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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
116/139

111




箝口令を敷かれた二条城は、不気味な静けさであった。



「私が兵を引き連れ、捜索に…」

「ならぬ。越前守が動けば、重大事だと気付かれてしまう。特に長州の者にこの件を気取られてはならぬ」


皆自然と小声になり、これからのことを協議している。



そんな矢先、老中格の小笠原が慌てた様子で広間に来た。


「江戸より早馬にございまする。上様に御目通りをと」


水野が舌打ちする。


「直ぐに参る。今しばらく待たせておけ」


しかしこんな時に限って不幸は続くもので、更に追い討ちをかけるように御所より使者がやって来た。


「朝廷の使者を待たすわけにはいくまい。ここは私が将軍代理としてお話を伺ってこよう」


慶喜は続けた。


「早馬の件は後で報告を聞く」

「では上様の件は…」

「今、上様が所在不明と外に漏れてしまえば、京は騒然となる。上様は御病気としてやり過ごすとしよう」


慶喜は「勝」と呼ぶと、「心得ました」と言わんばかりに勝が頷く。


「肥後守の協力を得て、市中を隈なく探し出せ」

「承知致しました」




◇◇◇◇◇◇◇




「お嬢さん」


声をかけてきたのは、針金のような短髪の青年だった。日焼けした肌に鍛え上げられた肉体、身長は家茂より頭一個分高い。


「俺と茶屋でも行かねえかい?」

「え…」


家茂は一歩後ずさる。

りょうはじーっと見つめた。


「俺の名は原田左之助。彼女はいねえ」

「いない歴は?」

「22年!」


原田はきっぱり言い切って、何故かポージングを開始した。


フロント・ダブル・バイセップスからのサイドチェスト。更にバック・ダブル・バイセップスからのバック・ラット・スプレッド。最後はモスト・マスキュラーで締め括った。


訳・正面より両腕(上腕二頭筋)の力こぶを見せた後、横向きになって胸筋を強調。更に後ろ向きになって背中の筋肉を見せつけた後、その広さをアピール。最後は両腕を前に拳を握り締め「俺は最強なのだ!」というポーズでフィニッシュ。



「葉月様。参りましょう」(※家茂の偽名)

「よ、良いのか?」

「コレは阿保でございまする」

「えっ」


二人は青年を無視して通り過ぎた。



「待て待て待て!」


原田は二人を追い越した。


「一刻!…いや半刻でいい!」

「ムキムキマッチョはお呼びでないでござる」

「ホーホー」


片肌脱いだ着物を、慌てて着直した原田は、家茂の前に跪いた。


「愛しい人よ。どうかその美しい瞳に俺を映してくれ!」

「葉月様に汚れた顔を見せるのは死刑に値するでございまする」

「ホーホー」


原田は急いで手拭いを取り出すと、ゴシゴシと顔を拭いた。


「ああ!俺の女神様!どうか哀れな独身男に、ひと時の夢を!」

「ドン引きでござる」

「ホーホー」


必死過ぎる原田の姿に、家茂もドン引きだった。「男とはこういうものなのか?」と疑問すら生じる。


「葉月様、参りましょう。時間の無駄にございまする」

「ホーホー」

「待って!待ってくれ!」

「しつこい男は嫌われるでござる」

「ホーホー」

「頼む!一生のお願いだ!」

「おとといきやがれ、でござる」

「ホーホー」

「好きな物を奢ってやるから!」

「行きまする」

「ホホホ」

「りょう!?」

「マジか!!ヒャッハー!!」


三人と一羽は少し先の高級茶屋"鈴屋"へと入っていった。


◇◇◇◇◇◇◇



二条城




「上様が御病気とお聞きしましたが、これは一体…」


家茂の寝所へと案内された御典医である松本良順は、空の寝具を目の前に首を傾げた。


「御典医殿。これから申すことはくれぐれも内密に願いたい」


春嶽は厳しい表情でこちらを向いた。松本は不測の事態が生じたと一瞬狼狽えたが、動揺を隠して声を潜めた。


「……口外は致しませぬ」


春嶽はコクと頷き、重い口を開く。


「上様がこの二条城から消えてしまわれた」

「なんとっ」


思わず声を上げて、慌てて頭を下げる。


「それは…もしや曲者に…?」

「いや、おそらく自分の意思だろう」

「う、上様がご自分の意思で、でございますか?」


俄かに信じ難い言葉だった。

良くも悪くも家茂は、あまり自分の感情や考えを表に出すことはしない。穏やかで優しい人柄ではあるが、悪く言えば意思のない人形なのだ。そのような印象を常日頃から持っていただけに、松本は驚きを隠せなかった。


「無論、お一人ではない。小姓とご一緒に行動しているようだ」

「京の治安は非常に悪く、一刻の猶予もありませぬ。私も仲間を集め、捜索に参加致しまする」

「いやそれには及ばぬ。未だ見つからぬ状況であるが、公にしては余計に上様の御身が危うい。ここは如何にしても極秘に上様を確保するしかあるまい」

「しかし…」

「その件は肥後守ら会津藩に任せておる」


春嶽がきっぱりと言い切ると、松本は押し黙った。


「上様不在の今、我らの成すべきことは、これらを朝廷及び他藩に気取られてはならぬということだ」

「成る程……では私をお呼びしたのは」

「上様は先日の行幸の際に、雨に打たれて御病気になられたと……そのように取計らってもらいたい」


松本は春嶽の意図を理解し、深々と頭を下げた。


「承知致しました」



◇◇◇◇◇◇◇



鈴屋



「茶屋というのは何でもあるのだな」

「このおはぎはなかなかの美味にございまする。葉月様もお一つ」

「いや、予は…わ、私は要らぬ。もう沢山頂いたゆえ」

「葉月ちゃんは少食なんだな」

「ではそれがしめはお土産を包んでもらいまする。ご主人、このおはぎを十ほど持って帰りたいでござる」

「承知致しました」


原田は財布の中身を確認した。


「ところで貴殿は原田左之助と申しましたな?」


りょうはジロジロと原田を見た。


「ああそうだ。"壬生の貴公子"と言えばこの俺だ」

「図々しい男にございまする」

「巷では有名な話だ」


さらりと嘘を言いながら、原田はニカっと家茂に笑顔を向けたが、ひまちゃんに目潰しされた。


「浪士組、というヤツですな?」

「よく知ってんなお前」

「それがしめに知らぬことはございませぬ」

「数ヶ月前に江戸から来たんだ」

「ほう…」

「将軍様の警護の為にな」

「!」


家茂がピクリと肩を揺らした。


「敵ではございませぬ」


りょうは小声で言った。


新撰組の十番隊組長。

これが"原田左之助"か。とりょうは思った。なかなかの美男子ではあるが、ひまちゃんのタイプではないようだ。愛らしい顔が醜く歪んでいる。


「ところで貴殿は何故祇園に?」

「そりゃお前、その、ほら…巡察だ巡察」

「葉月様。このエロ貴公子は女を買いに来たようでございまする」

「えっ」

「ちょっ!!ち、違う違う!!」


原田は真っ赤になって否定した。

が、その表情を見れば一目瞭然だった。


「まこと男という生き物は厄介にございまする」

「うむ…」


予も男だし其方も男なのだが、と家茂は心の中で思ったが、言葉には出さなかった。


「信じてくれ!俺は葉月ちゃん一筋だ!」

「ちなみに祇園一の遊女は、"白鳥屋"の"久美子太夫"にございまする」

「マジか!!?」


りょうは矢立を取り出し、紙にサラサラと何かを書き連ねた。


「紹介状にございまする。これを持っていけば、半額になりまする」

「お、お前…めっちゃイイ奴じゃねえか!!」

「では、それがしめらは急ぎますゆえ、これにて失礼。お勘定を宜しくお頼み申す」

「ああ勿論だ!葉月ちゃん!またな!」


単純な男は単純な嘘に騙されるようだ。浮足立つ原田はさっさと勘定を済ませると、スキップしながら去って行った。


「あんな嘘をついて良いのか?」

「久美子太夫は本当におりまする」

「そうなのか?」

「ただ、歳が68でございまするが」

「……」


りょうは主人からおはぎを受け取ると、にっこり笑顔になって大事そうに抱える。


家茂は苦笑した。


「其方といると飽きないな」



その後二人は本来の目的である呉服屋へと向かったのだが、そこでりょうは思わぬ男と再会を果たすのだった。



◇◇◇◇◇◇◇


二条城



慶喜が御所から戻ったのは夕刻だった。


先日家茂が言及した内容、いわゆる将軍辞任か大政委任かの問題について、天皇の言葉は「今まで通り政事は任せるが攘夷は決行せよ」と勅書が下りる。しかし蓋を開けてみれば二転三転した内容だった。


書面には「攘夷に関しては幕府が実行し、政事によっては朝廷も介入する」と記され、つまりは嫌な物事を幕府に押し付け、気に要らぬことは口出しするという、何とも許容し難い内容であった。


「これでは上様は利用されるだけではないか」

「全くだ」


しかしそれでも勅書は勅書である。

不本意ながらも、破棄する術はない。


「ところで江戸よりの早馬はどのような内容だ」


慶喜は話を切り替えると、春嶽が口を開いた。しかしその内容を聞いた慶喜は、いよいよ頭を抱える羽目になった。



「猶予は頂いたものの要求に応じない場合、武力行使に出ると通達が参ったようにございまする。他国も英国に同調し、軍事同盟を締結する運び。事態が逼迫しており、即座の対応が必要だと。上様には早急に江戸へお戻りになられるようにと、天璋院様からも直々に文が届いておりまする」



それは、先の生麦事件賠償問題であった。


英国側は幕府、薩摩藩両者に対して強硬姿勢を示していた。その要求は、幕府に対して10万ポンドの賠償金、更に薩摩藩に2万5千ポンドと犯人の引き渡し及び処刑である。


幕府側は将軍不在を理由に、回答期日を伸ばし伸ばしにしていた。薩摩藩はというと、こちらもまた久光不在を理由に返答は差し控えている。


「薩摩藩も要らんことをしてくれたものだ」


板倉は吐き捨てるように言った。


久光に対する幕府の共通認識は「幕府を窮地に立たせようと、大袈裟に騒いで外国人を殺害した」というものである。おそらく久光自身は不可抗力であっただろうが、薩摩藩士の中には「傲慢な外国人を斬れる」とある意味執念のようなものが存在したのも事実であった。


「どちらにせよ、攘夷決行を約束してしまった以上、"拒否"の一択しかないであろう」


慶喜は苦渋の決断をするかのように、眉間を揉んだ。


「では賠償金は支払わぬと…」

「開戦する相手に莫大な金を支払うべきではなかろう。もとよりあの不幸な事件は、単なる文化の違い、行き違いによって発生したのだ。本来であれば支払う必要などどこにもないではないか」


水野は声を絞り出すように言った。


「横浜開港場には次々と各国艦隊が集結しておりまする。このままでは横浜は火の海となり、江戸も戦火に巻き込まれる可能性がございまする」

「な、なんと…」


慶喜は言葉を失った。


「民の中には土地を離れる者や家財道具を運ぶ者まで出ておるそうな。このまま放置を続ければ、民の心が離れるのも必定。敷いては我が徳川幕府の権威そのものも……」


水野に続いて板倉が口を開く。


「上様が帰府すれば民の士気も上がるだろうと、城の者達は早急の帰府を願っておる次第」


慶喜は溜め息をついた。

気持ちはわかるが許可は出来ぬといったところである。


「先日の行幸の際に主上より上様に、暫くは京に滞在するようにと御言葉があった。それを無視するわけにはいかぬ」


例え上様であっても、主上の命令に逆らうことは出来ない。


「期日をもうしばらく伸ばすことは出来んのか?」


慶喜が期待を込めて問うと、水野は首を振った。


「ご存知の通り、度々猶予を頂いておりまする」


賠償問題は既にあったにもかかわらず、ずるずると引き伸ばしにしていたのは彼らである。加えて当初家茂の上洛は2月下旬の予定であったにもかかわらず、この問題を避ける為に敢えて前倒しにしていたのも他ならぬ彼らであった。


「それはそうだが…」

「元より先日の交渉では、上洛後に回答するということで一致しておりまする」


水野と板倉はバツの悪い顔で互いを見合った。


老中筆頭である水野らもまた、交渉を回避しようと家茂に同行したようなものだった。将軍、そして筆頭である彼らが不在となれば時間稼ぎになる。ましてや慶喜も春嶽も京にいるのだ。


「ならば……ここは一先ず諸藩とも協力し合い江戸の警備を頼むしかあるまい」


結局何一つ解決せぬまま、外は闇に包まれていった。



◇◇◇◇◇◇◇


呉服屋



「この帯はなかなか良いな」


家茂は鉛色に金色の蝶が描かれた帯を手に取った。店の店主は揉み手でニコニコ愛想を振りまいている。


「お目が高うございますな。それは加賀友禅の染帯ですわ」

「ほう…友禅か」


そこへりょうが割り込んだ。


「この帯は?」

「それはカスが作ったカス帯や」


店主は一瞥した。

人を見た目で判断する男。その名を青田屋六左衛門という。購入こそしたことはないが、噂くらいは知っている。店主の評判は悪いが、質の良い着物を扱っているのも事実だった。


「カスなればタダでもらうでござる」

「え!?」


店主は目を丸くした。


「アホなこと言うな!誰がタダで」

「おお…なんとこの店主。カスの帯を売ろうとしているでござる!」


りょうは開け放たれた外を見て大声で叫んだ。


「詐欺でござる!こやつ詐欺師でござるー!」

「おい!やめろ!」

「悪徳詐欺師!青田屋六左衛門!」

「営業妨害やぞ!ええ加減にーー」

「りょう!」


拳を振り上げた店主とりょうの間に、庇うようにして立ちはだかった家茂。その前に一人の男が割り込んだ。



「女子供に手を出すとは……いただけぬ」



濃灰色の着流し姿の男は、身長およそ六尺(180cm)の中肉中背。生真面目そうな顔立ちには不敵な笑みを浮かべている。




久坂玄瑞だった。


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[良い点] 怒濤の更新ありがとうございます。
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