何すればよろしいので?」


勝はニヤリと笑みを浮かべた。


「俺は負け戦はしねえ主義だ」

「と、いうことは」

「何が何でも勝ちとれ」

「御意にございまする」


りょうは勝との会話を思い返しながら、小笠原を憐みの目で見つめた。



「小笠原様は、なかなかに見所のあるお方ですなぁ」

「……何が言いたい」


41歳の目上に対する言葉としては、どう見ても不適切だろう。小笠原はあからさまに不機嫌に眉を顰めた。


「噛ませ犬だと知っていて敵地へ赴くなど武士の鑑というべきか。どちらにせよ、それがしめには真似出来ませぬ」

「…おぬし」


わかっていたのか、という表情でりょうを見た。


「しかしお前のような年端も行かぬ小僧が通詞とは...」



小笠原は溜め息を溢した。


様々な難題が一気に押し寄せている幕府。

特に首脳陣らの間で更にその関係が悪化していた。


政事総裁職である松平春嶽が辞任したのである。


彼は攘夷問題に対し、するつもりもない攘夷決行を約束し、大政委任すら中途半端で見通しも立たない慶喜及び幕閣の対応に憤りを感じていた。


徳川幕府の延命ばかりに気を取られ、将軍辞任、政権返上すら躊躇う彼らを見放したのだ。無論それについては春嶽だけではなく、薩摩藩や土佐藩、伊予宇和島藩も同じ思いだっただろう。彼らは皆同じ公武合体派であり、その為に改革を起こし協調路線を進めてきたのだから。


そうして最終的に、公武合体派はここで分裂したと言っても過言ではなかった。ただ後でそれを伝え聞いたりょうにしてみれば、「春嶽め!上手い具合に戦線離脱しやがったな!」という謎の評価が下っただけである。


どちらにせよ、実質的に慶喜は最高責任者となった。りょうを生かすも殺すも彼次第といったところである。


広間に呼ばれた小笠原の前には、慶喜、水野、板倉がいた。


「横浜に赴き、英吉利との交渉にあたるように。我が徳川幕府は、主上より攘夷決行の勅令を受けている。如何に脅しをかけられようとも、賠償金など払うつもりもない。そのように申し渡せ」


淡々と告げられた言葉に、小笠原の顔が強張った。


「本気でございますか…?」

「無論だ。攘夷決行日も定まっている」

「そ、それでは横浜は…江戸は…火の海に…」

「水戸藩を筆頭に諸藩との連携を図り、防衛対策に怠りはない」


それが単なる数十分ほどの時間稼ぎでしかないことを、慶喜が知らぬはずはなかった。


「通詞は勝の息子が請負う」


話は終わった、とばかりに慶喜が立ち上がる。小笠原は「お待ちを!」と無礼を承知で声を荒げた。


「否やは言わせぬ。既に決まったことだ。これ以上何か申すならば、"手討ち"に致すぞ」

「!」


冷ややかな目の慶喜と、真っ青な小笠原の間に、しばらく沈黙が訪れた。互いの眼光が合わさり、目に見えない何かを策すような重々しい空気を纏っている。やがて息を吐いたのは小笠原だった。


「……仰せのままに」


その声は諦めと焦燥感が入り混じっていた。



彼は慶喜が切り捨てにかかったと見た。何故なら彼こそ「開国派」であり、攘夷など望んではいないのだ。しかし現実には攘夷決行日すら明言化してしまっている。故にそれを覆すことは無理と見て一計を投じたと。


目的はいかに自分が責任を回避して、各国を抑えるかに過ぎない。その白羽の矢を立てられたのが小笠原だったのだろう。




「それで、一体どうなさるおつもりで?」


りょうはちらりと小笠原を見た。


「……支払うしかなかろう」

「江戸を守る為に、この国を守る為に、しいては幕府を守る為に、でございまするな?」

「彼奴らを甘く見ていると痛い目を見る。拙者一人の命で済むというなら甘んじて受けるつもりだ」

「おお…なんと気高い御心か」

「馬鹿にしておるな?」


小笠原はじろりとりょうを睨み付けて、不敵な笑みを浮かべた。


「おぬしとてただでは済まんぞ。刑部卿様がおぬしを通詞に付けたのは、何故だと思うのだ?」


りょうはハッと目を見開いた。


「あの男…」


慶喜はつくづく食えぬ奴らしい。

責任は小笠原だけでなく、りょうにも取らせるつもりなのだ。


賠償金を払えば、攘夷派は黙ってはいない。ここぞとばかりに幕府を責めたてるだろう。しかし慶喜は「家臣が命令を無視して勝手に賠償金を支払った」と責任転嫁すれば回避出来る。


となれば事の重大性から、小笠原だけでなく付随した者まで詮議にかけられるのは必然的である。下手したら長州や水戸に命を狙われることもあり得なくはないではないか。



「小姓一人の命など安いということでござるか…」



りょうはぎりりと奥歯を噛み締めたのだった。




◇◇◇◇◇◇◇



小栗家


「キョキョ」

「どうしたんだい?」

「キョキョキョキョ」

「そうか…わかった」


小栗はフッと笑みをこぼした。


ふわりと飛んだ夜鷹は、箪笥の引き出しを開けて風呂敷を掴む。そして庭先の桜の木をくるりと一周し、「キョオォ」と挨拶をして青い彼方へ消えていった。


「全く…」


あの夜鷹にしてはよく我慢したものだと思う。あの事件から、ずっとこの地に留まったのも怜を生かす為だった。


不本意だったろうが、顔が知られているのは怜だけではなく夜鷹も同じなのだ。長州や薩摩に知られては計画は台無しになってしまう。東郷には申し訳ないことをしてしまったが、効果は抜群だったといえるだろう。


「しかし、あの鳥は一体何を持っていったんだ?」


小栗は開けたままの引き出しを覗き込んだ。確かここには大事な物が入っていた気がする。



「あああああああ!!!」

「どうなすったの、あなた!」

「旦那様!?」



あの銃が消えていた。




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